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なぜ私?スパダリCEOに捕獲され推しの秘書になりました  作者: あいすらん
2章

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19/19

番外編

 初めて彼女を見たのは、今から3年ほど前の、とても暑い日のことだった。


「それにしても、来年は社長就任かあ。タメ口もきけなくなると思うと、少しだけ淋しいよ」


 営業からの帰り、運転席の水上がぽつりと言う。

 就職先も、配属先も一緒の幼馴染は、俺が唯一心を許せる相手だった。


「今まで通りで構わない……わざわざ態度を変える手間こそ無駄だ」


 そう言いながらスマホで株価のチェックをする。

 移動中だろうと会話中だろうと、隙間時間にも仕事をする。

 それが当時の俺だったが、どうにもデータが頭に入らず、俺は眉間をそっと揉む。 いずれ俺は老舗企業のトップに立つ。

 わかっていた事とはいえ、重責でずっと頭が痛かった。


「うわっと!」


 突然急ブレーキがかかり、水上が大声をあげる。


「……なんだ」

「いや、悪い。気づくの遅れた」


 そう言われて顔を上げると、横断歩道をペコペコと頭を下げながら歩いている白いワンピース姿の若い女性が目に入った。

 信号は青だ。

 急ブレーキをかけなかったら轢かれていたかもしれないのに、なんだ、そのスローな動きは。

 かっと怒りが込み上げて、俺は右側に体を寄せ、クラクションを長めに鳴らす。 


「ちょ、怜!」

「俺はな、交通ルールを守らない奴は大っきらいなんだ」


 水上の顔が、一気に暗くなる。


「……怜」

「これくらいはいいだろう。その甘さが、不幸を呼ぶ。自分だけならいい。誰かを死なせたりしたら、大迷惑だ」


 女は、ニコッとこちらに向かって笑いかけ、それでもゆっくり歩いている。

 鍵盤をプリントした横長のトートバッグが目に入り、ますます怒りが込み上げてきた。

 ピアノのレッスンにでも行く途中か。くだらない。走れよ。


「怜。ちゃんと見な。おばあさんの手を引いてあげてるんだよ」


 水上が、彼女に向かって手を振りながら言う。


「は?」


 促されて見ると、確かに小柄な女性が隣にいた。


「彼女はちゃんと信号を守ってた。けど、おばあさんがフラフラと歩き出して……だから助けに飛び出したんだ」

「……」

「彼女が大きく両手を振って合図をしなかったら、事故ってたかもよ。まあ、おばあさんの過失だけどさ。あの子は自分なりに、やれる事をやったんだよ」


 咎めるような言い方に聞こえて、俺はムッとする。


「誰かを助けて自分が死んだらどうする? 身勝手な女だな」

「そうかなあ。俺達やあのおばあさんにとっては、メリットしか与えてないと思うけど」


 渡りきった彼女が、俺達に向かってペコリと頭を下げる。

 茶色いウエーブがふわっと揺れた。


(自分を一番大事にできない人間は駄目だ)


 俺は心の中でそう呟く。

 水上は車を走らせながら、ちらりとバックミラーに視線を向けた。


「いい子だなあ。くっそ、運転してなかったら声かけてたのに」

「仕事中までナンパの話か」

「違うよ。本命。お付き合いを申し込む」


 俺はまじまじと水上を見た。真剣な表情。嘘をつく奴でもないし、どうやら本気らしい。


「バカじゃないのか。素性も知らないのに」

「素性? そんなん、好みだったから、で十分だろ。運命の出会いなんてそうそうあるもんじゃないんだし」


 俺は呆れた。

 運命の相手だなんて、そんな戯言を、長い付き合いのこいつが、口にしたのが信じられない。


「運命の出会いなんて、この世にはない」

「出た。現実主義のつまんない主張」

「少なくとも俺は、烏丸商事に相応しい女を選ぶ。感情なんかに流されずにな」


 どっちにしても、他人を助けるために、横断歩道へと飛び出していくような女は願い下げだ。

 そう思っていた。


 二度と会うことはあるまいと思っていたのに……。


 その後、何度か彼女を見かけた。

 どうやら、当時のクライアント周辺に彼女の生活圏があったらしい。


 別に取り立てて目立つルックスじゃなかったのだが、栗色のロングウエーブと、鍵盤トートバッグがセットになると、一種のアイコン化してしまうらしく。あ、また、いる。

 まただ、と、認識することが多くなった。


 ある日、ドミノ倒しになった自転車を、誰かといっしょに直している彼女を見かけた。


「有難うございます。助かりました」


 女子高生が頭を下げていたから、きっと彼女の窮状に、手を差し伸べたのだろう。

 満足そうな彼女に意味もなく苛立つ。


 見知らぬ人間なんか放っておけよ。

 そのうち厄介事に巻き込まれるぞ。

 そう言いたくなってしまった。


 ずきり、とこめかみが痛み、我にかえった。

 俺が知り合いでもない女に声をかけるなんてあり得ない。

 無駄の極み、だ。


 会社に戻って、すぐに頭痛薬を飲む。

 耐え難くなったのは、数ヶ月前、彼女を見かけてからだった。

 古傷が、痛むのだろう。


 幼い頃、母が病死し翌年父も亡くなった。

 事故死だった。

 子どもを助けて自分が犠牲になったらしい。


 立派な父だと誰もが言った。

 俺も頷くしかなかった。

 だけど本音は……。


 生きていてほしかった。

 自分の息子である、俺のために。



 社長に就任してからは怒涛の日々で、彼女のことなどすっかり忘れた。

 なんせ、前社長である祖父が、会長職へと退いた途端に、趣味のアウトドアに目覚め、ぷつりと会社に来なくなってしまったのだ。引き継ぎもほとんどなく、全てを一気に任されて最初は鬼かと祖父を恨んだ。

 ただ、俺には意外にも、経営が向いていたらしい。

 思いの外スムーズに、その仕事に慣れていった。






 ある休日の夕方。

 自宅に戻る車の中で、踏切の中に仰向けになっている高校生らしき少年を見かけた。横に自転車があるから、恐らくは、抜け出そうとして遮断器に弾かれたのだろう。

 立ち上がって何とかしようとしているが抜けられない。


(何もたもたしてるんだ。電車が来るぞ)


 多分、現実逃避しているのだろう。

 少年は自分が命の危機に晒されていると気づいてないようで、どこか恥ずかしそうな表情さえ浮かべている。こんな非常時に周りの視線を気にしているのだ。

 浅はかな行動が誰かに多大な迷惑をかける、なんて想像もしないで、大丈夫、って言い聞かせて、遮断器がおりているのに渡り切ろうとしたのだろう。


(……ったく! ルールを守れよ!)


 ルール違反をするバカのお陰で、俺の父は。

 俺は、シフトをPに入れ、ストップランプをつけた。

 左車線だから、多分、大丈夫だろう。それに、皆線路の上の彼に気づいてる。

 ベルトを外して飛び出そうとした瞬間、踏切の向こう側にいる、白いワンピースの女性に気がついた。


「あれは……」


 彼女だ、と認識した瞬間、轟音とともに、電車が現れた。


「え?」


 通り過ぎる車体を見ながら、俺は愕然とした。

 間に合わなかった?

 まさか、彼女も?

 全身から力が抜けていく。

 助かってくれ、と祈るような思いで通り過ぎる電車を見守る。

 様々な記憶がフラッシュバックした。

 クラクションを鳴らされているのに、思いっきり苛立ちをぶつけてやったのに、ペコペコしながら横断歩道を渡っていたどこか間抜けにも見えるワンピース姿。ドミノ倒しの自転車をよいしょと直していた姿。

 彼女まで、失われてしまった?  

 心臓が爆発しそうになる。

 長い車両が通り過ぎ……覚悟を持って凝視した俺は、信じられない光景を目にした。

 彼女が、自転車を起こしている。

 その横で少年が照れくさそうにしていた。

 彼女が下から自転車を引き出し、少年も同じように這い出たのだろう。

 よく考えたら、衝撃音も何もなく……。

 こんなに慌てる必要はなかったのかもしれない。

 ホッとした。

 そして怒りが込み上げてくる。


(なんでもっと早く車から出ておかなかったんだ。そしたら、彼女を危険な目に遭わさずにすんだのに)


 クラクションの音にハッとした。

 後ろの車だ。

 急いでベルトをつけ直し発進させる。

 バックミラーを見る。

 もう彼女はどこにもいない。

 夢だったのかと思うほど、それは鮮やかに瞼の裏側に刻みつけられた。


「良かったな。少年。一生感謝しろよ」


 俺じゃ全然間に合わなかった。彼の命が今あるのは彼女のおかげだ。

 なんて、尊いんだろう。命が、一つ、救われた。

 華奢な体の、ヘラっと妙な笑い方をする、一人の女性が、彼を救ったのだ。


 気づけば滂沱の涙を流していた。

 人を助けて平気な顔をしている彼女と、後先考えずに飛び出そうとしている俺。

 こうするしか、なかったのだ。

 きっと父も。


 爽やかだった彼女の顔を思い出す。

 その顔が、父に重なった。

 もしかしたら、助けた奴らは、助けてくれた人間のことなんて、秒で忘れてしまうかもしれない。

 でも、だからこそ。

 俺は、他人のために何も考えずに動ける人を認めてやる。

 俺が一生覚えててやる。


 父は、身勝手な男なんかじゃない。

 誰よりも勇敢でかっこいい男だ。


 疼いていたこめかみから、感触が消える。

 涙は渇き、どこか清々しい気持ちが胸を満たした。

 再び彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

 今度出会ったら声をかけよう。

 今までも何度もすれ違った。

 きっと、いつか絶対に会える。


 会社説明会にやってきた彼女は、俺の声が好きだと言った。


(だろうな。想定視聴者は君なんだから)


 まさか、本人に届くとは思わなかったけれど、これこそ運命なのだろう。


 その彼女は、俺のためにピアノを弾き、俺の腕の中で眠っている。


(絶対に手放さない。無理やりにでも俺のそばに縛り付けてやる)


 仄暗い決意とともに、俺は彼女の唇を奪った。

 最高の出会いへと導いてくれたこの運命を、絶対に無駄にしないために。


 おわり

読んでくださりありがとうございました。面白いな、と思われましたら、ブクマや★で応援していただけると励みになります。

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