彼の事情と彼女の事情④
「とりあえず今は休戦協定結びましょ!」
「今だけだからな!」
ぱちん、とお互いの手を打ち鳴らし、アリスと香姫は頷き合う。そしてふたり同時に後ろへ跳びすさった。近接戦闘が出来ないふたりにとって、距離はなるべくとった方がいい。相手の間合いの内など論外である。
「足をひっぱるんじゃないぞ」
「だぁれがっ!」
さきほどのアリスの呪文で体勢を崩されていた筋肉騎士が、苦々しい表情で吐き捨てる。
「あまり手荒な真似はしたくないんだがな……こうなっては仕方ない」
ちゃきっ、と騎士剣を構えた。他ふたりも剣を抜き放つ。
ふと思い当たって、隣に立つ香姫にアリスは釘をさした。
「間違っても火炎系なんて使わないでね」
納得いかない様子で香姫が訊き返す。
「なんで」
「森が燃えるからに決まってんでしょこの放火犯! また火事起こす気なの!?」
いくらここは少し開けた場所だからといって、森のなかであることに変わりはないのだ。宿屋に続きこの森でまで火事を起こされてはたまったものではない。
一応火事のことはうしろめたく感じているのか、香姫はぶつくさ言いながらも了承した。
「火は父様の象徴なのに……」
父様とは仕えている神様のことだろうか。
(火の神様なんていたっけ?)
あいにく神話には詳しくない。機会があればきちんと勉強しようと胸の内で呟き、アリスは呪文を紡ぎ始めた。基本的に、難易度の高い術であればあるほど、唱えなければならない文節は多く、そのぶん時間も、集中力も必要だ。自分より遥かに実力のある相手との戦いの最中に、高難度の呪文を詠唱出来る隙なんてそうそうあるとは思えない。
(小技で凌ぐか、一発を狙うか……)
勝てる見込みはないが負けるつもりもない。何より、逃げてばっかりには嫌気がさしてきた。
「来るぞ」
うってかわって真剣な口調で、香姫が言う。
その台詞が合図かのように、騎士達は一斉に地を蹴った。
「――関屋」
香姫の言葉に大地が呼応し、不規則に隆起した地面が騎士達の行く手を阻む。そのわずかな隙をついて、今度はアリスの呪文が放たれた。
「氷の精霊よ! 我が手にちからを! アイスグレイン!」
虚空に出現した数十の氷の粒が、さながら雹のごとく降りそそぐ。以前、別の騎士に放った氷の槍のように対象を凍らせるほどの威力はないが、当たればかなり痛い。
しかし。
「――うそっ!!」
なんと筋肉騎士は、そのことごとくを剣で打ち払い、香姫の術ででこぼこになった足場をものともせず、アリスめがけて突っ込んできた。
香姫が呆れた顔でぼやく。
「お前弱いなー」
「うるさいっ!」
繰り出される突きを、香姫は右に、アリスはとっさに左に飛んでかわす。
「――ッ!?」
すると間髪入れずに騎士剣は突きから薙ぎ払いに変わり、アリスの左腕を浅く切った。一瞬痛みが走るが、気にしてはいられない。集中力を欠けば呪文の精度が低くなる。
(横に飛ぶと届いちゃうのね……。次から後ろに飛ぼう)
器用に方向転換してこちらへ向かってくる筋肉騎士へ、アリスは思いっきり地面を蹴り飛ばした。砂埃と土が筋肉騎士の顔面を直撃する。
「くそっ……!」
どうやら狙い通り目潰しにはなったようだ。
筋肉騎士はたまらず片手で両目を押さえたが、失速することなく勘を頼りに剣を振り払う。しかしその程度の剣ならばアリスでも回避するのは簡単だ。
(あくまでも狙いはあたしってわけか)
注意を払いつつじりじりと間をとる。その間も詠唱は続いている。くるりと身体の向きを変え、アリスは腰を落として地面に両手をついた。
「アクアフロード!」
「――うわっ!?」
手をついた場所から前方がみるみるうちに泥土と変わる。まるで沼かのようなぬかるみは横からアリスを狙っていたもうひとりの騎士の足をたやすく飲み込んだ。重心を見失った騎士は抜け出そうともがくが、そのたびに深みへはまり今や膝まで沈んでいた。
この呪文、本来ならば大量の水を呼び招く呪文なのだが、地面へ向けて放てば土と混ざり、即席の沼と化す。昔これで落とし穴をよく作ったものだ。実戦で役に立つのだからいたずらも捨てたものじゃない。
アリスはすぐさま立ち上がり、再び走り出す。
少し離れた場所では香姫と三人めの騎士が戦っていた。
「朝顔」
香姫が言葉を放つと同時に地面を割って無数の蔓が伸びた。それは騎士の首へ、腕へ、足へ、意思があるかのごとく巻きついていく。
初めて目にしたときから不思議だったが、あの少女が使っている術は一体何なのだろう。アリスのように発動までの詠唱を必要とせず、言葉ひとつでその力を放っている。魔道とはおそらく根本的に違うのだろう、何せそんな術体系は見たことも聞いたこともない。
(これもあとで訊いておくとして)
香姫から目を離して、アリスは口早に呪文を唱える。
――氷の粒ごときでは効かないというのなら、仕方がない。
最初に斬りかかってきた筋肉騎士は、すでに復活している。
(潔く凍傷になってもらおうじゃないの!)
アリスは筋肉騎士に向かって、左手で弓を、右手で弦を引く動作をした。
――距離は充分ある。相手の間合いにはほど遠い。
右手の指を弾く。
「フリーズアロー!」
目の前に現れたのは何本もの氷の矢。それらがきゅいんっ、と風をきって一斉に筋肉騎士に迫る。
筋肉騎士は目を細めてひとつ息を吐き、
「はっ!」
騎士剣を一閃。氷の矢はすべて、ものの見事に砕け散る。
「うそでしょ!」
剣の腹で叩き落としたようだが、そんな芸当は初めて見た。近隣屈指と謳われる騎士隊の名は飾りではないらしい。
無意識に後ずさった背中が何かに当たる。振り返ればそれはこちらも後退してきた香姫だった。
「……に、人間のわりには、なかなかやるな」
どこか震えた声音とその表情を見れば虚勢であるのは明白だ。
香姫の正面に立ちはだかるのはさきほど蔓に巻きつかれていた騎士である。その姿を見るに、たいした痛手もないようだ。
「……人間だってやるときはやるのよ」
そう応えて、アリスは視線を戻した。
油断なく剣を構えている、筋肉騎士に。
(どうすればいいのよ、この状況……!)
思わず歯噛みしたが、自問するまでもない。どうにかするしかないのだ。自分の力で。




