死に戻った伯爵令嬢の、友人A ~不幸せだったあなたへ~
「ソフィー。わたくしの人生って、一体なんだったのかしら」
学院を卒業してすでに十年を超えた。
親友のアナスタシアがいつもの話を始めた。
「あんなにかわいい子どもたちがいるじゃない」
「十年近くも浮気されていたのよ? わたくしがこれほどやりくりに必死になっていたというのに、その間もあの人は遊び惚けて」
伯爵令嬢だったアナスタシアは、現在ヴァレンタイン伯爵家の夫人である。
小さい頃から婚約を結んでいたジュリアンと結婚して十年。
二人の子宝にも恵まれたが──結婚して五年目に、ジュリアンには実は学院時代から長い間、別に恋人がいることが発覚した。
「何度も言うけれど、離縁を申し出てみても良いと思うの。財産分与の制度もできたのだし」
「でもほんの少しでしょう? それでは子どもが不幸せだわ」
恋人発覚と共にジュリアンは平身低頭謝罪したらしい。
けれど、発覚後五年も経った今となっては「いつまで昔のことを言っているんだ」と呆れているという。
「わたくしは──本当に不幸せだわ。傾いたヴァレンタイン伯爵家を懸命に守り続けたのは、わたくしだというのに……こんな裏切りって、ないわ」
散財しまくっていた先代の伯爵夫妻の借金から、家を建て直したのは確かに、才女と名高きアナスタシアの力量が大きかった。
(……でも、うちもかなり手伝ったんだけどな)
情けない笑みを浮かべたソフィーだったが、アナスタシアは気づく様子はない。
アナスタシアの実家はプライドの高い名門、ローゼンバーグ家。
アナスタシアが嫁いだ、ジュリアンのヴァレンタイン家は古い名門だけれど、先代の浪費ですっからかん。
そしてソフィーは、伯爵位を持ちながら巨大商会を動かす、新興・実力派貴族クロフォード家の長女として生まれた。今は婿を取っている。
親友アナスタシアのために、クロフォード家は多大な協力を惜しまなかった。
けれど、アナスタシアの中では大したことではなかったのかもしれない。
確かにアナスタシアは、目に見えて苦労をしていたし、頑張っていたから。
「そうね。アナスタシアの手腕があったからこそだわ。アナスタシア、大好きよ」
「ありがとう、ソフィ。あなたがいてくれるからわたくしはこれまで頑張れたわ。でも──わたくしはやはり不幸だわ」
紅茶を一口飲んだソフィは、庭で元気にはしゃぎまわる子どもたちを見て、ため息をついた。
「ではそろそろ失礼するわ」
「ええ。ありがとう。またね、ソフィー」
ソフィーを見送ろうと立ち上がったアナスタシアは──不意に顔をしかめ、頭を押さえた。
ぐらりと彼女の身体が傾いていくのが視界の端に映った。
「……っ、アナスタシアっ!?」
ばたん、と音を立てて、彼女は地面に倒れた。
頭が非常に痛いようで、頭を押さえ苦痛の顔を浮かべるアナスタシア。
「いやよ……っ、こんなところで……、うっ、死にたく……ないっ!」
「アナスタシア、アナスタシア……っ! 誰か、誰か来てぇ!」
ソフィーが大きな声を出したその時。
──パチン、とソフィーの記憶が途切れた。
◇
目が覚めたソフィーは、なんだか景色に違和感があった。
夢の続きをまだ見ているような、そんな感覚。
部屋がどうも違うように感じる。それなのに、見覚えがある。
ベッドから降り、ゆっくりと鏡に近づいたソフィーは目を見開いた。
「……私、若返ってない?」
ペタペタと頬を触りまくる。
このハリ。この艶。少し丸みを帯びた輪郭。
これは十代後半──学院に入学したばかりの時くらいではないだろうか。
よく見まわせば、この部屋は独身のときにソフィーが使っていた部屋だ。
侍女に確認したり、家族の様子、新聞の結果などから──。
……なぜか時間が十三年、巻き戻っていることが判明した。
今は学院卒業一年前だ。
なぜこんなことになったのだろう。
突拍子もなさすぎて、誰にも言えない。
──そう疑問に思ったのは、ほんの一時だった。
夏の長期休暇明け、学院に戻ってみてすぐに分かった。
……アナスタシアがきっと、死に戻ったのだ。
「あなたがマーガレットさんと愛し合っているのは存じております。ですからあなたはマーガレットさんと結婚すればよろしいではないの。わたくし、お父様に婚約辞退を申し出ますわ」
中庭で繰り広げられる断罪劇。
演者はアナスタシアとジュリアン。
そして、ジュリアンの背後にいる、男爵令嬢マーガレット。
小動物系のマーガレットは庇護欲をそそる可愛さがある。
このマーガレットが、学院時代から結婚してまで十年ほどの間、ずっとジュリアンの恋人だったわけだ。
けれど、名門であることを誇りに思うジュリアンのヴァレンタイン伯爵家は、男爵令嬢マーガレットとの婚姻を決して許さないことを、ジュリアンたちは知っていたのだろう。
「ま、待ってくれ! 俺たちはそんな関係じゃ」
「すでに調べはついております。幼なじみであるあなたたち二人の関係が通常とは違うものであったこと。わたくしへのプレゼントの名目で、高額なものをマーガレットさんに贈っていたこと。さらに、この夏は別荘地で二人っきりでふしだらな日々を過ごしていたこと。わたくしと結婚しても、この関係を続けると誓いあっているところを目撃した人物がおりました。ゆえにわたくしはあなたと婚約関係を維持できないと判断いたしました。マーガレットさんと末永くお幸せに」
ニコッと微笑んだアナスタシアは踵を返した。
「ま、待ってくれ! アナスタシア、違うんだ!」
ジュリアンが呼び止める理由は明白。
婚約をすることでアナスタシアの家から支給されていた巨額の持参金により、ヴァレンタイン家は成り立っていたのだから。
「ああ、ご存じだとは思いますが。わたくしの持参金は、結婚を前提とした条件付きの財産移転です。結婚に至らなかった今回、さらにあなたの有責となることは明白ですので、持参金の返還義務はもちろんのこと、慰謝料や結婚の準備にかかった費用など、すべて賠償請求させていただきますのでそのおつもりで」
あの頃のアナスタシアでは知るはずもなかったこの知識は、未来のソフィーがアナスタシアに教えたこと。
……確実にアナスタシアは巻き戻っている。
なぜそこに自分がまきこまれているのかは分からない。
魔法なんてファンタジーの世界だし、あるはずがない。
もしかして、これはすべてソフィーの夢なのかもしれないけれど、あまりにもリアル。
縋りつこうとするジュリアンの手を払い、踵を返したアナスタシアは姿勢を正しながら凛とした様子で中庭を闊歩している。
いつの間にか周りに集まっていた見物人からは拍手喝采。
さすがアナスタシア様だ、浮気者に制裁を!と囃し立てている。
一瞬……ソフィーとアナスタシアの視線が合った。
彼女は目を見開く様子を見せたけれど、すぐに凛とした表情となり、そのまま去って行った。
──今のソフィーとアナスタシアは、まだ友人ではない。
名門ローゼンバーグ伯爵家のアナスタシアは、金色の髪にエメラルドの瞳で見目麗しく、才女であり学園の高嶺の花。
片やソフィーは新興貴族であり、茶色い髪にヘーゼルの瞳というありふれた色で、さらに比較的平凡な顔立ちだった。
接点がなかった二人が出会うのは二か月後。
アナスタシアがジュリアンにデートをドタキャンされ、一人で王都の街を散策したときだった。
当然、お互いを認知はしていたし挨拶は交わしたこともあるけれど、ちゃんと喋ったことはなかった。
けれど初めての、護衛と侍女だけとの散策だったのだろうか。
……彼女はぼったくられそうになっていた。
『お目が高い。このネックレスは五百年前から他国の伯爵家に伝わる年代物で、今では大変貴重な逸品となっております』
『まぁ……そうなの?』
『はい。家の事情からどうしても結ばれることが出来なかった恋人同士が、自分をいつまでも思い出してくれ、と男性が女性に贈った悲恋の代物なのです。自分たちは結ばれなかったけれど、これを持つと愛に恵まれるというジンクスがあり──お嬢様のようなお美しい方に持っていただけたら、このネックレスも本望でしょう。今なら大幅にお値引きいたしますが』
『あら、そんなに?』
となっていたところに、その光景を偶然見ていたソフィーが『……ちょっとお待ちください』と間に入ったわけだ。
なぜならそれは見るからにアンティーク加工されただけの、一般大衆品の安物だったから。
もしアナスタシアに記憶があるのならば。
自分とまた友達になりたいと思ってくれているのならば。
……二か月後にきっと、あの店の前に来てくれる。
ソフィーはそう思った。親友だと思っていたから。
──けれど、二か月後。
アナスタシアはあの場所に来なかった。
翌日学院で、とある侯爵子息とアナスタシアがデートしたことが噂になっていた。
頬を染め、今までに見たことのない表情で侯爵子息と逢瀬を重ねるアナスタシアを目撃した。
すれ違うソフィーには見向きもしなかった。
(……アナスタシアは新しい人生を歩み始めたのね)
少し悲しかったけれど、いつかまたソフィーとアナスタシアの友情が再開するはずだ。
そう思っていた。
◇
──半年後。
とある委員会でアナスタシアと共になったソフィーは、勇気を振り絞って話しかけた。
「アナスタシアさん、こんにちは。委員会、一緒になれてうれしいわ」
「ソフィーさん。ええ、そうね。わたくしもうれしいわ。あ、失礼。カトリーヌ! ねぇ!」
ソフィーとの会話をすぐ切り上げ、別の人のところへ行ってしまった。
その時に悟った。
(……アナスタシアは、私と仲良くする気はもうないんだわ)
あれほど仲良く過ごしていたというのに。
あれほど労力を惜しまずやってきたというのに。
……いや、そもそもアナスタシアに前世の記憶などない可能性もある。
ぼったくられるあの一瞬の出会いがなければ、そもそも自分たちは友達になどなりもしなかったのだ。
それならば仕方がない。
そう思っていた数日後。
ソフィーは友人と会話するアナスタシアの発言を聞いてしまった。
「アナスタシアは最近とても幸せそうね」
「ええ。もちろん、最高に幸せに決まっているでしょう? こんなに満ち足りて楽しいことがあっただなんて。我慢していた以前の自分が愚かだったのだと気づいたわ。今に比べたら、あの頃なんて通り過ぎていく塵みたいなものね」
(……塵? ゴミってこと?)
幸せそうに高らかに鈴のように笑うアナスタシアに、友人が「それほど我慢していたことなんてあった?」とたずねた。
「……夢の話だわ。いいことなんて何一つなかった。報われることも何一つなかった。すべて消し去ってしまいたいと思う夢なの。二度と思い出したくないわ」
ふふっと微笑みを浮かべながら目を伏せたアナスタシアを柱の陰から目撃し──。
(……やっぱり記憶があるのね。そしてアナスタシアにとって、私は消し去ってしまいたい過去。アナスタシアにとって、あのかわいらしい二人の子どもすらも、二度と思い出したくない、どうでもいい存在だった……というわけね)
それを聞いた瞬間、一気に身体の芯から冷えていく感覚に襲われた。
彼女は過去に、何一つ未練がないのだ。
ソフィーのことも、必要としないのだ。
唯一無二の親友だと、友人だと思っていたのは──ソフィーだけだった。
◇
しばらくして、アナスタシアは侯爵子息と婚約を結んだ。
とても幸せそうだった。
でも、もうソフィーにとってどうでもいいことだ。
クロフォード伯爵家の応接室で、新聞を読むソフィーは不意にふっと笑った。
「ソフィー。どうしたの? 面白い記事でもあった?」
ソフィーに寄り添うのは、婚約者であるリチャードだ。
次男なので、ソフィーの家に婿入り予定。
新聞に書かれているのは大したことはない、投資詐欺事件のこと。
ただ、投資詐欺事件の被害者の名前に、心当たりがあったというだけ。
情報はナマモノだ。どんな些細な情報だって、商売をする以上無駄になることなどない。
「……やっぱり人って思いやりだなって思ったの。ただ都合よく利用されるだけ利用されて、あなたといる時間は実はちっとも幸せじゃなかっただなんて言われたら……百年の恋だって冷めちゃうわ」
「──僕以外の誰に恋してるわけ?」
ムスッとしたリチャードに、ソフィーはくすりと笑い、その頬に口づけをした。
「私はずっとあなただけを大切に思っているわ」
「じゃあ……物語の話?」
「……ええ、そうね。遠い昔で、遠い未来の物語」
「それはこれから先どうなるの?」
「そうね……。ヒロインは今、とても幸せなの。未来を知っているはずだったの。でも彼女は自分のことしか見ていなかったから、未来でも自分のこと以外は知らなかったのね。今、恋に落ちたお相手がこれから十年後に、巨額の詐欺事件の主犯格で逮捕されることとか、友人だと思っていた相手は人のものを少しずつくすねて売り払う人間だったりとか……ちゃんと新聞を読んだり周囲に興味を持っていれば分かっていたはずなのに……彼女は知らなかったのよ」
今朝の新聞に掲載された投資詐欺事件の被害者の名の一人に、アナスタシアの今の婚約者とそのうち共謀して、巨額詐欺事件を起こす者の名があった。
だまされたから、今度は騙し返そうとしたのだろうか。
「ああ、なるほど。悲劇のヒロイン体質、というやつか」
……そう、なのだろうか。
ソフィーが今進言すれば、アナスタシアは幸せになれるのだろうか。
「……もし未来を知っていたとして。あなたが選ぶその道は幸せじゃないのよ、ということが分かっているのだとしたら。それは教えるべきなのかしら」
「ははっ。そんなの言われても普通信じないだろう? 何を選ぶかは自分次第。その道が正解なことも、だまされることもある。それでも、信頼には信頼を。恩を受けたのなら恩を返す……だろ?」
「我が家の家訓ね。そして──」
「「裏切り者は切り捨てろ」」
ソフィーとリチャードは同時に言って、はははっと笑った。
商売で成功している、我がクロフォード伯爵家の家訓に、婚約者であるリチャードは大変感銘を受けている。
──この先、アナスタシアはどうなるのだろうか。
死に戻った結果、大嫌いな夫を最高の形で振ることが出来た。
それは幸せだろう。
いい男にも会えた。それもすばらしいことだろう。
では──人生はそこで終わりなのか?
そうじゃない。その先の方がずっと長い。
与えられるものが気に食わなければ彼女はまた自分を不幸だと呪い、嘆き悲しみ、死に戻るのだろうか。
あの時……彼女にはまだ自分の人生を取り戻す選択肢がいくつもあった。
マーガレットの存在が分かったときに、ジュリアンに慰謝料をもらい別れればよかったのだけど、プライドからそうしなかった。
伯爵夫妻の借金が判明したとき彼女は懸命に金策に走ったけれど、それはすべてソフィーからの情報をもとにしていた。
「どうすればよいかしら」と聞いてきたけれど、軌道に乗り始めたときも、彼女はそれをソフィーに還元することはなかった。謝意を述べることもなく、手柄はすべてアナスタシアのものになった。いや、それはそれでよかった。光り輝く彼女には、いつも笑顔でいてほしかったから。
……そのまま、家の主導権を握っていたことで満足するのではダメだったのだろうか。
一度目の彼女の人生に、幸せは本当に一つもなかったのだろうか。
あのかわいらしい子どもたちの笑顔も、ソフィーとアナスタシアの二人で旅行に行ったことも、すべてはなかったことになった。
消し去った過去の中で、消された人間は──もういない。
ソフィは、ただの友人Aだった。
──不幸せだったあなたへ。
十年後のあなたは、幸せですか?
あなたの幸せを、遠くから願っているわ──。
お読みいただきありがとうございました。
アナスタシア視点に立てば不幸な未来に捕まることなく、相手を論破し、素敵な人ができて
『奴隷のように尽くし続けていたのに10年も浮気されていました。死に戻った2度目は幸せに生きます!』
みたいなタイトルになると思うのですが。
全てを捨てると選んだ1度目の中に、幸せは少しもなかったのか。その人の幸せになり得なかったらしい、脇役はどう思うのか。
気になって書いてみました。
淡々とした話になりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。




