溢れる想い
「すごいですね、めちゃくちゃ良く出来てますね」
「いや、それは最初に作ったものだから、どうかな」
「これが最初に作ったやつなんですか?! 手先が器用すぎます」
ケアマネさんに褒められてじいさんは、まんざらでもないように「そうか?」と嬉しそうにハサミを動かした。
退院してきた時にケアマネさんが「退院してきたら、外出をルーティンにしないと駄目です」と言われていた。
でもじいさんは毎日仕事をしていたし、外出もしていた。だからそんなこと言わなくてもするだろう……そう思っていた。
まさか一ヶ月病院以外家から出ず、布団で眠ったままになるなんて思ってなかったんだ。
それを打開してくれたのは、海野の「ダンス用の衣装、おじいさんに作ってもらうのはどうでしょう?」というアイデアだった。
じいさんに洋裁? と思ったが、型紙を布に合わせて切る。この時点で指先をかなり使うし、体も使う。
それをアイロンをかけて丁寧に縫い合わせていく。思ったより考えながら作業が必要になり、頭を使う。
そして全体を考えながら仕上げていく……。
横で見ていて思ったんだけど、これはじいさんの庭仕事によく似ている。
じいさんは庭を整える前に、庭を見ている。
まっすぐに立って庭をただ見て、どうしようか考えている。
その後に全体を見ながら手を入れていくのだ。そして一本ずつ仕上げて、庭が完成する。
布か、庭か。その違いだけだな……という感じがした。
それにじいさんは手先がめちゃくちゃ器用で、検査の時も医者が驚いていたけど、目が良い。
ハサミの動きも草木を切っていた時の繊細な動きそのもの、針にも一度で糸を通して、見事に縫い上げる。
ミシンの使い方もすぐに覚えて次々にスカートを作っている。
洋裁をはじめたと聞いて見に来たケアマネさんはスカートを見て、
「これは立派なリハビリですよ。そうか、広瀬さん草木を切られていたから手先も器用なんですね。これならお仕事依頼できるレベルですよ。うちで使ってる特殊エプロン! これポケットのサイズが決まっている変わったものなんです」
「ほう……エプロン……」
「特注で作ってたんですけど、業者が潰れちゃって、困ってるんです。これって作れませんか?」
「はじめたばかりでよく分からんが、本体があるなら型紙が作れるだろう」
「えーー、本当ですか?!」
ケアマネさんは目を丸くした。
よくみるとケアマネさんがしているエプロンは横に管のようなものを入れる場所が付いていたり、ハサミやテープ、それにビニール手袋、ゴミ箱的な場所もある特殊なものだった。
ケアマネさんは「えー、本当に頼みたいです。一枚持って来たらテスト的にお願いできますか、もちろんお金も支払います」と言った。
じいさんは笑顔で頷いた。
ケアマネさんもじいさんが本当に作れるとは思ってないかも知れないが、そう言ってくれるだけでモチベになる。
ケアマネさんは俺のほうにきて、
「もうデイケア行かなくて良いと思います。あっちは広瀬さんに合わなかった、それが行かなかった理由です。なにより直前までお仕事されてる方には暇な場所だったんだと思います。通われているのも女性が多いですし、おしゃべりがお好きな方なら良いけど、広瀬さんはそうではなかった……とスタッフから伺っています。気がつくのが遅くなって申し訳ないです」
「いえ。エプロンを頼みたいなんて言ってくださってありがとうございます」
「お世辞じゃないですよ。あのスカート本当に良い出来です。私もそれなりに作りますけど、あんなに縫い目がまっすぐにならないんです。私なんて『とりあえず縫っとけば~』って精神ですけど、源太郎さんのスカートは売り物レベルに美しいです。性格なんだと思いますけど。だから本気で作って貰えるなら発注したいし、そういうリハビリってありなんだなって私自身が勉強になりました」
そう言ってケアマネさんは「安心しました、明日エプロン持って来ます」と帰って行った。
じいさんは几帳面で丁寧な仕事をすると言われていたけれど、それは今も何も変わらないんだな……と俺は黙々と作業している背中を見た。
ケアマネさんが来るというので午前休を取ったが、そろそろ仕事に行く……とじいさんに声をかけたら、
「駅まで行くなら、ユザワヤに連れていってくれ。男の子用のマントも何枚か作りたい」
と声をかけられた。
……驚いた。自分で出かけたいと声をかけてきたのははじめてだ。
俺は停めてあったが、全く使っていなかった車にじいさんを乗せて駅前のユザワヤに向かった。
じいさんはゆっくりなら杖で歩けるようになっている。でもその姿をあまり人に見られたくないようで、積極的に出かけなくなっていた。
じいさんは歩くのが速かったし、こんな風にゆっくりしか歩けない自分に苛立つのか、何度も「……くそ」と歩きながら文句を言っている。
介護士さんから「見守ってあげてください」と言われているので、ただ後ろをついて見守りながら歩く。
じいさんは駐車場からゆっくりとエレベーターに向かい、店内にたどり着いた。
エレベーターが開いた瞬間に、
「……おお。色々あって、なんでも作れそうだな」
と言った。なんだか俺はそれがメチャクチャに嬉しくて、
「ケアマネさんが、ガチで褒めてた。じいさんの縫い目がすごいって」
「彩音が作ったのを参考にしようと思ってみたが、なんだあれは。ぐにゃぐにゃすぎて、たまに脱線して縫えてない。意味がわからないぞ」
「着られれば良いと思ってるんだろ」
「その点、菜穂ちゃんのはキレイだった。菜穂ちゃんは丁寧な仕事をする。いや、菜穂ちゃんに頼まれたらやらんとアカン。命の恩人だからな」
「……そうだな」
じいさんはどこか素直に「洋裁が楽しい」と言いたくないようで「これは命の恩人に頼まれたからやってるのだ」と言い続けている。
なんでもいい。じいさんが自力で歩いて布を選び、何かしたい、そう思ってくれるなら、それはなんだって良い。
じいさんはゆっくりと店内を移動して、布を選んだ。
俺は満足するまでじいさんに付き合い、その後仕事に戻った。
「おかえりなさい、広瀬さん」
「ただいま。遅くなってすまなかった」
ケアマネさんが帰ったらすぐに出社するつもりが予想外の外出になり、仕事が終わらなかった。
最近お迎えは彩音がしてくれるが、引き継げる時間までに帰れなくて、食事後を海野にお願いしてしまった。
海野は笑顔で、
「午前中におじいさんと買い物に行ったって聞きました。え、おじいさんが自分から行きたいって言ったんですか?」
「そうなんだ、俺もびっくりして……」
話ながらスーツの上着を脱いだら、外で遊んでいたリュウと仁菜ちゃんが台所に走り込んできた。
「菜穂ちゃん。新聞もってきたよ!」
「ありがとう、リュウくん」
「そんでね、一緒にポストに何か入ってたよ。でっかいの!」
そう言ってリュウが海野に渡して、再び外に遊びに出た。
海野がそれを広げて目を丸くした。
「! 発表会で使うマント! えっ……もう仕上がってますよ!」
「午前中に布を買ったやつだ。それをもう作ったってことか?」
「見てください、広瀬さん。『これでいいのか?』っておじいさんのメモも入ってる。持って来てくれればいいのに……あっ! うちに入る階段が厳しいのか……。裏から入れるようにしないと……」
と海野はつぶやいた。
そしてマントを広げて目を輝かせた。
「広瀬さん、これ、絶対直接褒めてあげたほうがいいと思うんです」
「そうだな」
「ご飯の前に行きませんか? わ、すごい。すごいですよ」
そう言って海野はマントを持って玄関に向かった。
俺も海野を追って玄関から出る。
海野はマントを広げて、
「これ、踊る時にふわりと広がって、すごくカッコイイんですよ。こうやって肩に巻いて、くるりと回るんです」
そう言ってくるりと回った。
履いているスカートと、肩に巻いているマントがふわりと広がった。
海野は会社で仕事している時はパンツスーツが多いが、家ではスカートが多く可愛い。
くるりと回った瞬間、庭にある石に引っかかり、スリッパが脱げてしまった。
「あっ……もう!」
俺はケンケンしてスリッパに向かう海野に手を伸ばした。
海野は「すいません」と手を伸ばして俺の手を握った。
そしてスリッパまで戻ってそれを履いた。
海野は手を離そうとしたが、俺はくっ……と握った。
そして、
「……また転ぶと……じいさんがつくったマントが汚れるから」
「そ、そうですね。そうですね。でも……転ばないとは……思いますが……そうですね」
そう言って海野は俺の手を握り返してくれた。
海野が好きだ。
こんなに人を大切に思ったことはない。
海野がいなかったら、どうしたら良かったのか分からなかったことばかりだ。
「……行きましょう、か」
海野は俺と手を繋いで、少し恥ずかしそうに歩き出した。
しっかりと握った海野の手は小さくて細い。
でも温かくて……この手を離したくないと思う。
海野は俺のほうをチラリと見て、何か言いたげにするけど、俯く。
イヤかもしれないと軽く手を緩めるが、海野から握ってくれた。
それだけで嬉しくて、わざとゆっくり歩くと、海野も歩幅を合わせてくれる。
触れる腕が近くて、俺のほうを見て、でも目が合うとそらす海野が可愛すぎる。
ゆっくり歩いて離れに到着する。
手を離すのが惜しいが、お互いになんとなく指先を離す。
離れの中に入ると、じいさんはまだ起きてて、作業をしていた。
海野は駆け寄り、
「おじいさん、マントすごいです!」
じいさんは照れながら目を細めて、
「……この作業、正直楽しいわ。本番が楽しみや」
と笑った。
その表情を久しぶりに見て、俺は心の底から嬉しかった。




