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※思春期&成長期な男女の恋愛ものです。例にもよってフィクションなので色々と甘めな視線でお読みくださると幸い。

※タグ関連の他、予告なく下品な言葉やちゅうがくせいな下ネタ(?)が出てまいりますのでご注意

 

 ボールを遠くまで投げられる人っていうのは、ボールの投げ方をわかってるからこそ、そういうことが出来るのだ。そして女子は絶対的に、男子より遠くにボールを投げられない。


 羽田由梨はねだ・ゆりは十歳の時にやっと、そのことを認められた。

 ごく普通の小学生として球技をこなす機会はごく普通にあったけど、由梨はそれがとっても苦手だった。いつもいつも、体育の授業が憂鬱だった。だって、いつまで経っても「わからなかった」から。ボールの投げ方を。このまん丸な取っ掛かりの無い物体を、遠くまで投げて運ぶというその方法が、どうしても理解出来なかった。

 由梨の投げた(はずの)ボールはいつも、足元にぽとっと落ちた。もしくは、大人が大股で二歩くらい離れたところにやっとこさ着地して、力無くバウンドした。何度やってみてもそんな感じだった。ボールの大小関係無く、由梨が投げようと思って投げたものは、目的の半分も達成することが出来なかった。だからいつも、由梨がボールを受け取った際、周りから零れるのは落胆と諦めの溜息。由梨自身だってそうだ。運動神経は悪くないはずなのに、どうして「投げる」ことだけが出来ないのだろう。

 そんな案配であるからバスケットボールはいつもパスをハブられ、ソフトボールの守備時はベンチ常駐だった。そこまでならよくある話だが、悲惨だったのはドッジボールだ。男女混合で出来るうえにコートとボールがあれば体裁が整うので、小学校の体育過程として頻繁におこなわれる球技のひとつ。案の定、由梨は格好の「的」となってしまったのである。

 なんせ、上手くキャッチ出来たとしてもそれからがダメダメなのだ。近くに来た外野の味方にバウンドさせて渡すのが精々で、敵方を当てようと思っても易々と受け止められてしまう。球速が無い上に飛距離も出ないので簡単にボールを奪われてしまうのだ。由梨がボールを受け取ったあとは必ず外野にバウンドパスする。そんなことが読まれてしまい、由梨が入ったチームは必ず負けた。いや、正しくはそうでなかったのだけど、あまりに由梨が「投げられなかった」ので余計そう思われてしまった。なまじ中途半端に運動の出来る女子だっただけに、期待を寄せていた連中が落胆したのだ。

 小学生の時分、注目されるのは集団スポーツの出来る人間である。何かひとつ、体育祭や学級対抗戦などで活躍出来るものがあると、それだけで期待されるしクラス内の地位も向上する。人気者にだって簡単になれる。逆をいうなら、足を引っ張る人間はそれだけで嫌悪される。

 まして、男女の垣根が曖昧な年代。女子の方が男子より成長が早かったりする時代。由梨は機動力があると思われていただけに、「投げられない」という一点だけで男子に引かれた。ドッジでいつも足引っ張る奴との認識があり、普段普通に話す子も体育の時間は仲良くしてくれなかった。

 時期も悪かった。由梨が四年生になった年、県大会予選レベルのエースドッジ大会が近場で開催されることになったのだ。地元枠として一チーム、学年選抜メンバーが組まれることになったのだが、運の悪いことに女子代表として由梨が選ばれてしまったのである。混合編成の決まりということだったのだが、もちろん由梨にとっては地獄でしかない。当然、辞退しようとした。しかし代わってくれる人は誰もいなかった。後から知ったことだが、クラスの女子はやりたくないという一心で、皆が皆、由梨を代表に推薦したのだそうだ。普段仲の良い友達も「がんばれ」としか言ってくれなかった。小学校中学年の時点で、なんと世知辛いのだろう。

 ともあれ、由梨は元来お人よしだったことも祟って、集団の意思に逆らえず仕方なしにエースドッジボールの大会に向け練習をすることになってしまった。どんな苦手項目も練習していくうちになんとかなるものである。しかし、由梨はいつまで経っても「投げる」ことだけが不得意のままだった。

 大会当日はひしひしと迫る。元々、地元の小学校は強豪というわけではない。しかし、プレッシャーというものはある。由梨にとって、練習の日々は地獄だった。選抜メンバーは皆運動の出来る人達で、びゅんびゅんと勢いよくボールはコート内を回り試合展開は速い。しかしどうしても由梨の番で勢いが止まる。由梨の入ったチームは必ず負ける。その度、周囲は「またかよ」「あいつか」といった視線を向ける。それがわかるから、悪循環で動きは悪くなる。

 どうして自分は「投げられない」のだろう、どうしてボールが苦手なのだろう。そんなつまらないことに悶々とし、放課後の練習が終わるごとに一人トイレに走ってめそめそと泣いていた。皆の白々しい目が辛くて――実際はそんな深刻なものでもないのに、被害妄想がそうさせていた――、自分の出来なさ具合が情けなくて、ありもしない重圧に背中を押し潰されるような心地で、体育着を着替え終えないといけない時間ギリギリまでトイレに篭っていた。

 そんな情けない、学習能力は無いくせに諦めの悪い小学生だった由梨が、どうして変われたのか。ボールを「投げられない」ことを、どうして認められたのか。

 それは、ちょっとした事件があったからだ。良い意味の確変でなく、痛みを伴う諦めとしての。


● ● ●


「全然だめじゃん。なんで投げられねえの」


 ぼてっぽんぽん…といういつものへなちょこ球を投げた由梨に向かって、容赦ない叱責が飛ぶ。時刻は学校が終わった直後、太陽の光がだいぶ低くなった頃合い。川沿い電車が走る鉄橋の下で、由梨とキャッチボールをしている男子の声だ。

「手首だけじゃダメだっての。肩ぜんぜん使えてない」

「使ってるよ!」

「使えてねえじゃん」

 だから飛ばないんだよ、と言われ、ぶすっと由梨の頬がむくれる。そんなことはわかっている、自分は肘から先だけの動きで投げてるから飛距離が伸びないのだ。

「見てろよ」

 そう言って、いがぐり頭の少年は真上に軟式ボールを投げる。重力に逆らっているのに力が投げる対象に乗っている、きれいなフォーム。由梨はいつも通り、ぽかんと見惚れる。

 白い球は相当な高さにある鉄橋スレスレまで伸び上がり、垂直に落下した。少年は暗がりでも見失わずそれをぱしりと華麗にキャッチし、どうだ、という顔でこっちを見てくる。慌てて真面目な表情を作った。

「肩使えてればちゃんと伸びるんだよ。ソフトだってドッジだって関係ない」

「ッわかってるもん!」

 由梨はミットを片手に地団太を踏んだ。何十回、何百回とやってみてどうも上手くいかないのだ。投げられる人のフォームを真似しようと思っても、上手くコピーできない。頭に思い描いたものと実際の動きがあまりにかけ離れるものだから、自分に自信を失って余計動きが悪くなる。

 でも、投げたいのだ。投げられるようになりたいのだ。今、一刻も早く。

「他の女子だってそんな投げられねえだろ。当てるの男に任せりゃいいじゃん」

「……。かっちゃんにはわかんないよ。ユリの気持ちなんかさ」

 他のスポーツは全般的に出来るからこそ、悔しいのだ。なんとしてもこの「投げられない」穴を埋めたい。でも、人に自分の弱点を認めるように言うのは嫌だ。実際のところエースドッジ代表の話を断れなかったのはお人よしな気性というより、由梨自身の安っぽいプライドのせいだった。

『由梨ちゃんは凄いね』『男子よりすごい』

『羽田にはしょうじき負ける』『女子で一番すごい』

 そんな賞賛が当たり前だった。あんまり目立たない自分がクラスでヒーローになれる、体育スポーツという特等席を失いたくなかった。体育で上手く動けない自分なんて、由梨の中では恥に等しい。男子のびゅんびゅんと飛び交う運動の場についていけず外野でやる気なさそうに固まってる女子なんて、そんなの他と一緒じゃないか。

 由梨がなりたいのはヒロインじゃなくて、ヒーローなのに。

「ッ泣くなよ、ばか」

「泣いてないっ」

 じわじわと視界が潤んできて、慌てて目を顔ごと擦った。人前ですぐ泣くなんてことも由梨は嫌いだった。だって、そんなの「すごい女子」がすることじゃない。でもなんだか最近、無性に泣きたい時が多すぎる。

――そしてどうも、今日は朝から身体が変だ。胸が服に擦れてずきずき痛い。どうしてだろう。

「……」

「……」

 ゴウッと鉄橋の上を電車が通っていく。

「……じゃーさ。他のことで頑張ればいいんじゃね?」

 ぼりぼりと、野球少年らしい頭を掻きながらかっちゃんは――由梨とは保育園来の付き合いである幼馴染の白鳥勝也しらとり・かつやは言った。

「ほかのこと?」

「ドッジってさ、投げて当てるだけじゃないじゃん。内野だと止める奴が重要じゃん。そういうのにお前がなればいいんだよ」

「でも、バウンドパス読まれる……」

「そんなんフェイクでどうにでもなる。おら、練習すんぞ」

 ぱし、と片手に外したミットを受け止め、勝也はにっと白い歯を見せて笑った。夕暮れの薄暗がりの中なのにそれはやけに鮮やかで、由梨のどこかがきゅんとなった。……なんだか最近、こういうのも多い。かっちゃんと居ると嬉しくて安心して、でもなんか切なくて、その正体がわからなくてもやもやする。

「……ねえかっちゃん、お家帰らなくていいの? ユリ、一人で練習するつもりだったのに……」

「いーんだよ。今帰っても誰もいねーし」

 にっとまた爽やかに笑って、勝也は由梨の手からミットを受け取る。

「軟式クラブの練習は、」

「今日はやすみー」

「れ、練習しなくていいの? だってもうすぐ地区大会でしょう? かっちゃん、ピッチャーなのに……」

「いーの。だって俺、天才だし。投手俺だけじゃねえし、それに、今日は佐倉さくらが風邪で早退したからやる気失せた」

 佐倉とは勝也の所属する軟式野球部のキャッチャーだ。勝也は本人が自称するように天才肌なところがあり、同世代より飛びぬけた投球センスを持っている。しかし協調性はあるとは言えず、己が道をゆく性格もあって、穏やかな人となりの佐倉しんゆうがいないと他と折り合いが悪い。今日の放課後練習もそんな理由でサボったらしい。

 周りに迷惑をかけているとは露ほども思っていない素振りで、勝也はコンクリートの橋脚近くに置いてあったボールを手にとった。由梨がドッジの練習用にこっそり家から持ち出した弟のサッカーボール、その弾力を確かめるようにてんてんと地面にバウンドさせ、由梨が憧れる「投げ」の達人は言う。

「キャッチャーいてこそのピッチャーなんだよ。あれだ……、ドッジでそういうのかわかんねえけど、お前は『女房役』?になればいいの」

「にょーぼーやく? ……うん、わかった!」

「よし!」

 いつからこういう関係なのだろうか。こんな勝也にぐいぐい引っ張られる形で由梨は成長する。こういう風になりたいと、心から思う。スポーツ大得意なかっちゃんは、由梨にとって形のある目標だった。いつからかは覚えていないけど。

(かっちゃんに追いつきたい。あと……かっちゃんに褒めてもらいたい)

 だから由梨は、「投げられる」スポーツ万能女子になりたいのだ。



「だめだめ、ぜんぜんだめ」

 ……ただ、モチベーションがすぐ結果に結びつくかは別の話である。投げるボールを野球のそれからサッカーのそれに替えてなお、勝也の投球は重かった。男子が受けづらいのをどうして女子である由梨が受けられるというのだろう。

 要は、どうしても腰が引けて取り落としてしまう。

「もっと正面で受け止めろ」

「……でも、痛い」

「痛いの当たり前だろ。そういうの我慢して超えるんだ。っほら」

「! いっ」

 慌てて次なる投球に手を伸ばしたが、勢いが強くてやはり受け止められない。突き指めいた部分がひりひりする。

「かっちゃん、その、もうちょっとゆっくり投げない?」

「なんで。手ぇ抜いたら練習にならねえじゃん」

「う……」

 由梨は唇をぎゅっと引き結ぶ。柔らかくもないサッカーボールがぶち当たった腕と指が相当痛い。朝から続いてる身体の不調もある。でもそれを全部勝也に言うのは、ちょっと恥ずかしかった。

「……ん、がんばる」

「そのちょーし」

 バウンドパスで戻し、由梨は身体に力を入れ直した。かっちゃんの言う通りだ。ドッジ本番はこれと同じようなのが容赦なく襲い掛かってくる。止められない球はエースに当たらない限り今まで避けてきたが、それを全部受け止められるようになったら無敵だ。単なるブロックよりよっぽど戦力になる。それこそ、「投げられない」ことなんて霞むぐらい活躍出来るのだ。

(キャッチャーに……にょーぼー役に、なるんだ!)

 こわくない、と暗示しつつ勝也がボールをまた振りかぶるのを睨んで構える。今度は、正面から。

 豪速球が、また、放たれた。


 ―――ドシン


 物凄い衝撃。でも、今度は受け止められた。勝也のボールを、男子の球を止められたのだ。

「――や、っ」

 やった、キャッチ出来たよかっちゃん、と言いたかったけど、なぜか声が出なかった。

「っ、っ」

 息も、出来ない。ボールを抱えたままよろよろと後退し、その場にへたりこむ。目がちかちかする。腕の感覚が無いと思ったら、サッカーボールがてんてんと転がっていくのが見えた。あれ、いつの間に手を離してしまったのか。

「おっし。やればできるじゃん。でもすぐボール離すなよ……ん?」

 遠くの方から勝也の声が聴こえる。返事をしなきゃと思ったけど、やっぱり声がでない。息も。由梨はぱくぱくと口を開閉させながら、前に倒れた。

「おい。どうした、ゆ、」

 胸が。


「由梨………!!」


 胸が、痛い。




 それから少し記憶が曖昧だ。今まで感じたことの無かった痛みが襲い、気絶するほどとはいかないがしばらく動けないほどで。勝也が慌てた様子でどこかに消えたと思ったら、いつの間にか由梨はお母さんの車の後部座席にて横になっていた。助手席に勝也らしい人影があって、運転席のお母さんと何か話していて。

 ただ、いつもは伸びやかなかっちゃんの声がうっすら震えていて、とても強張った様子だったのを覚えている。


 仕事帰りのお母さんと一緒にそのまま病院に行った。触診と聴き取りで大体を把握したお医者さんは、「場所による痛みは一時的、内部に異常無し、あとは様子見」という診断ですぐ帰してくれた。帰りの道中、ただの付き添いのはずの勝也はずっと下を向いていて「先に家まで送るわね」というお母さんの言葉に黙って首を横に振った。

 勝也を伴い帰宅したら、珍しくお父さんが先に仕事から帰ってきていた。もうその頃になると由梨の胸の痛みは薄まってはいたけど、気分的にひどく疲れていて、声もあまり出ない。そんな由梨の様子を見て真面目な顔になったお父さんに、勝也は自分から途切れ途切れに説明していた。由梨は取りあえず横になりたかったので屋内に引っ込みつつ「じゃあねかっちゃん」と小さな声で挨拶した。でも勝也はこっちを見ようとせず、返事もしてくれなくて。

 扉が閉まる前に見たかっちゃんはずっと、青い顔をしていた。


 ……弟との二人部屋、由梨はそこでぼんやりと待つ。やがて帰ってきたお母さんは「裕くん、お父さんと先にお風呂に入ってなさい」と塗り絵をしていた弟を追い出した。そして二人きりになった部屋の中で、由梨の服を脱がせて丁寧に胸を点検、メジャーであちこち測ったあと、安心したように笑って言ったのだ。

「由梨ちゃん、明日一緒にお買い物いきましょうね。ブラジャー買わないと」

 女の子はそういうものが必要なのだと、身をもって知った瞬間だった。


 その夜、一緒にお風呂に入りながら、お母さんは由梨に説明してくれた。女の子は年頃になると、身体の色々なところが変化し始める。赤ちゃんを産むために必要な準備をし始めるのだそうだ。子供の身体から大人の身体になるための必要な道筋、それは痛みを伴う時もある。特に、急激な場合。

「お母さんもね、おっぱいが大きくなってくる由梨ちゃんくらいの時はブラジャーしないと服に擦れて気になって大変だった。何かを意識しないで胸で受けちゃうと痛くなったりね。でもそれは誰でも通る道。必要な変化なのよ」

「……なんかやだ」

「やでも、誰でもそうなるの」

「でも、ノゾミちゃんもナッちゃんもみんなそういうのなってないよ」

「始まりは皆同じってわけじゃないのよ。由梨ちゃんは他の人より少し早かっただけ」

「う~」

 まだちょっと痛みがある胸を押さえ、由梨は湯船の中で俯いた。

――なんとなくだが身に染みてわかったのは、やっぱり由梨は女子なのだということ。女子は、男子よりどうしたって制限が多い。成長始めは色んなところが敏感で、大事な部分をあらかじめガードしておかないと、運動の時に満足に動けない場合もある。だからサポーター入りタンクトップとか、スポーツブラなんていうものがあるんだろう。

「男の子のほうが楽でいいな……」

 そんな由梨の言葉に、お母さんは面白げに笑った。男の子にもきっと女の子に言えない苦労はあるのよ、と言って。

 そういえば、かっちゃんはどうしたのだろう。


 お風呂から上がったあと、まだ難しい顔をしていたお父さんにお母さんが何か言って、ようやく空気が和やかになった。由梨はお父さんが勝也に怒っていたかもしれないということが気になっていたので、「かっちゃんは悪くない、にょーぼー役になることを教えてくれてたんだ」ということを精一杯説明した。お父さんは苦笑しながら納得してくれたようだった。

 ただ、ドッジボールでは「女房役」という言い方はしないこともそこで初めて知る。簡単に男相手に相方とか女房とか言うもんじゃないとか、お父さんはそこを強調したいようだったが、由梨のモチベーションにはあまり関係の無いどうでもいい話だったので適当に流す。かっちゃんの女房にょーぼーになりたいと思って何が悪いの、と言ったらお父さんはなぜかショックを受け、しょんぼりしていた。ともあれ、その夜はかっちゃん家に電話をしたかったが、もう遅いし特に緊急でないということで、報告は明日にすることにする。


 諸々の出来事で、わかったことはたった一つ。由梨は、ヒーローにはなれないんだということ。

 それは思ったより悔しいものでなく、喉に突っかかっていた小骨を飲み下せた時のような、複雑だけどなんとかなったような、そんな気持ち。

 性差という、痛みを伴った諦めだった。



 胸の痛みはそれからすぐに引き、翌朝、由梨は元気に登校した。朝一のエースドッジの練習試合の前に、担当のコーチに診断書とお母さんから託された手紙を渡す。市から派遣されてる役員の先生はそれを読むと頷いて、その日は由梨を休みにしてくれた。

 不思議なもので、一旦諦めがつくとそれまでこだわっていたことがどうでも良くなることがある。由梨抜きで練習を開始する皆を見ても、悔しさは然程でもなかった。チームメイトにひっそりと謝ったら逆に暖かく励まされ、気持ちが大変楽にもなった。「投げられない」蔑視など意識するまでもなく、今までの悩みは大したこと無かったのだ。

 ともあれ。早々に教室に戻り、HRが始まる前に隣のクラスの勝也のところへ行く。昨日のかっちゃんらしくない強張った声と青い顔がずっと気になっていて、ユリは大丈夫だよ、ということを伝えたかったのだ。なぜか、早めにそうしなければならない気がしていた。女の子の胸云々といったことは言うのが恥ずかしいので、もう平気だ、怪我はしなかったということを掻い摘んで話す。

 ただ当の勝也は、そんな由梨の報告に一度頷いたきりで、無表情だった。あまりにリアクションが薄くて、気張っていた由梨の方ががっかりしたくらい。なんだ、言わなきゃよかったのかなと思ったのがその時の実感。

 ただ。

「ねえかっちゃん、またキャッチボールの練習一緒にしてくれる? ユリ、あの時みたいに強くは無理かもだけど、もう少し弱い感じでなら、大丈夫だと思う。ボール、受け止められるようになりたいから」

「……」

「ねえ、」

「……」

「かっちゃん……?」


「もうお前とはキャッチボールしねえよ」


 何かがおかしくなったとわかったのは、それから以降の話だ。






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