恋も仕事もしたいから
「透さん、あのライダーベルト、2017年のものでした」
「そうなんだよ。だから俺も彩音に『なんでこんな古いものがあるんだ』って聞いたら、中古ショップで買ったらしい」
朝の通勤列車で、私と透さんは仮面ライダーベルトの修理方法を話していた。
昨日リュウくんが持って来た仮面ライダーベルトは古すぎて、修理がかなり困難なものだった。
彩音さん曰く「そのベルトは偶然中古屋で見つけて買っただけ」。
確かに年長さんの今も、ふたりは仮面ライダーを熱心に見ている気配はない。
透さんはスマホをいじりながら、
「オモチャの修理屋さんはネットにも多くあるから、何カ所か写真と共に動画も送った。どこか直せるといいけど」
「メルカリで同じ商品を買って、それが壊れていても部品取りになるっていう記事を見つけました」
「なるほど。リマインダーかけるか」
こうなると一緒に仕事をしている私たちの作業は早い。
透さんとオークションサイト巡りを始めた。
新しいものを買っても、あのリュウくんが持って来たものを直したいと透さんと話し合った。
透さんはスマホをいじる手を止めて私を見て、
「家庭裁判所はいつ行くんだ?」
「明後日立川店に行くので、その時にいくつもりです」
「そうか」
そう言って透さんは私を優しく抱き寄せて「今日も早く帰ろう」と頭の上で言ってくれた。
電車が立川に到着して、さらに混む。
透さんは私を守って立ってくれる。
私は透さんにしがみつきながら、
「あの……会社でのことなんですけど」
「ああ」
「透さんとお付き合いすることになって……あの便利だから使うんですけど……透さんの好きが溜まって変身するまでは、会社の人に知られたくないです。正直メリットが全くありません。周りの目が必要以上に集まった結果、潮くんみたいなことになる可能性はあります。あれ、最初は些細なことだったんです。家で少しトラブルを起こしたふたりが、会社でもぶつかって、そのまま数倍に膨れ上がった話で……」
私は社内恋愛をはじめたと大々的に伝えた潮くん(私の同期)が、社内で少し苛立ったのをきっかけに、最後は家でDVして殴っている……まで話が広がり、その事実がなかったのにもかかわらず強制的に転勤にさせられた事件が忘れられない。
私も声を荒らげた瞬間は見てたけど、彼女相手じゃなかったら、あそこまで問題視されるようなことではなかったと思う。
私は透さんの胸元で、
「透さんにその可能性が少しでもあることをしたくないです」
「分かった。じゃあ……」
そう言って透さんは私を抱き寄せて、
「新宿駅まではこうしていよう。菜穂はいつも新宿で俺に頭をさげて地下鉄に乗っていく。そこからは危ないと思ってたんだろ?」
「そうです。会社まで一緒に来ている……それはアピールなので」
「だから新宿まではこうしていたい。そこからは上司と部下になろう」
「! はい、ありがとうございます」
「俺のほうこそ、仕事は切り替えてくれるほうが助かる。ありがとう」
そう言って透さんは私を優しく抱き寄せてくれた。
この人の恋人になれて良かった。
電車はやがて新宿に到着して、私と透さんはそこでお互いに手を振って別れた。さあ仕事を頑張ろう。
「なるほど。置く場所によってここまで違うんだね」
「入店時にどこまで骨格を認識させられるか……が肝になります」
今日は最上くんが、新宿店でのAIカメラテストの最終報告会を、大阪店担当になる上村くんにしている。
上村くんは大阪店のマップを見ながら、
「大阪店は路面店じゃなくて、限定された入り口がないんだよな」
「インテックさんも意見が分かれてました。カメラを設置する入り口を絞ったほうが良いんじゃないか……という意見が大多数です」
私はその話を横で聞きながら、
「インテックさんの意見がバラバラだから肯定と否定でまとめたほうがいいと思う。正直これは大阪店でもかなり意見が分かれると思う」
最上くんはファイルを見て、
「わかりました。かなり長い話し合いで、議事録にまとめるのが精一杯でした」
「私たちにはこれでいいけど、上村くんが大阪に持って行く時に議事録じゃ厳しいよ」
上村くんも議事録を見て、
「そうだね、これじゃ押井さんに提案できない」
最上くんは「わかりました!」と頷いた。
私と最上くんは新宿店に今日のデータを取りに行くことにした。
最上くんは歩きながら、
「海野さん、新宿店のテスト終わったらランチだって言ってたじゃないですか」
「あ、そうだね。ちょうどいいから途中で食べようか。ラーメンとか?」
「……僕の扱いが雑すぎませんか?」
「だって早く食べて新宿店行ったほうがいいじゃない」
「僕、新宿店の近くでちょっと良い店知ってるんで、今予約していいですか?」
「予約が必要なほどちゃんとした店なんて行かなくていいよ」
今日は絶対にいつもの中央特快に乗りたい私は、お昼ご飯なんて持参しているおにぎりで良いんだけど、確かに約束はしていた。
でも仕事のモチベーションをへし折るのもあれなので行くことにした。
最上くんが予約してくれたのはそれほど頑張った店ではなく、和食のランチが少し静かに食べられる店だった。
とんかつがサクサクで美味しくて、いつも適当にしか食べてないけど、これはこれで……と思ってしまう。
食べていると最上くんが、
「あの……海野さんっていつも外でランチされてますけど、どこで食べてるんですか?」
「私はいつもひとりで外で食べてるけど、こんな良いお店なら、今度彼氏と来たいな」
「! ……なるほど」
最上くんは私の一言で察したみたいで静かになった。
「私彼氏いるよ」とか「誘わないで」とはっきり言えたのは昔のこと。
「そんなこと聞いてないのに、勝手に断られて心が傷ついた」と相談にくると人事の同僚が言っていた。
今は気持ちを少しでも先に感じたら、軽く牽制するのが基本だ。
もちろんしつこく誘われたらはっきり言うけれど。
最上くんは軽くさぐりを入れただけだったのか気を取り直して、
「……わかりました。ただ……会社では海野さんが一番話しやすくて……相談に乗ってほしいんです」
「仕事の話なら全然良いよ。どう? AI班は」
私がそう聞くと最上くんはとんかつを食べながら、
「親父がAIカメラ扱えるなら、本社に来年は戻すって言ってるんです」
「え、これは良かったねというべき? それともイヤなの?」
「イヤです。俺本社戻りたくないです。あそこはみんなギラギラしてて……怖いんですよ」
そう言って最上くんはため息をついた。
最上くんは本社営業部長のひとり息子で、仕事ができなくて子会社のうちに飛ばされてきた。
本社は私もたまに顔を出すけど、エリート意識が高い。
海外への出張も多く、正直最上くんが言う通り「ギラギラ」はしている。
最上くんはとんかつを食べながら、
「親父は『屈辱に耐えてよく頑張った』みたいな態度で……なーんも分かってないんですよ。でも断る勇気もないです」
「断る勇気がないのは実績がないからだよ」
「……はい」
「こっちで実績作って、それで胸張って『こういう仕事がしたい』って言おうよ。断れる自分になるために頑張ろう。それに本社はうちで集めたデータを元に、AIカメラを海外に売り込んでいく仕事になると思うから、またちょっと違うかも」
「そもそも僕、外人が怖いんですよ。英語も出川イングランドレベルですよ、無理ですよーー」
最上くんはそう言って首を振った。
出川イングリッシュ……仁菜が大好きで繰り返しみてるけど、あの根性は逆にすごいと思うけど。
本社には向き不向きがあって、最上くんが厳しいというなら、頑張って残るべきだろう。
でも立場上難しそう。大変だ。
「! おつかれさまです、広瀬さん」
「海野と最上、おつかれさま」
食事を終えて新宿店に着くと、そこに広瀬さんがいた。
広瀬さんは店長と、今後の流れについて話し合いに来ていたようで、店の奥で話をしていた。
店長さんが最上くんに気がついて、呼ぶ。
「最上くん、ちょうど良かった。今も話してたけど新しいカメラも試そうって」
「伺ってます。インテックさんのほうは四種類のカメラをテストしたいみたいで……」
そう言って最上くんはふたりの所に近づいて、せっせとファイルを開いて説明をはじめた。
今までひとりでは店に行くのが怖くて……と言っていたけど、これからは大丈夫そうだ。
私はもうすぐ終業時間だし、それまで……と目の前に置かれたままになっていた段ボールから商品を並べ始める。
するとすぐ横で商品を出していたバイトさんが近づいてきて、
「海野さん、おつかれさまですー。あ、その指先。ひょっとして桑です?」
「そうです。知ってますか?」
「この前ワークショップで桑染めしたら、三日間くらい取れなくて大変だったんです。同じ染まり方だなーと思って」
「取れないですよねー」
私はバイトさんと話ながら作業を進めた。
実は昨日仁菜とリュウくんが、おじいさんの庭にある桑の実を見つけて、さっそくジュースを作った。
毎年これが困りもので、良い色が出るけど、手が染まる。服に付くと終わる。
だから止めてほしいんだけど、ふたりは桑の実が大好きだ。
店長さんと広瀬さんと最上くんは打ち合わせを終えて、私も一緒に新宿店を出ることにした。
店長は最上くんに向かって、
「じゃあ明日、カメラ変える立ち会い、よろしくね」
「よろしくお願いします!」
その胸を張った姿を見て、私と広瀬さんは胸をなで下ろした。
私たち三人は新宿店を出た。広瀬さんは最上くんに向かって、
「大阪店用のデータはできたか」
「まだ議事録の状態なので、明日までにまとめて出します」
最上くんは笑顔で私たちに頭をさげて電車に乗っていった。
時間は18時。終業時間だ。私と広瀬さんはお互いをチラ……とみて、何も話さずトコトコと中央線に向かって歩いた。
なぜか無言で、でも早歩きで、なんだか競歩みたいに。それが妙で歩きながら笑ってしまう。
そしてふたりで、いつもの中央特快に乗った。
私の横で「ふう……」と透さんが息を吐いて、
「偶然会えて良かった。帰ろうか」
そう言って私の手を握った。
見えた掌を見て、私は少し笑ってしまう。実は透さんも昨日桑の実に触れてしまって、掌が染まっている。
誰にも気がつかれないけど、私たちは同じ色で染まっている。
私は染まっている掌を握り、
「新宿店から電車まで、変に無言になってしまい、歩きながら笑ってしまいました」
「朝約束したから、電車から触れていいのか……? って妙に意識してしまった。買い物して帰ろうか」
「はい」
私たちは電車の中で手を繋いで座り、今日の晩ご飯について話した。
この距離感と甘さ。すごく幸せ。