触れる縁側で、
「今日は秘密基地を、すごいことにしたいと思います」
「わーーー、たのしそうーー!!」
リュウくんが胸を張って言い、仁菜は拍手をして、横で広瀬さんは「?」顔、私はため息をついた。
広瀬造園の一番奥……つまり我が家に最も近い方は、もう完全に手入れされていない。
伸び放題の雑草や大きく育ちすぎた木、古井戸(飲料水としては使えないけど子どもたちは水遊びに使ってる)、廃材と巨大な空間。
小さなアパートが建てられるほどの広さが、放置された状態になっている。
おじいさん曰く「なんも使ってない」場所らしく、そこには簡易な屋根付きの箱……子ども達曰く「秘密基地」がある。
横で広瀬さんは目を輝かせて、
「すごいなこれ。こんなのあったんだ」
「おじいさんの大工仲間さんが家を作る時に余った木で作ってくださったものなんです」
「分厚い木でしっかりつくってある。あ、ここから木材が違うから、余ったやつで作ってくれたんだな、すごい」
広瀬さんは興味深く見ながら、中に入り、木をトントンと叩いた。
それを見たリュウくんは静かに首を振り、
「とーるくん。ここはリュウくんと仁菜ちゃんのお家だから、勝手に入っちゃだめ。入るならパスモを使ってください」
そう言ってリュウくんは生えていた大きな葉っぱを引きちぎって広瀬さんに渡した。
広瀬さんはそれを持って、
「これを……どこにタッチすれば……?」
「入り口ですよ~」
広瀬さんはリュウくんにそう言われて、完全に戸惑っていて笑ってしまう。
でも適当に建物横に葉っぱをタッチして背を屈めて中に入った。
そして中を見てから私の所に戻り、
「壁も屋根もあるのがすごいな。俺がこどもの頃はこんなのなかった。いつ作ったんだ」
「仁菜とリュウくんがこども園に入る前ですか」
「俺もこどもの時にこんなのあったら、たぶんリュウと同じくらいハマって遊んでた気がする」
そう言って広瀬さんは優しい目で箱を見た。
私は横でふたりを見守りながら、
「広瀬さんも、こうやって庭で遊んだんですか?」
「反対側の奥の方に竹林あるだろ。あそこで友だちと忍者になるのが好きだった」
「忍者。追いかけっこはリュウくんと仁菜もします」
「そうか。あそこ竹を前に、こう……左右に逃げるのが楽しくて」
左右に、と言いながら広瀬さんは身体を動かした。
数日前まで全く知らなかった広瀬さんのこどもの頃が見えたみたいで、笑ってしまう。
広瀬さんは私のほうを見て、
「海野はここに引っ越してきたのは10年前だっけ?」
「そうです、高校入学のタイミングでここに引っ越してきました」
「10年前だと、俺が21だろ。大学に行ってるから家にいない。そのまま就職して今のマンションに住んでるからな。会ってないわけだ」
「広瀬さんと私は……5つ違いですか」
「そうか。彩音は6つ下だから、同じくらいか」
そう言って広瀬さんは葉っぱのパスモをひらひらさせた。
私は落ちていたジョウロを拾って軽く片付けながら、
「実は彩音さんと私、同じ高校の出身なんですよ。ママ友になるまで知らなかったんですけど」
「西高なのか。俺はあそこに通知表を受け取りに行ってたぞ」
「! そうでした。保護者が通知表を受け取るために、年に三回行く高校でした」
思いがけず高校の話をすることになり、盛り上がってしまう。
広瀬さんは葉っぱのパスモをヒラヒラさせながら、
「彩音と海野がママ友で助かった。俺ひとりだったらリュウをどう見れば良いのか分からなくて途方にくれていた」
「最近はこども園にお迎えに来ているパパも多いですし、すぐに慣れますよ」
「ゆっくり教えてもらうよ。何しろ今は秘密基地への入り方も分からない」
そう言って苦笑した広瀬さんが可愛くて、私も葉っぱのパスモを持ち、
「これが大切です」
「海野はパスモが要らないのか?」
「私は専用の棒を渡されたことがありますよ。適当なんです」
笑っていると仁菜が来て、
「お昼ご飯ができましたよ~~~~」
その姿を見て広瀬さんが、
「……すっごいな」
仁菜は二の腕あたりまで泥だらけで、服がグシャグシャに濡れている。
上下真っ黒の服を着ているので、汚れ具合は分からないが、たぶん全身泥に浸かっている。
私は仁菜に向かって、
「はい、どこで食べればいいですか~?」
「こちらへどうぞ~~」
と木の下の椅子に呼ばれた。
そこは壊れた椅子や、使わなくなった粗大ゴミが置いてある場所で、仁菜はそこでおままごとをするのが好きだ。
私は放置されてる三段boxの上に座った。広瀬さんも戸惑いながら私の横に座る。
するとこれまた足が折れて段ボールで補強してある机の上に、泥団子とサクラの花びらが入ったスープ、葉っぱのサラダが置かれた。
仁菜は手をパチンと叩いて、
「今日は珍しくお客さんがおふたりで!」
「っ……仁菜。それお母さんのマネ?」
「めずらしいやん、嬉しいわあ~~。はいはい、最初にこれ食べてね。ビールすぐにお持ちしますからね」
そう言って葉っぱのサラダをグイグイと私と広瀬さんに押しつけてきた。
私は葉っぱのサラダを食べたふりしながら、
「これ私のお母さんの居酒屋の言葉をマネしてるんです」
「確かに。ビールすぐにお持ちします……とかまさに居酒屋だな」
「定時で帰れない時とか、打ち合わせが長引いた時とかは、お母さんが迎えに行って、居酒屋で遊ばせててくれるんです。やっぱりお酒がある場所だし、狭い個室にiPadを渡して……って対応になるので、あまりしたくないんですけど、やっぱり仕方ないことも多くて」
二階の個室で、お酒を飲んだ人は入ってこないけど、それでもお酒が出る場所にこどもを置いておくのは気が引ける。
そういうと横で葉っぱのサラダを食べるふりをしていた広瀬さんが、
「海野はいつも定時で終わらせるためにすごく努力してるだろ。午前中に店舗の要望全部まとめて出してくるの、海野くらいだぞ。あとはみんな出したり、出さなかったり。藤井なんてここ一週間提案書出してないぞ」
「……美香子、なかなかのサボリ具合ですね」
「海野は頑張ってるよ。こんな風にこども見ながら、毎日よくやってるよ」
「……あり、がとう……ございます」
褒められて私は葉っぱのサラダをブチブチとちぎる。
すると私の横に泥の塊になったリュウくんと仁菜が来て、
「お菓子食べたいー!」
と言って縁側に上がろうとした。
「ストップ!」
「待てリュウ!!」
私と広瀬さんは同時に立ち上がり、ふたりを止めた。あまりに声が揃ってしまったので少し笑ってしまう。
そして泥だけの服を一緒に脱がせて、軽くタオルで拭く。
ふたりがお菓子を取りに行ったので、そっちは広瀬さんに任せて私はタライを持って来て汚れた服を洗い始めた。
泥汚れは即水洗い、そのあとすぐに洗濯すればキレイになる。
朝干したものをもう入れて干す場所を確保して……バタバタして戻ってきたら、
「あれ……」
縁側に戻ってきたら、私が畳んでおいた布団が広げてあり、綺麗に服に着替えたリュウくんと仁菜……だけではない。
なぜかその真ん中で広瀬さんが眠っていた。
昨日の夜も遅くまで仕事で、朝も早くからきてくれて、疲れたのだろう。
広瀬さん、今日は眼鏡をしている。その眼鏡に泥が付いていたので、私は眼鏡を取って眼鏡拭きで綺麗にしながら、横で眠る広瀬さんを見る。
こんな風に無防備に寝ている上司を見ることになるとは……。
よく見ると髪の毛にも泥が入り込んでいる。
これをお風呂で落とすと床がザラザラして気持ちが悪い。
私は広瀬さんの髪の毛の中に手を入れて泥を出す。
そして乱れてしまった髪の毛を直すように、頭を撫でた。
……海野は頑張ってる。
頑張ってるというより毎日仕事をして、育児をして、無我夢中に生きてきただけだけど、ストレートに褒められると、やっぱり嬉しい。
ずっとただの上司だったけど、身近に接するようになって知った広瀬さんの好感度はものすごく高い。
家ではテキパキと家事をしていて、いつも私に「食べるか?」「要るか?」と確認してくれる。
今まで何人かの男性とお付き合いしたことはあるけど、広瀬さんほど独立してちゃんと動けている男性ははじめてだと思う。
仕事ができるひとは、家事も育児もできるって聞いたことあるけど、本当なのかも。
いやでも石津さんは仕事できる人と結婚したけど、何もしなくて離婚したって嘆いてた。
広瀬さんが……そういう人ってことだ。
どうしようもなく荒れた庭を見ながら、私は眠ってしまった広瀬さんの横に座り、なんとなく髪の毛を整えた。
広瀬さんの髪の毛は猫っ毛で触り心地が良い。でも泥が付いたら結構厄介なタイプの髪質。
うららかな午後で私も横で眠りたい……と思うけど、ここで一緒に眠ってしまったら、夜になる。
気合いを入れて立ち上がりガーゼケットを三枚持って来て、三人にかけた。
そして窓をしめて水遊びの道具を倉庫に投げ込み、ホースを片付ける。
もう外遊びはおしまい!