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プリンの夜(広瀬視点)

「あ……ぶない、寝過ごす所だった」


 俺は慌てて電車から降りた。

 お酒を飲んでいるのもあり、電車の中で眠ってしまった。

 この電車で眠ってしまうと、山の中の駅まで連れて行かれてしまう。

 次にお酒を飲んだあとこの電車に乗るときはアラームをかけようと心に誓った。


「荷物を取りに家に行ったら遅くなってしまった」


 俺はスーツケースを持って駅構内を歩いた。

 じいさんは最低でも二ヶ月入院、その後リハビリが必要になった。

 だから数着のスーツや靴、それに下着、生活必需品を持って来た。

 とりあえず二ヶ月。最低限のものを実家に運び、必要になったら出社ついでに持ち帰ろうと決めた。

 病院で医者に話を聞いたところ、80代で脚立から落ちて骨盤骨折程度で済んでいるのは奇跡だそうだ。

 問題は「実は最近多い」という目眩のほうだった。

 今の所複数の検査をしても分からず、来週は眼科の検査がある。

 じいさんは病院が大嫌いで、ずっと「帰りたい」と言っているが、問題はそう簡単ではない。

 家は敷地のど真ん中にあり、道路から石畳をかなり登った所にある。

 駐車場は道路沿いにあり、車椅子では入れない。石畳では杖も厳しいだろう。

 それでも「早く帰りたい」というじいさんの願いを叶えてやりたいと思う。

 両親がいなくなった後も、笑顔で俺たちを育ててくれたのはじいさんだ。

 彩音が結婚した時も「ここで育てればええ」と嬉しそうにしていた。

 何があってもいつも笑顔で元気で仕事が大好き……そういうじいさんが、病院で真っ白な顔色で体を固定されている姿は、かなりショックだった。

 80才を過ぎているんだから、何時こうなってもおかしくなかった。

 育てて貰ったんだから、ここから先は恩返しをしたい……そう思っている。


「タクシーがいる、ありがたい」


 俺は駅から出てタクシーに乗った。

 今日は食事会で酒を飲んでいる。だから自転車には乗れない。

 タクシーがいなかったら駅前から徒歩30分歩くしかないと思っていたが、良かった。

 駅前にいたタクシーに乗り自宅に向かった。

 もともと住んでいるマンションは駅から徒歩5分。狭いがアクセスも良く、ただ眠るだけなら最高の場所だった。

 

「(……働き方を変えなきゃダメだろうな)」


 俺はタクシーの中でため息をついた。

 学生時代は「とにかくお金が稼げるようになりたい」と勉強した。

 それなりの進学校に通ったので、周りにお金持ちが多かった。

 家がしっかりしていて、お金を持っている家庭は基本的な感覚が違う。

 服は親の金で買い、旅行や遠出も頻繁で、食事に行くと一万円以上かかる店に普通に誘われた。

 俺はじいさんの金を使いたくなくて、勉強を理由に断り続けた。

 生まれ持ったものが違う。そう思って学生時代を過ごしたが、社会人になってからは違った。

 とにかく実力の世界。仕事で成績を残せば給料が上がり、認められる。

 俺はそのまま仕事にのめり込み、気がついたら31才。係長になり、5年以内に課長を目指したい……そう思っていた。

 でもたぶん、これから数年は、ここまで仕事をするのは無理だろう。

 俺は窓の外を眺めながら思った。

 会食、飲み会は夜が多い。

 打ち合わせで時間を気にしたことなどない。

 書類を見ていたら深夜だったこともザラだ。

 それを俺は意識せずにしてきたし、だからこそ今の俺がある。

 それでも世話になったじいさんを、子育てしながら夢を再び追い始めた彩音に丸投げするのは、兄としてできない。

 むしろ俺がちゃんとしないといけない。だって今までは彩音にじいさんを任せていたんだから。

 



「遅くなってしまった」


 俺は家の前で海野にLINEを打つ。 

 時間は23時30分。さすがに眠っているだろう。

 それでもリュウをお願いしているのに何も言わずに家に帰るのは不義理な気がして、海野の家の前でLINEを打った。

 するとすぐに既読になり『出ます』と返信が来た。

 驚いたが待っていると、部屋着に上着を羽織った海野が出てきた。

 そして小声で、


「おつかれさまです。ふたりともぐっすり寝てるので、広瀬さんの家のほうに行きましょう」

「……申し訳ない。一次会で抜けるつもりが、無理だった」

「インテックの平林さん、広瀬さんのこと大好きだから無理だろうなと思って最初から引き受けたんです。大丈夫ですよ」


 そう言って優しく微笑んだ。

 さっきまで張っていた気が少し緩んだ気がして、海野と一緒に家に帰る。

 俺はスーツを脱いで持ち帰ってきた部屋着に着替えてコンタクトを取って眼鏡にした。

 そして台所に向かう。

 昔はずっとここで料理を作っていたので、二日目ともなると勝手知ったる場所だ。

 この前冷凍おにぎりを出した時に、冷凍うどんがあるのは確認していたので、それを電子レンジに入れてうどんを作る。

 ひとりだけ食べるのは気が引けて、


「海野も何か食べるか?」

「いえ、大丈夫です。やっぱりご飯食べてないんですね。平林さん何も食べずにただ飲むから」

「そうか。海野も平林さんに飲まされてたな」

「あの人本当に酷いですよ。初手ウオッカとか普通にさせますから」


 そう言って海野はため息をついた。

 うちの営業は20人、女性も半分ほどいる。

 その中でも海野はかなり酒に強く、お酒を多く飲む会に呼ばれている印象がある。

 お湯を沸かしてうどんスープを作り、そこに解凍されたうどんを入れて乾燥わかめをいれて、冷凍されていたネギを入れてうどんを作った。

 食べ始めると海野がしげしげと俺を見て、


「……よく考えたら広瀬さん、食品を使ったレシピの考案もされてますよね」

「中学生の時から家事してるから、食事はよく作ってた。あの頃は何も分からなくて、亀田麹の味噌を買っちゃってな」

「あ、高くて良いやつですね」

「自然食品の店が昔は駅前にあって、何も考えずに買っちゃったんだよ。そしたらメチャクチャ旨くてな。それが今の仕事に繋がってる所もある」

「へえ……そうだったんですね。亀田さんのお味噌、うちで取り扱ってますよね」

「実は俺が新入社員で入った時に、真っ先に営業に向かったのは亀田さんだったんだ。中学生の時の話をしたら、大喜びで取引始めてくれた」

「それは嬉しいですね。へえ、そうだったんですね」


 そう言って海野は朗らかに微笑んだ。

 食べ終わって皿を洗い、冷蔵庫の中を確認すると、奥に三連プリンがふたつもあった。

 見ると賞味期限がふたつとも今日だった。

 俺はそれを取りだして、


「これが気になっていた。これはリュウの好物なのか?」

「いえ、これおじいさんの好物なんです」

「じいさんの?」


 俺が知ってる限りじいさんは和食が一番好きで、プリンを食べている印象はない。

 海野は立ち上がり、食器棚から焼き魚などを出す横長の皿を出して、そこにプリンを三つ出した。

 それを俺に見せて、


「おじいさんはいつもこれをこうやって並べて食べられます」

「えっ、こんなに一気に?」


 海野はそれを机に置いてひとつ食べながら、


「これは私のカンなんですけど、おじいさん、歯が悪いのかも知れません。最近は柔らかくてカロリーがあるものを多く召し上がっていました」

「……なるほど、そういうことか」

「たぶんそうなんじゃないかな……と私が勝手に思っているだけです。ちょうど病院にいらっしゃるし、もう頭の先から足の先まで、検査していただくと良いと思います。私も何度か言ったんですけど、病院お嫌いで……」

「そうなんだよな。病院でもずっと『帰る』って言ってる。でもうちは歩いて入れないから難しいだろう」


 俺はお茶を飲んだ。

 海野は姿勢を正して、


「あの、私考えたんですけど、敷地内にお弟子さん用の離れありますよね。あそこなら車庫直結だし、車椅子も入れます。それに二ヶ月前まで使ってたから結構綺麗だと思うんです」

「……そうか、あっちがあったな」


 うちはじいさんは定期的に弟子を取っていて、その人たちが泊まれるように離れがある。

 平屋の一軒屋というと聞こえが良いが、昔の農具入れのような場所だ。

 そこを平屋にリフォームして住めるようにしている。もともとトラクターが入れるように屋根付きの車庫があり、そのまま部屋に直結している。

 シンプルな台所に畳の部屋しかないが、たしかにすぐに入れる。

 海野はお茶を飲みながら、


「おじいさんが帰りたいって言われてると聞いて、ずっと考えてたんです。だから広瀬造園さんに出入りしてる大工さんに相談もしたんですけど、本家は厳しいって言われて。その時に思いついたのが離れです」

「……なるほど」

「電動の車椅子が必要なら、おばあちゃんが伝手を持ってるので良い物を借りられると思います。介護士さんもお母さんが良い事務所を知ってます。大丈夫ですよ」


 これと、これが大工さんに相談した時のメール。

 これがおばあちゃんが教えてくれた電動車椅子。

 これがお母さんが出入りしている介護事務所です。

 そういって海野は机の上に資料を並べてくれた。

 それは一つ一つクリアファイルに入っていて、付箋紙に説明も書いてあった。

 それを見て、俺は何も知らないこと、考えてるように見せかけて自分のことしか考えてないこと。

 それでもこんな身近にさらりと手を差し伸べてくれる人がいることを知った。

 俺はそれを手に取って、


「……助かる。俺は結局自分のことしか考えて無いな」

「うちの居酒屋、介護事務所にもお弁当を卸してるんです。だから少しだけ知り合いが多いんです。仕事でも詳しい人が助けるのは当然だって、広瀬さんはいつも私たちの仕事を手伝ってくれてます。だから今回は私が」


 そして、出してあったプリンに手を出して、


「出してしまったし食べましょう。こんな時間のプリンは罪ですね。でも賞味期限ですから仕方ない」


 と言ってひとつプリンを食べた。そして残りのふたつを俺に渡す。

 俺は三つあったけどひとつ無くなって二つ並んだプリンを見て、ひとりじゃないと強く感じた。

 俺はひとりで賞味期限が切れそうなプリンを三つ食べる必要はない。海野と分け合えばいい。


「……目眩の原因が分からない。歯のことも医者に話す」

「酷いんですよ。何度も歯医者さんの目の前まで彩音さんと連れていったんですけど、脱走するんですよ。ものすごく早く走って!」

「あはは、脱走。じいさんが」

「本当なんです。だからしっかり見てもらってください」


 全部ひとりでやろう、これからは頑張らないと……そう思っていたが……と思っていたが、海野と話していて力が抜けてきた。

 なんだかよく分からないが泣きたくなってきて、それを誤魔化すように眼鏡を外して目をこすり、


「やたらと眠い。もう寝たい」

「……広瀬さんって会社だとものすごくしっかりされてるのに、家だとリュウくんと変わらないですね」

「海野の前だからだ。いつもこうじゃない」

「そ、うですね。はい、知ってます」

「そうだ、俺は……眠い」

「あはは、おつかれさまでした」


 そう笑って「また明日」と言って家から出て行った。

 「俺が」と思わなくても海野がいる。

 俺は目の前に残されたプリンの皿を見て恐ろしいほど安心していた。

 ひとりじゃない。

 

 


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