第六話 すれ違い、再び
数々のすれ違いや妙な騒ぎがあった日曜日。それを超えた今、可牧と都村は本当のカップルとなったのだ。
それを思い出し、ミサは深くため息をついた。
机に突っ伏しつつ窓から外を見る。天気は雨が降りそうなほどの暗澹とした曇り。この天候というやつは人の感情を読んでいるのではないかと時々思う。なぜにこうも気分と同じ色をしているのか。なんかムカつく。そんな脈絡のないことを考えながら、ミサはもう一度ため息をついた。
見上げていた視線を下へ向ける。少しずつ増えていく登校中の生徒。教室にも幾人かの生徒が入ってくる――今日のミサはなんとなく誰よりも早く教室へ入ったのだった。それというのも話は戻るが可牧のことである。
ミサと可牧は親友だ。そんな彼女が可牧のカップル成立を祝わないはずはないし、なにより。日曜日のことで都村の誠実さも見ることができて何も心配はないはずだった。
そう、何も心配する必要がないのだ。
だからこそ……
「つまんなぁい」
こんな勝手な感想が出てくるのだった。
このミサという少女。今までの行動からして強気、友達思い、ツッコミ、ドS等、様々な性格が見え隠れしていたが……究極的には気分屋だったりする。おもしろいことであれ、おもしろくないことであれ、何かしら自分に感情の揺らぎが無いと満足できないのだ。
だから。可牧が顔を真っ赤にしながら泣きそうな表情で教室に入ってきたのを見た瞬間、ミサは一気に元気になった。瞳が輝いた。血行も良くなり肌もツヤツヤ――ああ、イベントとは美容にも最適だ。
「どうしたの、可牧。そんな顔して」
そんな喜びを押し隠しつつ、冷静にいつもの様子で語りかけるミサ。
可牧はその問いに答えることなく、ミサの前の席に勝手に座って、叫んだ!
「あるだけ酒もってこーい!!」
「ここ居酒屋違うから」
なんだこれは。まるでフラれた女みたいじゃないか。ミサの目がますます輝く。
「じゃあエタノール持ってこーい!」
「いまのあんたに近づけたら引火して爆発しそうね」
「もうしてるよ! ドカーン!!」
椅子に座った状態から器用に手足を目一杯伸ばして大ジャンプ。小さな花火に見えなくもない。
「それで、何があったの? そんなに爆発して」
「ミサちゃん!? 人が爆発する理由って言ったら一つしかないでしょ!」
「多分いっぱいあると思うわよ。戦争してる国にでも行けば特に」
「そう、戦争だよ! わかってるじゃん」
さっぱりわからない。
「もうね、爆弾とか原爆とかね、もうね、どかーんって食べるとね、どかーんってなってね、どかーん!!」
とても意味不明などかーんを連発する可牧。そろそろ読解不可能なレベルになってきたので、ミサはその熱を冷ますことにした。
バッグをごそごそ、それを取り出す。そして。
ちょろちょろちょろ……と水筒のお茶を容赦なく可牧の頭にかける。
「頭、少しは冷えた?」
「なんか……水分を吸収して髪が伸びそう」
「あんたの頭は鉢植えか」
そんなことで髪が生えれば世の中年たちは苦労しないのである。
「それで、何があったの。人間にも理解できる言葉で説明してね」
「何言ってるの? 私は人間語しか喋れないよ」
嘘つけ、とそこにいる誰もが思った。
「はいはい、それで?」
「うん! あのね、都村君とケンカしたの!!」
やっぱりか……その場にいた誰もが思った。
「だから別れた」
待てやオイ。その場にいた誰もが思った。
そのときの状況を聞くと、こういうことらしい。
今朝、可牧と都村は仲睦まじく登校していた。彼氏、彼女と改めて認識した初めての登校だ。二人とも照れつつ、楽しく登校していた。
「はい都村君、あんパン」
そして若干残っているパシリ習慣のため、可牧は都村用のパンをきちんと常備していた。
「お、さんきゅ」
いつものように受け取る都村。
しかし可牧はいつもの可牧ではなかった。きちんと結ばれた……そう確信した可牧なのだ。だからちょっとお茶目をしてみた。
あんパンと言って渡したのは、
「むぐっ!? こ、これカレーパンじゃねぇか!!」
「あはは、ひっかかったー」
あんパンの形をしたカレーパン。朝早くからやっていて学生もよく利用する常連のパン屋さんが作ってみたらしい。彼氏にイタズラするのも彼女っぽいよねー、てへ。そんなことを考えた可牧がそれを買って実行に移したのは見ての通りだ。
「てめぇ……」
しかし、これが予想外に都村の反感を買ったらしい。
「はい、本物のあんパン」
「待てや、コラ」
都村の形相はいつかのようになっていた。
初めて可牧が告白したとき、あんパンを落としたときと同じ顔に。
「あんパンを食べようとした俺の気持ちはどこにいくんだ!」
「え、今あんパンを食べればいいでしょ」
「違う! さっきあんパンを食べようとしてカレーパンを食べてしまったという気持ちをどうすればいいのかと言っているんだ!」
「じゃ、じゃあ逆にカレーパンを食べようとしてあんパンを食べればいいでしょ!」
「俺はあんパンが食べたいんだ!!」
「食べればいいじゃん!」
「そんな簡単な話じゃない! 俺はあんパンを食べようとしたのにカレーパンを食べてしまったという事実を覆しつつあんパンを食べたいんだ」
「じゃ、じゃあカレーパンを食べると見せかけて食べずにあんパンを食べれば逆のことしつつあんパンだけを食べられるんじゃないかな!?」
「逆のことをしても意味ねぇんだ! あんパンをプラスとすると、カレーパンがマイナスになるならよかった。だがちょいプラスなんだ。するとどうだ、プラスちょいプラスの気持ちが合わさってかなりでっかいプラスになるだろう!? このプラスをどうすればいいのかと聞いてるんだ!?」
「そんなの適当にプラプラさせておけばいいじゃないの! このあんパンは私の手作りなんだよ!? いっぱい勉強して作ったんだから、食べてよ!!」
「そんなプラスかマイナスかわからんもん食えるか!!」
「なによなによ! 私頑張ったのに……もう私たち、終わりよ!!」
回想、終わり。
話を聞き終わったミサは……そしてなんとなく盗み聞きしていたクラスメイトは、そろって脂汗を滲ませながら首をかしげていた。外を見ればいつの間にか雨が降っている。きっと可牧の話を聞いた天候さんの脂汗の代わりだろう。
「ね、ひどいでしょ!! わかってくれる!?」
「……ごめん、あたし国語は得意なはずなんだけど、さっぱりわかんない」
「プラスとマイナスだよ? 数学の話だよ!!」
おそらくそれも違う。
「私、頑張ったのに」
「ええと、確かに頑張ったわ」
頑張ったのは、わかる。とりあえずそれだけは。
「ここまでできる彼女ってなかなかいないよね?」
「ええ、彼氏のためにあんパン焼く子はそうそういないわ」
それも間違いない。
「あ、でもパン屋の娘さんとかどうなのかな。やっぱり頑張ってあんパン焼くのかな!」
「それはないかと」
「うん、きっと焼くよね!」
「聞いてねー」
「そうだ、きっと私と一緒の悩みを持ってるはず!」
カッ!! と稲光と共に断言する可牧。天候さん、空気読みすぎ。
「全国のパン屋の娘さん探してもそれはなかなかいないと思うわ」
「私、パン屋の娘さんに弟子入りしてくる!」
雷がどこかに落ちた。その轟音と共に走りだした可牧は――
「だからたまには人の話を……おーい」
ミサの静止も聞かず、教室を飛び出してしまった。
まったくもって何が何やらわからない。
しかし……
「これは大変だわ、なんとかしなくちゃ!」
ニヤリと口元を歪ませるミサを、飽きずに光る稲妻が照らしていた。
誰もが思った。こあい。
その頃、都村の方では。
「あ、おい!」
「んー? 僕ちんを呼ぶのは誰だー?」
雨に降られながらもようやく学校の玄関にたどり着き、タオルでわしゃわしゃと頭を拭いていた遠衣はゆるゆると振り返った。
「俺だ」
「男にゃ興味ないの。じゃ」
都村を一瞥すると、身も蓋もなく無視しようとする遠衣。だがしかし、
「なぁ近衣」
「僕は遠衣だ!!」
妙ちくりんな間違いに、思わず反応せずにはいられなかった。
「む? そうだったか。でも遠いより近いほうがいいぞ、きっと」
「はいそうですかと答えたら僕はどうすればいいんでございましょうか?」
「近くなればいいじゃねぇか」
「なにが!?」
「んなもん自分で考えろ」
遠衣は頭を抱えた。基本マイペースで時にはミサすら手玉にとる自分がツッコミを……よもやこいつ、僕の天敵? そう認識すれば話は早い。とっとと用件を済ませて消え去ってもらおう。そう判断した遠衣はへらへらと友好的なつもりの笑顔を見せた。
「で、僕に何の用?」
「ああ、実はな」
都村は遠衣に今朝のことを説明した。内容は可牧がミサに話したのとほぼ変わらない。
……やがて話し終わると。遠衣も先ほどのミサたちと同じような顔をしていた。
「どう思う?」
「日本語喋れって思う」
「何を言ってる。俺は日本語しかできんぞ、英語は書けるが言えん」
そんなことは誰も聞いていないが、可牧とミサと似たようなやりとりをする二人。案外似たもの同士なのかもしれない。
「それで、どうやって謝ればいいと思う? いや、そもそも俺はなんであんなに怒っていたんだろうか……自分でもわからない」
そのときの言語が誰にも理解できないのだ。それも仕方ないだろう。
遠衣は頭を働かせた。いつも働かない脳細胞が動き出す。
そしてその脳細胞が言った。
「働いたら負けかなと思っている」
脳細胞は部屋に戻った。パソコンの前で延々とクリックをし始める。まったくダメな脳細胞だ。僕も混ぜろ――
「おい」
妙な思考に飛びそうになった遠衣の意識が戻る。なんだこいつ、まだいたのか。
「俺はどうすれば」
「はいはい、うちのボスに相談してみるからちょっと待ってなさいな」
遠衣は愛しのミサの顔を思い浮かべる。きっと喜んでくれるだろう。そう考えるとこの宇宙人語のような話に付き合うのも悪くないか……そう思ったとき。
何かくる。
すごい速さで、なにかが。
それは廊下の向こうから玄関に向かって一直線に――
「ししょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ソレはどうやったのか、微塵も減速せずに下駄箱から靴を取り出して履き、そのまま外に向かって爆走していった。
まだ見ぬ師匠がいる、パン屋に向かって……
「なんだアレ、青春か」
先ほど別れた自分の彼女が雨の中を走っていく様子を見てそんな感想を漏らす都村を見て、遠衣は“やっぱこいつ宇宙人なんじゃねーの?”などと思っていた。
おまけを挟み、新しい話をお届けします。
いやー、本当フリーダムなペースで書かせてもらってます笑
次の話もいつ書くかはわかりませんが……また気長にお待ちいただけたら嬉しいです^^