ゆりちゃんとケーキ 後編
「どうしたの」
「かっちゃんがケガ、ケガしちゃったんです! 包丁で指を切って!!」
急いで絆創膏貼ったんですが、血が止まらなくてどうしたら、と涙目で聞いてくる由梨ちゃん。
あのバカ、と舌打ちしたくなるのをこらえ、俺はずかずかとリビングまで降りていって本人の様子を確認した。ソファに座って手を押さえ、こちらを見てギクリ、とする弟一匹。
「おい見せろ」
「やだ」
「馬鹿、由梨ちゃん心配させてんだろうが。こういう時にかっこつけてんじゃねえ」
「……っ」
後ろからの涙目の視線に気づいたのか、勝也は渋々と左手を突き出した。人差し指に、多分由梨ちゃんの持ち物であろう小さな絆創膏が貼ってある。そこから血だまりが溢れんばかりに染みを作っていた。ゆっくり剥がすと、第二関節の上辺りに切り傷。大丈夫、深くない。
「確か救急箱にデカめバンドあったな。ちょっと待ってろ。あと指真っ直ぐにして、傷口塞ぐように押さえて心臓より上に上げとけ、一応」
渋々ながら言うとおりにする勝也を確認し、俺はキッチンとのはざまに置いてある救急箱を手に取った。ちら、と視線を移せばテーブルの上には開かれたケーキ箱とその中身が出ていた。傍には包丁。
……こいつがなんで指を切ったのか、なんで俺を呼ばなかったのか、なんとなくわかった。
「指ってのは血管密集してるからいっぱい血ぃ出るけど、そんな大したことじゃないから。手足の先っちょって回復力高いし、おとなしくしてればすぐ止まるよ、大丈夫」
部活の先輩の受け売りをそのまま話しながら、俺は勝也の小さな指を余裕で二周する絆創膏をぐるぐると貼っつける。もちろん、話しかけているのはこのお馬鹿な弟ではなく、心配げに見守ってる隣の女の子に、だ。
「良かったぁ、ありがとうございます」
「いや、こっちこそ報せてくれてありがとう」
こいつのことだから由梨ちゃんに絆創膏貼ってもらったのが嬉しくて、そしてかっこつけて救急箱のデカバンつけるの嫌がったんだろう。馬鹿だな、と改めて思う。
「防水だからしばらく取るなよ。あと動かせないだろうけど今日一日はあんま曲げるな」
「……わかってる」
当人がぶすっとした顔で睨んできた。不貞腐れた態度に色々言いたいことはあるが、さっきのさっきでまた怒りが削がれる。うちの弟は、本当に由梨ちゃんが好きなんだな。
兄に、つまらねえ嫉妬で当たっちまうくらいに。
「――さて、そろそろ小腹空いたよな。ケーキでも食うか。切ってやるから。怪我人はおとなしくしてろよ」
そう言ってぽんぽん、と勝也を撫でるように叩く。即反発が来るかと思ったけど、ツンツンの触り心地良い頭はされるがままになっていた。実際痛いの我慢してるだろうし、何より、傍に居る女の子が心配そうにじっと見つめているからだろう。
俺の弟は、大好きな彼女の前だと本当に扱いやすいし、わかりやすい。
「かっちゃん、明日は野球クラブあるんでしょう。大丈夫なの? この前エースピッチャーに上がったばっかりなのに……ごめんね」
「ああ、平気平気。由梨ちゃんが謝ることないよ。ケガは自業自得」
「うるっせえな、兄ちゃんは黙ってて。――利き手じゃねえし、俺は天才だから、こんなん平気だし」
なんかさっきのゴタゴタから気にするのも馬鹿らしくなって、俺は紅茶を啜りながらリビングで一緒におやつにしている。目の前に等分に切り分けられたのは、洋菓子店ヒンメル名物のケーキ。パンみてえなスポンジにキャラメルナッツが上にかかってて、間にカスタード味の甘いクリームが挟んである。なんかすげえ言い難くて覚えにくいカタカナの名前があるんだけど、なんだっけ。まあいいや。
気持ち大きく切り分けたそれを由梨ちゃんに差し出すと、くりくりの目がきらきら輝く。勝也の言う通り、このケーキがお気に入りなんだろうな。可愛い。
ケーキの残りを冷蔵庫に仕舞って、俺もさっそくいただくことにする。一口食うと、濃いクリームが口の中に溢れてくるこの感じ。
「うまー」
カリカリのナッツも菓子パンの最上級みたいな生地もすげえ美味い。俺の好みはケーゼなんとかっていうチーズケーキだけど、これも充分いける。変な言い方だけど、ヒンメルのケーキって高いだけあるよな。
「おいひい……!」
由梨ちゃんもニコニコ頬張ってる。美味いことはわかってるんだけど、目の前に美味しそうな表情があると更に美味い。そのことをつくづくと感じながら、残りのケーキにフォークを刺す。もぐもぐしつつ横を見たら、思った通り、勝也は由梨ちゃんを見つめてデレッデレしていた。うわ、キモ。
「なあ由梨、このケーキ俺が選んだんだよ」
まだ言うか。
「うん。かっちゃん、ありがとう!」
由梨ちゃん、うちの弟が苦労をかけるね……。
そんなこんなであっという間に由梨ちゃんが帰る時刻となった。ゲームやったあと真面目に宿題やっていたようだが、なんかすごくあっという間だったな。
「ありがとうございました。美味しいケーキも美味しいお茶もご馳走様です」
丁寧にまたお礼を言って、ぺこりと頭を下げてくる由梨ちゃん。小学校四年生に上がったばかりなのにこのしっかりした態度。うちの弟と大違い。
「ねー由梨、明日も一緒にタイクエやろうよ、今度は俺が遊びに行くからさ」
そしてこっちの小四男子は、どこまでも小四男子だ。
「明日はお習字があるからごめんね。佐倉くんは?」
「あいつタイクエよりピカモン派でさー、話合わねえんだよ。他の奴は俺より進んでるしさー、由梨は俺より進んでないから楽だしアイテムトレードしやすい」
ぶつくさ余計なことを言ってる勝也を軽く小突きつつ、俺は由梨ちゃんに笑顔で向き直る。
「俺も楽しかった。また来てね、由梨ちゃん」
「はい、ありがとうございます!」
ああ本当、こんな可愛くてしっかりした優しい子が妹だったら最高だよな。憧れるぜ、夢の「おにいちゃん(はぁと)」呼ばわり。呼んでくれねえかな。その前にうちのバカ弟のこのフガイナイのをなんとかしないとだけど。
去っていく由梨ちゃんを名残惜しそうに見送って、その姿が見えなくなったと同時にしょぼんと項垂れる勝也。デカバン貼った指をもじもじ触りつつ自室に引っ込んでく。
「……」
言えばいいのに。ゲームなんて口実で、ただ一緒に居たいだけなんだって。でもそんなこと最初から素直に言えたら、それこそトンデモ小学生だ。球技が苦手らしい由梨ちゃんに合わせて、本当はボール遊びがしたかったのに屋内で遊ぶことを選んだり、母さんの真似して茶を出そうとしたり。勝也にしてはがんばってるけど、なんか惜しいんだよな。
こんなにわかりやすいのに何かが足りないこいつに、せめて一言だけ。
「―――お前さ、せめて送り迎えは自分から出来るようになれよ」
「……は?」
俺だったら、好きな子が家に来てくれるのをむざむざ待ったりしないのに。一分一秒でも一緒に居られるよう、その子の家と自分の家を往復することくらい、苦でもない。父さんもそういうとこあるし、この辺りはウチ伝統なんだと思うけど。
でも、当の勝也はピンときてないようだ。まさかとは思うけど、まだ自覚ねえのかな。
「ま、いいよ。お前のペースでいけばいい」
「は? なんなんだよ……」
むっとした顔をまた作った勝也に背を向け、俺はリビングに置いてある電話に向かった。単純だけど、触発されたってこういうことを言うんだろうか。
……電話帳を手に、ぽちぽちとボタンを押し始める。緊張するけど、でも、行動しなかったら何も変わらない。言わなければ、何も伝わらない。
『もしもし』
「っ、あ、皆本さん?急に電話ごめんね、俺、シラトリです。同じクラスの白鳥匡也』
あのケーキ、横文字の長い名前がまだ覚えられないけど。でも、俺の好きなあの子も、それが好きみたいだから。あの時はただ恥ずかしくて、ろくに話せはしなかったけど。でも顔が見えない電話越しでなら、とっかかるになんとかなる気がする。
「今電話だいじょうぶ? ……ありがと、うん、それでさ、」
弟に偉そうなことを言ってはみたけど、兄もまた似たようなもんだ。でも、負けてらんねえなと思った。少なくとも、好きな女を喜ばせることを恥ずかしいと思ってちゃいけない。そして、素直に自分の家に来てもらいたい、そういう関係になりたいと伝えなくては。
ガサ、と手元で弄ってる包装袋が音を立てる。淡い色に白抜きの読めない筆記体。まるで、青空に浮かぶ雲みたいだなと思う。
すごくすごく照れくさいけど。でも、勝也のあの一生懸命さを見てたら、自分もそうしたいって素直に思った。
好きな人の好きなものを知りたいと考えるのも、そして喜ばせて、自分を好きになってもらいたいと願うことも。
「あのさ、良かったら――」
この同じ空の下では、ごく普通のことだと思うんだ。
〇 〇 〇
今日は、白鳥くんのおうちにあそびにいきました。
タイガークエストというゲームをいっしょにして、宿だいをして、そしておいしいケーキを食べました。
ただ、白鳥くんがケーキをきるときにけがをしてしまい、血がとまらなくてたいへんでした。
白鳥くんのお兄さんが手あてをしてくれて、ケーキもきってくれました。
ケーキはとてもおいしかったです。
白鳥くんのけがが、よくなりますように。
四年二組 羽田由梨
そして〇年後、共に同い年の彼女を伴って白鳥家のティータイムは再開されるのであった…(良かったね)
読んでくださってありがとうございました!




