私なら良いんだ?
か、可愛いって……。
もちろんプリクラの加工のことだと分かってるけど! 分かってるけど目の前で言われるとちょっと……。
それに「海野はこんな風に化粧しなくても十分に綺麗」って……。
広瀬さんとは長く仕事してるけど、そんなことを言われたのははじめて……と心の中で焦る。
でも、そんなことを言うのは、昨日すっぴんとパイル地のパジャマ姿を見られたからでは……と気がつく。
上司に気を遣われるような状況だったのでは……、いや、絶対そうだ。
とにかくこれからは夜、広瀬さんに会うことも増えるし、寝る直前にお化粧を落とす!
パイル地のワンピースは脱衣所でしか着ない! と心に固く誓う。
うう……と思っていたら、一気に客が電車に乗ってきた。
私はカバンを前に抱えて、体を小さくする。
広瀬さんは私の前で腕を張って空間を作りながら、
「すごいな、これは」
「ここはグリーン車の隣なので一番混むんです。いつもは先頭車両に乗ってるんです。今日は間に合わなくて……明日から一番前に行きましょう」
「そうか、すまないな、バタバタさせて。それにお弁当と水筒も必要だったのか」
「そうなんです。伝えようかなと思ったんですけど、もう昨日はバタバタしていて無理でした」
「お父さんにお願いしてしまって悪いな。しっかりお礼しないと」
「いえ、仁菜のお弁当も作りますし、全然平気だと思います」
私がそう言うと広瀬さんは「そうか」と軽く眼鏡を持ち上げて微笑んだ。
私はそういえば……とカバンを抱っこしたまま顔を上げて、
「あの、気になってたんですけど、広瀬さんって眼鏡されてるんですね」
朝からずっと気になっていたけど、話すタイミングを失っていた。
いつも広瀬さんは眼鏡をしていない。でも家にリュウくんを迎えに行ったとき、広瀬さんは眼鏡姿で、少し驚いた。
広瀬さんは、
「いつもはコンタクトなんだが、間に合わなかった。似合わないからあまりしたくないのだが」
そう言って眼鏡を軽く外した。
その素顔はいつもの会社の顔で、どこか安心する。
でも広瀬さんは会社でものすごく仕事が出来て真面目な印象なので、茶色のべっ甲の眼鏡もすごく似合ってると思うけど、似合わないと思ってるのか……と思う。
その後も電車の中は容赦なく混雑したけど、広瀬さんは距離を取りつつ、でも圧力から守ってくれて、その揺るぎない距離感に私は安心した。
「おはようございます」
「海野さん、おはよう~。悪いんだけど今日大久保店見てきてくれない? 笹川さん、やっぱり海野さんに来てほしいって言ってるの」
「わかりました。顔出してきます」
「ごめんね、お願いしちゃって」
出社してすぐ、一課のもうひとりの係長、石津さんに追加の仕事を頼まれた。
うちの会社は国産にこだわった商品を日本全国から集めて販売する事業をしている。
全国に店舗がありその数は80。私はこの会社で営業として仕事をしている。
私たちの営業一課の主な仕事は、各店舗の店長から要望を聞き、どうしたらもっと売れるようになるか、売れていない商品は商品が悪いのか見せ方が悪いのか、その商品をどうするか、また売れている商品を増やすか増やさないか、店舗の飾り付け相談など多岐に渡る。
毎日店長たちからメールが届くけど、大切なのは店に顔を出すこと。
私は人と話すのが結構好きなので、思ったより向いていて楽しい。
「おはよう」
「おはよう、広瀬くん」
広瀬さんが時間ギリギリに出社してきた。
広瀬さんは新宿駅のトイレでコンタクトを入れるというので、私は先に地下鉄に乗って出社した。
一緒に会社に来てあらぬ疑いをかけられても困るので、このほうが良いと思う。
広瀬さんをチラリと見ると、眼鏡ではなくコンタクトになっていて、いつも通りで安心したけど、でも眼鏡もいいのにな、と少し思う。
パソコンの画面を見ていた石津さんがため息をついて、
「ねえ広瀬くん。最上くん、今日も休むってSlackが来てる。大丈夫かな」
「俺から一回連絡しておくよ。ずっと体調悪そうだったから。店担当2だっけ」
「大久保と、代々木。大久保はやっぱり海野さんが良いっていうから、さっき話通したところ」
私は話が聞こえていたので少し背を伸ばして広瀬さんと石津さんに頭を下げた。
広瀬さんは、私を見て目を細めて、
「すまんがよろしく頼む。位置的に大丈夫なのか。海野は23区外担当が多いだろう」
「最上くんが入って来る前は担当してた店なので大丈夫です」
「そうか、よろしく」
私は少しだけ頭をさげて返事をした。
作業していると隣席の美香子ちゃんが椅子ごとするする寄ってきて、
「最上くん、三日目じゃん。大丈夫かな」
「うーん。ちょっと心配だね。とりあえず今日大久保店行ってくる」
最上くんは新人なんだけど、営業本部長の石井さんの推薦で入ってきたので、まあなんというかクビにはならない。
うちは大手物産会社が持つ子会社で、本社である物産会社で使えなかったけど首にできない人がわりと流れてくる。
最上くんもそのひとりだ。私と美香子は最上くんの教育係ということもあり「一緒に頑張ろ!」と思っている。
思っているけど、Slackで「休みます」三日連続連打は、ちょっと危ない気がする。
各店舗の店長から来ているメールに目を通してまとめ、広瀬さんに送り、会社を出た。
「大久保店久しぶり」
私は会社を出て大久保店に向かって歩いていた。
担当している店は三日に一度は顔を出すことにしている。
メールや電話より、お店にくるのが一番分かるからだ。
大久保店は外国人のお客さんが多くて、やはりそちら向けの商品が多い。
見ていると近所に住んでいそうな女性が入って行ったので、一緒に店内に入る。
まず入り口のキャンペーンに目を通して、商品を手に取り、確認。
そして店の中に入りお茶のコーナーを見ている。お買い得商品をチラリとみて、ホットコーナーを何度も見ている。
そうか、昨日広瀬さんの家に行った時も夜は寒かったし、まだホットコーナーの商品は厚めでも良いかもしれない。
私は奥に移動して大久保店の売り上げ一覧を見た。するとホットドリンク、ホットの茶葉などの売り上げが上がっていた。
というか、全体的に飲料の売り上げが上がっている。
見ていると店長の笹川さんが来た。
「海野ちゃん~~~。戻ってきてくれたの~~?」
「おつかれさまです」
「もう最上くん、ぜんっぜん使えなくて困ってたの。やっぱ海野ちゃんがいいわあ~~」
「最上くん、まだ新人で慣れないことも多いと思いますが、できる子だと思います」
「何も提案出来ないなら段ボールでも片付けてよ! って言ったら何も言わずに帰っちゃったの。使えなさすぎるのよねー」
……なるほど。
店長たちは私たち本部営業を「指示を出してくる人」「それで売り上げが出ないと文句をいう人」と認識している。
言うとおりにして売り上げが出れば重宝されるけど、出ないと雑用を押しつけられるのはよくある話だ。
私は売り上げデータを見ながら、
「先週から飲料の売り上げが上がってますよね。私さっき気がついたんですけど、駅前のセブンイレブンが潰れたから、帰り道にウチで飲料を買う人が増えたんじゃないでしょうか」
「そうかも~。確かに先週はホットドリンクがメチャクチャ出たのよね。じゃあ入り口にドリンクを厚めに出したほうがいいかしら」
「さっき入って行ったお客さんもホットコーナーを見てましたね。ちょっと移動させてみましょうか。あとさっきデータみたら常温のお水がかなり出てるので、それも奥からこっちに持って来ませんか?」
「あ、確かに出てるかも。海野ちゃんナイス~~」
笹川さんは入り口の花見コーナーのお菓子を移動させて、飲料水コーナーを作り始めた。
こうやってお店を少し変えて、それで売り上げデータをまた見る。
わりとすぐに結果が出て、売れたら喜ばれるし、その先の展開を考える。
私はこの仕事が結構好きだ。
「仁菜ちゃーん、リュウくーん、お迎えだよー!」
「菜穂ちゃーーーーん! リュウくんも一緒なのーー?」
外回りを終えると直帰が許されているのが、営業の良いところだ。
だから私は23区外の店を希望して多く受け持っている所もある。
今日は少し早め、17時すぎに私はこども園にふたりを迎えに来た。
仁菜とリュウくんが通っているこども園は幼稚園と保育園の機能を併せ持ったこども園だ。
基本的に18時までに迎えに行くけど、無理そうな時はお母さんかおばあちゃんが18時までに迎えに行く……そんな生活をしている。
こども園の先生は私を見て、
「リュウくんも菜穂さんのお迎えで……と電話をいただいてます」
「ありがとうございます。私がふたりを連れていきます」
このこども園は保護者が「○さんにお迎えをお願いしています」と電話すれば、家族でなくとも引き渡して貰える。
そのための保護者登録は必須だが、仁菜も預けているのでこども園の先生たちも確認を軽くするだけだ。
私はふたりと手を繋いでこども園を出た。
でも私の自転車は仁菜しか乗れないので、二人を連れて家まで歩くことになる。
なんというか、自転車に乗せて家まで帰るのは楽だけど、ふたりを歩かせるのは……本当はやりたくない。
これからふたり一緒に迎えに行くことは増える気がするので、自転車の後ろにストライダーという、足で走らせる子ども用自転車……を後ろに積もうと決める。
重たいけど、ふたりを歩かせるより速く帰れる。
寄り道しがちなふたりを何とか促しながら歩いていると、スマホにLINEが入った。
それは広瀬さんで『これから会合だ。コンタクトを取りに一度家に帰ってから実家に行く』と書いてあった。
私はなんとなく朝の事を思い出して『眼鏡も良い感じでしたよ』と打ってみた。
すると数分後に『海野以外に眼鏡姿など見せたくない』と帰ってきて笑ってしまった。
そんなにイヤなんだ。
でも私には良いんだ……と少しだけ楽しく思って、スマホをポケットに入れて歩き出した。