私の世界は歪んでいるのか
私の世界。君の目に映るのとは違う、私の世界。
私は我儘である。それを重々わかっているし色々と異常な面も分かっている。それを前提として次の文章を書こうと思う。『私』という主観で語る私の世界。
基本見捨てらるのが怖い。でも見捨てられるのは自分が悪い。いつも生きていてごめんなさい。そう謝りながら死ぬことを考える。昨日の夜から今日一日。振り返りながら。
昨日の夜、私はブログを書きながらここ最近の睡眠不足で意識がなくなっていた。次に起きたのは23時ごろだっただろうか?そうか、あの人はバイトだ。起きて孤独を実感する。頑張ってるんだから耐えなきゃな。そう思って一人で居ることを我慢した。ふと、そういえば喉が渇いたなと思いキッチンにお茶を取りに行こうとするために立ち上がる。しかしながら結論から言えばコップは粉々になって地面に落ちていた。無論ゴミべやの中のような状況の部屋なので気づくはずもなく気づいたのは踏みつけ足を切ってからだった。情緒不安定で記憶が欠落してると困ったもんだ。先日、私は半年ほど前彼氏が私の友人にあげたプレゼントのリボンを何故か大切に持っていたのだがそれを粉々にした。恐らくそのリボンを入れた瓶を投げたかったんだろう。片付けをしていたらそのことを思い出して『病んだ』。
きっかけはどんな些細なことでも思い出すとすぐに落ちてしまう。悪い癖だ。それにしてもまだかな通話。一人は嫌だな。気を緩めると泣いてしまいそうで嫌だった。
0時10分。日が変わったところで彼氏の方はバイトからも帰宅しやっとひと段落ついたのだろう。『通話することが出来る』という旨のメッセージが端末に届いた。やっと一人から解放される。ほっとした。ひとりでいるといろんな余計なことを考えてしまうのでどんどんテンションが下がっていくのだ。ここから記憶が曖昧になる。どうも最近現実を逃避してからか嫌なことの記憶がバッサリなくなったりする。会話を完全再現できる程度の記憶力は持っているので記憶が欠けているとすごく不安になるのだが。それはさておき何か多分提示された話題に対して文句を言ったのだと思う。だからどんな話題ならいいの?と聞かれた(と思うをつけるのが面倒なのでここから先省く)。が、せっかく決定権を貰っても自分は提示することができない。どこに地雷があるかは自分でさえわからずそれをわからないと怒ってしまう自分に自己嫌悪しつつどうしようか考えているとなんでなんでと聞かれる。必要以上に聞かれていよいよ私はわかんなくなった。ただただ不安と精神的苦痛がつのっていくだけで。
『分からない』そう言葉にしようとしても発音の仕方が分からなくなっていた。稀にある。言語による精神的苦痛要素を与えられると判断は愚か言葉の発音の仕方が分からなくなる。焦れば焦るほど分からなくなる。ここで安定剤を飲んでいないことに気づき何時もより多めに飲むものの効果は見られず。さらに言葉は責めているように聞こえる。ごめんなさい。私が悪いのは知ってる正しいのはいつも君。だからもうやめて。ここが『ライン』なのだ、というのはいつもの経験則からわかる。自分が悪いと思って生きてるがこう立て続けに自分を否定され続けるような思い込み思考になりそれが続くと相手にキレる。そうじゃなきゃやっていけない気がするのだ。例えるならば最終的自己防御。境界線人格障害。ダメなことだ、直接的な解決になっていない。知ってる。ここからまた記憶は飛ぶのだが最後にもういいとかそんなこといって通話を切った。
私は何も無いから虚勢を張る。まるで何かがあるように自分を作り保つ。誰かが自分がいる事を証明して立ててくれないと生きている実感すらわかない。昔は今より酷い面があり次から次へと『彼氏』と呼ばれる存在を変えていた。某氏の言葉を借りるなら寄生虫。可愛いと言ってくれて適当な甘い言葉をかけてくれる人を次から次へと探す。それでも当時処女だったのは一種の線引きだったのだろうか?でも一方的に襲ってきた相手に付き合ったらヤらせてあげるよとか全く関係をもっていない先輩ににヤラセてと頼まれて快諾したり気もない相手に気があるように振舞ったり。そんなこんなでわりと酷い黒歴史がある。だからこそ好きがわからない。個人的に好き≒依存ぐらいの感覚だと思う。でも考えれば考えるほど誰にでも代用できる、なんで付き合ってるんだろう?と謎になる。私を肯定してくれるわけでも優しいわけでもなく寧ろ精神的苦痛を与えてくれる方が大きいのだと思う。しかしここで分かるのが相手の過大評価。理想像の押し付け。理想とかけ離れると裏切られたような感じになるからそれを避けるために現実を逃避したり受け入れなかったり。
正直私さえ見てくれれば十分。それをしてくれるなら他の男にすがることも辞められる。裏切られることが怖くて次の宿主を探してる。阿呆らしいけれどこれも精一杯の生存ルートなのだ。通話を切った後、元カレに突然夜中に電話しようと誘ったり複数人に手首の画像いる?と不安を煽ったり全部こっちを見て欲しい一心の行動。
私は風俗嬢をやりたい。一時的に承認欲求が満たされお金が手に入る。それでブロンでも買ってふわふわして落ちるのを防げば割と幸せに生きていける、と思う。冗談ではない。至ってまじめに。但しこんな奴でも指名が入るならだが。
あの人の優先順位一番はどの程度なのだろうか。限度があるってなんだろうか。一番って??でも前に言ったけど私一番より特別がいいの。邪魔する奴とか人の楽しみ奪う奴みんな殺してしまいたい。私しか見ないっていうならなんだってしてあげるよ。人と話すのやめろと言われたら辞めるし百万渡せと言われるならだそう。たったそれだけで私の願ってる物が手に入るなら。
メンヘラメンヘラじゃない関係なく、普通は許せないと思うことだけど。他の女の子にプレゼント渡しておいて私にはお金が無いからってやつ。ね。これが優先順位一番だって。私にあげたわけでもないって本人も言い切った(当たり前だが)ものをずっと持っていて心が抉られるような締め付けられるような感覚、わかって言っているのだろうか。
そういうと謝れ謝れ私には謝ることが足りない、そう言われる。確かにそうかもしれない。でも謝っていたらキリがないほど謝ることがある。だって生きていること自体が罪であるから。いつも謝り続けてる。泣かない日がない。このあたりから生理中ということでただでさえ血が足りないのに手首からおもろいぐらい血が出てきていたのでふわふわした感覚を味わうことになる。
たった二時間の睡眠で10回以上の中途覚醒と言っていいか怪しいレベルで寝ては起き、寝ては起き、繰り返し今日も電車に乗る。電車は遅延しており雨だったこともあり親に駅まで送ってもらい遅刻することなく登校できてしまい、そこからする事もないので暇なので数冊の文学小説を7限の間に読むことができる。ここで今日は読んでないのだがふと思い出した夏目漱石のこころの一説がある。『女には大きな人道の立場からくる愛情よりも、多少義理を外れても自分だけに集中される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思わますから。』文学小説は本当に的確に思っていることを掴んでくれたりするから飽きない。今日はドグラ・マグラで有名な夢野久作の少女地獄も読んだが、やはり面白い。こういう文章がかける人はやはりどこかで所謂頭がおかしいと呼ばれる人たちなのだろう。だからこそ読書が好きなのかもしれない。そう思いながら今日も大きな憂鬱に襲われ死にたい、そう一心に願い続ける。大きな虚無感と孤独感は絶えず無い心を蝕んでいく。何をすれば満たされるのだろうか。必然的にこの状況なのだろうか。
普通という良くわからないこの社会の定義を探してそれを手に入れると突如不安に襲われることも気がついたら鏡に血だらけの自分が写っていることも死のうと考えることも人を自分が思う不幸に巻き込みながら生きるということもやめられるのか。
自己愛というのを御存知だろうか?フロイトによれば自己愛がやがて外の対象に向けられるらしい。私は自分が大嫌いだがいろんなところで傷つくまいと防御線を張っているからきっと臆病な自分が傷つくことだけを恐れた存在なんだろう。そしてその先に進めていなく、自分を承認肯定してくれる誰かを今日も探しているのだろう。
ぜひよければブログにもお越しください。駄文綴ってます。