有名人も、少し視点を変えると別人に見えない?
刻船求剣、という故事成語があります。
時間と川とを関連づけた言葉ですね。人知を越え、一時も止まることなく流れ続ける悠久の大河は、時の流れによく似ているのでしょう。この故事成語は、時代の流れを理解することなく、自分の知っている知識にこだわる愚か者を風刺した言葉です。
けれど、人は時の流れに逆らいたくなるものなのでしょうね。
S君は、とある国の軍事政権の代行政府をささえる高官でした。
しかし、経済に疎い軍事政権は商業の隆盛に伴いその政権基盤を急速に衰退させていきます。
この難局に対して、彼は彼はバランスシートの徹底改善を提唱しました。
果断な支出の削減。財政支出を抑える小さな政府の実現こそ国を救う道だと考えたのです。
実はこの政策、彼の祖父である軍事政権中興の祖が実施した政策を基盤としたものでした。
軍人たる物、華美な贅沢など不要、欲しがりません勝つまでは、質素倹約をもって民の範たるべし!
カリスマ的指導者のおじいさまはこの方針である程度バランスシートの改善を成功することができました。しかし、時の流れは無情です。
お爺さまの時代ではある程度の成果を収めたこの政策も、さらに商業の発達した孫の代では効果が薄くなっていました。
かつ、残酷な現実があります。人はみんな違うのです。お爺さまはお爺さま、孫は孫。みんな違ってみんないい、とは言うものの、世の中は「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大切。尚武の気風を体現したお爺さまが実行すれば納得した政策も、疑り深い人間的魅力にかけた孫では十分な成果をあげることができなかったのです。
それでも、彼の活動は軍事政権の代行政府が延命することに貢献したのでしょう。その後も代行政府はその国の皇帝に政権を返上するまでなお七〇余念存続し続けました。
彼が守ろうとした代行政府が拠点とした都市は、現在も世界有数の経済大国の首都としての機能を保ち続けています。
皇帝に任命された将軍が開府する臨時政府の制度上名は「幕府」。S君が守ろうとしたのは、首都の旧称にちなんで江戸幕府と呼ばれていました。
偉大なる祖父、八代将軍吉宗に憧れた幕府高官「老中」松平定信。
重商主義を推し進めようとした田沼意次の制作を否定するものの、志だけでは思うような成果をあげることはできませんでした。
けれど、彼を船縁にマーキングする愚か者と笑うことは適切ではないかもしれません。私たちにも、時代の流れなんて見えていないのですから。