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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
13/75

天使と黒鷹①

 町から町へと繋がる大街道は、ときおり路地裏のような小路を貫くこともある。それは大概が旅人へ向けた路ではなく、地元住民が昔から利用していた路なのだそうだが、土地勘のない旅人からすると突然の横道に戸惑いを覚える者も多いと聞く。

 そんな、数ある脇道のひとつ。街道から逸れたばかりの曲がり角。どことなく煩雑とした印象を与える家々がひっそりと続く路に、軍服姿の男達が数人うろうろと周囲を見回していた。何かを捜しているようでもある。


「……まずい。すっごいまずい」


 伸び放題の草むらの陰からそんな光景を確認して、アリスは呟いた。不自然に姿勢を低くしているせいか、腰が痛い。


「……どういうことだ?」


 隣で同じように身を屈めているゼロが、幾分抑えた声で尋ねてきた。

 アリスは再び男達の様子に目を遣りながら答える。


「あれ、あの黒い服、軍の隊服なのよ。で……所属はどこかって言うと、東ワールゲン」


 しばしの沈黙。


「……それってアリスがこれから行く国じゃないのか?」

「そーね」

「まだここ、東ワールゲンじゃないだろ?」


 確かに。

 ゼロの言うとおり、今いるのは東ワールゲンの領地ではない。隣国のメルフェスという国だ。


「それはそうなんだけど。――ゼロって、こっちの国の情勢とか地理とかわかる?」

「いや、あんまり……」


 首を横に振るゼロに、アリスはひとつ息をついて説明を始めた。


「ここの国と、東ワールゲンって、ずっと仲悪かったのよね。それこそ国境近くでいっつも紛争起こってたんだって。あんまり小競り合いが酷いもんだから、お互いに通じる国境は全部封鎖するっていう強硬策をとったのよ。始めたのはどっちからか知らないけど。この道も、」


 指で目の前の街道を指し示す。


「認定手形持ってないと通れなくて、今みたいに自由に行き来することも出来なかったの。でも、東ワールゲンの王様が代替わりしてから少しずつそれも良くなって。とうとうこないだ友好条約みたいなのを結んだわけよ。それで、街道の封鎖も解かれて、どこからでも東ワールゲンに行けるようになりました」

「……で?」

「東ワールゲンには世界に名高い騎士隊がありまして。人気なんかそりゃもう凄くって、あそこの王様知らなくても騎士隊だけは知ってる人間がいっぱいいるほどの言わばスター! もちろん実力も折り紙つき」

「……つまりあれか?」

「つまりあれよ」


 そう言って、ふたりで視線を向けた先にはいまだ立ち去らずに連絡を取り合っている軍服連中の姿。なまじ黒い隊服のせいか、夜闇と混ざりまるで蠢く獣のようだ。


「でもなんで隣の国に」

「その騎士隊はねー、正規軍じゃないのよ……。王様直属の、護衛隊なんだ」

「じゃあ王様も一緒?」

「……おおかた、友好の証的な外遊でもしてたんでしょー」

「……あんな普通の宿に?」

「そんなことまで知らないわよ! 今度の王様は庶民的だったりするんじゃないの? どうでもいいけどさ。でも実際黒鷹(こくよう)隊がいるわけだし……」

「黒鷹隊?」

「あの騎士隊の名前」


 投げやりに言葉を返したら、それきり会話は止まってしまった。

 なんとなく居心地が悪くなって、気付かれないようにゼロの表情を窺う。ゼロは街道にいる黒鷹隊をじっと見つめたまま、微動だにしない。


(……初めて会ったときから思ってたけど……、あんまり表情変わらないなあ)


 無表情、というほどではないが、あまり感情を表に出す方ではないのだろう。

 だからこそ、さきほど目にした苦悶の表情が記憶に残る。

 ……ゼロは、自分のことを何も言わない。肯定も、反論さえも。

 それがつまりどういう意味なのかは判らないが、今はまだ保留しておこうとアリスは思う。


(あたしだって、自分のことはなんにも教えてないんだから)


 おあいこだ。

 それに――まずは目先の問題を片付けなければいけない。


「……アリスと一緒だと、いつも逃げてばかりだな」


 振り向くと、ゼロがこちらを見ていた。……少し、苦笑いを浮かべているようにも見える。


「最初に会ったときも逃げてた」

「そういえば、そうね。なんかずいぶん前のことに思えるけど」


 つい昼間のことだ。


「まさか食い逃げ犯だとは思わなかった」

「あたしだってまさか天使だとは思わなかったわよ、さすがに」

「今度は放火犯か」

「なに言ってんの! あれはあんたを追っかけてきたあの娘がやったんでしょうが!」


 宿の火事については、思いきり濡れ衣だ。自分はむしろ被害者なのに。


「……アリスがやったんじゃなかったのか」


 意外、という面持ちでゼロが言う。

 ……自分は一体、彼にどんな印象を持たれているのか。


(平気で放火する人間だと思われてたわけ……?)


 それはさすがにちょっと悲しくなってくる。


「だったらどうして……逃げたんだ」

「――うっ……。そ、それはー、条件反射というかなんというか……。とにかくたとえ冤罪でも大人しく捕まってる暇なんてないのよ!」


 そう。自分には、行かなければならないところがあるのだから。


「まだ、東ワールゲンに行くつもりなのか?」


 街道の様子へ注意を向けながら、ゼロが問う。


「――もちろん。どんな障害があっても」


 きっぱりと言い切って、アリスはウエストポーチから周辺の地図を取り出した。なるべく音を立てないよう注意しつつ地面に広げる。


「そのためには、この街道をまっすぐ進められればいいんだけど……」


 人差し指で現在位置を示す。

 目的地の東ワールゲンから見て、現在いるメルフェスは東南に位置する国だ。今アリス達がいる場所は、東側の国境近く、地図では森林を意味する印がずらりと並んでいる。


「こんな目立つとこ歩いてたら追ってきてくれって言ってるようなものだし、でも国境の検問通らないことには東ワールゲンに入れないし」

「じゃあ変装したら?」

「替える服がないじゃない。追い剥ぎでもする?」

「……余罪が増えるぞ」


 それに、とアリスは続ける。


「あたしはともかく、ゼロ、あんたはこの辺であんまり見ない容姿だもの。その髪とか服とか」


 となると、やはり街道を強行突破か、森のなかを進むか――どちらにしろ検問は避けられない。最終的に待ち構える問題が同じなら、なるべく可能性の多い方をとるべきだ。


(やっぱ森に入るしかない、か)


「……なあ、アリス」

「なにー?」


 まだ決断をくだせぬまま半ば上の空で返事をすると、いつもの冷静な口調でゼロが言った。


「気付かれたみたいだぞ」

「んー」


 なおざりに応えてから、かけられた台詞の意味にようやく気付く。


「――えぇっ!? 嘘、なんで!?」

「……そりゃ、これだけ騒げば」


 見れば、騎士達はお互い呼吸を計りながら少しずつこちらへ間合いを詰めてきていた。

 どうやら、こちらが気付いたということは悟られていないようだ。

 アリスは素早く地図を元のウエストポーチにしまい、体勢を整える。


「あの渋い隊長さんはいないみたいね」

「ああ。すぐ来るだろうけどな」

「やるしかないか……」


 たとえ逃げ出したとして東ワールゲンへ行くにはだいぶ迂回しなければならない。その間追われ続けるなどごめんだ。

 ふとゼロの方を見ると、彼はまたもや冷静な表情で、手首に巻かれた布を巻き直していた。きっちりと巻いて、金具で留める。

 アリスの視線に気付くと、仕方ないと言わんばかりに目を閉じ、


「宿に来た追っ手が火事を起こしたのなら、今アリスが追われてるのは俺のせいだ。――協力、するよ」

「ゼロ……」

「増援が来る前に、全員倒すぞ」


 ゼロがすっくと立ち上がる。と、それに気付いた騎士達が次々に剣を抜き放った。


(いち、にい、さん……全部で六人)


 アリスは深く息を吸い、


「オッケー。――行くわよ」


 ゼロが駆け出すのと同時に、呪文を唱え始める。


 鈍い音とともに、ゼロの放った鋭い蹴りがひとりの騎士の喉を刺した。

 そのまま左から来る別の騎士の剣を、最小限の動きで体を後ろにひねってかわすと、流れを止めずに相手の顔面めがけて肘鉄を叩きこむ。

 さらに、後ろで間合いを窺っていた別の騎士へ振り返りざまの飛び膝蹴り。反動を利用して高く跳躍し、一回転。音もなく地面に降り立ち、隙もなく構える。独特の白い服の裾が、まるで残像のようにはためいて見えた。


(……あ、あっという間に三人倒した……)


 その間、アリスは微動だに出来なかった。

 一応呪文の用意はしていたが、放つ暇もない、一瞬の出来事。

 ……確か、今自分達が戦っているのは、近隣屈指の騎士隊ではなかったか。なのに、この光景は何だろう。


(あ、あいつ……、本当に強い!)


 当のゼロは、いつもと変わらぬ淡々とした表情だったが、その眼光は鋭く相手を見据えていた。左半身を前に出し、心持ち腰を落としたその構えには、一分の隙もない。

 子どものように、アリスはぽかんと口を開けているばかりだ。


(でも、剣と素手だし、あっちの方が間合いは広いし……)


 何より人数の差がある。


(やっぱあたしも頑張んなきゃね!)


 先に間合いを詰めたのは、騎士の方だった。俊敏な動きでゼロを捉え、袈裟がけに剣を振りかぶる。

 ――完璧に、斬れる一撃だった。

 しかし、ゼロは左手首で剣の切っ先を軽くいなし、一瞬のうちに相手の懐に入ると、そのみぞおちに痛烈な膝蹴りを決めた。

 蹴られた騎士がわずかに呻く。

 これで残りは二人だ。アリスは周りを見渡した。

 ふと、目に入る光景に違和感を覚える。


(あれ……? なんか……。――あ!)


 ――倒れているはずの騎士がひとり足りない。

 そう気付いたとたん、背後に感じる気配。


「――ッ!」


 後ろを確かめる暇もなく、アリスは横っ飛びに転がった。一瞬前までいた場所を、銀色の剣が薙ぐ。


(あ……ッぶな!)


 騎士は空振りしたと見るや、すぐさまこちらへ向かって踏み込んでくる。

 ――呪文は間に合わない。

 アリスは腰にさしたナイフを抜き放ち、繰り出された一撃をなんとか受け止めて、後ろへ飛びすさる。


(実戦は、出来るけどっ。一対一で、しかもこんな近距離で、騎士相手は、つらい!)


 受け止めたナイフを持つ手が痺れて痛い。あの一撃はたまたま防ぐことが出来たが、次は危ういかもしれない。

 考えている間にも、騎士は攻撃の手を休めない。その瞬発力が、今はやたらと憎らしい。

 アリスは再びナイフを構えるが――

 がきぃぃぃんっ――!

 甲高い音とともにナイフは弾き飛ばされ、茂みに落ちて見えなくなった。


(――落ち着け、考えろ! 今この状況で出来る選択肢を……!)


 アリスは頭の中でかたっぱしから使える呪文を引き出す。必ずしも倒さなければいけないわけではないということが、唯一の救いだ。少しの間、距離を稼ぐための足止めにさえなればいい。


(それなら――これ!)


 アリスは痺れて痛む手を、まるで弓矢を引くような形に伸ばし、呪文を解き放った。


「フリーズランス!」


 仮想に描かれた弓から、虚空に出現した氷の槍が高速で騎士の左足めがけて滑り出す。

 騎士はすぐさま回避しようと体勢をずらすが、避けきる前に氷の槍が着弾し、みるみるうちに左すねから踵までが凍りつく。剣を振りかぶったまま体勢を崩し、


(よし! そのまま崩れろ!)


 しかし、騎士は右足一本でなんとか身体を支え、到底無理とも思える体勢から横薙ぎに剣を振ろうとして――


「……ッ!?」


 ――吹っ飛んだ。


「アリス!」

「……ゼロ」


 今しがたまで騎士がいた場所に、ゼロが立っていた。

 見れば、騎士は離れた木の根元でうずくまっている。騎士が吹っ飛んだのは、ゼロの会心の飛び蹴りがきまったからだったのだ。

 この場にいた黒鷹隊は全員、倒れ伏していた。


「……よくしのいだな」


 そう言って差し出される手をとって、アリスは、


「見くびらないでよ? 状況が良ければもっと簡単に倒せるんだから!」


 我ながら言い訳じみた台詞だと思ったが、口が勝手に動くのだから仕方がない。

 ふと、重ねたままの手が目に入り、アリスは慌ててぱっと手を離して、ゼロから隠すように背中に回した。

 明らかに不自然な手の離し方にもゼロはまったく気に留めず、


「すぐにここを離れた方がいいな」

「……じゃあ、森のなかへ」


 返事を聞くとすたすたと先を歩き始めてしまう。

 アリスはそのあとを小走りについていく。


「なんでそんな不満そうな顔してるんだ」

「――別に! 全然っ。なぁーんにもっ」

「……」


 訝しがるゼロとは目を合わせずに、アリスは隣に並ぶ。


「……助けてくれて、ありがと」

「どういたしまして」

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