14 オン・ステージ
フロアから階段3段ほどだけ高くなった舞台の上で、私は拍手喝采を浴びていた。
(この感じ、有名ピアニスト扱いだわ)
私なんて、ただのピアノ講師(しかも、元!)なのに、一体何がどう間違ったのだろう。
棘山さんの時はBGM扱いだったピアノ演奏が、今やリサイタルみたいになっていた。
沢山の目が(楽しませて)と言わんばかり輝いている。
緊張するけれど、ゾクゾクもした。
――ご期待に応えたい!
私の中のエンタメの血が、たぎり始める。
「はじめまして。よろしくお願いします!」
そう言いながらくるりと回った。
これくらいしか、芸のない私。スーツ姿の時よりは様になっている。
(やった!)
手応えを感じていたにも関わらず、場はしん、としてしまった。
(……いけない……白けた)
階段下の烏丸さんだけがくすりと笑う。
(試着室では笑ってくれなかったのに)
ホッとして……。
緊張が、それだけでちょっとほぐれた。
「準備が出来てないのはわかってる。自然体で行け」
ぼそり、と烏丸さんが呟いた。
「ピアノに投じた時間は無駄じゃないとここで証明してみろ」
少し離れた場所なのに、その良い声は、よく響く。
「それでは、芸術音痴の王子になにか一言」
悪ノリした栄保さんは、即席の対立構造を煽り私にマイクを向けてきた。咄嗟に奪い、声を張る。
「あの、私は元ピアノ講師です! 今の時代、ピアノなんて無駄って、何度も何度も耳にしました。でも、私は改めて言いたい。無駄なものにこそ価値がある! 生演奏の価値を行き過ぎたタイパコスパ主義の方たちにここで証明してみせます!」
おおお!
今度は歓声があがる。
本当は、どんな意見にも一理あると思ってしまう、優柔不断な私である。
でも、本音の本音は、今言った通りなのだろう。
たとえ、プロになれなくても、かけた時間だけの目に見える対価がなくっても。
楽しいだけでいいじゃない。
それが効いてか、場は適度に盛り上がった。
でも。
(ハードルあげちゃった。どうしよう)
足がガタガタ震え始める。烏丸さんは、口元を隠して肩を揺らしている。笑っているのだ。
ああ、調子に乗ったのがバレちゃってる。
マイクを戻すと、栄保社長がうっとりしながら言った。
「さすが路上の天使! 素晴らしい意気込みです!! では、ぶちかましてやりましょう!」
「……はい」
テンションが続かない情けない私は、俯きながらそそくさと椅子に座った。
はああ、今度は指先がガタガタと震え始める。切り替えなきゃ。
まずは出来るだけ、リラックスを。
(よし)
私はハイヒールを脱ぎ捨てた。
今度は小さな歓声がわいた。ホッとする。
準備も何もしてない私が、何の資格もない私が、他人の時間を大幅に奪う、この罪を贖うには。
出来る限り、全力でやるのみ!
鍵盤に指を置く。
チョイスしたのは誰でも知っているクラシック曲だ。音楽で習うし、大抵の人に「懐かしい」と思ってもらえるはず。アレンジによっては小学生でも弾ける。
第一音を聞いた瞬間に心が震えた。
ああ、久しぶりの生ピアノの音……。
心が洗われるような気持ちになる。
が、ギャラリーたちは、がっかりしたような顔をしているのに気がついた。
あ、退屈と思われたようだ。実は心配していたのだ。それくらい、全世界に周知されている曲なのだ。しかし、想定内。
待っててください。
実はこれ、オリジナルアレンジを施してあるのだ。できる限りテンポを上げて、徒競走の音楽みたいにしている。早速そのターンへと。
「なにあれ、超絶技巧」
「原曲がわからない」
驚きの声も想定内だ。ふふふ、と思わず笑ってしまう。むしろ、最初ががっかりだったからか、その分ギャップで好感触かも。
楽しい。自分の指が生み出した何かで、周りの人をよろこばせている。
胸がときめく!
演奏が終わった。
「ブラボー!!!!」
興奮気味な栄保社長の声を皮切りに拍手の波が湧き起こる。
私ははあ、と額の汗を手の甲で拭った。
「速い。凄まじい速さだった!!!! 素晴らしいテクニックでしたね!!!」
栄保社長はそう言うが、実際には違う。申し訳ないが、腕は確実に落ちていた。
でも、それをカバーするだけの選曲と、皆を楽しませたいという一心が、それなりの演奏に繋がったのだと思う。アイデア勝ちだ。
拍手は止まらない。……胸が熱くなってきた。
私の音が、ピアノが、こんなにも喜んでもらえるなんて。
「ありがとうございます!!!」
靴を履いて立ち上がり、大きく礼をして、両手を上げた。
歓声が、とっても嬉しかった。
さっきまで、逃げ出したいと思っていたのに……。
サファリで、ライオンが私を追い込む。
食べられるくらいなら、と勇気を出して崖から飛ぶと、素敵な場所に着地していた。
うん。
私もやっとサファリの住人になれた気分。勿論肉食獣じゃなくて、多分インパラくらいなものだけれど、それでも走れるし、逃げられる。
本物の自然じゃなくてサファリパークでも。
観光客を楽しませる事ができるのだ。
私を崖っぷちへと追い込んでくれたのは烏丸さん。
どこにいるんだろう、と視線を巡らせれば、鬼のような形相の棘山さんと目が合った。
(考えてる事、ダダ漏れ……! いや、以前からそうだけども)
それが、ちょっぴり面白く思う。そう言えば、烏丸さん、音楽で語ってこい、なんて言ってたっけ。
『ざけんな』って。
野生に片足突っ込んだ私は、気が大きくなっていた。
「あの、もう一曲弾いてもいいでしょうか」
栄保社長に言うと「もちろん」と返事が返ってきた。
さっきは皆のために弾いたから、今度は、たった一人に捧げよう。
私は指を鍵盤に落とす。
チョイスしたのは、超マニアックな、異国のラブソング。私だけ知ってる曲。
さっきのと違って簡単な曲だから、情感をたっぷり演奏に込めた。
ちらりと棘山さんに目を向ければ、燃えるような眼差しが返ってきた。
怖いな。この演奏が、彼女の心に、どんな炎を掻き立てているか、わかるから。
でも、そんな事を思うのは、一瞬。
だって、今の私は別な人のことで頭がいっぱい。
(御免なさい。烏丸さん。私はやっぱり平和主義……怒りは確かにあるけれど、シャボン玉みたいにすぐ割れて消えちゃいます)
ラブソングを奏でる私の脳裏に浮かぶのは、こんな時に、どこにいるかわからない、意地悪で無鉄砲な、美しい人の姿だけ。
(あなたがエンタメ好きかどうかなんて関係ないわ)
この場をいただけて幸せです。
演奏が終わる。
今度も大喝采。舞台を降りると、大勢の人に取り囲まれる。
「楽しかった! ピアノを弾きたくなりました!」
「すごかったですよ!」
嬉しい言葉をたっぷり浴びながら、私は烏丸さんを探して視線を彷徨わせる。
始まった時は舞台のすぐ下にいたはずなのに、移動するなんてひどすぎる。
最初にその顔を見て、どう感じたのか知りたかった。
と、壁にもたれ、腕組みしている彼が目に入った。
すぐに目が合って、ドキッとする。
もしかして、ずっと見られてた?
「烏丸さん……!」
ああ、思わず顔がほころぶ。ふにゃり、と崩れていく頬に自分でも呆れた。
喩えるなら、飼い主を見つけた犬状態。さっきまでインパラになってサファリを駆け回っていたはずなのに。ワイルドになりきれない、残念な私。
言葉じゃない音での想い、ちゃんと彼に伝わっただろうか。
あなたの言いつけ通り、やってみました……!
人波をかき分け、彼に駆け寄る私の前に、鬼のような形相の棘山さんが割り込んできた。
(あっ)
すっかり彼女の事を忘れてた。ほんの数分前までは気にしてたのに。
「予定があるのに何故黙ってたの。私を影で嘲笑ってたんでしょ!」
「そんな、まさか。たった今声がかかったばかりです」
悪い事をしているわけでもないのに、しどろもどろになってしまう。
「あの、今盛り上がったのは、前説があったから。凄いのは私じゃなくて、周りの人たちです」
「何を偉そうに。勝ち誇ってんの! 私のこと、バカにしてるんでしょう!」
「いいえ、違いますよ」
「何を言っても、平気そうな顔して。全部聞き流してるんでしょう。ズルいのよ。大した能力もないくせに!」
彼女は小声でそう言うと、グラスの水を私に思いっきりかけた。
「あ……」
胸元から雫がスカートへと垂れていく。
唖然としている私に背中を向け、彼女はフロアを出ていった。
「待ってください」
私はその後を追おうとした。これはあんまりだと思ったからだ。
と、誰かが私の腕を掴んで引き止める。
「待て」
烏丸さんだった。
「あっ」
私は青ざめる。目には目をの人に一部始終を見られていた。
「話してきますっ。誤解があるなら、ちゃんと伝えて、そして、ちゃんと謝ってもらいますから」
だって、このドレスは、烏丸さんに買ってもらった大切なものだ。
フィッティングは朝陽さんがしてくれた。
沢山の人たちの想いが、この装いには乗っかっている。
「何を言っても平気そう……か」
烏丸さんは、棘山さんのセリフを復唱する。
「謝るくらいじゃ全然足りない。けど、まあ、先に、着替えよう」
そのまま、私を抱え込むようにして歩き出した。




