お天気雨の日に
晴れているのに降る雨のことを『狐の嫁入り』と言うのだと、真理奈に教えてくれたのは祖母だった。
「ほんとに狐さんがお嫁に行くんだ……」
天気雨の中、狐の嫁入り行列が丘の獣道をしずしずと進んでいる。ランドセルを背負いなおしてそっと様子を観察した。
「ふふっ、おばあちゃんの言ってたとおりだ!」
祖母の話してくれた昔話を思い出しながら深呼吸。首にかけたお守りを握って後をつけた。
「狐さんのごちそうってどんな味かなぁ……」
祝いの席に並ぶ料理を想像してよだれをぬぐう。祖母が真理奈と同じ『人に見えないものが見える目』の持ち主だと知ったのは去年のこと。祖母は子供の頃狐の嫁入りについて行ったことがあるらしく、祝いの席で食べた料理の味が忘れられないと聞いてから、真理奈の期待はふくらむばかりだった。
「やっぱり油揚げとかが好きなのかな?」
丘を越えて緑濃い森に入ると、狐たちが持っている提灯に青白い炎が灯った。行く手に見えてくる日本家屋の門をくぐると座敷へ通される。祖母のくれたお守りが人の気配をごまかしてくれるので、狐たちは訝しむ様子すらない。
「やぁやぁ、あなたは川向こうの三郎次さんじゃないか」
「おや、もしかして山向こうの秋之助さんですか? 十年ぶりですかな、お懐かしい!」
雨中をやってきた花嫁が身支度を整えている間、座敷に残った参列者の間で雑談が始まった。
(狐語とかじゃないんだ……それとも、このお守りの効果かな)
日本語に少し驚いたものの、真理奈はじっと聞き入った。狐の雑談などめったに聞けるものではない。
「そちらの景気はどうだい? 最近、我々の所では供物がさっぱりでねぇ」
「いやぁ、こちらも似たようなものですよ。供物どころか社の掃除すらいつのことでしたか」
「今じゃ、我々狐を神の使いと敬う人間などとんと見かけなくなった。お稲荷様もがっかりされていたよ」
「彼らが熱心に供物を捧げてくれた頃から、百年も経ってないと思いますがねぇ」
「そうそう。油揚げが恋しいよ」
そしてこの後はひたすら『昔はよかった』と言いあうばかり。期待の外れた真里菜はふぅっとため息をついた。
(狐のくせに、お父さんとおんなじこと言って……つまんないの)
彼らの物言いは、仕事帰りの父が酒を飲んだ時とそっくりである。
(ママも景気が悪いって言ってるし、狐の世界も困ってるのかなぁ)
そう思いつつ周りを見ると、客たちが狐ではなくてサラリーマンや近所のおばちゃんのような気がしてくる。
そうこうしていると、身支度を終えた新郎新婦が席についた。やっと食事にありつけるかと思っていると、別の狐が列席者から何かを集めて回っている。雑談していた隣の二匹が小魚と柿をさし出すのを見て、真里菜はそれがご祝儀だと気がついた。
(学校帰りに来たりするんじゃなかったー……お祝いの品がないなんてどうしよう)
こうなったら絵でも描いてプレゼントするしかないと、ランドセルの中に突っ込んだ手にやわらかいものが触った。
「おや、これは変わったものですね」
「は、はい……人間の町で手に入れましたぶどうパンというものでございます」
真里菜が狐に渡したのは、今日休んだクラスメートの給食である。じゃんけんで勝ちとったことを忘れていたのだ。
「おぉ……だからあなたは珍しいにおいがするのですな。これは何よりの祝いになるでしょう」
「ありがとうございますっ」
ほっと胸をなでおろし、ぺこりと頭を下げる。
大喜びの新郎新婦と他の狐たちがこぞってパンを欲しがったので、真理奈は少し考えて、コンビニの地図を書いてから帰ることにした。
「最近やけにぶどうパンが売れるねぇ……多めに発注しておかなきゃ」
一週間ほど後。コンビニの帳簿をつける祖母の呟きに、真理奈はにやりと笑った。
「人間も狐も不景気なら、こうやって助け合えばいいのよ」
掃除用具を持ってコンビニを出て、近所の豆腐屋で出来たての油揚げを買う。自転車をかっとばして通学路途中のお稲荷さんに向かい、祠をきれいにしてから油揚げをお供えして手を合わせた。