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それからは怒涛過ぎて、事件の顛末は切れ切れに耳に入った程度だ。
なんやかんやで学校にUターン、由梨は先ほどの犯行と目撃情報を報告した。そして瞬時に覚えた車ナンバーも。すぐさま見回り並び警察に連絡がゆき、ナンバーを照らし合わせるより早く、片方のサイドミラーが無い不審車と持ち主は近場ですぐ見つかった。車の中からは盗撮した写真等も多数見つかり、自宅には目撃情報と同じ車が。計画性と被害者の多さが窺えた。今回の犯行が赦されてしまったのは、いくつかマークしていた地点でなく校門のすぐ近く、そして徒歩という盲点を衝かれたせいらしい。目撃されていた自動車と別の車種、ナンバープレートがむき出しであったことや手口を変えてきたことも未然に防げなかった要因だった。
ともあれ、今回で犯人は判明し身柄は確保されたそうなので一安心。被害に遭いつつ逮捕に一役買った由梨と勝也には警察署と学校から改めて気遣いと感謝の言葉が贈られた。
素行の悪い不良生徒である勝也の手柄を主張し大部分を擁護してくれたのは、担任であり国語教師の影村だったという。勿論彼が犯人などではない。
人の噂など、当てにはならないものなのだ。そのことを、つくづく思い知る。
あの日、かっちゃんは由梨の傍にずっと居てくれた。
連絡を受け学校まで迎えに来た由梨の母親の「一緒に送るわね」の言葉に断りの気配をみせたが、有無を言わせず腕を引っ張って無理やり母親の車に乗せる。もちろん由梨は、後部座席に勝也と一緒に座る。お母さんは勝也から離れない由梨の様子を見てすべてを悟ってくれたようで「今おうち帰っても勝也くんのご両親お仕事でいないでしょう?ウチでお茶でも飲んでいきなさいな」とこれまた有無を言わせず羽田家まで拉致を強行した。この辺り、意思疎通の出来る母娘である。
そうして久々にまた勝也を伴った帰宅、これまた珍しく先に帰宅していた由梨の父親と久々に顔を合わせ、かっちゃんは気まずそうに頭を下げる。事情を聞いていたお父さんは、柔らかく笑って勝也を迎え入れた。
しきりに遠慮する勝也は「良かったらウチで一緒に夕食を」という誘いを丁寧に断り、律儀にお茶一杯だけ飲んで羽田家を出る。
そして。
由梨の「じゃあね、かっちゃん。また明日」という言葉に、ちょっとだけ微笑んで手を振り返してくれた。
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「――かっちゃん、一緒に帰りたい。いい?」
「ん。別にいいけど」
一通りの出来事が過ぎ去った週末。由梨は思い切って、下校半ばの勝也に声をかけた。友達並び周囲はざわついたが、もう今の由梨は全く構わなかった。そして、当の勝也が普通に受け答えしたこと、そして由梨が嬉し気に近寄っていったことで更にざわつきは大きくなる。
最近は大人しくなったとはいえ黒い噂のある不良生徒と正反対の秀才生徒。アンバランスな組み合わせの二人は、しかし今までの距離感など無かったような雰囲気で笑い合い、親し気に会話しながら下校していった。
その凸凹とした連れ合いは、違和感などなぜか皆無で。
「――羽田さんってシラトリと仲良かったの?」
「あれ知らなかった? 羽田さんとかっちゃん、幼馴染だよ」
「マジでか。その呼び方、佐倉だけかと思ってた」
「マジ。おれの他は羽田さんくらいじゃね? 呼んでるのは」
「へえ」
「あ! そっかそういうこと! だからあいつ、」
「なるほどね」
「ねえ……シラトリも笑うんだね……」
「うん……初めてみた……」
「黒髪似合うし笑うとマジ爽やかイケメンじゃね……?」
「同感……」
男子生徒らが頷き合い、女子生徒らが小声で話しつつ顔を赤らめる横で、ニキビ痕もだいぶ薄くなってきたとある男子生徒はニンマリと笑った。
噂はまた、目撃談と共に変容していくのだろう。
「――影村先生、ずっとかっちゃんの勉強見ててくれてたの?」
「うん。俺、今のままだと北高受からないから」
「かっちゃん、北高受けるんだ」
「……うん」
二人とも、通学手段は徒歩である。ぽくぽくと歩きながら会話をしながら、由梨は静かな幸せに包まれていた。またこうしてかっちゃんとお話しながら歩けるなんて。
「北高かー。あのね、私も北高なんだよ。また一緒の学校いけるね!」
「……まだ未定だっての」
「あ、そうだね。でも嬉しい! 偶然だけど、志望校一緒で凄く嬉しいよ!!」
「……偶然じゃねえけどな」
ぼそ、と小声で勝也が何かを言った。聴き取れなかったので「え、何?」と訊き返したが、「別に」の一言でそっぽを向かれる。
秋風が勝也の長めの髪をなびかせる。ピアスホールのみが見える耳たぶ。
こうしてみると、本当にかっちゃんはかっこいい。小学校の頃と比べて背がすごく伸びて、身体じたい大きくなって、腕も肩も首も逞しい。でも雰囲気はいかついというより、スマートだ。目鼻立ちがくっきりしていて、羨ましいくらい睫毛が長くて。まだ完全に大人の男というわけでないけど、それっぽいのが顎から喉辺りのラインに窺える。そこから発せられるのは変声が終わりに近づいた、低く掠れ気味のかっこいい声で――
「ん、なに」
「へっあっななななんでもっ」
見惚れてた。やばいやばいとばかりに視線を前方に移す。今の状況が幸せ過ぎて、かっちゃんがかっこよすぎて、近くで見れることが嬉しすぎて、かっちゃんがかっこよすぎて困る。先日から自分の足が地面についてない感じで、ぽわぽわとあったかだ。もう自分がバカみたいにはしゃいでると自覚があるけど、仕方ない。だって好きなんだもの。
ふと視線を移した。広い肩に鞄を引っ掛け、ポケットに半ば突っ込んでいるかっちゃんの手。繋ぎたいなと思って更に恥ずかしくなる。そしてこの前は抱き着いちゃったなと思って頭の裏側が熱くなる。我ながらとっても大胆なことをしてしまった。
(そういえばかっちゃん、野球ボール持ち歩いてた)
今更ながら、気になった。
「あのさ、かっちゃん」
「ん?」
ちょっと息を吸い込んで。
「聞いてもいい? ……その、どうして、野球、やめちゃったのか」
「……」
「突然ごめん。あのね私、ずっと気になってたの。今頃こんなこと聞いて本当ごめん。鬱陶しいかもだけど、どうしても知りたくて。言いたくなかったら、答えたくないでいいから」
「……」
心臓がどきどき波打っている。この数年間、ずっとずっと聞きたかったことをとうとう本人に打ち明けているのだから。
でも、一度溢れたら止まらなくなった。
「かっちゃん、この前のあれも凄くコントロール良かったし、ボール持ち歩いてるみたいだし、今だって『投げる』の嫌になったわけじゃないんだよね? 小学校の時は凄く楽しそうに野球やってたでしょう。でも、色々あって……、あのね、ユリの勝手な印象なんだけど、不自然だと思ったの。あんなことで野球自体辞めるなんて、そんなのかっちゃんらしくない。クラブ辞めたのも、居づらくなったからじゃないんでしょう? もっと何か、別の理由があったなら教えて欲しいなって。
――どうして、いきなり野球やめちゃったの。あんなに『投げる』の上手だったのに」
言えた。声が震えたけど、ちゃんと言えた。
「……」
「……」
沈黙が落ちる。やっぱり嫌なこと掘り返しちゃったのかな、ああ私のバカ、と頭を抱えたくなった由梨だったが、次に勝也が返した言葉は意外なものだった。
「――野球やめた理由。言ってもいいけど、条件がある」
「条件?」
勝也は横顔で、ふっと笑った。嫌味っぽくでなく、何かを観念したような、そんな微笑みだった。
「うん。たぶん凄く長くなるから、時間ある時に。お前、塾行ってないんだよな? 休日図書館行って勉強してるんなら、人の家でもいいんじゃない。だから俺ん家来て。来れる?」
「へ? あ、うん、多分だいじょう、ぶ」
「決まり。じゃあ勉強道具持って明日来て。つうか迎えに行く。……嫌?」
「い、いや、じゃない」
「決まり」
あれよあれよと休日の予定が勝手に決められていく。そうだ、かっちゃんはこういう人だった。通せると思ったらとことん通す。ぐいぐい引っ張る。己が道をゆく。主に由梨が困っている時や迷っている時にそれは発揮されやすくて。
そして由梨は、そんなかっちゃんが大好きなのだ。困ったことに。
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翌朝。
宣言通り迎えに来てくれた勝也に連れられ、由梨は勝也の自宅を訪れていた。勝也本人の招きといい実に久々の訪問、最後に来てから五年近く経っている。交流も薄くなっていた勝也の家族には迷惑がられないかと思っていたが、無用の心配であった。
勝也の両親やお兄さんは――自営業の酒屋とその手伝いである彼らは家を空けていることが多いが今日に限って全員が在宅で、由梨を大歓迎してくれた。こちらがびっくりするほどに。
「由梨ちゃん、来てくれて本当に嬉しいわ。こうしてお茶飲むのも久しぶりねえ、覚えてる? 勝也と一緒に午後のおやつを食べていた頃、由梨ちゃんはこのケーキが大好きで、」
「由梨ちゃん、いやあ大きくなったねえ。うちは母さん除けば男だけだから女の子が来てくれると本当に嬉しい。潤う、じゃなかった、華やかになるよ」
「勝也、お前ちょっとひとっ走り行って何か買って来い。羽田さんになんの手土産も無しでは失礼だ」
「父さん、そんなこと急に言っちゃ勝也が可哀想だよ。ほら、」
「――ん、ああそうか」
「そうよ。せっかく由梨ちゃんが我が家に来てくれたのに。前に来てくれたの小学四年生の時だったかしら? もう五年か四年にもなるのねえ、とうとう勝也にも、」
「ッあ~~~もう!」
好き勝手に花を咲かせる家族の会話を遮るよう叫び、勝也は由梨の勉強道具が入ったバッグを持った。あたふたする由梨を強制的に連れていくよう、お茶の席から立ちあがる。
「俺ら受験生だから! 勉強してるから! ほら行くぞ!」
「は、はいっ」
「もう勝也ったら。じゃあね由梨ちゃん、後でまたお茶持っていくわね」
「あっ、あの、お構いなく! ありがとうございます!!」
そんなドタバタの末、由梨は勝也の部屋に足を踏み入れたのだった。
「……なんか、色々うるさくてごめん」
「えっそんなこと無かったよ」
ドアをぱたんと閉めた直後、勝也が謝ってきたので首を振って答える。
「おばさんもおじさんもお兄さんも、元気そうで良かった。かっちゃんちに来るの、本当に久しぶりだね。すごく懐かしい。ここは、はじめてだけど。……」
今更ながら意識してしまう。勝也の家に来るのは初めてではないが、部屋に入るのは初めてなのだ。
「……。座って」
「は、はい」
お互いにもじもじしつつ、ガラステーブルを挟んで正座する。黒のベッドカバーと同色の黒のシックな座布団はひとつだけ。同じのが向かいの勉強机の椅子にも置いてあって、卓上はブックスタンドで本が立ててあって、あちこちに付箋やメモが貼ってあった。かっちゃんの部屋の内装はシンプルで、かっこいい。秋らしくすっきりした長袖シャツを着てるかっちゃん本人もかっこいい。意識し始めたらどんどん緊張してきて、由梨は正座のまま拳を握った。
(わ、私変なカッコしてきてないよね)
緊張を紛らわすため、バッグから勉強道具を出して並べる。勝也も一緒にノートや参考書などを出し始めた。
「――すごい、勉強してるんだね」
ぽつり、と思わず言ってしまう。教科書は机と同じようにあちこちから付箋がはみ出し、広げたノートはきっちりした文字で丁寧に書き込まれラインが引っ張ってある。使い込みの密度は見た感じ、塾通いをしていない由梨とそう変わらない。いや、それより凄いかもしれない。
「してるよ。北高受けるって言っただろ」
「うん。……」
昨日聞いた時は志望校が同じなことが単純に嬉しかったのだが、後から考えるに少し心配だったのだ。出席率もあやふやで成績上位リストに居なかった勝也が、正直どこまで追い込めているのだろうかと。国立合格者を安定的に輩出する北高の看板は、伊達ではない。
勝也は、言葉に詰まった由梨の言いたいことを察したようだった。ちょっと苦笑気味に、付け足す。
「正直、必死になってやってる。授業中齧りついて、影村センセに苦手な国語の補習受けて、出された課題やって、テストの目標ライン作って、みっちり。社会とかはもう教科書丸暗記する勢い。食って寝て、学校行って、それ以外はずっと勉強してる。冬季講習にもこの前申し込んだ」
「すごい、ね」
「そうでもしないと追い付かねえからな」
「追い付く? 何に?」
にっ、と。白い歯を見せて爽やかに笑い、かっちゃんは言った。
「お前に」
次回はしばらく別視点となります。
作者がお待ちかねの(←)かっちゃんサイドです