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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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火神の廷にて③

 意中の相手にこちらの誠意を伝えるには、いついかなるときでも行動あるべき、とユリウスは考えている。具体的に言うと、まめに顔を出したり、せっせと贈り物をしたりだ。それらすべてが実はユリウスからの一方通行であって、彼女からの働きかけが今までただの一度もないという事実に、彼はまだ気付いていない。ある程度は心を通わせ合えていると、鈍感な火神は思いこんでいる。

 そんな自身の行動が、客観的に見ればかなり不審者じみた行為であることも当然のごとく頭にのぼることはなく。手土産の真白い花束を手に、ユリウスはその日もまめまめしく朱夏宮(しゅかきゅう)を訪ねていた。……早朝から。


「これほど朝早くから貢ぎに来るとは、お前も暇だな……ユリウスよ」


 天界の朝は霧が濃い。

 それでもようやく開けてきた視界に入ったのは、豊かに波打つ水色の髪を緩くまとめ上げ、男なら誰もが魅力を感じるであろう素晴らしい身体つきの美女だった。

 気の強そうな切れ長の瞳に皮肉の色をたっぷり浮かべ、美女は言う。


「お前もいい加減、貢いでばかりいないで、たまには外出の誘いでもしたらどうだ。ただただ貢ぐばかりではそこらの変質者と何ら変わりはないぞ?」

「メ……メサティムヌ殿! これは貢いでいるのではなく、私からエリアーデ殿への心のこもった贈り物なのだ」

「貢ぎ物だろ?」

「断じて違う!」


 そんな世間話をしているうちに、朝霧はすっかり晴れ、静謐な雰囲気をたたえた宮廷が姿を現した。

 火神の廷とは違い、立派ではあるが無駄な華々しさはなく、ちいさくまとまった造りだ。ぐるりと敷地を取り囲む円状の生け垣は緑豊かに来訪者を出迎え、暖かな乳白色で統一された外観は見る者に優しい印象を与える。豪奢な装飾がない代わり、さまざまな植物の鉢植えがそこかしこで建物を彩っていた。

 ユリウスは、目の前の朱夏宮と腕に抱えた純白の花束を交互に見比べた。


「エ、エリアーデ殿はもう起床されているだろうか……」

「さあ。どうだかな」


 と、ここで初めてそのことに気付いたかのように、ユリウスは隣の美女に尋ねた。


「ところで、メサティムヌ殿はいったいどうしてここへ?」


 訊いたとたん、ぎろりと睨まれる。

 ユリウスとメサティムヌの身長はたいして変わらない。ゆえに至極間近でその視線と相対したユリウスは情けないことに首をすくめてしまった。しかしメサティムヌは特に何か言うでもなくすぐに目を離すと、朱夏宮の門を見ながら、


「どうということはないさ。ただ、昨夜エリアーデの様子がおかしかったのでな。……お前よりはずっと健全な訪問理由だ」

「私だっていたって健全なつもりなのだが」

「つもり、じゃ話にならんだろうが。……仕方ない、こんな下心男とともに行くのは不本意だが、さっさと中に入らせてもらおうか」


 言って、すたすた先を歩き始める。

 朱夏宮の門は通常、無数の蔦がびっしりと絡みついていて、来訪者自身が開けることは難しい。だが、メサティムヌが門の中心にある装飾へ軽く手を触れると同時に、蔦はまるで退化するかのごとくするすると、門を拘束から解き放った。


「……羨ましいか?」


 肩越しにこちらを振り返り、からかうような笑みを浮かべる彼女へユリウスは、


「い、今はまだいいのだ!」


 強がってみせるが、本当はかなり羨ましい。

 エリアーデとメサティムヌは仲が良い。いわゆる親友だ。だからこそこうして門も簡単に開く。それは、この朱夏宮の主――つまりエリアーデが、彼女には自由な出入りを許している、という証だった。

 もちろんユリウスはそんな許可を得てはいない。いつも律儀に呼び鈴を鳴らしている。いるが、エリアーデ自身が出迎えに来てくれることはほとんどなく、そのまま門前払いも少なくはなかった。


(そんなときは必ず、あの小僧が取り次ぐのだ)


 脳裏に浮かんだ、憎い相手の姿に沸々と怒りとも嫉妬ともつかない感情を燃えあがらせながら、ユリウスは朱夏宮に踏み入った。

 外観と同様、乳白色の壁が続くエントランスに、ふたりぶんの足音が静かに響く。それ以外は、風がそよぐ音しか聞こえず、静かなものだ。

 メサティムヌがおもむろに立ち止まった。


「……おかしいな。いつもならエリアーデがすぐに出迎えてくれるのだが」

「まだ休んでおられるのでは?」

「それにしたって、普通使徒が取り次ぎに来るだろう。私が来たのは伝わっているはずなのだから。朝早いとはいえ、まさかふたりとも寝てるのか?」

「……あの職務怠慢小僧め……」


 火神には使徒が四人いるが、エリアーデの使徒は現在ただひとりだった。

 ぶちぶちと雑言を吐くユリウスを一瞥すると、ひとつ息をつきメサティムヌは左手に見える廊下へ歩き出す。


「お前にエリアーデの寝室は見せられん。先に使徒を起こすぞ。確か奴の部屋はこっちだ」


 ユリウスは導かれるまま後をついて行く。廊下を等間隔に飾る花瓶や観葉植物はこまめに手入れされているようでどれも美しく瑞々しい。やはりエリアーデには咲き誇る花がよく似合う、とユリウスはひとり頷いた。

 いくつか扉を過ぎた頃ようやくメサティムヌは立ち止まった。どうやら目的の部屋は廊下の突き当たりにあるようだ。

 メサティムヌがこんこん、と扉を叩いてみるが、返事はない。

 再びノック。

 しかし、返事どころか物音ひとつしない。


「おい! 勝手に入るぞ!」


 メサティムヌが呼びかけてもやはり返事はなかった。

 しびれをきらしたユリウスがドアハンドルを回すと、がちゃりと音を立てて扉は呆気なく開いた。

 しかし、部屋のなかには。


「な、何ぃぃぃ!?」

「……もぬけの殻、だな」


 大きな窓の向こうに中庭を臨む室内は、質素なチェストとこれまた質素なベッド、いくつかの調度品があるばかりで、そこに求める使徒の姿は見当たらない。

 メサティムヌはわずかに眉をしかめると、すぐさま身をひるがえし、来た道を戻り始める。


「メサティムヌ殿! どこへ!」

「エリアーデの部屋だ!」


 廊下を駆け抜け、エントランスも通りすぎさきほどとは反対側へ向かう。途中の部屋にはメサティムヌは目もくれず、やはり突き当たりの扉の前で立ち止まる。


(あそこが、エリアーデ殿の部屋……)


 心のなかで呟くより先に、そしてメサティムヌが扉を開けるより先に、それはゆっくりと開いた。

 ややよろめきながら現れたのは……――たった今捜していた、エリアーデの使徒本人。ぼうっとしていたその瞳が、ユリウスとメサティムヌの姿を認めて驚愕に見開かれる。


「!? お前……何故その部屋から出てきた?」

「……」


 メサティムヌの問いに、使徒は黙したまま何も語ろうとしない。


「もうひとつ。……何故、衣服がそんなに乱れている?」


 今度の問いにはびくっと肩を震わせ、どこか青白い顔に苦悶の色を浮かべた。

 ユリウスは使徒をじろじろと眺めまわした。……確かに、言われてみれば、胸元はやけにはだけているし、普段はきっちり巻かれている腰布も、どうやらただ引っ掛けているだけのようだ。

 ふと、ユリウスの頭に最低の想像が閃く。

 そう、思った次の瞬間、全身の血が沸騰するのを感じた。


「――ゼロぉぉぉ! 貴様、まさかエリアーデ殿に――!」


 みなまで言い終わるよりも早く、ユリウスは使徒――ゼロにつかみかかっていた。が、伸ばした手はするりとかわされ、あえなく空を切る。

 ゼロは身をひるがえし、部屋の窓を軽やかに飛び越える。さきほどまでの緩慢な動きはどこへ行ったのか。脱兎のごとく逃げ去る背中がみるみるうちに遠くなった。


「待てこの不埒者ー!」


 追いかけようと足を踏み出すユリウスだったが、突然背後から襟首をつかまれ引き戻された。


「ぐぇほっ!」

「ユリウス! 女人の寝室に断りもなく入る気か!」


 むせながら振り返れば、鬼気迫るメサティムヌの顔が間近にある。


「いやしかし今は非常事態……!」

「男は黙っていろ!」


 廊下にひとり放り出され、無情にも扉を閉められ、ユリウスはゼロを追いかけるべきか否かしばし迷い、結局エリアーデの身を案じてその場に留まることを選んだ。留まったからといって、何が出来るわけでもないのだが。

 耳を澄ますと、微かに話し声が聞こえる。エリアーデはもう起きたようだ。


「……ゼロは、ゼロはどこ?」


 そんな台詞が耳に入ってきた。

 エリアーデはまだあんな男のことを心配しているのだろうか。


(あの若僧……この火神ユリウスの名にかけて、必ず捕えてやるからなぁ……!)


 熱くたぎらせる闘志とは反対に、さめざめと泣く声が静かに聞こえていた。


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