あの日のクリスマス
「もうすぐ透さんが一課から居なくなります。淋しすぎます……」
とある日の通勤列車。
相変わらず混んでいる中央特快の中で菜穂は俺にしがみついて言った。
唇が尖っていて、明らかに不満げで、正直可愛い。
俺は混雑しているのを良いことに菜穂を抱き寄せた。
菜穂は尖らせていた唇を少しだけ元に戻して俺の胸元に収まり、
「こうやって通勤時間があるから良いですけど……それでもイヤで仕方がないです。でももうすぐクリスマスですから楽しみです。毎年広瀬家と海野家で合同クリスマスパーティーをしてるんですけど、今年は離れでしようって彩音さんと話してるんですよ」
「楽しそうだ」
「おばあちゃんとおじいちゃんが盛り上がっちゃって、カラオケを借りたみたいです。たぶんずっと中島みゆき聞かされますよ。おばあちゃんガチ勢なので」
「え、うちのじいさん、歌なんて歌うのか?」
「サザンオールスターズがお好きみたいで、お仕事されるときに歌ってますよ」
「サザン? え、何を……?」
「TSUNAMIをエンドレスです」
「……歌ってた気がする」
「ふたりともお上手なんですよ。楽しみですね。一緒に飾り付けしましょう」
菜穂はそう言って俺のほうを見て、胸元にグイグイと入ってきた。
到着した新宿駅はもうクリスマス一色で、緑と赤の装飾に、俺は相変わらず少し痛む胸を感じた。
俺はあまりクリスマスが好きではない。
「とーるは、サンタさんに何もらうの?!」
そう聞かれた時に、何を言ってるんだろうと思ったのを、今も覚えている。
なんとなく園庭が浮かぶから……たぶん幼稚園の頃だ。
俺は幼稚園の友だちから聞かされて「サンタクロースというものがいて、どうやら寝ている間に何かをくれるらしい」と知った。
俺の家では、そんなこと一度もなかった。
だから俺は「そんなの居ないよ」と言って、友だちを泣かせてしまった。
すると幼稚園の先生がサンタクロースの絵本を読んでくれた。
それでこの世界にはサンタクロースというものがいて、枕元にこっそりプレゼントを置いてくれるらしい。
反応を見る限り、それを知らなかったのは俺だけのようだった。
それが子ども心に悲しくてかっこ悪くて、知らなかったことを誰にも知られたくなくて、それからはテレビで流れていたおもちゃを貰ったということにしてやり過ごした。
それでも妹の彩音まで「サンタクロースを知らない」わけにはいかないと思った。
だから俺が小学校四年生で彩音が三歳になった頃、じいさんに「彩音のためにサンタクロースをしたい」とお願いした。
じいさんは俺に頭を下げて「透に何もしてきてなかったな」と謝ってくれた。
じいさんはそういうことに全く興味がなく、記念日に祝うということを全然してくれてなかった。
単純に仕事が忙しく、そこまで気が回らなかったのだろう、責める気にはならない。
俺がサンタクロースのことを言ってからは、俺と彩音の誕生日にプレゼントをくれるようになって、サンタクロースは来るようになった。
無邪気に喜ぶ彩音の横で、俺はもうそれがじいさんだと知っているわけで、どこか寂しさは残った。
「広瀬さん、新宿店の長靴ネコ、在庫が切れました」
「予想より早いな。国内の余剰在庫は?」
「厳しい感じです」
「池袋店は、すさまじい規模で発注をかけてたから確認しよう」
11月末になるとクリスマス商戦の佳境に入る。
商品は9月に卸して10月には並んでいるが、本格的な商品が並ぶのは11月で、末になるとかなり商品が売り切れてしまう。
ここから何を追加発注していくのかが難しい。
長靴ネコは、お菓子が入ったよくある靴下型のものだが、頭の部分にうちの店のメインキャラクター、黒猫が付いている。
毎年評判が良いのだが、今年から黒猫を取り外して自分の好きなぬいぐるみを入れられるようにしたら、推し活ブームに乗り、爆発的に売れている。
でもこの商品を企画した池袋店だけは、とんでもない規模で発注をかけていたから、まだ数字上はかなり在庫が残っている。
でも数字上の在庫があるからと要請を出すのはトラブルの元だ。
俺は打ち合わせがてら池袋店に顔を出すことにした。
「……すごいな」
「広瀬さん、おつかれさまです」
「世界にはこんな色んなぬいぐるみがあるのか……」
「あるんですよ。これアニメ、ゲーム、配信者もありますね」
「……まったく分からない世界だ」
俺は池袋店の店頭に置いてあるクリスマスツリーを見て絶句した。
そこには長靴ネコのぬいぐるみはセンターにひとつだけ。
あとは色んな小さなぬいぐるみに変更されていた。
そこに自分のぬいぐるみを持って来た人たちが、ツリーと一緒に撮影している。
そして「あって良かったー!」と長靴ネコを買っていく。
俺はそれを見て、
「とんでもない数を仕入れてたから余剰在庫を他店にお願いをしに来たが……これは無理そうだな」
店長の坂田さんは首を振って、
「今ある分も来週末で切れると思います。むしろ追加できないかと今日報告書に書こうと思ってました」
「去年の四倍発注したのにすごいな」
「私たちも驚きました。元々長靴ネコの人気はあったんですけど、取り外せることでここまで伸びるとは思ってませんでした」
結局俺と坂田さんは店奥の事務所で、現時点で在庫が足りてない店長たちも繋いで簡易会議をして、長靴ネコの追加発注数を決めた。
1週間は在庫が切れてしまうが、池袋店だけはギリギリ耐えられるかもしれない。
坂田さんは作業をしながら、
「広瀬さん、EC事業部に異動だって聞きました」
「ああ、三日後には完全に異動になる」
「企画通すのも広瀬さん経由だから通るのもあったんです。淋しいというか、困ります……」
「こうして実績も作ったんだ。もう大丈夫だろ」
「広瀬さんがゴリ押しを認めてくれたからこんな特化型の店で利益出せるようになったんです。前よりお客さんが増えて、小さい子も買いに来てくれるようになったんです」
その視線の先には、長靴ネコの靴下を持った小さな子がお母さんと一緒に歩いていた。
右手にはアニメのキャラクターだろうか……ぬいぐるみを持っている。
クリスマスの買い物に来たのか、両手に大きな袋を抱えて幸せそうで、履いている靴は歩くたびに高い音を響かせる。
坂田さんは、
「自分がされた功績を見たくなったら、たまに店に来てください」
「……ありがとう。でも俺はいいと思ったものを手早く通しただけで、すべて坂田さんたちの企画力のおかげだ」
「また~~、そう言ってくれるから頑張れちゃいます~」
そう言って坂田さんは仕事に戻った。
俺はきっともう最後になるであろう営業一課の係長として訪れた池袋店の写真をなんとなく納めて、家路に付いた。
俺は本当に頑張ってる人たちの意見をすくってあげているだけで、ただの営業にすぎない。
だけど、そう言って貰えることに喜びは感じる。
仕事を終えて電車で帰る。
電車のなかもクリスマス一色で、華やかにラッピングされている。
駅ビルもサンタクロースの服を着た人たちがケーキの予約を呼びかけている。
俺はマフラーをまき直して鞄から自転車の鍵を取り出す。キンと冷えていて慌てて手袋をした。
吐き出す息の白さで、都内とここでは気温がかなり違うのでは……と思いながら家のほうに向かって自転車を走らせた。
すると離れの中から、菜穂とリュウ、そして仁菜ちゃんの声が聞こえてきた。
俺は自転車を離れに止めて顔を出す。
外は寒かったが離れの中は石油ストーブがついていて温かい。
すぐに菜穂が俺に気がついて笑顔を見せた。
「透さん、おかえりなさい。見てください、ツリーが来ました!」
「おお……大きいな」
「これから毎年使えるようにおじいさんが大きなものを買ってくれました」
離れの台所に、俺の身長ほどのツリーが置かれていた。
俺の所に仁菜ちゃんが来て、折り紙で作ったサンタクロースを見せる。
「透くん、見て見て! 作ったの」
「上手だな」
「でしょう? 可愛く飾るから!」
そう言って部屋で折り紙を切っているリュウの方に戻って行った。
離れの部屋はもう折り紙とフェルトと綿ですごいことになっている。
俺が台所の椅子に座ると、菜穂が「寒いですね」と温かいお茶を出してくれた。
俺はそれを一口飲んで……ずっと思っていたことを静かに口に出した。
「……実は俺、こうやって子どもの頃にパーティーをした記憶がなくてさ」
「……なるほど」
「さっき池袋店行ってきたんだけど……子どもがお母さんと手を繋いでさ、買い物してるんだ。俺そういう経験なくて、気がついたらそういう時期が終わってて……。いやもう淋しい時期は終わってるけど、やっぱりこの時期はテンションが上がりきらないというか……よく分からない気持ちになる」
俺がそう言うと、菜穂は俺の手を両手で包み、
「じゃあ、今日から楽しみをはじめませんか?」
と言った。
どういう意味だろうと思っていたら、菜穂は机の上に置いてあったクリスマス柄の箱を見せてくれた。
「これ、アドベントカレンダーって言うんですけど、知ってますか?」
「……ごめん、知らない」
「12月1日からクリスマスの24日までの間、毎日1つずつ窓や扉を開けてカウントダウンするカレンダーなんですけど……ここの点線の所をあけるとチョコレートが入ってるんです」
そう言って菜穂はアドベントカレンダーの箱を俺に見せてくれた。
どうやら毎日ひとつずつそこからチョコレートを出して、クリスマスを楽しみにするものだった。
菜穂は俺にスマホを見せて、
「これをリュウくんと仁菜は楽しみにしてるんです。でもこれは子ども用なので、私と一緒にスマホでアドベントカレンダーをしませんか? 最近見つけたんですけど……透さんとしたいです」
それはアプリ型のアドベントカレンダーのようで、クリスマスまでの限定アルバムのようなものだった。
その日にそのアプリから写真を撮ると、日付の所に写真が収まる。
そして24日までを楽しみにしましょう……というものだった。
菜穂は俺と仁菜ちゃんとリュウくんを誘って、まだほぼ裸のツリーの前で写真を撮った。
そしてそれを、今日の日付の所に入れた。
「過去は変わりません。きっと忘れることもできない。だから分からなくて当然です。でもここから私と一緒に始めることは出来る」
「菜穂……」
「一緒に『楽しみ』から始めませんか」
「透くん、こっちこっち、一緒にサンタ作ろう? 仁菜、サンタ作るのすごく上手だからね」
仁菜ちゃんにさそわれて俺は折り紙のサンタクロースを作り始めた。
はじめて折ったサンタクロースの折り紙は予想以上に難しくて仁菜ちゃんに「本気でやって?」と怒られた。
大人になってから始める「楽しみ」があってもいい。
「これは、広瀬家、海野家、緊急会議ってことでいいのね?」
「……美子さん、そこまでのことではないです」
ある日の夕方、俺は離れに、海野のおばあちゃん……美子さんを呼び出した。
そして菜穂の薬指のサイズを知りたいので、調べてほしいとお願いした。
最近菜穂と何度か指輪店に行っているので、菜穂も気がついてはいると思うけれど……そろそろプロポーズをしたいと思っている。
そのためには指輪のサイズが必要なんだが、そこまで菜穂に聞くのは無粋に感じてしまう。
だから美子さんに何とか調べられないかと聞いたら、
「菜穂ちゃんがたまに右手の薬指につけてる指輪で測ってきたからね」
そう言って美子さんは丸められた針金を置いてくれた。
俺はそれを受け取って頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。菜穂ちゃんの笑顔、楽しみにしてるから!」
「……ありがとうございます」
助かった。
菜穂が「可愛いです」と言っていた指輪を、これでオーダーしようと思う。
今年からもう、ひとりのクリスマスをどこか淋しい気持ちで迎えなくて済むように。




