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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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彼の事情と彼女の事情②

「一緒に行こう」、と彼に言った。無意識に、無自覚に。気が付いたときには、彼に手を差しのべている自分がいた。

 ――あたしは気付きはじめている。

 今の「自分」に。

 その自分自身と向き合うためにも、あたしはあの国へ行かなくちゃいけないのだ。

 握り返す手の温かさを、感じた……。



        *



「エルを慕う人間には変わり者が多いな」


 ベルジェが退室したあとの書物庫で、サリエリはケーニヒとふたり、机上(きじょう)に積まれた文献を眺めて過ごしていた。返答を期待した台詞ではなかったが、妙なところで律儀な(あるじ)は、一冊の文献に視線を落としたままぽつりと応えた。


「それはつまりお前も変わり者ってことだな」

「……そうなるか」

「そうだろ?」


 疑問の余地なし、とでも言いたげなケーニヒの言葉に、サリエリはしかし反論もなく、再び手元の本に集中した。

 内容は、どこにでもありそうな創世の物語。

 サリエリ自身は信仰には程遠い人間なので、神や天使がどうとか言われても特に反応は出来ない。存在してもしなくても良い、という程度である。ケーニヒの言うように、背に光の翼を持った人間を確かにこの目で見はしたが、だからと言ってあの青年が「天使」であると一概に盲信する気はない。単に、この地上のどこかに()む異種族ではないかと思っている。――あくまでも、己の理解の範疇内で答えを出すならば、だ。

 サリエリはほつれて目にかかる前髪を手ではらった。目の前の主やさきほどまでいた青年士官とはまるきり正反対の、地味な藍色の髪がぱらりと揺れる。


「――あの男が天使なら、必ず()()に仕えてるはずだ」


 おもむろにケーニヒが言う。

 四柱(よんちゅう)という単語には聞き覚えがある。確か……。


「天を支える四人の神、だったか」

「正しくはその総称だ。……と、だいたいの文献には書かれてる。どこまで真実なのか判らないものをあてにしてると、いろいろややこしくて面倒だな」


 いささか疲れ気味に、ケーニヒは髪をかきあげた。すでに、早朝と呼べる時間帯になろうとしている。


「それぞれ役割が違うのだろう」

「ああ。それがどんなものかはともかく、名称はこうだ。火神(かしん)水神(すいじん)朱夏神(しゅかしん)深淵神(みぶちしん)。天使とはこれらの神々に従う者」


 そこでいったん口をつぐみ、次にケーニヒは手にした文献のとあるページをサリエリの方へ向けて開いた。そこにはこう書かれている。


〈天地を往き来する者、神の御声(みこえ)を伝えたもう。

 その身は人に近しく人に遠く。その目は千里を見通し、その足は千里を()けた。

 人の身なれど人を超越した存在。神の御使いの証は一対の翼、それこそが天使である〉


 ――天を翔ける翼持つ者。

 その正体は、一体何なのか。サリエリには、あまり興味がない。

 だが、自分が忠誠を誓った王は――、その魅力に惹かれている。

 その証拠がこの書物庫だ。ここの蔵書は伝承や神話の類のものが圧倒的に多い。ケーニヒ自身が持ち込んだものもあるが、その量、実に膨大である。なかには他国や遠方のものもあり、これだけの数をもともと所有していたとはおよそ考えにくかった。誰がいったい何のために、という疑問については、おそらくこの国に根付くとある信仰が理由なのだろう――とケーニヒとサリエリはみているが実際のところ真実は闇のなかだ。サリエリにしてみれば問題はそちらではなく暇さえあれば日がな一日ここで過ごすケーニヒの方だ。もっとも、戴冠してからは日々の忙しさに負けて、あまり来られないようだが。

 それでも、ときおり狂ったように書物を読みあさる彼の、(たが)がいつか外れてしまうのではないかと、サリエリは内心危惧してもいた。


(大丈夫だ。そのときには……)


 必ず自分が、彼をひっぱり戻してみせよう。

 だから、今は。


「エル」


 サリエリはいつも通りの声音で、呼び慣れた名前を口にした。


「なんだ」


 こちらを向いたケーニヒは、平時より顔色が白く見えた。もともと、そこらの女性に負けず劣らず色白ではあるのだが、その象牙の肌が一層色失せている。疲れているせいだろうか。しかし切れ長の双眸は力強い光を宿しており、ある種の凄みをも感じさせる。


「もうすぐ朝だ」

「もうそんな時間か。おはよう、サリエリ」


 相変わらず妙なところで律儀だ。そう思ったが、サリエリは特に口にも顔にも出さず、


「ああ。お(はよ)う。――エル、朝の鍛練の時間だ」

「それに異論はないが、お前もう少し俺を労る気はないのか?」

「強くなりたいのならば、避けて通れぬ道だと受け入れるべきだ」


 サリエリの言葉に、ケーニヒは大きく息をついて椅子から立ち上がる。


「判った。――国境の件はベルジェに任せるとして、それじゃついでに寝こけてる臣下どもも叩き起こすか」


 王様業の始まりだな、とケーニヒは口の端を歪めて笑った。

 取り出した本をしまいに行く彼の背に声をかける。


「エル」

「ああ?」

「腹いせに臣下をからかうのもほどほどに」

「ち。この心中地獄耳」


 振り返らずに毒吐(どくづ)くケーニヒをため息混じりに見遣りつつ、メルフェスに残してきた部下達は上手くやっているだろうかと、かの国に思いを馳せた。

 ――夜明けは近い。



         *



「一緒に行こう」、と彼女は言った。揺るぎのない瞳で。まっすぐ俺を見据えて。

 ――俺は決めなければならない。

 自分の「答え」を。


         *

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