すぐそこにある幸せを感じながら
「海野さん、絶対海野さんだ!」
「……はい?」
私が店回りに出ようと荷物をまとめていたら、商品開発課の緑川課長が飛び込んできた。
「ちょっときて、ちょっときて」と呼ばれて、そのまま商品開発課まで連れて行かれる。
なんだろうと思って行ったら、
「そうよ、この方。大正解よ」
そこには地下鉄で右側に向かって歩いて行ってしまうおばあちゃんがいた。
私は思わず駆け寄る。
「おばあちゃん!」
横で緑川さんは手を叩いて、
「やった正解ーーー! うちの会社におばあちゃんに話しかけて外歩いてるのは海野さんだけだもん!」
と私を席に座らせた。
どうやら私が駅で「右側側に向かって歩いているので病院に」と伝えたのは、醸屋三左衛門という味噌の専門店の六代目、本庄紀代子さんだった。
うちに商品を卸してくださっているお店で、私も醸屋さんの味噌は大好きで知っていた。
「醸屋さんの……はじめまして。営業一課の海野菜穂と申します」
「胸元に会社の社員証をぶら下げてるのは気づいてたのよ。だからお礼が言いたくて、緑川さん相手にクイズ大会してたのよ~」
緑川さんは、
「絶対この会社なの。髪の毛は縛っててね、シャキシャキした方なの……っておっしゃるから、そんな人たくさんいるーって悩んだんだけど、よく考えたら日中外歩いてるの営業だけだ。やったー!」
紀代子さんは私に向かって、
「私が右側だけに向かって歩いてるって、病院で相談してって言ってくれたでしょ。私覚えててそれ言ったの。そしたら先生たちが大騒ぎしてすぐにマシンに入れられてね、あれこれ検査検査。脳梗塞の可能性があったのね」
私は頷いて、
「そうです。だから心配してました」
「検査したら脳梗塞じゃなくてね、耳だったの。前庭神経炎っていう耳の奥の方の神経にばい菌が入ってたの」
「! そうだったんですか」
全く知らない病名だけど、とりあえず命に関わる病気じゃなくて、原因が分かって良かった。
紀代子さんは続ける。
「結構悪くなってたんだけど、私昔メニエールやってるし、わりとフラフラしてるのに慣れちゃってて気がついてなかったの。でも先生曰く、右側に寄って歩くレベルだとかなり危なかったですよって。今ごろもっとド派手に転んでるかもしれないし、道路に飛び出してたかもって言われて」
「……良かったです」
「お薬飲んでかなり良くなったのよ、治ってね、あら私フラフラしてたのねって自覚したの。だからどうしても貴女を探してお礼を言いたかったの。ありがとう」
「いえ、こちらこそ探して結果を教えてくださってありがとうございます。気になってたんです」
「嬉しいわあ。もうお仕事はおしまい? お茶しません?」
私はスマホを見る。
16時。国分寺店に顔を出す約束をしてるから厳しい……そこで思い出した。
「醸屋さんって東村山が本店ですよね。お住まいもひょっとして東村山ですか?」
「そうよ」
「私国分寺店に顔を出す用事があるので、ご自宅までお送りします。そしてお話しませんか?」
「あら、送って下さるの? 嬉しいわ。じゃあ自宅でお話しましょう。行きましょう」
私と紀代子さんは緑川さんに頭を下げて一緒に会社を出た。
紀代子さんはまず会社から出て「見てて?」と言って、まっすぐに歩いた。
私は走り寄って「完璧です!」と拍手した。
そして電車の中で、大好きな人のおじいさんが80才で現役の庭師さんで、歯周病からくるめまいで転落してしまったことを話した。
紀代子さんは「まあ……そんな……骨折はもう大変でしょう?」と心底心配そうに話してくれた。
私の利点は四世代同居しながらフルタイムで働けている所で、ご高齢の方と話すのは得意だと思う。
一緒に国分寺から乗り換えて、まずは紀代子さんを東村山まで送る。
到着した東村山の醸屋三左衛門本店は、木造で、手前に店舗、そして奥には味噌蔵がある建物だった。
「……わあ、すごい。雰囲気があって良いお店ですね」
私が言うと紀代子さんは私を店内に連れて行ってくれた。
店内に入るとふわりと香る麹と、味噌の匂い……。甘くてすごく好き。
中にはたくさんのお客さんがいらっしゃるんだけど……、
「……驚きました。インバウンドすごいですね」
「そうなの。もう店員も9割外国さんなのよ」
そう言って紀代子さんは苦笑して、隣に立っているご自宅に私を招き入れてくれた。
来客用の広間で、紀代子さんは私にお茶とお饅頭を出して、
「お仕事があるのよね? だからこれだけ。もう私、おしゃべりとなるとずっと話しちゃうから」
「すみません、国分寺店のほうに顔を出す用事があって。でも場所が分かったので、今度は国分寺店の後の時間に寄ります」
「いいのよ、若い子たちは忙しいんだから! こんなおばあちゃんの相手なんてしてる暇ないわあ」
そう言って紀代子さんは手を振った。
私はさっそく出してもらったお饅頭を一口食べて、
「! 味噌皮まんじゅう。えっ……すっごく美味しいです
「そう? これ私の手作りなの」
「そうですよね、醸屋さんの商品ラインナップにこれ……ないですよね」
「商品に出せるようなもんじゃないのよ。樽の上についた白味噌を生地に練り込んで、私のお友だちが作った白あんと、近所で採れたクルミ使ってるんだから」
「美味しいです。甘辛い皮と中のしっとりした餡……それにクルミがカリカリで美味しいです。クルミがキャラメルでコーティングされてるんですね。すごい!」
出してもらった味噌皮まんじゅうは、風味が最高で、噛むたびにカリカリと美味しくて、
「全部でひとつの作品なんですけど、それを味噌が上手に包んでます」
「やだーー。海野さんさすが営業、褒め上手ね」
「いえいえ、美味しいものが大好きで、だからそれを売る仕事をしてるんですよ。え、これは、うちの商品開発課と話していた新商品の件ですか?」
私が聞くと紀代子さんは静かに首を振って、
「ううん。むしろ今出している商品をもう出せなくなるかも……ってお話」
「えっ……何でですか? 醸屋さんのお味噌、うちの人気商品なのに」
紀代子さんはお茶を飲んで、
「うちの七代目がね……私の娘なんだけど、海外に留学して海外のレストランのオーナーと結婚したの。うちのお味噌を褒めてくれて」
「それは嬉しいですね」
「うちの商品を使ったコースが大人気みたいで、お店を増やしたいみたい」
「……なるほど」
「日本でもインバウンド向けのお店をしたいみたいで……うちの販売店も飲食店にしたいって言ってるの」
「……店を潰して?」
「そう。味噌蔵の隣であることに意味があるって。あんなに大きな店は要らないから、海外のお客さん向けに飲食店をして、その横でこじんまり売ればいいって。パッケージも一新して英語にして……って色々考えてるみたい。売り上げは良くなってるから私も強く言えなくてね……。昔から使ってきたパッケージも変えるなら、もう私は引退したいと思って。娘も旦那さんも日本市場に興味なくて、もう商品を続けて提供できないかも……ってお話してるの」
「そうだったんですか……なるほど」
こういう日本特有の商品を取り合う所とお話しして、一番あるのは後継者問題だ。
今は地味で時間がかかり、派手に褒められない製造業を自らする若い者は少ない。
それこそ、老舗の醤油店にこの前お邪魔したら、従業員の半分は外国の方だった。
そんななか、自分の娘が積極的に継いでくれるなら、それはむしろ好ましい状態だ。
ただ暖簾を継いで貰える……それだけで喜ぶ人が多い現実を私は知っている。
ただそれが、醸屋さんのイメージと違っても、こればかりは私が言うことじゃない。
私はお茶を飲んで、
「……きっとうちの緑川は、紀代子さんとお仕事がしたくて、会社にお呼びしてるんだと思います。何かの縁ですし、私もこうしてまた一緒にお話しできたら……と思います。紀代子さんが継いできた醸屋の誇りとブランドを、我が社で大切に出来たらな……と思います。とってもこの味噌皮まんじゅう、美味しいですし」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
紀代子さんはそう言って微笑んだ。
私は「家で家族と食べたいんです!」と強欲に味噌皮まんじゅうを何個か頂き、国分寺店に顔を出して帰宅した。
「わあ……ママ、何してるの?!」
「オシャレなおやつを作ってるんだよー?」
今日は土曜日で、天気が良いのでいつも通りリュウくんと透さんが家に来ている。
外遊びに飽きた仁菜が台所で作業してる私の所に顔を出した。
仁菜は目を輝かせて、
「生クリーム! 仁菜ちゃん生クリーム、ガーーしたいの!」
「いいよ。手を洗ってね。あとミキサー持ち上げないでね、大惨事になるから」
「分かってる!」
仁菜は手を洗って電動ミキサーで生クリームを泡立て始めた。
そこに庭で遊んでいたリュウくんと透さんが戻ってくる。
「何を作ってるんだ?」
「透さん。おやつにちょっと美味しいものを出そうと思って」
私はトースターで温めた味噌皮まんじゅうの横に、仁菜が立てたホイップクリームを添えて出した。
仁菜とリュウくんもそれを見て、
「お店みたい!!」
「どうぞ?」
私はフォークをふたりに渡した。
ふたりは生クリームをたっぷり付けて味噌皮まんじゅうを食べて、
「美味しい!」
と叫んだ。
私は透さんの前にそれを置き、
「醸屋さんの味噌皮まんじゅうなんです。この前ご自宅にお邪魔して頂いてきました」
「醸屋さんを救ったって開発に聞いた」
「いえいえ、本当にただ指摘しただけです」
「偉ぶらないのが菜穂のすごい所だと思う。だからご自宅に呼んで貰えたんだね」
透さんに褒められて少し照れくさい。
透さんはそれを見て、
「味噌皮まんじゅう……いや、醸屋にそんな商品ないよな?」
「ないんです。これなんと醸屋さんの手作りなんです。このままでもとっても美味しかったんですけど、生クリームがあったら最高だなと思って、今日出してみました」
透さんはそれを一口食べて、
「……うっま」
「美味しいですよね。この味噌が練り込まれた皮と、餡。それにクルミ……そこに生クリーム少しつけて、コーヒー」
「うますぎる。え、これは良いな」
「ですよね」
私も一緒に食べた。
やっぱり最高に美味しい。
仁菜とリュウくんは残った生クリームのボウルをリビングの机に置いて、ふたりで舐め始めた。
顔中真っ白。うん、想定内。透さんは味噌皮まんじゅうを食べながら、
「味噌のスイーツ、面白いな。そういえば今度行こうと思っていた店の近くに、味噌チゲを出して、デザートも味噌を使ってる……って書いてあった」
「興味あります」
「じゃあ予約しようか。そう、マップで見てたら出てきて……銀座の店にしようと思ったけど、こっちにしよう。ちょっとすまない、予約変更する」
そう言って透さんはスマホをいじりはじめた。
うちの会社は2週間に一度ほど本社で会議があり、みんなそのまま帰る日がある。
夕方の早い時間に終わることが多く、最近その時は透さんと外食することが多い。
そして最近……。
そのたびに透さんは私を都内の指輪が売っている店に連れて行って、好みを聞いてくれる時間が……必ずある。
こういうのって……どう反応したらいいのか分からないけれど……きっと透さんは私に贈る指輪を……選んでいる気がする。
私はあまり派手な指輪は好きじゃなくて……シンプルで可愛いものが好き。だから聞いてくれるのは嬉しいけれど、なんだか幸せを膜に包んで話しているような感覚が恥ずかしくて……でもどこかすぐそこに幸せがあるのが、なんとなく分かっていて。
知られてしまうと分かっていても、私の趣味を考えてくれる透さんが好きだと思う。
仁菜とリュウくんが生クリームだらけになって騒いでいるのどかな午後、跡継ぎ問題難しいけど、美味しいものは長く食べたいですね……と透さんと話した。




