海野が俺を撫でている
「透が見つけてくれたタケノコ食べようかね」
「でも僕、タケノコ見つけたいけど、食べたくない。なんか変な匂いがする」
「それはじいちゃんの料理があんま上手じゃないからやなあ」
そう言ってじいさんは苦笑した。
今じいさんは入院している。だからこれは夢だ。
俺は中学生の時に「僕」というのを意識的に止めた。
だから知っている、これが夢だと。
僕はふてくされて、
「そんなこと言ってない。でもタケノコは好きじゃない」
じいさんは俺の頭に手を乗せた。
いつも体温が高い硬い掌。
「ええ子ええ子、透はええ子。いいんだよ、嫌いなものはちゃんと嫌いだと言ってくれ。そんなことで気を遣ってほしくないんや」
「だから言ってるじゃん、タケノコは嫌い」
「ええ子、ええ子」
そう言ってじいさんは俺の頭を撫でてくれた。
俺はいつもこうして撫でられるのが好きだったな……と今、完全に覚醒した状態で思っている。
……海野が、俺の頭を撫でているんだよなあ。
だからじいさんが頭を撫でてくれていた夢を見たんだ。
どうやら俺の頭にふたりが飛ばした泥が付いているみたいで、海野は地肌に付いている泥を取っている。
指先でサラサラと触れて泥を落として、ゆっくりと髪の毛のほうに泥の塊を移動させたり。
毛先を持って泥を落として、
「よし、どうかな。うーん……まだかな。あ、こっちも……これは結構広範囲だな。何があってこんな……もう」
文句を言いながら俺の頭皮に触れて何度も撫でる。
ああ、気持ちが良い。最後に頭を撫でられたのがいつなのか記憶にないけれど、どう考えてもこれは気持ちが良い。
起きていると気がついたら海野が止めてしまうのは間違いないので、このまま眠ったふりをすることにする。
海野はあらかた泥を落とし終わったのに、俺の髪の毛に触れて、ずっと撫でてくれている。
ああ、もう起きないといけないが、気持ち良すぎる……。
「……嘘だろう。外が暗いぞ」
「三時間ほど眠ってました。やはり仕事が多すぎると思うんです、一度も起きないでぐっすり眠ってました」
「……いや……そうかな、忙しいな。忙しいのは忙しいが……」
実は途中で起きて海野が俺の頭を撫でていたことには気がついているが、言えない。
しかもそれが気持ち良くて、再び、なんならとても深く寝ていたとは。
俺は海野の家の縁側に敷かれた布団の上で、ガーゼケット三枚を抱き寄せてスヤスヤと。
もうリュウと仁菜ちゃんは起きていて、机でドリルをしている。
リュウは俺を見てわざとらしくため息をついて、
「暗くなるまで寝てると、夜眠れないんだよねえ。ダメだねえ」
仁菜ちゃんもドリルをしながら、
「あーあー、今日ぜったいちゃんと寝てよ?! 眠たくないって言ってもダメだからね。お布団はいってよ!」
海野は仁菜ちゃんをにらみ、
「仁菜。私のマネ止めて」
「だって菜穂ちゃんいつもそうやって言うじゃん~」
仁菜ちゃんと海野が話している間に俺は布団から立ち上がる。
見ると布団にパラパラと乾いた泥が落ちている。……やっぱり。海野が俺の頭の泥を落としてくれていたのが夢ではなかったようだ。
俺は布団を見て、
「すまない、泥が付いてしまったようだ」
「大丈夫です。外して洗濯すれば良いだけですから。そのままそこに。ほらふたりともゲームしていいよ」
「わーーーい! お布団の上でしたい!」
「もう好きにして」
俺が持っていた、まだシーツを剥がしていない布団をテレビの前へ転がしてふたりはそこに座ってゲームを始めた。
俺は視界がものすごく悪いことに気が付く。
「眼鏡が無いのか」
「あ、すいません。レンズにも泥がついていたので、洗いました。これで大丈夫だと思うんですけど」
そう言って海野は俺に眼鏡を渡してくれた。
眼鏡をすると元通りの視界に戻った。
見ると海野は台所で食事を作り始めていた。
俺は海野に向かって、
「……手伝う。台所に入って良いか?」
「あ、はい。ぜひ。では春巻きを巻いてもらうことはできますか?」
「……できる。いいな、エビの春巻きか」
「そうです。この皮! 春川さんのものです」
「旨いよな」
俺は台所に入り手を洗い、海野と一緒に食事を作り始めた。
春川屋は餃子と春巻きの名店で、うちで取り扱っている。一緒に売っている皮シリーズは密かにファンが多い商品だ。
米粉が入っている生地はもちもちしていて、よく伸びて、これで春巻きを作ると美味しい。
俺は渡されたエビを剥いて、背わたを取り除く。
借りた包丁が驚くほど切れて驚く。
「! これは……すごいな」
「やはり料理人なので、包丁はいつも研いでますね」
「いやすごい。この切り心地は……これはいいな。もっと何か切りたくなる」
「わかります。トマトですよ、トマト。ちょうどいただいたのがあります」
海野は冷蔵庫からトマトを出してくれた。
俺は包丁を洗ってトマトを切る。それはもう、スッキリ、スッパリと気持ち良く切れた。
「……これは気持ちがいい」
「わかります。あ、どうぞ、ふたりはトマト好きじゃないので食べないです。半分こしましょう。このトマト、近くの農家さんがくださるやつなんですけど、ものすごく美味しいので」
「では……。うん、濃い。旨いな。旨い」
「ですよね」
包丁の切れ心地が最高すぎて、思わずリュウも仁菜ちゃんも食べないというトマトを切らせてもらった。
俺と海野で半分ずつ。冷たくて味が濃くてあまりに美味しい。
海野は冷蔵庫から、
「キュウリの輪切りも楽しいですよ。ちょっと異次元に切れます」
「おお。なるほど……おおおお! これはすごい。さすが料理人さんが研いでいる包丁」
「あははは! あの広瀬さん、切りすぎです。ふたりともキュウリも食べないので、私たちが食べることになります」
「塩もみして食べるか。塩昆布あるか?」
「あります。あ、斉藤商店さんの漬物の元のサンプルあります。使いましょうか」
「いいな」
俺と海野は一緒に仕事をして長い。
営業に海野が来た日からずっと一緒に仕事をしている。
だから海野が考えていることはなんとなく分かるし、海野は俺の思考が読めるようで、楽しいことを提案してくれるから気楽に料理が進む。
ひとりでする料理も好きだったけど、こうして意思疎通が楽な人と一緒に料理するのはもっと楽しい。
俺がエビの春巻きを作り終わって揚げ終わると、そのフライパンを海野が持って、
「では熱いうちに、私も仕上げちゃいますね」
そう言って海野はピーマンを炒め始めた。
俺はそれを横で見て、
「ふたりはピーマンは食べられるのか」
「なぜかピーマンは好物なんですよね」
そう言ってタケノコを追加して炒め始めた。
これはチンジャオロースだ。さっき夢にみた所だったから少し驚く。
でももう大人になり、わざわざ食べないほど嫌いではない。
むしろ独自の風味があって美味しいということに気がつき始めていた。
海野はそれを一度出して仕上げていった。
そして俺のほうを見て、
「あの……全然違ったらあれなんですけど、ひょっとして広瀬さんってタケノコ嫌いです?」
あまりにピンポイントな質問に驚いて海野を見る。
「?! ……なんでだ」
「実はこれ、タケノコじゃなくてジャガイモなんですよ。このレシピ。おじいさんから教えていただいたんですけど、広瀬さんか彩音さん、どちらかがタケノコ嫌いなんじゃないかなって今思いました」
「……実は、俺昔はタケノコ嫌いだったんだ」
「当たった!」
そう言って俺の方を見て笑顔を見せた。
そして炒めたジャガイモとピーマンを一度出して次は肉を入れて炒めながら、
「実はそれを聞きたくて、今日はこのメニューにしたという所もあります。そうですか、広瀬さんがタケノコ嫌いでしたか。大丈夫ですよ、ジャガイモですから。というか、リュウくんもタケノコ嫌いみたいで」
「タケノコきらーーーーい。変な匂いするーー!」
ゲームしていたリュウがリビングの方から叫んだ。
俺と同じことを言っている。俺はリュウを向かって、
「俺は今は食べられるぞ。なんなら好きだ」
「僕おとなじゃないもん」
「……まあ、そうかも知れない」
「あはは!」
海野は俺とリュウのやり取りを聞いて声を出して笑った。
そしてできあがったチンジャオロースを四人分取り分けて、春巻きとスープと切りすぎたキュウリで作った漬物を添えて、
「晩ご飯ができたよ」
「はーーーい。お腹すいたーーー!」
リュウと仁菜ちゃんはすぐにこっちに走ってきてご飯を食べ始めた。
海野に促されてチンジャオロースを食べる。海野は俺を見て、
「どうですか?」
「……じいさんの味だ。すごいな。すごい、覚えてるもんだな」
「近所で採れる蜂蜜を入れるのがポイントみたいです。そして……タケノコ本当にお好きになったんですか? これお父さんがおじいさんから貰ったタケノコで作ってるメンマです」
そう言って小皿にメンマを乗せてくれた。
それを食べると、柔らかくて美味しかった。
「……旨い」
「ずっと不思議だったんですよ。近くの竹林ですごい量のタケノコが生えるのに、どうしてチンジャオロースにジャガイモを使うのか。やっと謎が解けました。おじいさん『やっと食べてくれるようになったか』って喜びますね」
そう笑って俺の横に座って食事を始めた。
俺はずっと思い出していた。透はいい子。いい子、いい子。
俺は横でご飯をモグモグと口いっぱい食べているリュウの頭を撫でた。
「ピーマンがたくさん食べられて、偉いな。いい子だ」
「えっへん。リュウ良い子でしょ?! すっごい食べられるんだから!」
そう言ってリュウはピーマンを口いっぱいに頬張った。
透はいい子。いい子、いい子。
懐かしくてどこか泣きたくなるような魔法の言葉。
俺がこれからはリュウに言っても良いかもしれない。
だって今は俺もその言葉を覚えているから。