6【終わり】
「――そういうわけで、俺はずっっっとお前のことストーカーしてたの。中一、いや小六ん時から? あ、もっと前か。とにかく最初は見てるだけで満足、そのうち諦めるつもりだったんだけど逆効果。途中から多分これ治らないんだろうなって開き直った」
「……」
「あの日も朝から遅刻してたから変質者のこと聞いてなくて、単純に由梨のストーカーしてたから間に合っただけ。朝一で目が合って、今日は話しかけられるかもしんないって浮かれて別の教室で自習しつつ終わってからこっそり追いかけた。我ながら筋金入りだぜ。佐倉には正直キモいって言われた。あいつお前の前だと猫被ってるけど実際は口悪ぃから。騙されんな。今後信用すんなよ。てか俺以外の男全般信じるな。童貞なんてどいつもこいつもチョロいサルなんだから」
「……」
(かっちゃんの言っている言葉の意味がわかんない)
流れるように喋り、つらつらと語るかっちゃんは物凄くさっぱりした顔をしている。すべて真実なのだろうが、大半が由梨が理解出来ない内容だ。よって置き去りなのだが、かっちゃん当人が晴れ晴れとしているのでまあいいか、と考える。
しかし、あの時野球をやめた理由が由梨絡みだったとは。予想外だったというか衝撃的すぎて、言葉が出てこない。
(私のせいだったのかな)
その罪悪感が顔に出ていたのか、勝也は話の途中できっぱりと言った。「これは100%俺自身の問題。お前のせいじゃない。むしろあんな奴のいるクラブ辞められてすげえ清々してる」と。
(男の人って……やっぱりむずかしいな)
思い出すだけでぞっとする、あの変質者みたいなのが男性のすべてだとは思わない。スカート捲りとかわざと胸をさわろうとする行為とかはっきり言って最低だし、正当化するものでもない。けれど、男の子には男の子にしかわからない衝動があるんだってことはわかった。昔お母さんがお風呂場で言っていたような「女の子に言えない苦労」、その一つなのだろう。尤も、犯罪に繋がるそれは理解したくもない。
でも。
(かっちゃんは、怒ってくれた。お父さんは、気遣ってくれた)
男性不信になりそうな性衝動から女性を護れるのも、その男性自身なのだ。過去に勝也が人を殴ったことも、あの痴漢男に怒りを示したのと同じ理由なら。サイドミラーを投球でへし折った時のように、確かな形でそれを示してくれたのなら。そして被害に遭った人をいたずらに追及することなく、労わってくれたのなら。女性はどれだけ救われることか。
不謹慎ながら、追加効果でじんわりと嬉しくなってしまう。それをしたのがかっちゃんというだけで、由梨は簡単に気持ちが上向くのだ。なんと単純極まりない恋心。
(かっちゃん、いっぱい悩ませたのにごめんね。やっぱり大好き)
「それでさ、あの噂とか大体デマだから。俺、ちょっと前まで荒れてたけど、気持ち的には一途だから。ゾク入りなんて考えたことねえし、捕まるようなこともしてない。これから真面目に頑張るつもり。勿論浮気なんてしない。童貞じゃないとアウトってわけじゃないなら、その、考えてくれないかなって」
(考えるって何を)
……しかし、やっぱり勝也の言っている意味がところどころわからない。そしてキリッと凛々しい目とその声が、話してる内容とかけ離れていると感じるのは気のせいだろうか。
(ドーテーってなんだろう)
ストーカーより悪いものなのだろうか。などと考える。
「お前頭良いし可愛いからきっと高校入ったらモテるんだろうなと思ったらたまんなくなって、絶対追い付いて他のが寄らないように牽制しなくちゃと思って、同じ高校目指すことにした。そうしたら毎日が凄い有意義になって、感動したよ。やっぱ由梨はすげえなって」
「へ!? え、ええ?」
なんか今可愛いとか言われた!そして何がすごいって!?……と由梨は真っ赤になって混乱する。勝也は、に、と一瞬笑った。その顔がいつの間にか近い。びっくりして息が止まるくらい近い。
「由梨、」
「は、い」
かっちゃんは、いつの間にかまた真面目な顔をしていた。長い腕が伸ばされ、膝に置いていた由梨の手を取る。あったかくて大きな手。
由梨の両手を大事そうに包み込み、勝也は少しだけ身を引いた。そっと、長髪の頭が伏せられる。
「――今まで悪かった。ひどいこと言って傷つけて、自分勝手に避けて、本当にごめん。心から反省してます。もう二度と言わないし、しません。俺を……俺を、赦してください」
伸びやかだったはずの声は、わずかに震えていて。見なくてもわかった。勝也の今の顔は、青ざめている。さっきからころころ変わるかっちゃんの表情にもうついていけない。
(ひどいこと?)
「本当にごめんなさい」
「――」
もう一度謝られる。あの時の強張った声が蘇り、由梨はそこでようやくはっとする。
(かっちゃんは『女のくせに』って言ったこと謝ってるんだ)
勝也の手がわずかに震えている。
ふと、感覚的に理解したことがあった。開き直ったと本人は言っているけど、同時に不安でたまらないのだ。自分に厳しいかっちゃんは、今も心のどこかで自分を赦せていない。しかし同時に、由梨に赦してもらえないことを心から怖がっている。矛盾と自分への怒りと、臆病さ。それにかき回されているのが今の勝也なのだろう。
由梨は、震える大きな手をそっと握り返す。
昔のことは無かったことには出来ない。でも、今のあなたの気持ちは本物なのだと。そう受け取りたい自分がいることを、伝えたい。
「……うん、わかった。赦すよ、かっちゃん」
顔を上げた勝也に、今の想いを込めて目いっぱい微笑んでみせた。
――わたし、あなたが好きなんだよ、と。
「――俺があの時野球やめた理由は以上」
顔を上げた勝也の顔に、赤みが差していた。ガラステーブル越しに手を握り、由梨の方に身を乗り出しながら、由梨の恋する人は静かな声で言う。そっと、誰にも聞かれたくない大事な提案をするように。
「教えた条件として。……俺の彼女になってくんない?」
由梨はぽかんと口を開け、目を見開いて。
「か、かっちゃん、あの、かっちゃんって、」
「うん?」
接近したままの勝也に、言った。
「かっちゃんって、もしかして私のこと好きなの?」
かくっ、と身を乗り出していた勝也がずっこけた。
「お前……お前さ、今まで何聞いてたんだ?!」
「は?」
「ッこ、これだけ言って俺がそうじゃないって、あ、あり得ねえだろうがッ、」
あれ。かっちゃんの顔が真っ赤だ。さっきまでとまた違う表情をしている。ぐいっと手をまた引かれたと思ったら、まるで衝突せんばかりに顔が近付いた。鼻先が触れ合う。どさっと手元で何かが落ちる音がした。
「!」
「お、俺は、お前が言うよりずっとずっと前から、」
吐息が交わる。そんなに顔を近づけたら、口と口がくっついてしまう!
(あ、そうか)
「俺は、――由梨、」
どアップになった勝也の瞳が潤んでいる。握られた手と声が熱い。そうかこれはあれなんだ……!とさすがに由梨も察し、真っ赤になりつつぎゅっと瞼を閉じた。
次の瞬間。
「お茶どうぞーお勉強中お邪魔しま……あ、本当にお邪魔だったわね、ごめんなさいここに置いておくわじゃあね」
ドアが突然開いて勝也の母親が顔を出し、すぐさまドアを閉めて去って行った。ふわんとコーヒーの香り。
由梨は、ゆっくり瞼を開けた。どアップのままのかっちゃん。ふと視線を下に向けたら、ガラステーブルの上に並べておいた教科書や筆記用具がカーペットの上に落ちている。
(何やってるんだろう、私たち)
「……」
「……」
視線を戻す。至近距離で止まったまま、目を合わせて。
「「ぷっ」」
二人同時に吹き出した。
恥ずかしいとか気まずいとか。そういったものの前に、今の状況がおかしかった。
鼻と鼻を触れ合わせて、時々ごつんとおでこをぶつけさせて、くすくす笑う。
どうして自分たちはこんなに長いことすれ違っていたのだろう。なぜ、これほど大事な想いを遠ざけ、平気なフリをしてきたのだろう。
こんなにも、くっついていることが幸せなのに。
「ゆり、由梨、」
「なあに、かっちゃん」
泣きそうな声で、あなたは言った。
「好きだ、大好きだ。……俺と一緒に居て」
苦しいほど嬉しい痛みが胸を包む。この痛みはきっと、あなたにしか治せない。
由梨は腕を回して胸を大好きな人の胸に押し付ける。あなたにしか治せない痛みがあることを、あなたにしらせたい。
了承の「はい」も「私も大好き」の返応も、降ってきた唇に唇ごと食べられた。
● ○ ●
それから、約半年後。
由梨は無事志望校に合格、佐倉も一般入試にて東高校に見事合格した。心配されていた勝也だったが、後期試験にて基準をクリア、無事に北高生となれた。正直、由梨は自分の結果より勝也の結果が気になっていたので、最終結果を知らされた時は号泣してしまった。そんな由梨に周りは引いていたが、仕方ない。だって大事な大事な恋人なのだもの。
晴れて同じ高校に通える恋人同士となった由梨と勝也は、あれから毎日のように一緒に居る。一緒に居すぎて、毎日かっちゃんかっちゃん言い過ぎてお母さんから苦笑され、弟の裕斗からは「姉ちゃんキモい」と言われたがしょうがない。だってかっちゃん大好きなんだもの。ちなみにお父さんは「かっちゃんと付き合うことになった」と報告してから、ときどき黄昏ている。
白鳥家の人達には相変わらず歓迎されている。この前も家族ラインを紹介され「スマフォ買ったら教えてね」とニコニコしたおばさんに言われた。いつも難しい顔をしているおじさんは由梨が来ると目をほころばせ、沢山のお土産を持たせてくれる。元からにこやかなお兄さんは言わずもがな。「由梨ちゃんのお陰で我が家は安泰だよ」の言葉には笑ってしまったが。
高校に入ってから何を始めるか、色々考えたがやはり今までやったことの無いものをやってみたいと思った。小学校の頃はドッジボール、中学は料理や裁縫、なら高校は別のスポーツか何かをしてみたい。一貫性が無いかもしれないけど、目の前の興味があることにその都度取り組むのも大いにありなのではないか、と思う。
まだまだ由梨は若いけど、若いからこそ興味は尽きないし可能性もそこらに転がっている。
「俺、北高の野球部入ろうかな」
そう言いだした勝也のように。
・
・
・
「俺みたいなプライドばっか無駄に高いチキン野郎はさ、経験者の集団に放り込まれると途端にぺしゃると思うんだよね。もうありありと想像出来る。真っ先に腐る。潰れる」
「そう?」
「そう」
いつものデートの帰り道、手を繋いで歩きながら勝也は言った。
「北高の野球部ってあれだろ、弱小。でも、そういうのって逆にワクワクする。練習環境はあんまり良くないものかもしれないけど、その分イチからやれるんだ。ブランクあっても関係ない」
受験が終わり状況がひと段落した今、短めに切った清潔感のある髪が風にそよぐ。今日も颯爽とかっこいいかっちゃんだ。
「俺チキンだし」
話している内容は実に、噛み合わない。
(でも、そんなところもかわいくて好き)
そう思ってしまう由梨も、相当である。
「実力相応な肩慣らし出来る環境でなら、野球また始められると思う。でも昔の自分反面教師にして、天狗には絶対にならない。球拾いから真面目に頑張る。正真正銘新入部員、未経験者のつもりで飛び込んでいこうかなって」
「……そっか」
頷き、由梨は繋いでる手にきゅっと力を込めた。応援と、今の気持ちと。
「また、『投げてる』かっちゃんが見られるんだね」
照れくさそうに、勝也は応えた。
「おう。見てて」
羽田家に着いたら、珍しく誰もいなかった。休日なので弟はサッカー部の練習試合、母親と父親はそれぞれの用事が長引いているのだろう。
「ねえかっちゃん」
「ん?」
「キャッチボール、していかない?」
てん、てん、といつかの古ぼけたサッカーボールを地面に弾ませ、由梨は笑ってみせた。
「そんなおっかなびっくり投げなくても」
「~~お前、わかってねえ」
本当にわかってねえ、と何度も言いながら勝也は手にしたサッカーボールをそっと放る。投げるというより、放る。背が伸びて力は強くなったのに、あの頃より大いに腰が引けているのが微妙に笑えた。よっぽどあの投球がトラウマになっているのだろう。
由梨は、あの頃と違い無理の無い姿勢で構える。ボールを受け止めるというより「受け取る」形でキャッチ。そして、投げる。相変わらず遠くに飛ばないけど、相手に届くまでバウンドをいくつもするけれど。
ぱしん、と何度目かのキャッチ。
(ちゃんと、届く)
投げるのをやめなければ。腕を広げてくれる相手に届かせることを、諦めなければ。
(ちゃんと、伝わる)
「これでかっちゃんのトラウマが軽減されたかな」
「……お前なあ」
溜息をつきつつ、かっちゃんの表情は明るかった。夕陽が、優しく幼馴染の二人を照らす。
想いは投げずとも。
由梨の「投げたい気持ち」は、いつだってここにある。
投げたい気持ち 了
羽田由梨・・・おとなしそうで芯はあるたまに天然系女子。FとGの狭間(なんの話だ)。短編「泥と上着」にも実は名前だけ登場してます。運動神経は昔から良く努力家なので高校入学後はバド部に入りインターハイ予選にも出場、文武両道を突き進み、国立大学法学部に現役合格。かっちゃんとはずっと変わらないラブラブっぷりで、のちに「北高のバカップル」リストに名を連ねることになる←
白鳥勝也・・・本人も自省してるように内面は臆病で気弱、でもとある方面は決断力とやる気がアップするわかりやすい熱血漢。由梨への気持ちは本人除き皆にバレバレで、半グレた時期でさえ家族は「由梨ちゃんいるから大丈夫」と楽観視していた(そして実際そうだった)。北高の野球部に入ってから頭角を現し弱小だった同部を甲子園予選候補まで押し上げる。惜しくも敗れてからは県内からスカウトが押し掛けたが本人は全部蹴って大学に進みました。「だって由梨がそっちに行くんだもの」
拙作を読んでくださった皆様に心より感謝!!