結婚してから変わったことは(番外編①)
「菜穂」
「透さん、準備できましたか」
「ポニーテール、よく似合ってる」
「首が少しスースーします」
私は縛った髪の毛に触れた。
透さんと出会ってから伸ばしてきた髪の毛は、もう背中まで伸びて、余裕でポニーテールできる長さになった。
透さんが私のポニーテールが好きなようなので、よくするようになった。
透さんは部屋で私を抱き寄せて、
「……可愛い」
そう言って甘くキスをしようとして……、
「口紅が落ちるか?」
「……落ちないやつだし、直し用に持ってます」
「じゃあ」
そう言って再び甘くキスをしてくれた。
最近は仕事を終えてから家に帰ってきて、夜透さんと一緒に眠るのが幸せすぎる。
透さんは私をしっかりと抱きしめて、
「今日も早く帰る」
「はい、私も。夕飯を一緒に食べましょう」
私たちは仁菜も一緒に家を出た。まだ学校が始まらない仁菜は本家に、そして私たちは会社に行くために満員電車に乗り込んだ。
相変わらずの混雑だけど、私を守るように立ってくれる透さんがいるから、全然イヤじゃなくなってしまった。
透さんは私を抱き寄せたまま、
「異動先にも、もう顔出してるのか?」
「はい、週に何度か。わからないことが多くて大変です……営業側の仕事の引き継ぎが終わると思えないです……」
「菜穂は営業として長いから大変そうだ」
「はい。でも商品開発課も楽しいので頑張ります」
「今横浜店まで見てるんだろ? あれが無くなるだけで楽そうだけど」
「横浜と西葛西で、東京横断してるんですよ」
「時間がかかりすぎる……大変だ」
私と透さんは夫婦だけど長く同じ課で働いた上司と部下でもあり、同じ会社で働いているので仕事の話もたくさんする。
私は透さんにしがみ付いたまま、
「透さんは今日も埼玉の新しい倉庫ですか?」
「ああ、高速の出口から結構遠くてそれがキツい」
仕事の愚痴を周りの人に言うと「こんなこと言ってました」と漏らされる危険性があり、透さんは今まで私に愚痴なんて言ったことがなかった。
でも最近は安心して文句を言っていて、信頼されているのが分かって嬉しい。
透さんは私を守るように満員電車から降りて、
「この前休憩した道の駅でジャガイモが6種類も売ってて菜穂が好きそうだなと思った」
「ジャガイモって結構種類多いんですよね。楽しくて好きです」
「遊べるところも多かったし、週末仁菜と一緒にいくか」
そう言って透さんは私を見て微笑んだ。
平日は仕事して休日は家族で楽しくすごす日々が楽しくて仕方が無い。
私は透さんの腕にしがみ付いて乗り換えるために新宿の駅構内を歩いた。
会社近くの地下鉄駅から出ると、後ろから美香子に声をかけられた。
「おはよう菜穂。おはようございます広瀬さん」
「おはよう、美香子」
「おはよう、藤井」
私たちは三人で会社まで向かう。
美香子はため息をついて、
「はーあー、もうすぐ菜穂が異動ですよ……。営業に残るの私だけになります。広瀬さんも出て行って、菜穂も出て行く……営業に6年いて、今更ここ以外で働ける気がしないし……淋しいです……」
透さんは美香子を見て、
「藤井は店長からの信頼も厚いし、なによりその雑談力が営業向きだ。全店舗で店長が女性になった今、営業は女性のほうがいいと俺は思ってる」
「店長さんたち、メールで相談出せって言っても出さないのに、店にいくと大変なことになってる事が多いし、結局雑談しないと何も出てこないんですよねー。男はメールが来ないならそれでいいやって無視するけど、本質無視してる感じしますねー」
透さんは苦笑して、
「昔は俺も相談がないなら話したいことなどないだろう……そう思っていた。顔を出してプライベートな話も少しはして、信頼関係を築いたあとじゃないと話せないことも多いんだろう。こっちから話にいくのが大切だと最近思ってる、藤井はそれが自然と出来てるから営業に向いてるよ、頑張れ」
そう言って透さんはEC事業課のほうに入って行った。
私と美香子は営業課に入り、椅子に座る。美香子は私を見ながら、
「まっじで広瀬さん、レベル上がってるわ……」
私はパソコンの電源を入れながら、
「レベル?」
「朝少し話しただけで、私が言って欲しい言葉バチーーっと言ってくるもん。聞いた? 広瀬さんEC事業部で子どもがいるママさんたちEC用にテレワーク整備してるって。なにより私みたいに結婚も子どもも居ない人が、ママさんたちの仕事変わったらガッツリ手当付けてるって」
「それはママさんも、美香子たちも嬉しいね」
「そうなの、そうなのよ! 別に良いのよ代わりに仕事するのは。それでいいだろって思われるのがムカつくのよ、信頼してるなら気持ちだけじゃなくて金寄こせって話なのよ。はあー、広瀬さん結婚して人間がワンランク上がってるよ、羨ましいいいいい」
透さん、そんなこともしてるんだ。
なんか私と結婚したほうが良くなった……って聞くのは、すごく嬉しい。
そう思いながら仕事の準備をしていると横で美香子が私をじーっと見ていて、
「広瀬さんの愛を受け取っている菜穂は、最近めっちゃ可愛い……前はメイクも髪も適当だったのに、今は違う……」
「もお、分かった分かったから、仕事しよ」
「いいなあ、大切にされてる、いいなあ!」
「はい、パソコンの電源入れて!」
「助けてーー幸せになりたいんじゃない、大切にされたいの、誰かー!! 孤独ですよ誰かー!!」
騒ぐ美香子の肩を小突いて私は仕事を始めた。
正直、美香子が言う「幸せになりたいんじゃない、大切にされたい」……すごく分かる。
透さんはいつも誰より私を大切にしてくれるから、私も透さんを大切にしたい、そういつも真っ直ぐに思ってる。
「わあ……すごく雰囲気が良いですね」
「でしょう? これくらいの規模でちょうどいいのよ。やっと落ち着いてきたわ」
立川店に顔を出して、その後は東村山にある味噌蔵の店……醸屋さんにお邪魔している。
醸屋さんは最近娘さんと事業を分けて、元々持っていたこのお店を取り戻した。
お店側のスタッフさんも日本人の方のみになっていて、正直お客さんも減っているけど、平和な空気に戻った。
お店に余裕ができたので、少量ながら味噌を使った和菓子を取り扱うようになり、それを提供する小さなカフェが昨日店内にオープンした。
私は店内にできたカフェでコーヒーと味噌皮まんじゅうを頂いて、
「……本当に美味しいです。こういう少しのスイーツとコーヒーで、ゆっくりできるの、すごく嬉しいです」
「まだ始めたばかりだからお客さんはご近所さんばかりだけど、正直それでいいと思ってるの。だって私たちの本業は味噌蔵で味噌をつくること。それを静かに続けられるのが一番良いわ」
「そうですか。娘さんのほうはどうなんですか?」
「すっごいのよ、もう私には考えられないレベルのお店」
そう言って紀代子さんが見せてくれたのは東京駅から徒歩数分のビル内にオープンする味噌のお店だった。
パッケージはすべて英語で箱に入っていて、味噌に見えないほどカッコイイ。
それに海外の人たちは味噌をチーズにつけてそのまま食べるのがお好きなようで、チーズもセットになっていた。
私は、
「私たちに全くないアイデアです」
「そうなの。でもね、私も味噌を愛するものとして娘たちがしていることを無視するのは良く無いと思って。どうやらこのゴルゴンゾーラチーズに蜂蜜をかけて、それに赤味噌をつけて食べるらしいの」
「なるほど」
「だったらゴルゴンゾーラを使った塩クッキー……これサイドに付いてるのは粒のお塩ね。それにカラメルと味噌でコーティングしたナッツを乗せたクッキーにしたら美味しいんじゃないかって思って作ってみたのよ。ほら食べてみて?」
そう言って紀代子さんはお皿にクッキーをのせて出してきた。
それは普通のクッキーよりも少し分厚くて横に結晶化された塩がついている。
上にはツヤツヤと美しく光るナッツがのっていて口に入れると、まずそれが弾けて甘辛い味噌の味、次にチーズ、そして最後に塩が混ざる。
「……めっっちゃくちゃ美味しいじゃないですか」
「ね。バカにできないわ。美味しいのよ」
そう言って紀代子さんは笑顔を見せた。
何より娘さんのお店に足を運び、話を聞いて、それを取り入れて新しい商品を作り、なにより美味しいのが……私は紀代子さんの目を見て、
「私、再来月から商品開発課に異動なんですけど、紀代子さんの姿勢、見習います」
「あらまあ。もう死にかけだから、敵も味方も関係ない、何でも食べちゃおうっていうババアの精神よ?」
「あはははは! ちょっと待ってください。気道にクッキーの粉が」
私が笑っていると紀代子さんは慌てて背中を叩いてくれた。
相容れないことを排除しない、それでいて学び続ける……そんなのカッコイイと思う。
それに私も紀代子さんの娘さんのお店、顔を出してみようと思った。
「……すごい。奥深い。チーズと味噌……」
私は家に帰って眠る前の間、自室ができたので本を読んだりパソコンに触れる時間ができた。
主に透さんが眠る準備をしてるのを待ってるんだけど。
今日紀代子さんから聞いたチーズと味噌の合わせ技は、海外ではよくあるようで、味噌味のパスタにたっぷりとチーズを載せるような食べ方もあった。
味噌味のパスタ……麺に練り込むってこと? 私は食べたくなって作り方を調べてしまう。
この年になって部署異動はちょっと怖いけど、それでもこういうことを考えるのが大好きだから楽しい。
「菜穂」
「透さん」
ドアがノックされて、透さんが眠る準備を済ませて来た。
私はパソコンを落としてお布団に入る。透さんに抱きついて……と思ったら、透さんが明らかに落ち込んでいる。
「どうしたんですか?」
「菜穂……どうして今日もあのパジャマじゃないんだ」
「あっ、ボタンが無くなったんです」
「えっ、ボタンが?」
「そうなんです。洗濯して干すときに気がついたんですけど、いつの間にか無くなっていて。ほら透さん見てください。このパジャマ、ボタンがすごく大きくて特殊で。同じのがユザワヤに売って無くて。だからお店のほうに問い合わせてボタンだけ取り寄せてもらってます。だから無いんです」
「……そうか。ここ二日着てないから……なんでだろうって思って」
そうやっていう透さんが予想以上に落ち込んでいて、私は透さんにキスをして、
「じゃあ……私の誕生日に、もう一枚買ってください。予備がほしいです」
「! それがいい、分かった。明日買ってくる」
「誕生日まだ先ですけど」
「誕生日なんて早いほうが良い。俺はあのパジャマを着てる菜穂を抱きしめて寝るのが本当に好きなんだ」
「っ……透さん、真顔で誕生日の概念壊してますし、変なこと言ってますよ」
「これが俺の本性だ。何が悪い」
「あはははは!」
そんなことを宣言してキスしてくる透さんが可愛くて仕方が無い。
仕事はすっごくしっかりしてるって言われてるのに、私の前で見せる素顔が愛おしくて、大好きで、毎日が幸せだ。




