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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
23/75

彼の事情と彼女の事情⑤

(大丈夫。やることは前と変わらない)


 もとより勝ちたいわけではなく、この場を切り抜けさえ出来れば良い。最悪なのは捕まって身動きがとれなくなる展開だ。いや、そもそもが誤解なのだから話して和解出来る可能性も――なくはないと思ってしまうのは、甘い考えだろうか。

 追い詰めたと判断したのか筋肉騎士がゆっくりと口を開いた。


「話を伺いたいと言ったはずだ。何度も言うが、手荒な真似はあまりしたくないんだ」

「充分手荒な扱いされてるけど」

「……多少乱暴だったことは認める。しかしそちらも短慮な行動だと思うが?」


 静かな声音に確かな威圧を感じる。何より、剣の切っ先はいまだアリスの胸を捉えたままだ。香姫も同じ状態だろう。加えて相手の方が人数は多いときている。どう見ても不利なのはアリス達だった。


「……」

「素直に応じてくれれば、傷を負わせずにすんだのだがね。君に少々尋ねたいことがあるだけなんだ」

「……わかった。聞くわ。その代わり、こっちも質問したら答えてくれる?」

「答えられる範囲なら」


 筋肉騎士は頷いたが、構えを解く気はないらしく剣は依然構えたままだ。穏便とは言い難い。とはいえ向こうからしてみればこちらは大事な王様の身を傷付けた――かもしれない、重罪人なのだから当たり前か。


(そういえば――)


 つい反射的に逃げてきてしまったが、あんな安宿に本当に一国の主がいたのだろうか? ゼロに問われたときは、黒鷹(こくよう)隊がいるなら当然王も一緒だろうと思い込んでいたけれど……。

 それに、気になるのはさきほどの香姫の台詞だ。追っているものが同じ、とはつまり――


「まず確認したい。君はメルフェスの宿屋に泊まっていたね? 部屋は――三階、東の五」

「……そうよ」

「君には連れがいたはずだ。後ろの少女ではなく」

「……いたけど?」

「彼は今どこに?」


 やはり。

 疑念は確信に変わる。

 しかし、理由がわからない。

 理由になるとしたら……。


「あたしを追いかけてきたのはついで、ってこと? 一緒にいたから? 彼と?」

「逃亡したのは君からだろう。ならば理由は君自身がよく解っているはずだ」


 ずるい返答だ。上手くはぐらかし、仮にお互い答えが違っていても話は通ってしまう。ならば、とアリスは自分の胸へ手を当てた。


「宿屋を燃やしたのはあたしよ。なら、探すのも捕まえるのもあたしだけでいいはずよね」

「それを判断するのは我々ではない。始めにも言ったが捕縛ではなく事情聴取だ。ただしそれを行うのも我々ではないから、その方のもとまで同行してはもらうよ」


 あくまでも放火の嫌疑であるという建前は崩さないらしい。少しばかりの揺さぶりなどものともしないさまはさすがと言うべきか。


(やっぱり、ゼロを探してるんだ)


 ――たぶん、見られたのだ。

 あの火事のさなかで。

 彼の正体を。

 香姫の言ったことは本当だった。アリスに逃げる必要はなかったのだ。濡れ衣どころか建前で追われていては、たまったものではない。


「そういうわけで、我々は君の連れも探している。どこへ行った?」

「とうてい教えられないわね」


 実際は居場所などこちらが知りたいくらいだが、嘘も方便だ。


「私の言った通りだろう」


 ささやく香姫へかすかな頷きだけ返して、アリスは心を決める。

 心を――すなわち、次にとる行動の選択を。

 筋肉騎士はいまだ騎士剣を下ろさないまま。


「やれやれ、交渉は決裂か。子どもを相手にするのはどうにも気が乗らん」


 筋肉騎士の双眸に鋭い光が宿ったその瞬間、


「連歌! 篝火(かがりび)野分(のわき)紅葉賀(もみじのが)


 香姫の凛とした声が響き、凄まじい爆煙が渦巻いた。熱風で土が巻き上げられ、視界を覆うなか、アリスの呪文も完成する。

 ――確かに、実力も経験も、向こうが格上なのは事実。けれど騎士達は悠長に話をせずすぐにアリス達を捕まえるべきだった。なにしろ滑舌と早口には自信がある。アリスが返事をしなかった時間はわずか数拍だが、それで充分ことたりる。

 アリスは怯まず高難度呪文を放った。


「風の精霊よ、我が手にちからを! サイクロン! まとめて吹っ飛べー!」


 ――爆風と轟音が、空を割った。



        *



 どこか遠くない場所から、爆発音が轟く。ゼロと紫鳩(しばと)はほぼ同時に、音の方向へ注意を向けた。連なる木々のその向こう、緑の森の奥にただ一箇所、もうもうと土煙をあげているのが見える。

 紫鳩ははっとして、


「香姫だ」

「判るのか」

「そりゃ仲間だし! 家族だかんな!」

「へぇ……」


 感心したように言うと、それきりゼロは黙りこくってしまった。そんな彼を一瞥して、空を埋める土煙の方角に紫鳩は向き直る。


「とにかく、あいつの力の波長を感じた。――何やってんだよ香姫のやつ……」


 心配そうに呟く紫鳩の顔やむきだしの腕は、至るところ痣だらけだった。唇も切っているようで、口の端がわずかに赤く腫れている。

 紫鳩は再び、ゼロを真正面から見据えた。

 今、両の手にあるのは、二本の長槍。紫鳩の身長ほどもあろうかという長い柄、その両端に据えつけられた両刃の穂先。二本のうち片方にだけ、緒で繋がれた玉飾りが揺れる。自らの手にすっかり馴染んだそれを、目の前で交差させるような格好で力強く押し付けた。

 同じく、両腕で長槍を受ける、ゼロに向かって。

 ふたりは今、戦闘真っ最中だった。さきほどから力のせめぎ合いが続いている。ゼロの見た目は紫鳩よりずっと華奢なのだが、どこにそんな力があるのかと疑いたくなるくらい、一撃一撃が強かった。

 紫鳩の、予想以上に。


(実は脱いだらムキムキだったり……するわけねぇよなぁ)


 もっと手数で押してくる方かと思っていた。見るからに自分より腕力はなさそうだし、力押しで勝てるはずだった。の、だが。

 ふ、とゼロが息を吐き、ゆらりと身体を後ろに引く。そのとたん、紫鳩に向かって押し返していた力が消え失せ、思わず紫鳩は前につんのめる。

 がつっ!

 次の瞬間、顎に衝撃が走った。視界が一瞬黒く染まる。それでもなんとか踏み留まり、痛む顎を手でさすっていると、口のなかに血の味が広がった。どこか噛み切ってしまったか。ゼロは三歩ほど距離を取って、隙のない構え。


(今……体勢崩したときに下から蹴り上げられたな)


 防御も何も出来なかった。まさしく痛恨の一撃だ。多少よろめきつつも、紫鳩は再び槍を構え、ゼロを見た。拳打はせず、ひたすら蹴りばかりというのがなんだか無性に気に食わない。文字通り足蹴にされているようで、面白くない。


「俺はお前が嫌いだ」

「……そうなのか」

「絶対ぶち倒す!」


 声高らかに宣言するも、当のゼロはどこか困惑した表情で、


「ここまでやっといて今さらなんだが……。ここで俺達が戦う意味がよく判らない」

「――ホントに今さらだなおい!」


 あれだけ人のことを蹴り飛ばしておいて言える台詞だろうか。


「よく聞けよ! 俺はお前が嫌い! そんでもってお前と戦って勝ちたい。これで充分だろが!!」


 言い終わると同時に、紫鳩は地を蹴る。


「――!?」


 が、ゼロはあらぬ方向を見ていた。正確には、紫鳩の頭上辺りを。

 ――これは、好機。


「よそ見してんじゃねー……どわぁッ!?」


 何かが、恐ろしい速さで飛んできた。反射的に身体が固まる。

 紫鳩の頬をかすめるように飛来した硬質の物体は今、地面へ盛大にめりこみしゅうしゅうと煙を上げていた。それは存外にちいさく、だが威力は凄まじいことを紫鳩は知っている。

 鉛の、弾。

 こんな物騒なものを扱う奴は知る限りひとりしかいない。


『はい、無用のケンカはそこまで。情けなくって見てられないなぁ紫鳩くん』

「――東雲(しののめ)てめぇ俺に当てる気満々だったろ!?」


        *

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