俺が唯一休まる場所は、
「こちらどうですか? 当店で取り扱うサンプルのセットになっています」
「わあすごい。ありがとうございますー!」
俺はサンプルが入った袋を渡して頭を下げた。
今日は展示場で行われるイベントの手伝いに来ている。
うちの会社は国産にこだわった商品を日本全国から集めて販売する事業をしている。
石神井店のように国産にこだわらず、店のカラーを出す店舗も増えてきているが、基本的に置いてある商品は決まっている。
日本中にある小さな店から仕入れて販売している商品も多く、それを知ってもらうために展示会やイベントにも多く参加している。
主に広報と展示部がメインで動くが、規模が大きくなるとその他の部署へヘルプ要請がある。
秋口にあるこの展示会はホールを二つ貸し切って行う大規模なもので、毎年うちの会社も出展している。
じいさんが倒れて半年、土日の仕事はすべて断ってきたが、やっと落ち着いてきた。
それに営業一課からの異動も決まった今、展示会のヘルプに出ておこうと思った。
サンプルを配っていたら広報の近藤が来た。
「広瀬さん、おはようございます! 今日はありがとうございます」
「おはよう。舞台か?」
「はい。これから舞台なんですけど……あのお願いがあるんです……」
そう言って近藤は俯いた。
この展示会は、かなり大きな舞台があり、そこで各社の広報が「今一番のオススメ商品」や「アピールポイント」を話す。
それはネットに中継されていて、その場で購入することができる。
芸能人やインフルエンサーが多く呼ばれていて、舞台の上でそれを食べて話したり、イベント性が高い展示会だ。
今日の近藤はちょっとすごい。
いつもの会社の服装とはたぶんメイクも何もかもが違う。
俺はそこまで女性のあれこれに詳しくないが、たぶん色々違う。
近藤は俺の方を見て、
「実は結構……強引に写真を撮ろうとしたり近づいて来る人が多くて怖いんです。だから舞台の間、一緒にいて貰えませんか」
「なるほど。というか、今もそうだな」
「あ、ユメコこんにちわー! サンプルですか? ちょっとまってくださいね」
そう言って近藤はスマホを持って近づいてきた人にサンプルを渡した。
サンプルを受け取った人は、決してスマホを手放さない。
近藤を撮影したままサンプルを受け取って、一緒に画面に映り、少し話をして去って行った。
「……すごいな」
「あの子はナチュラリストで有名なインフルエンサーです。リールに乗るとかなりお客さんが来てくれるので大切なんですよ」
「すごい世界だ」
「今はただ細い子はウケないんです。健康的に美味しいものを食べて、それで可愛い。そういうインフルエンサーの子の動画には積極的に出るようにしてます」
「広報だな」
「そうですよ、でも怖い男の人も多いんです……だからお願いします」
そう言って近藤は頭を下げた。
俺はしっかり仕事をしている近藤を偉いと思い、それに同行することにした。
というか、本当に近藤の人気はすごい。どうやら「会社員なのに綺麗」だというのは一種のステータスのようで、社員証を付けたまま一緒に動画撮影に応じている。
いうなれば私生活と仕事が混ざってしまうような状態で、大変なのでは……と思ってしまうが、近藤曰く「個人のSNSに依頼がくるので楽しい。それに色んなパーティーにも呼ばれるようになる」……らしい。
会社側も広報はもう面接時にSNSをチェックしてるようだし、そういうのも仕事の一部なんだろう。
なにより近藤は元モデルで、化粧品会社との対談もしていた。
広報の部長は、うちの会社で唯一の女性だがインフルエンサーの使い方が上手く売り上げが伸びているようだから、正しいのだろう。
俺は来年からEC事業部に行くので、こっち側に詳しくなって損はない。
会場を歩いていると、数メートルに一度話しかけられ撮影になる。
俺は少し離れた場所に立ち、サンプルを持って着いていく係になった。
すると男性三人組が近藤に近付いて来た。
そして前左右から近藤に近づいて、
「近藤ちゃん久しぶり~~。あっちの塩アイス食べに行かない?」
近藤は、
「あ、ごめんなさい。今からリハーサルなんです~」
と断った。
しかし男たちは距離をつめて、
「ノリが悪いな~。大切だよ~お客さまを大切にしない企業は潰れちゃうんだから~」
と取り囲んだ。
これは違うだろう。
俺は近藤の前に立ち、
「当店でお好きな商品は何でしょうか」
「えっ、なんだよ、こいつ」
俺は名刺を見せて、
「和泉フーズ株式会社の広瀬です。当店のお客さまということなので、どちらの商品がお好きかなと思いまして」
「えっ……塩、塩だよ! お前の店の塩がいい!」
「鯛のだし塩でしょうか。あれで握るだけで子どもはおにぎりを食べるようになります。個人的には和歌山の梅塩も良いですね、食欲が無いときもあれをかけるだけで美味しく頂けますし。雪塩も良いですね。魚を焼く30分前に振りかけておいて置くと臭みが抜けてコクが出ます。個人的には刺身にかけて食べるのをオススメしています」
「知らねえよ! なんだこのおっさん!」
そう言って三人は近藤から離れていった。
でも離れたそばから、女性客が握手を求めに行ってる……なんなんだあれは。
近藤は俺の背中から横に戻り、
「……ありがとうございます、広瀬さん。あの人たち、美味しいものを食べながら原付で移動しているインフルエンサーで……人気あるんですけど、私は怖くて……」
「いくらなんでも距離が近いな。行こうか」
俺が歩き出すと、近藤が背広の後ろを引っ張った。
そして、
「広瀬さんEC事業部に異動になるって聞きました。広報広報広報、どうして広報じゃないんですかーー!」
「俺は広報は無理だと思う。そもそもSNSに全く詳しくない」
「あんな風に撃退してくれる人他にいないですよ、もおおお、いつも居てほしいです」
「EC事業部に異動したら、むしろSNSの使い方を近藤に聞くことになると思う。そっちと連動したほうが強さは出そうだ」
「それはこっちからお願いしたいですけど!」
話している間にもスマホで撮影したままの人たちが近付いて来て、俺は離れる。
いやちょっと、本当にすごいな。
「近藤ちゃん~~、やっほーーー!」
「坂本さん、おつかれさまです~~~」
舞台のリハーサルのために舞台裏に行くと、近藤の周りに華やかな女性たちが集まってきた。
皆スーツを着ていて首からネックストラップを下げているから、会社員なのだろう。
個人のスマホで撮影して常時SNSに情報をアップしていく。
その中のひとりが俺に近付いて来て、
「広瀬さん! さっき配信みてました。カッコ良かったー! 部署はどこなんですか?」
「え……配信……?」
「え、ペンネコーズの配信に出てた方ですよね」
「ペンネ……?」
ショートパスタしか浮かばない。
俺とその女性の間に近藤が慌てて入ってきて、
「ダメダメダメ、広瀬さんはダメ。ってペンネコーズ、あれ撮影じゃなくて配信だったの? 会場内配信禁止でしょう」
「あのあと止まってた。でもリアルタイムで広瀬さんが撃退してたの写ってた。ほらカッコイイ~~~。え~~、三歩日食の里奈です、よろしくお願いします-」
「ちょっと里奈ちゃん広瀬さんはダメなんだから……あ、本当だすいません広瀬さん、さっきの配信だったみたいで」
そう言って近藤が見せてくれたのは、さっき俺が塩の名前を早口で言っている所だった。
こうみると、ただ真顔で塩のウンチクを語っている会社員だ。
何がカッコイイのか分からない。
俺は掌でスマホを遠ざけて、
「……ありがとうございます、もう良いです」
「カッコ良かったってみんなで話してて~。あ、私は大村食品の葵です、24才彼氏いませんー、よろしくお願いします~~」
「もうやだ連れてこなければ良かった」
「結ちゃん、今度パーティーに広瀬さん連れてきてよ~~会社員なんでしょ~~? 仕事仕事~」
俺は話を聞いてるだけで疲れてきて、リハーサルが始まったのを良いことにその場から離れた。
価値観のようなものが大きく離れていて疲れる。でもそれで商品が売れる時代になってきたことは理解出来るから、上手な距離感の取り方が必要だろう。
俺自身は全くSNSをしていない。でも菜穂は仁菜ちゃんの写真を共有するためにインスタグラムをしていると言っていた。
それを見たいし、俺も参加したいからアカウントを作るか……と菜穂と仁菜ちゃんのアカウントを見て疲れを癒やした。
今日は土曜日で、菜穂と仁菜ちゃんとリュウと彩音で吉祥寺に新しくできたチャイニーズレストランに行っているようだ。
俺もそっちのがいい……ここは常にカメラがあって気が抜けない。
リハーサルから本番が始まり、照明がたかれて華やかな芸能人たちが舞台に立った。
色んな会社の広報たちが表に立ち、自社の製品をしっかりアピールしている。
近藤も「さっきちょうどバズったみたいで……」と塩の紹介をしている。
会場から笑いも起きていて、起きたことをすぐにリアルに動かしていく……それが今のネットでの営業なのかも知れないと思う。
舞台が終わり、俺と近藤は展示会スペースに戻る。
その間もたくさんの人たちが来て、近藤は歩けないほどだ。
やっとスペース裏に戻り、俺と近藤はお茶を飲んだ。ハードすぎる。
俺は、
「大変じゃないか。こんな私生活と会社が混ざって」
「……私本当は芸能人になりたかったんです。でもそこまで可愛くない。でも勉強は得意でした。だからこうして会社に就職して、芸能人みたいに舞台に立って仕事出来てるの、楽しいんです」
「それならいいが。気をつけたほうがいい。これは危ない」
あまりに大量に人が撮影しながら近付いてくるのが正直恐怖を感じた。
近藤は俺を見て、
「……広瀬さん。私、広瀬さんのこと個人的に好きなんです。やっぱり広瀬さんカッコイイ。好きです」
「俺、結婚を考えてる彼女がいるんだ。ものすごく好きで……正直今日も舞台裏でスマホ見ながら、はやく帰りたいと思ってた」
「……イヤです……」
「めちゃくちゃ可愛くて……一緒にいるだけで癒やされる。何をしてても楽しいし、正直展示会で集めてるのも彼女が好きそうな香辛料ばかりだ」
「イヤです!!」
「……ごめんな、近藤。ずっと近藤が俺のことを気にしてくれてるのは分かってたけど、価値観が合わないと思う」
「イヤですーーーーー!!」
近藤がスペースの裏で絶叫するので、社員が「なんだ?」と見に来てしまう。
俺は「大丈夫」と軽くあしらって近藤に頭を下げてスペースに戻った。
そして展示会終えてすぐに帰ろうとしたら本社営業に捕まってEC事業部との連動の話を延々とされた。
朝から晩までヘビーすぎる……。
「はあ……」
帰ってきたら夜の23時。
でも……菜穂は23時半までは起きてると言ってくれた。
俺は菜穂の家の前でスマホを打つ。するとすぐに既読になって菜穂が上着を羽織って出て来た。
「おかえりなさい」
俺はその笑顔にどっと疲れを感じて菜穂を抱きしめた。
「……ただいま。疲れた」
菜穂は胸元に収まった状態で俺を見て、
「家まで歩きましょう? 待ってました」
「菜穂……俺は疲れた……」
そう言ってズル……と抱きついた。
菜穂は俺を支えて笑い、
「透さん、ほら歩いて。お家に帰りましょう」
「すべてのカメラが俺を見てる気がする……トラウマになった……」
「大丈夫、真っ暗で私しかいませんよ?」
そう微笑む菜穂が可愛くて手を繋いで帰った。
俺は菜穂といるのが一番幸せだ。