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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
19/75

彼の事情と彼女の事情①

「――帚木(ははきぎ)!」


 突き出した両手からあふれるように、突風が一直線に吹き抜け、強制的に道を作る。これで視界は良好。人差し指をぴっと立て、香姫(こうき)は次の呪文を唱えた。


(ほたる)


 その声に呼応して、立てた指の上、なにもない空間にぼんやりとした灯りがともる。手を離すとそれは香姫を先導するように浮遊して、暗い道の先を照らした。


「よし、これでいいな。ほら、さっさと行くぞ、紫鳩(しばと)


 前方を見据えたまま、浮かない顔で後ろを歩いているはずの同属に声をかける。紫鳩はなにやら拗ねてしまったのか、さっきから一言もしゃべらない。さすがに、何か慰めの言葉でもかけてやろうかと思ったが、そういうことには不慣れなのでなかなかいい台詞が思いつかなかった。


(うーん……)


 やっぱり放っておこうか。そうして頭を悩ます間も、先を急ぐ足は止まらない。けっこうな早足で、香姫はずんずん進んでいった。


(うーん……)


 決めた。とりあえず顔くらいは見てみようと、香姫は勢いよく後ろを振り返り、


「……あれ?」


 ――そこには誰も、いなかった。



         *



 アリスが生まれたのは、メルフェスをさらに南下した土地にある、ストレイドと言う国だ。商業が盛んで、活気はあるが国土はあまり大きくはない。東ワールゲンのような絶対王制ではなく議会制を敷いており、徹頭徹尾民主主義の国でもある。

 アリスの家族はストレイドの首都、ペリエに家を構える商家で、アリスは三人姉妹の末っ子だった。姉ふたりが女性らしく艶美(えんび)的に育ったのに対し、アリスはまるで男の子のようにやんちゃで行動的に育った。生来の気質もあったのかもしれないが、末っ子故にあまり干渉されずに育てられたせいもあったのだろう。

 そんな少年アリスにも転機が訪れる。

 同盟国からストレイドへ派遣されてきた騎士のひとりに――恋をした。


「歳は二十歳くらいでね、すっごい綺麗な金髪で、あれ蜂蜜色って言うのかな。とにかくキレーな金色してたのよ。瞳も明るい空色でさ、ほらあたし黒髪だし、うちの国は金髪ってあんまりいないからちょっと羨ましくって。優しかったし、……ていうか優しすぎたけど、それに強かったんだ」


 大げさに身振り手振りを交えて力説するアリスを、ゼロはただただ黙って聞きながら見ていた。

 だいぶ時間が経ったであろうがいまだ夜明けは遠く、依然(いぜん)として夜闇が森を包んでいた。揺れるたき火の明かりだけが、この静まり返った森に命を与えているようだった。

 彼女の――アリスの様子から察するに、その騎士にとても好意を寄せていたのだろう。


「恋人……だったのか?」

「ううん。うん? どーだろ。あたしはひとりで舞い上がってたけど、あの人、誰にでも優しかったから、わかんないや」


 そう答えるアリスの顔は、悲しみの表情であるようにゼロには感じられた。


「でも、いなくなっちゃって」

「いなくなった?」

「派遣の任期が終わったの。だけど、あたしお別れの言葉も言ってなくて、……言いたかったし、聞きたいことも、あったし」


 アリスは力強く、ゼロを見つめた。


「だから。会いに行くの。もやもやしてる気持ち全部、伝えたいから――会わなきゃいけないの」


 アリスの瞳はいつもまっすぐだ。迷ってばかりの自分とは、正反対。少し、羨ましくもある。


(俺もこんなふうに、自分で自分のことを決めていれば、あの人を泣かせずにすんだのだろうか)


 アリスは逃げることなく立ち向かっているというのに、自分はどうだ。


(ただ、逃げているだけじゃないか――)


 罪には罰を。叶わぬ想いには終止符を。

 ――そうしなければ先に進めない。

 ふと、脳裏を追っ手の少女がよぎった。変わった衣装を着た、長い黒髪の。あまり面識はないが、あれは火神に属する使徒のはず。火神ユリウスはうちの主に想いを寄せているから、彼女を傷つけた自分をきっと血眼になって探しているだろう。


(――正直、あの人は苦手だ)


 火神には使徒が四人いる。もしかしたら、使徒総出で自分を追わせているかもしれない……。


「ゼロ?」


 名を呼ばれて、はっと我に返る。心配そうな表情で、アリスがこちらを覗きこんでいた。


「大丈夫だ。なんでもない」


 とりあえずそう言って、片手をひらひら振ってみせた。そして、とあることに気付く。


「アリス……その男は騎士なのか?」

「そうよ」

「同盟国って言ったな」

「言ったわね」


 ゼロの頭に、さきほど薙ぎ倒してきた騎士達の姿が浮かぶ。


「……だからアリスは東ワールゲンに行きたいのか」

「せいかーい」


 アリスは快活に笑ってみせた。


「行ったからってどうにかなるもんでもないし、どうにもならないかもしれない。でも、あたしは行くと決めたの。会うって決めたの。――だから、最後まで突き進むのよ」


 意志の強い黒茶の双眸が、ゼロを射抜く。その瞳に映る自分はさながら(まよ)い子のようで、たまらずゼロは目を伏せた。

 ……いつまでも迷ってはいられない。

 アリスの力強い言葉が、ゼロを(すく)い上げる。


「どうせなら、最後まで付き合って。もちろん、あたしもゼロの事情に付き合うから。今さら文句たれても変わらないしね。……一緒に行こう。――東ワールゲンまで」


          *

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