極寒の愛
北の大国「マフニツカ皇国」
一年中雪に覆われる極寒のこの国に彼らがやってきたのは三日ほど前…
吐き出す吐息ですら凍りつきそうなこの環境の中、あと二日ほどで依頼主の住む街まで辿り着かねばならない。
そんな状況の中、彼らはある問題に直面していた。
それはーーーーー
「おいおい兄ちゃーん!」
「随分イイもん着てんじゃねーかよぉ」
「よかったら俺たちにその身包み全部くれねぇか?もう寒くて凍え死にそうなんでよぉ!うしししっ」
「おっ、ついでに有金も寄越してくれると飢えも凌げるんだがなぁ!ぎゃははは!!」
"賊"である
「……………………」
ボロ雑巾のような布を申し訳程度に身に纏い、錆かーーあるいは血で汚れたのかーー茶色く変色したナイフをこちらに向ける複数の賊に"彼"は内心でため息を一つ吐いた。
「(………ただでさえ時間がないというのに…)」
漆黒のマントを身に纏い、その素顔でさえもフードで深く隠す彼は『シュウ』
彼はとある依頼によりこの極寒の国を訪れていた。
予定であれば、あと一日もすれば依頼主の住む街まで辿り着ける、という場所まで来ているはずだったのだが、想定外の猛吹雪に遭遇し予定がかなり遅れていた。
そんな先を急ぐ状況でどこから湧き出したか賊の登場…
ため息を吐きたくなるのもわかる状況だ。
が、しかし…彼が先を急ぐ理由がもう一つあった。
いや、むしろ彼が何よりも、自分の命よりも優先すべきこと…
「っ……シ、シュウ…」
『嫁』の存在である。
賊の存在に怯えるように、寒さに凍えるように震える少女は、シュウのマントをぎゅっと握りしめ今にも泣きそうな表情で夫を見つめていた。
「大丈夫だ、ハナ」
そんな嫁ーー名をハナというーーを安心させるようにそっと頭を撫でるシュウ。
側から見れば嫁を労わる良き旦那の図だが、何を隠そう"嫁命"な彼の脳内は「俺の可愛い嫁を怖がらせるこの俗物共をどう痛めつけてやろうか」で埋まっていた。
「グヘヘッ兄貴!こいつ女も連れてますぜぇ!!」
「本当だ!女だぁああ!!!!」
「ひゃっはは!運が悪かったな兄ちゃん!あんたの隣で震えてる女も置いていきなぁ!俺たちがたーーーっぷり可愛がってやるからよぉ!!」
「ひゃっはーー!女、女ぁ!!」
「ぎゃはははははは!!」
辺りに下品な笑いが響き渡る。
前後左右から聞こえる男たちの声、そして自分を見つめる獣のような視線。
ハナはその恐怖に堪らずシュウにしがみついた。
「ゃッ…シュウッ」
怖い、汚い、寒い
負の感情に支配されるハナ…
だが、彼女は信じていた。
最愛の夫が、この状況をなんとかしてくれる。
自分のことを守ってくれる。
とーーーーー
その証拠に、ハナはぎゅっとシュウに抱きしめられていた。
「シュウっ」
「大丈夫、大丈夫だ、ハナ」
「ぅん…、」
「いいかハナ、今から俺が言うことをよく聞いてほしい」
「?」
「簡単なことだ。俺がハナの頭を撫でるまで、目を瞑って歌を歌っていてほしい」
「歌を?」
「あぁ、そうだ。できるか?」
「うん、できる」
「いい子だ」
そう言ってシュウは優しく微笑むと、チュッと彼女の額にキスを落とした。
それを見ていた賊はさらに下品な笑いを響かせると、もう待てない、とでも言うようにジリジリとシュウとハナに近づいた。
「おいおい、見せつけてくれんじゃねーか!」
「お別れの挨拶は済んだかぁ?」
「ぐへへっお別れ、お別れ!」
「兄貴ィ!俺もう待てねぇよぉお!!!」
「ひゃはっ!俺もだぜぇ!兄弟ィ!!!!!」
そう声を荒げた、賊の頭であろう男がナイフを振り上げると、それと同時に周りの男どもが次々にシュウとハナに襲いかかった。
「ハナ」
それを静かに見つめていたシュウがそっとハナに声をかけると、ハナはゆっくりと目を閉じ息を吸った。
ー♪ー♪ー
神様に恋をしたのは暖かな光が降り注ぐ春のことでした
神様に憎しみを抱いたのは冷たい風が吹き荒れる冬のことでした
柔らかな光で包むアナタは私に希望をくれました
鋭い風で襲うアナタは私に絶望をくれました
けれどこの小さな身体では大きな二つを受け入れることはできなくて
私は神様に恋をしました
そして神様に憎しみを抱きました
アナタは春 そして冬です
アナタは冬 そして春です
ー♪ー♪ー
まるで祈るように、静かに、そして可憐に声を紡ぐハナにシュウは愛おしげな目を向ける。
いつまでも見つめていたい、いつまでも聞いていたい、愛する嫁の美しい姿を見てそう願うシュウ。
だが、無情にも周囲には襲いかかる賊。
ハナに向ける優しい表情は一変、その目つきだけで人を殺せそうなほど表情を鋭くしたシュウはボソッと一言呟くと右手を男たちに向かって突き出した。
「俺とハナの時間を邪魔するなど、万死に値する」
ヒュッーーーーー
突然、辺りを覆う鋭い風。
ナイフを持った賊は何事かと辺りを警戒する。
「な、なんだ!?」
「兄貴!?一体なにが!!!」
「クソっ、なんだ!?!?」
右を、左を、上を…
焦るように周囲を見渡す男共にシュウは冷酷な笑みを浮かべると突き出した右手に力を込める。
「なにぃ!?」
「チクショウ!!てめぇまさか魔法使いか!?」
「くそっ!やっちまぇえええ!!!」
この風の原因が目の前にいる男の仕業だと気付いた賊共はナイフを握り直すと再びシュウに襲いかかった。
しかしーーー
「遅い」
シュウの放った技により、辺りの男は全員地に伏した。
外傷はない。
圧縮した空気の塊を放ち気絶するだけに留めた。
それも、悲惨な酷い光景をハナに見せないためのシュウの愛である。
「…………………」
シュウは、ふぅ、と小さく息を吐き周囲の気配が全て消えたのを確認すると、今だに美しく歌を奏でる愛するハナへと近付いた。
「ーーーー……に恋をしました そして神様にーーー」
目を閉じ、ゆっくりと祈るように歌うハナ。
そんな姿にほぅ、と見惚れそうになりながらもそっと正面に立つと、驚かせないようにゆっくりと抱きしめた。
「ハナ」
ポンポン、と優しく頭を撫でる。
「!」
ハッとしたようにこちらを見上げた彼女は、次の瞬間にはパァッと花が咲いたような笑みを浮かべていた。
「シュウ!」
嬉しそうに声をあげるハナ。
嫁のそんな可愛い姿を見て正気でいられるわけがない嫁命なシュウであったが、くしゅんっ、とハナが小さく零したくしゃみに「こうしてはいられない」と彼女を優しく抱き上げると街までの道のりを再び進みだした。
まるで賊など最初からいなかったかのように……
***
氷像の街『イドゥルア』
依頼主の住むこの街に、シュウとハナは予定より半日遅れで到着した。
「…うさぎさん!」
「…………」
「…りすさん!」
「…………」
「…ねこさんといぬさんもいる!」
「…………」
歩く度にハナの口から溢れる歓喜。
ここイドゥルアは"氷像の街"と呼ばれるように、氷で造られる像で有名な街であった。
そのため街の至る所に動物や植物など、様々な物を模した氷像が飾られている。
「わぁ!お花!見てシュウ!ハナとおんなじお花だよ!」
ハナは初めて見るそれに興奮してはしゃいでいるのである。
そしてたった今、自身の名と同じ花の氷像を見つけ、思わずグイグイとシュウの腕を引っ張っているところである。
そんな嫁の姿を見つめるシュウの顔は穏やかだ。
しかし脳内では「俺の嫁くそかわ」状態である。
「ハナ、あっちには蝶がある」
「!」
シュウの指差す方を見て嬉しそうに頬を染める。
そんなハナをもっと見ようとシュウは依頼のことも忘れ氷像に目を移す次第である。
しかし、突如背後からかけられた声で二人の幸せな時間は終わりを告げる。
「失礼いたします。シュウ様とお見受けいたしますが、お間違えありませんかな?」
「…………何者だ」
「っ……」
気配もなく現れた、燕尾服を纏った老人に警戒するシュウ。
ハナもビクリッと肩を震わせると、不安そうに彼にしがみついた。
「怪しい者ではございません。ダンザル家の執事、ナイルと申します。"旦那様"からの命によりお迎えに上がりました。」
どうぞこちらへ、とナイルが手を指す方には僅かに雪の積もった黒塗りの馬車があった。
「……………」
今だに警戒を解かないシュウであったが、「馬車内は空調魔法が効いています」という一言に一先ず馬車へと向かった。
もちろん、ハナを寒さから守るためである。
「お屋敷まではしばらくかかります故、どうぞごゆるりとお休みください」
ガチャンッ、とゆっくりと閉じられた扉、やがて静かに動き出す馬車。
シュウは観察するようにジッと視線を巡らせたが特に怪しいところはない。
「(…本当に迎えに来ただけ、か…)」
そう結論付けると、今だに不安そうにしているハナに優しく微笑みかけた。
その笑顔を見たハナは、安心して大丈夫だ、ということを悟ると、ホッとしたようにシュウに擦り寄った。
「寒くないか、ハナ」
「大丈夫!とってもあったかいよ!」
「そうか」
良かった、と頭を撫でると嬉しそうに笑うハナ。
その笑顔にやられたシュウは穏やかな顔はそのまま、そっと鼻血が出そうな鼻を押さえた。
そんな甘い空気の中、馬車に揺られること数十分…
一度馬車が止まったと思いきや、再び動き出した感覚にシュウは屋敷の敷地内に入ったことを悟った。
「ハナ、そろそろ着くぞ」
「……んん、」
「ハナ、起きろ」
「ぅ、ん……むぅ…」
「ッかわいッ…ッじゃない、起きろ、ハナ」
久々の温かい空間と、長い旅の疲れに、ハナはすっかり眠ってしまっていた。
そんなハナを起こすシュウは、時々心の声が漏れそうになるもゆっくり肩を揺さぶると、ハナを起こし続けた。
「ハナ、ハナ、起きろ」
「んん〜…シュ…ウ……」
「ハナ、もうすぐ着くぞ」
「ん…わか、た」
シュウの呼び声にようやく目が覚めたハナは、ゴシゴシと目を擦りながらも上体を起こした。
そんなハナを支えつつ窓の外へと目を向けるシュウ…
外には雪を被りつつも綺麗に手入れされている木々や冬の花々が辺り一面に広がっていた。
それを見るだけでも、今回の依頼主が相当な人間であることが伺える。
「シュウ?」
ふと聞こえた自分を呼ぶ声。
視線を窓の外からハナへと移すと、彼女は不思議そうに自分を見つめていた。
そんなハナに優しく微笑みそっと頭を撫でると、彼は今一度気持ちを改めた。
「(どんな依頼でも関係ない…俺はハナを守る)」
馬車が止まり、扉が開いたのはその時だった。
「お待たせいたしました。屋敷に到着でございます。」
シュウはハナを支え、ハナはシュウに支えられ馬車から足を下ろす。
地に降り立った二人を待ち構えていたのは、首を真上にして見上げるほどの大きな屋敷だった。
「…………………」
「わぁ…」
思わず声を漏らすハナ…
シュウも声に出しはしないものの、想像以上の大きさに「デカイ…」と感想を抱いていた。
そんな二人を他所に執事ナイルは屋敷内へ二人を案内すると、一つの扉の前で立ち止まった。
「旦那様はこちらのお部屋でお待ちでございます。」
「………あんたは入らないのか」
「わたくしは部屋の前まで案内するよう仰せつかっております故」
部屋の中へはシュウ様ご自身でお入り下さい。
そう一礼したナイルは足音も立てずに廊下の奥へと消えた。
「…………………」
それを横目で見送ったシュウは、ハナを自分の背中で隠してからガチャッとドアノブを捻った。
「やぁ、よく来てくれたね」
「……あんたが依頼主のシリウス・ダンザルか」
「いかにも!」
「で、その依頼とは」
「おおっと、随分といきなりだね!まずはお茶でもして互いの親睦を深めてから」
「俺たちは仲良しごっこをしにきたわけじゃない。さっさと依頼を片付けてこの街を去る」
「ふむ、なるほど…君に依頼をしたのは間違いではなかったようだね………して、俺"たち"とは?」
どうやら依頼主であるシリウス・ダンザルからは、シュウの陰になってハナの姿は見えないらしい。
はて?と首を傾げる目の前の男に、シュウは仕方ないとでも言いたげに渋々と体をずらした。
「!おや、これはこれは…」
シュウに隠れるようにして現れたハナ。
ハナはなんとかペコリと頭を下げると、慌ててシュウの背中へと隠れてしまった。
シュウがハナを見せたくないように、ハナも見られるのは得意ではなかったのだ。
そんな姿を見て感じたのだろう、シリウスは素直に感じたことを口にした。
「いやぁ、まさか"妹"さんが一緒とは!随分と仲が良いのだね!」
「(ガーーーン)」
「…………妹?」
シリウスからの言葉に、あからさまに落ち込むハナと額に青筋を浮かべるシュウ。
「????」
「おい、あんた…」
「ん?どうかしたかね?」
「妹、だと?」
「おや、違ったかね?」
「俺とハナのどこをどう見たら兄妹に見える」
「うむ、それはもちろん」
「ハナは妹ではない」
シリウスに語りかけるもシリウスからの言葉は聞かないシュウ。
そんなシュウに内心慌てるシリウスだが、彼からの次の言葉に自分が間違っていたことを悟る。
「ハナは…ハナは俺の嫁だっ…!」