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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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銀色と黄昏の夜③

 王城の書物庫は、本館をとりまく尖塔のなかでもひときわ長大である他は、これといった特色のないありふれた塔だ。内部の高さは二階分に相当するが、階を隔てる天井はなくすべて吹き抜けで、その代わり二階部分にあたる場所へ設けられた回廊がぐるりと壁面を一周し、最奥で螺旋階段と繋がっていた。階段は上部の見張り台まで通じておりそこがこの塔で一番広い開口部と言えた。何故なら階段の脇に換気用の小窓がある以外窓という窓もなく、壁一面をどこまでも書架が埋め尽くしているからである。あと置かれているものと言えば、質素なテーブルにこれまた質素な椅子、そして梯子(はしご)

 書痴(しょち)でもなければ気詰まりがするようなこの場所が、ケーニヒにはとても居心地がいい。


「さーて、どっから行くかな……」


 誰にともなく呟いて、ケーニヒは梯子を引ったくるように持ち上げた。どこに何があるかは完璧に頭に入っている。ケーニヒは目当ての場所で立ち止まり、梯子をかけた。回廊があるとはいえ、隙間なく敷き詰められた書架すべてに目を通すには梯子はなくてはならない必需品だ。梯子を数段登り、びっしりと並んだ本の題目をあらためる。適当な本を何冊か抜き取ると、梯子を降りてテーブルの上に置く。その行程を何度か繰り返し、さて読もうかと椅子へ腰かけたとき、控えめなノックが耳に届いた。

 扉は返事をする間もなく開いた。


「失礼します、陛下」


 現れたのは、予想通りサリエリだ。この短時間で給湯場まで行ってきたのかポットとカップを載せた盆を手に持っている。


「ノックの返事も待てない気短は肥溜(こえだ)めにでも沈め」


 放った文句もどこ吹く風とばかりにサリエリは無言で身体を滑らせる。

 そのさまに次なる罵倒を投げようと口を開きかけたとき、サリエリの背後から現れる人影に気付いた。てっきりサリエリひとりだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。


「御前に失礼致します、陛下」


 優雅に敬礼をしたその人物には見覚えがある。

 ふわりとなびく蜂蜜のような濃い金髪に、女性に好かれそうな目鼻立ち。深緑色の軍服をまとったその背丈はケーニヒと同じかわずかに差がある程度。

 ケーニヒはしばしその士官の顔を眺め、


「お前、ベルジェか」

「はい。ベルジェ・ブラン少尉であります。お見知りいただき光栄です、陛下」


 直立不動の姿勢は崩さぬまま、ベルジェと名乗った士官は人懐こい笑みを浮かべた。確かまだ二十歳過ぎだっただろうか。サリエリに促され遠慮がちに近よってくる様子は年相応に見えた。その間にサリエリは慣れた手つきでお茶の用意をすませ、温かい湯気がのぼるティーカップをケーニヒの前へ差し出す。


「どうぞ、陛下。――ブランは検問を手伝ってくれるそうです」

「検問を?」

「ええ。何故か厩舎で出会いまして」

「散歩をしておりました。明日も非番ですから、ふらふらと」

「散歩だと? こんな月の細い夜に?」


 訝し気に問うケーニヒへベルジェはにこやかに言葉を継いだ。


「ええ。気分転換に」

「ふうん。酔狂な奴だな」

「気のおもむくままにしばらく庭園を歩いていましたら、にわかに裏門から人の気配を感じて、足を向けてみると陛下とサリエリ隊長のお姿を発見して――まあ、暇だったのです」


 実のところ庭園と厩舎は真逆と言っていいほど反対方向で、ベルジェが本当に庭園から厩舎へ歩いたのなら必ずどこかで追いこされているはずなのだが、その事実がない、すなわち彼は真実を言ってはいないということになる。しかし、あっけらかんと述べるその口振りに他意は感じられない。それにしても言うに事欠いて暇とはとんだ言い訳である。

 そんなケーニヒの内心を知るよしもなくベルジェは真摯な眼差しでこちらを見つめた。


「少しでも陛下の力添えになれたらと思いまして」

「そうは言ってもせっかくの非番なんだろ?」

「当分任務はないので一向に構いません。陛下のために尽くすことが至上の喜びです」


 ベルジェは少々気取った仕草で礼をし、顔を上げると甘く微笑んだ。飾り気のない軍服よりも礼服の方が似合いそうだ。


「それに、検問ではなく入国管理を厳しくするということにすれば、国境に兵士のひとりやふたり居てもおかしくないでしょう。適当に口実を作って、係の者と交代しましょう」


 ベルジェの言葉を吟味するように、ケーニヒは出されたお茶を一口すすって、


「まあ、そこまで言うならやってもらおうか。ベルジェ・ブラン」

「はい」

「入国管理を徹底すること。目的の人物が現れたら適当に罪状つけて捕まえろ。――これは、王である俺の命令だ」

「かしこまりました、ケーニヒ陛下」


 深く、ベルジェは頭を下げ、王の言葉を拝命した。

 多少気障(きざ)なところと、素行にやや疑問はあるが、ベルジェは優秀な士官だ。特に問題はないだろう。ケーニヒはしばしの間、自分とそう歳の変わらない青年を見つめていたが、ふと、


「綺麗な色だな」


 と目を細めて呟いた。

 言われたベルジェは「は?」と顔を上げ、ぽかんと口を開けたまま首を傾げる。その動きに合わせるように甘い金髪が揺れた。細い髪は、まるで飴細工のようでもある。

 ケーニヒは自分の頭を指差し、どこか投げやりに言い放つ。


「髪だ髪。出来るなら俺はそういう色に生まれたかったね」

「はあ……。そうですか?」

「そうなんだよ」


 飽きもせずケーニヒはベルジェの頭をしげしげと眺め、そんな王と自分とを交互に見比べている彼に苦笑まじりの相槌を打った。

 金髪の青年はまだ、しきりに首をひねっている。


「そうでしょうか。私はむしろ、陛下のお(ぐし)の方が素晴らしいと思いますよ? それほどまでに鮮やかな橙はめったにありません!」

「目立ってうんざりするだろ?」

「とんでもない!」


 全身で否定の意をあらわして握り拳を掲げたベルジェは、何やら様子が違うようだ。空色の瞳はらんらんと……というより、普段より数倍増しで輝きを放っているようで、続く言葉も妙な熱がこもっていた。有名人を騒ぎ立てる女性達のそれによく似ている。


「陛下は本当に素晴らしいです。地平に落ちる真っ赤な夕陽を凝縮したようなその髪も、群青から藍に変わる夕闇の空を映した蒼い瞳の色も、怜悧なお顔立ちも、高貴な立ち居振る舞いも。どれを取っても美しい! まさに私の理想の王です!」


 恋に恋する乙女のような身振りから一転、今度は軽く髪をかきあげ、まるで運命の恋人に接するかのごとく甘い笑みを浮かべる。

 これにはさすがのケーニヒも口の端をひきつらせた。


「……ベルジェ。お前、人を見た目で判断する奴だろう」


 さきほどからつづられる賛美はことごとく外見についてのみである。内面的なことには一切触れていない。


「それに、陛下の容姿はともかく、高貴な立ち居振る舞いというのは、いささか買いかぶっているようですが……」

「はあ? 何言ってんだ、サリエリ。俺は自他共に認める紳士だぜ?」

「確かに公式の場では非の打ち所はございません、が」


 最後の一文字をことさらに強調して、サリエリはケーニヒを見遣る。椅子の背もたれを肘かけ代わりにして、ぞんざいに足を組んだ姿はとてもじゃないが紳士的には見えず、言葉遣いもどちらかと言うと乱暴だ。


「万事うまくいってるんだから構わないだろ? あんまりがみがみ言うなよ。――禿げるぞ、サリエリ」

「残念だが先祖代々蓬髪の家系なので可能性は薄そうだ」

「そうか。それは確かに残念だ。なら胃に穴でもあけるか?」

「丁重に辞退しておこう」


 しれっと返す己の部下へ、ケーニヒはいびつに笑うと、再びベルジェに向き直った。

 すでに陶酔状態から抜け出した彼は、もとの人懐こい微笑みに戻っている。……優秀なのは間違いない。本人は暇を持て余しているふうに言っていたがいくら暇だからと月のか細い夜にふらふら出歩く人間はこの国では珍しい。さきほどの言動から考えて、おそらく元々厩舎にいたのだ。たぶん、ケーニヒとサリエリを待つために。馬が帰ってくれば一目でわかるから。

 一見裏があるようにも感じられるが慕われているのはありありと伝わってくるので、信用していい人間だろう。それがたまに度を越しているように感じる……のは、おそらく思い過ごしだ。たぶん。きっと。

 ケーニヒは軽く頭を振って余計な雑念を切り捨ててから、口を開いた。


「じゃあ国境の件、任せたからな、ベルジェ。詳細はサリエリから聞くといい。ちなみに他言無用だ」

「陛下の仰せのままに」


 了解の意を受け取ると、ケーニヒは残ったお茶を一気に飲み干して、静かにカップをソーサーに置いた。そしてそのまま振り向かずに、己の部下を呼ぶ。


「サリエリ」

「はい」

「お前もう茶は淹れるな。不味い」


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