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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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追跡劇、始まる②

 紫鳩(しばと)とゼロは不仲である。

 と言っても、実際そう思っているのは紫鳩だけだ。お互いに面識はほとんどないし、会話に至ってはしたこともない。

 それでも、紫鳩はゼロのことを――そう、ライバル視している。

 そうなった経緯はさておき、今回の騒動についても、別にゼロがどんな罪を犯そうが、自分の主が今さら失恋しようが、紫鳩は正直なんの興味もなかった。

 ただ、


(この機会にあいつと戦えるんなら、話は別だ)


 率先してゼロを捕まえてもいい。むしろ地の果てまでも追いかける。戦ってもよいと、主――ユリウスからは許可が出ているのだ。気兼ねなんていらない。思いのままに戦える。

 こんな好機は、そうそうない。

 しかし。


(とりあえずは香姫(こうき)をなんとかしないとなー……。あーめんどくせ)


 残念なことに、ゼロとの戦いよりも優先するべき命令を受けている。しかもとびっきり面倒くさい代物だ。誰か替わってほしい。本当に。




 そんな紫鳩がユリウスの転移の炎に包まれ、しばらく浮遊感を感じたあと、目を開いた先に見えたものは……ごうごうと燃え盛る真っ赤な火柱と、そのなかで哀れに建っている、半ば炭と化したような原型不明の枠組み。

 そして何故か木の上に立ち、何事か啖呵をきっている――香姫の姿だった。

 彼女が足場にしている木は、紫鳩からは少し離れた場所だ。まわりはまばらに樹木が生えており、どうやらここは道から逸れた林のなからしいことが判った。


(あいつはどこだよ……あいつは)


 あちらこちら首を伸ばして捜してみたが、紫鳩の場所からではゼロの姿は確認出来ないようだ。

 下を向いて盛大にため息をつく。


(仕方ねー。とりあえず香姫をなんとかすっかー……)


 両手で頬をぱちぱち叩いて、景気をつける。


「……よし!」


 草を踏み分け、香姫がいる木のもとまで近づいた。見上げれば、またなにやら甲高い声をあげている。


「……すめ。その男にもうかかわるな」


(そーいやいたっけな。なんか人間の女が一緒に)


 おおかたその人間に向けられた言葉なのだろうが、今の紫鳩にはどうでもいいことだった。

 右手を口許にやり、適当に叫ぶ。


「こーうきー。おい、聞こえてっかー?」


 ……反応はない。


「……っこー、うー、きぃーッ」


 ……微動たりともしない。

 なんだかだんだん自分が哀れに思えてきた。


(……なんで俺地道に呼んでんだろ……)


 それもこれも当の香姫本人が木の上にいるのが原因だ。あんなところにいなければ簡単にすむはずなのに。

 急に(むな)しくなってきて、紫鳩は呼ぶのをやめた。代わりに、木の幹をがんがん蹴りつけてやる。


(――なんでっ、あいつはっ、ああ高いとこが好きなんだよっ!)


 きっとばかなのだ。

 そうに違いない。

 人を見下ろすのが大好きなのだ。

 ……どうしてこう、うちの使徒達はねじれた性格ばかりなんだろう。

 自分の人生環境を省みて、ふと泣きたくなった紫鳩だったが、突然頭上に気配を察した。

 思わず顔をあげ――

 ごんっ。

 視界が暗転する。目の奥で星が飛び散る。

 少し間をおいて訪れたのは……、痛烈な額の痛み。


「――……ってぇー!」


 あまりの痛さに、人生とは無関係に涙がこみあげ、その場にうずくまった。

 痛い。

 かなり痛い。

 本当に痛い。


「木を蹴るな。私が乗っているんだから」


 額を手でおさえ、目をしばたたかせながら見れば、紫鳩(しばと)の目の前には香姫(こうき)の姿がある。相も変わらず珍奇な衣装だ。


「てめっ! 今なにしたよ!?」


 涙目で問うと、


「ん?」


 香姫は首を傾げ、


「ああ。蹴った。膝で。上から」


 と、あっけらかんと答えた。

 つまり自分は、木の上から飛び降りざまの膝蹴りをまともに食らったということか。


「上に人が乗っているのに、幹を蹴ったら危ないじゃないか」

「おまえの方がよっぽど危ねぇよ!」

「私が転げ落ちたらどうする!」

「自分でどーにかしろよ! つか俺はどうなってもいいのかよ!?」

「これも火神使徒(しと)としての試練だ」

「どう考えても違うだろそれ!?」


 声を荒らげる紫鳩を香姫は不満げに睨む。


「静かにしないと他の人間に見つかるぞ」

「――~~ッ!!」


 今度こそ泣きたいと、紫鳩は本気で思った。


(なんっで俺ばっか……!)


 己の境遇を呪わずにはいられない。

 痛さとやりきれなさで半ば涙目の紫鳩をよそに、香姫は人だかりの方をじっと見ている。


「……なぁ」

「あー?」


 打った額をさすりながら紫鳩が気のない返事をすると、すっと人差し指である一点をさして香姫が尋ねた。


「あれ、なんだ?」


 指差された方向には、いまだ騒ぎのおさまらない人間の群れ。そのなかから歩み出る、軍服姿の男――。


「どっかのお偉いさんだろ?」


 火事に巻き込まれるなんて、不運にもほどがある。相手にいくばくかの憐憫を感じつつ、その男の視線の先をたどると……。


「あ」


 人々の影から飛び出してきたのは、紛れもない、ゼロ――というより、人間の少女に強引に腕を引かれながら走り去る彼の姿だった。同時にばらばらと駆け出していく、似たような軍服を着た男達。


「追いかけていったな」

「ああ。追いかけられてたな」


 そんな光景を眺め遣りつつ、ふたりぽつりと呟く。

 おもむろに香姫がこちらを見上げた。


「ところで紫鳩は何故ここにいるんだ?」

「……今さらそれを訊くかよ」


 果てしなく脱力感を覚えて肩を落とした。


「火神さまの命令なんだよ。香姫を止めろってさ。やりすぎだぜ、この火事おまえのせいだろ?」

「――うっ。ち……違……」


 香姫はあからさまにうろたえた。普段は真っすぐな視線があちらこちらと泳いでいる。


「と、父様は、怒っていたか……?」

「や、怒ってたっつーか、諦めてた? ――とにかく、おまえが突っ走ってると俺はいつまで経ってもゼロを捕まえられねぇんだよ」


 隣の香姫はまだ狼狽していたようだが、かまわず紫鳩はぼやき続けた。


「……ったく、せっかくあいつとやれるってのによー」


 ――とたん、がしっと、腕をつかまれる感触。

 驚いて振り向けば、らんらんと眼を光らせた香姫の顔がすぐ間近に見えた。

 香姫は空いている方の手で拳を握り、


「――それだ!」

「は、はあ……? なにが」

「ゼロを捕まえるのだ」


 握った拳を天高く掲げ、宣誓するかのごとく言い放った。


「そうすれば父様だってきっと許してくれる!」

「だからはじめっからそー言ってんだろ!?」


 紫鳩の苦言など聞く素振りもない。


(本ッ当に、なんで俺ばっかこんな目に……!)


「しかし、あの軍服どもはどっちを追っているんだろうな?」

「……もーどっちでもいいっつの」


 なんだか物凄く疲れた。今すぐ帰りたい。けれどそんなわけにはいかない。

 疲労困憊の紫鳩には目もくれず、香姫はふむふむと頷いている。


「ならば早い者勝ちだな」

「おぅ。……上等だぜ」


 人間の軍隊などに先を越されては自分達の面子があがらない。火神の二番使徒と四番使徒は互いに顔を見合わせ、不敵に笑った。

 ――さあ、追いかけっこの始まりだ。


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