ジジゴンのハモニカ
ジジゴンのハモニカ
「ねえ、ジジゴンって本当にいるの?」
ぼくは、ブランコから飛び降りて、ミキねえに聞いた。
ミキねえは三つ上のぼくの姉だ。一年生のぼくをあれやこれやと世話してくれる。
「本当だよ。大人の人でも近よんないんだから。子供は絶対に行っちゃダメ。シンちゃんなんか食べられちゃうかもよ」
「えっ、子供食べちゃうの?」
ぼくはこの公園でよく遊ぶ。川のていぼうにある公園はとっても広く、遊具もたくさんあって、子供たちには人気の場所だ。
公園から少しはなれたところに大きな橋があって、その橋の下にはジジゴンが住むと言われている小屋があった。
ぼくはブランコを後ろに引っ張って飛び乗った。立ったまま何回かこいで、十分に勢いがついたところで、思い切り飛び降りた。
急にあたりが暗くなった。上を見ると黒い雲が空をおおっている。ポツーンと雨が降ったかと思うと、いきなり空が光って、バリバリとするどい音が鳴った。
「きゃっこわい。シンちゃん、もう帰ろ」
ミキねえがかけだした。
「ミキねえ。待って!」
ぼくはミキねえの後を追った。大つぶの雨がぼくの頭をベチベチとたたく。目の前にしずくがたれる。前がよく見えない。それでも走った。ただただ雨にぬれていない場所を目指して、一目散に走った。
気がつくと、ぼくは橋の下にいた。
「おい、ぼうず、こっちにこい」
ふりむくと、小屋の中から赤茶けた老人が、手招きしているのが見えた。
「ジジゴン!」
大変だ。食べられちゃう。にげなきゃ、にげなきゃ。
けど、橋の外はもうれつな雨。また空がぴかっと光った。かみなりがドーンと鳴った。
「こい、って言ってるだろ」
ジジゴンはぼくの手をつかんで、小屋の中にひきずりこんだ。それからタオルでぼくの頭をごしごしとふいた。
「ぼく、食べられちゃうの?」
「なにい、食べられたいだと? そんなら、食べてやるか」
ジジゴンは両手を広げて、上からおおいかぶさってきた。
「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい。お願いだから食べないで。ぼく、食べられたいなんて言ってないよ。ぼく、おいしくなんかないよ」
「がははっ、なら、許してやろう」
ジジゴンの家は、せまくうす暗くじめじめしていた。部屋の半分ほどにふとんがしかれ、残り半分に小さなテーブルとたながあった。たなの上には女の人の写真がかざってあった。ジジゴンはこの家にひとりで暮らしているようだった。
ジジゴンは、ポケットからハモニカを取り出し、タオルでぬぐって口にあてた。それからぼくの方を見て、ひゅるるるんとふいた。
「どうだ。ふいてみるか」
ぼくはハモニカを受け取って、ジジゴンのまねをしてふいた。ふぉよーん、と気のぬけた音がした。
「ははっ、かしてみろ。こうやってふくんだ」
ジジゴンは、くちびるをつきだしハモニカをななめに構えた。それから息を整えて演奏をはじめた。手をゆすり音をふるわせて。すきとおった音が小屋の中にひびいた。とても上手だった。ほとんど知らない曲だけど、ひとつだけぼくが学校で習ったことのある曲もあった。
♪ うさぎ追いし、かのやま〜
ジジゴンは演奏している間ずっと目をつぶっていた。目じりがきらっと光ったように見えた。
「さあて、そろそろ雨はやんだかな」
ぼくはジジゴンといっしょに小屋を出た。黒い雲はどこかに行って明るい空がもどっていた。
橋の向こうで、ママがかさを持ってこっちにやってくるのが見えた。ミキねえはママの後ろにかくれていた。
ぼくは「ママ!」とさけんでかけだした。
ママはジジゴンに深々と頭を下げた。それを見てミキねえもあわてて頭を下げた。ぼくはジジゴンに手をふって言った。
「またね」
ジジゴンは、「おう」と言ってハモニカを持った手を上げて答えた。そして、くるりと背中を向けて小屋にもどっていった。
空には大きな虹がかかっていた。