小さなことを宝物にしてくれる人
「仁菜ちゃん、あっちでご飯作って、みんなで寝たかったのに!!」
家に帰ってきて上着を脱ぐと、もうパジャマに着替えた仁菜が起きて待っていた。
時間は21時……。お風呂にも入らず仁菜を先に寝かしつけようと思っていたけれど……。
私は仁菜の前に立ち、
「ごめんね。今、年度末って言うんだけどね……えっと地獄みたいな期間で、ママもパパも忙しいの」
「そんなの仁菜ちゃん分からないもん!!」
「そうだね……でもこの時期は正直どーしよーもなくて……」
私はリビングの椅子に座った。
三月に入って、とにかく仕事が忙しい。
この時期になると年度末のあれやこれや、異動する人がたくさんいてその飲み会、バイトさんが一気にやめて入れ替わって面接で問題発生、こっち四月から入ってくる新人たちが顔を出してきてて挨拶……とにかく忙しい。
定時という概念はこの時期消えて、今21時、これでもかなり早く帰れたほうだ。
透さんも今日は23時くらいになるとLINEで言っていた。
こういう時に実家があると本当に助かる。
四月に入れば少しは楽になるので、そこまでの辛抱だけど、そんなの仁菜には関係ない。
でも仁菜は私がどれだけ忙しくてもそんな風に文句を言ったことがないな……とふと思い、
「……そんなに向こうでお泊まりしたの、楽しかったんだ」
仁菜はコクンと頷いた。
仁菜はこっちの家に馴染んでいて、お母さんお父さん、おばあちゃんが居る本家のが良いだろうと思っていた。
でも仁菜は三人で暮らすのがすごく楽しかったみたいで「はやく家が建たないかなー」と毎日工事をしている人の横で邪魔……ううん、応援をしているという。
何度か三人で離れに泊まった私の感想としては、あそこは三人で生活するには狭すぎる。
もうすぐ(といっても年末から作り始めたので完成は夏)家が建つのもあり、そこまで荷物を運び込みたくない。
本家と離れで荷物が離れると面倒……というのもあり、ふたりとも早く帰れた時のみになっている。
二月は何度かお泊まりできたけど、三月は正直厳しい。
でもいつも何も言わない仁菜が……と少し困って、すごく嬉しいと思う。
私は仁菜を抱きしめて、
「明日土曜日でしょ? だから三人でお出かけしよっか」
「ううん。仁菜べつにお出かけしたくない。あの家で三人でお泊まりしたいの」
そんなに楽しかったのか……と私はスマホを立ち上げて、透さんに『仁菜が一緒に眠りたいというので、どれだけ遅くなっても良いので離れに帰れますか?』とLINEした。
私は仁菜を抱っこして、
「パパ今日すっごく遅いの。だから『おかえりなさい』は出来ない。だけど『おはよう』はしてもいいよ。だからあっちにパパのご飯運んで準備しておいて、仁菜とママはあっちで寝ようか。それで明日の朝から一緒なのはどう? 朝一緒にみんなでパンを買いに行かない?」
「! そうする! じゃあ仁菜明日のお着替え持ってくるね」
「じゃあちょっとまって。離れの暖房入れてくる」
「うん!」
仁菜に一言断って、私は離れの暖房を付けに行った。
離れは10畳の部屋と、それをぐるりと囲むように土間と台所、そしてトイレとお風呂がある。
昔の納屋を改造しているので、台所が土間で、コンクリート。だから車椅子は簡単に入って来れたけど、正直底冷えする。
畳の部屋の障子をしっかりしめても、結局納屋なので暖房効率はかなり悪い。
でも隙間がある建物だからこそ、石油ストーブ……しかもかなり巨大なもの……を使うことができる。
だるまストーブと呼ばれるもので、上にヤカンも置けて、とにかく温かい。
一般家庭では暑すぎるけど、あれを点けておけば何とかなるはず。
暖房をフルで点けけて私は一度本家に戻り、夕飯を食べた。
その間に透さんからLINEが戻ってきて『じゃあこっそり入る』と帰ってきた。
仁菜はそれを見て、本当に音が聞こえそうなほど笑顔になり、準備をして私を待っていた。可愛い。
私もお風呂に入り、仁菜とふたりで走って離れに入った。
暖房を付けておいたのでもう温かい部屋で、仁菜は楽しそうに布団を三組ひいて真ん中でひとりで寝た。
前も思ったけど、透さんと結婚してから仁菜がすごくしっかりした気がする。
前は絶対ひとりで歯磨きしない、寝ない、いつまで言っても起きてたのに。
私が台所で作業していると、引き戸が開いて透さんが帰ってきた。
「……寒。うわ、あったか。すごい」
「おかえりなさい。仁菜もう寝てます。どうしても三人がしたかったみたいで」
「悪いな。この時期はどうにもならない」
「私もです。正直21時……仁菜が起きてる時間に帰ってくるのがギリギリです」
「な。仕方ないとはいえ仁菜は淋しいな」
そう言ってネクタイを緩める透さんがもうパパの顔で、私は嬉しくなって抱きついて、
「おかえりなさい」
「ただいま」
透さんの身体が冷たくて私は温めるようにくっ付いた。
透さんは優しく私を抱き寄せて、
「あったか……」
と呟く。私は冷たい透さんの頬に両手で触れて、
「先にお風呂どうぞ。入れる状態にしました。ご飯は作る気が全くしなかったので家から持って来ました」
「……ヤバイくらい嬉しいな。結婚してよかった」
「はい。準備しますからお風呂どうぞ」
私は透さんから上着を受け取ってかけた。
すぐ隣、襖一枚開いた所に仁菜が寝ているので、大きな声では話せない。
私も透さんも小さな声でこそこそ話しているけど、やっぱり「おかえりなさい」ができるのは嬉しい。
それに私もそうだから分かるけど、今時期は本当に疲れているので、温かいお風呂とご飯がいちばん染みる。
透さんがお風呂から出たようなので、ノックして脱衣所に入り、ドライヤーを渡した。
台所でドライヤーをかけると部屋中に響くので、仁菜が起きてしまう。
それは寝かしつけをしている私や透さんはよく知っているので、こうなったら脱衣所で乾かすしかない。
「透さん、これどうぞ」
「菜穂が乾かしてくれないの?」
「え……だってここ狭いですよ」
「入れる」
そう言って透さんは強引に私を脱衣所に入れた。
透さんは脱衣所に置いてある、仁菜が歯磨きするための椅子に「よいしょ」とちょこんと座った。
この椅子は口の中を仁菜がすすぐ時に使うもので、100円均一で買った高さ15センチほどの折りたたみ式のものだ。
そこに小さくなって座っている透さんが可愛くて私は笑いが止まらない。
でもとにかく狭い。笑いながら電源を入れて透さんの髪の毛を乾かした。
私がゆっくりと髪の毛を乾かすと、透さんは目を閉じて、
「あー……気持ちがいい、こっちもお願いしますー……」
と首をこてんとさせた。
可愛い。私が膝をついて髪の毛を乾かし終わると、透さんが目の前で微笑んでいて、私の両頬を包んで優しくキスしてくれた。
嬉しくて抱きつきたいけど……狭くて抱きつけなくてふたりで笑ってしまう。
脱衣所からふたりで出てふすまを少し開くと仁菜はぐっすり眠っている。大丈夫そう。
台所でご飯を温めて透さんに出す。今日はつくねがあったので、それと温泉卵。おひたしに、具だくさんの味噌汁。
もう24時なのであまり重くないほうがよいと思って、軽めのものを持って来た。
透さんは目を細めて、
「……うれしいな。いただきます」
「お父さんが作ったものですけど、どうぞ。こういう時は本当に実家で良かったと思います。もう疲れちゃって」
「新宿店でバイトが3人抜けたって聞いたけど」
「そうなんですよ。もうカオスです。ECサイトの方、新商品でトラブってるって聞きました」
「搬入日かぶって倉庫がヤバイ。そういえば入学式って4月6日でいいのか?」
「はい。休めますか?」
「何が何でも休む。何時から?」
私たちは仕事のこと、仁菜のこと、家のことを小声で話ながら夜をすごした。
そして一緒にお皿を洗って台所を片付けて、眠る準備をした。
歯を磨いた透さんを待って一緒に畳の部屋に入ろうとしたら、直前に甘く引き寄せられた。
そして私の目をのぞき込んで、
「菜穂。ただいま」
「……もお、帰ってきてから結構経ってますよ?」
「幸せで」
そう言って私の両頬を優しく包んで、
「……家が建って、俺たちの寝室ができる日を楽しみにしてる」
「……! は、はいっ……」
私はドキドキしてしまって息が苦しくて、それでも嬉しくて透さんにしがみつき、
「……私も、あの、透さんに見せられるようにピカピカにしてますから」
「……いや、菜穂、そのままでいい……可愛すぎる……」
「ちょっとあの、仕事しすぎて痩せちゃって。あのせめて肌をこう、良い感じに」
「良い感じ……いやもう今で充分だけど……」
「透さん、私は本気です!」
私は元々痩せ型だけど、最近は仕事の疲れと乾燥で、肌がカサカサしてる気がする。
もっとこうもっちり綺麗な感じになりたいんだけど!
透さんは「今のままでいい」と笑ってくれたけど、もうちょっとなんとかしたいの。
そして私たちはストーブのお湯で作った湯たんぽを入れておいた布団に入った。
右側に私、真ん中に仁菜、左側に透さん。
真ん中で眠っている仁菜の呼吸に合わせると、ゆっくりと眠くなってきて……私と透さんは左右から仁菜を抱きしめて眠った。
「パパとママがいる~~~~!! パパ、パパ、おはよう。パパおはよう」
たぶん、結構かなり……だいぶ朝が早い時間……横で仁菜が透さんの横に座って、たぶん……顔をペチペチしている……。
朝から聞き慣れない音が……響いている……。
「ん……仁菜おはよう……んーーーーー」
まだ眠たい透さんは反応が鈍いが、仁菜は怯まない。
「パパ、パン屋さんいくよ、アンパンマンパン売り切れちゃうから!」
「そっかあぁ……でもまだパン屋さんはじまってないな……」
「そうなの? じゃあパパお話しよう? 仁菜、入学式までにひらがなのドリル終わらせたの」
「……偉いね」
「そう、そしたらママがラプンツェルの鉛筆、もっと買ってくれるっていうから」
「うん」
「それでね、仁菜はお道具箱がイヤなの、あの茶色とか変で」
「女の子に茶色はなあ」
「そうなの! だからパパ見てこれ、いいでしょう?」
「半透明なのか、可愛いな」
「でしょう?」
透さんはすごく眠たいだろうに、仁菜に起こされて、それでもニコニコと仁菜の話を聞いてくれた。
小学校への入学を来月に控えて、本格的に準備がはじまった。
仁菜は離れに来る時、それを一式持って来ていた。
見せながらパパに話したかったんだなー……と私は布団でウトウトしながら聞いた。
日常すぎて、どんな鉛筆が可愛いとか、この下敷きが気に入ってるとか話されても、私たちは対応が適当になってしまう。
でもパパはひとつひとつ反応してくれる。それがすごく嬉しいみたい。
よく考えたら何を話しても反応してくれる味方が増えたんだから、話すのが楽しいのは理解できる。
私は仁菜が消しゴムひとつ出して自慢して、それを聞いている透さんの声を聞きながら二度寝しようとして……仁菜に叩き起こされた。
……眠たい。
そして三人で近所のパン屋さんまで歩いて、朝ご飯を買いに行った。
朝の空気はキンと冷えていて、そこら中に氷があって、それを蹴りながらゆっくり進む朝。




