その美しい姿を、
「おじいちゃん……デイケアに全く行かなくなってきちゃった……どうしよう」
「……そろそろ退院して一ヶ月ちょっと? でもリハビリは行ってるんでしょ?」
私はユザワヤで布を見ながら言った。
横で彩音さんは布を抱えて、
「病院には行ってるけど、リハビリもあんまりやる気ないみたい。疲れたんだろうって思ってたけど……。やっぱりケアマネさんが言うとおり、休ませちゃ駄目だったかも」
「家族の判断だとは思うけど、そろそろ動かないと筋肉が弱っちゃうみたいだね」
「私こんなことしてる場合なのかなーって、最近家に帰るたびに思っちゃう。私が仕事しないでおじいちゃんに付き添わないと駄目かな……」
彩音さんはどんどん自信を失っていく。
私は彩音さんの背中に手を置いて、
「そんなことないよ。家族がめちゃくちゃ心配しすぎるのも重たいよ。彩音さんは自分ができることをしないと」
「でもなー……なんかめっちゃ不安になってきたよー……」
そう言って大きなため息をついて、布を置いた。
今日はダンス教室の発表会で着る簡単な衣装を作るために布を買いに来ている。
彩音さんのダンス教室で一番会員数が多いのは2才から5才までのコースだ。
「我が子をダンサーに!」という親は居なくて「可愛く踊る我が子を見たい」「少しでもスマホじゃなくて運動してほしい」という感じの人が多くて、年に一度、夏休みに簡単なダンスの発表会がある。
市民ホールの小ホールで行われるものだけど、ちゃんと衣装もあって、それなりに「発表会」だ。
2才から5才までの子は、ヒップホップダンスを踊る。衣装は女子はフリルのスカート、男子はマントを着けて踊る。
毎年同じ衣装を着て踊るんだけど、使い古しの衣装が駄目になってしまうことも多く、何枚か作り直す。
その買い出しに一緒にきたんだけど、彩音さんが元気がない。
私は明るい布を手に取って、
「去年は緑で作ったから、今年は黄色とか。カラフルなほうがいいよね」
「そうだね。確かに黄色何枚か駄目になってるかも。……はあ……。駄目だよね。昨日も病院のあとリハビリだったんだけど、昨日眠れなかったから帰りたいって言い出して」
「うーん……」
「それで帰ってきて、ずっと寝てるだけ。まだ疲れが残ってるとか? なんだろうー……」
「お母さんがそのデイケア知ってるから、ちょっと聞いてみるよ」
「ご飯も美味しくて有名だし、色んな運動を取り入れてて評判が良い所って聞いたんだけどな……誰とも話してなくて引きこもりで心配だよ。でも知り合いにはこんな状態で会いたくないって言うの。だったらどうしたらいいんだろう」
「こういう時は闇雲に悩まず、ひとつひとつ考えていこ」
「菜穂ちゃんー……。ありがとう。よし、黄色で可愛く作ろ!」
話をしながら少し元気になってきた彩音さんは、布を決めて購入した。
私と彩音さんはそれを持ち帰って、さっそく作業を始めることにした。
「今帰りました」
「おかえり。リュウと仁菜ちゃんは遊び疲れて寝た」
「ありがとうございます」
彩音さんの家に戻ってくると、広瀬さんが台所でパソコン作業をしていた。
リビングにはリュウくんと仁菜が気持ち良さそうに眠っている。
今日は日曜日だったので、広瀬さんにふたりを頼んで彩音さんと布を買いに行っていた。
彩音さんは「型紙持ってくるね」と二階に向かった。
私は布を置いて、彩音さんに「ミシン持ってくる」と声をかけた。
すると広瀬さんが「重いだろうから手伝うよ」と立ち上がってくれた。
確かにミシンは重たい。それを自然と手伝おうと思ってくれるのを嬉しいと思う。
広瀬さんの家を出て私の家にいく途中に、おじいさんがいる離れがある。
私は振り向いて、
「おじいさん、デイケア行けてないみたいですね」
「そうなんだ。実はさっきもパソコンで調べてたんだ。骨折後にやたら眠くなるとか、そういう症状があるのかも知れないと思って」
「でもそういうのは……なんとでも言えてしまう気がします」
「そうなんだ。これというものはなくて……誰とも話さずずっと寝てるから心配になってきた」
そう言って広瀬さんは離れを見た。
私は家に入ってミシンを持って来て、それを広瀬さんに持ってもらう。
手が空くので私は裁縫セットを持って広瀬さんの家に戻った。
戻るともう型紙を見つけた彩音さんが布を切っていた。このスカートはサイドが少し長くて、回るとフリルが踊り、結構可愛いものに仕上がる。
横で見ていた広瀬さんは、
「……結構大変だな、これは」
私は作業しながら、
「これが……結構楽しいんですよね」
「これを何枚作るんだ」
「今回は五ですかね」
「?! ……五着ってことか。大変だろうこんなの」
彩音さんは胸を張って、
「私がこのスクール入ってから、この作業には対価が発生するようにしたから、わりとみんなやってくれるの」
広瀬さんは目を丸くして、
「対価。そりゃそうだろう。こんなの無料で作らされたら大変すぎる」
「ずっとタダで教師がやってたんだよ。休日に」
「親に作らせればいいだろう」
「『うちにミシンはありません、うちの子だけ何もなしにするんですか?!』とかね、あるあるですよ」
そう言って彩音さんは笑った。
そういうことを言う人がいるから、こども園のお遊戯会の衣装もすべて有料発注になった。
それでも「お金がないから、衣装など要らない」という親御さんはいらっしゃる……と先生から聞いた。
私は作業をしながら、
「私はこういうの好きで……こんなのでお金貰えるなら、全然良いな……と思ってしまいますね」
「海野は店のPOPも作るの手伝うよな」
「好きなんです。あれでかなり売り上げ変わりますから」
私たち営業の一番の目的は「店舗の売り上げを上げること」。
だからそのために手作りのPOPを作るのを手伝ったりする。
頑張ったらその分売り上げはちゃんと伸びるので、やり甲斐を感じる。
作業をしていたら、お母さんからおじいさんが通うデイサービスの写真が送られてきた。
「なるほど。雰囲気良さそうな所だけど……」
「え、なに?」
「お母さんにおじいさんがデイケアに行きたくないって言うから、なんでだろう? って聞いたら、良い所だよって、行った時の写真送ってくれたの」
「そうそう。こういう所。食堂あって、みんなで歌ったり、そうグランドピアノで民謡歌ったり。それに折り紙したり。リハビリする所も、食堂もキレイだったし。なんでだろうー」
彩音さんは作業しながらため息をついた。
私は型紙を置いて、どんどん布を切ってストックしながら、ふと気がつく。
「……楽しく、ないのかも」
「楽しく? デイケアが?」
「デイケアって、同じ場所で、同じことするし。それに歌って、民謡で、折り紙って。おじいさん、ずっと自力でお仕事されてたでしょ? 自分ひとりで好きなように、太陽が出たら外に出てラジオ体操して、草木を切って、それも自分で考えて素敵に。それに比べたらデイケアなんて楽しくないのかも」
「でもまだ庭仕事出来ないじゃん。デイケア行くのだって運動だし、人と話さないと滅入っちゃう」
「やる気が起きないんじゃないかな。ね、むしろ、この作業、おじいちゃんとしたら良いかも」
「え? 洋裁? 服を?」
「布を切るために、まず起きる。それにこれ……体勢結構大変だよ。何より指先使うし。それに一ヶ月後にダンスの発表会もあるでしょ。それにおじいさんに来てもらうのを『目標』にしたらどうかな。おじいさん、仕事するっていう目標が遠すぎてイヤになっちゃってないかな」
「……ありかも。デカすぎる目標って、やる気無くすよね。『いつになったら庭仕事できるんだ……』っていつも言うんだけど、そんなの無理だから『リハビリ進まないと無理』としか言えてなかった」
「持って行って提案してみよう」
私と彩音さんは布を持って、離れに向かった。
離れに行くと、ぼんやりと庭を見ているおじいさんが座っていた。
彩音さんは布を抱えて、
「ねえ、おじいちゃん。デイケア行かないなら、私のダンス教室で使う洋服作るの手伝ってくれない?」
「あ……? 俺がそんなことできるはずないだろう。洋裁なんてしたことない」
おじいさんはこっちをチラリとみて、すぐに庭に視線を戻した。
私は布をおじいさんの横に布を広げて、
「これが型紙という服の原型です。これを切って縫い合わせて服にするんです」
「でも俺は……」
「おじいさん。皆、心配してるんです。皆さん家族だから強く言えない。でも私はただの隣人です。そしておじいさんを助けた恩人ですよ?」
「……確かに菜穂さんは恩人だ」
「恩人ですよ、恩人。恩人のいうことを聞きましょう。……定期的に動かないと筋力戻りません。また脚立から落ちますよ」
「……戻れるんだろうか。俺は」
「とりあえず布を切って、服を作りませんか? 一ヶ月後にこの服を着て、リュウくんと仁菜が駅前のホールで踊るんです。一緒に見に行きませんか?」
「発表会か……作った服を着て……?」
おじいさんはそう呟いてベッドからモゾ……と出てきた。
そして型紙と布が広げてある床にゆっくりと座った。
彩音さんが持って来たハサミを手に持ち、眉間に皺を寄せた。
「おい、なんだこのなまったハサミは。こんなのなにひとつ切れないだろう」
彩音さんは嬉しそうに、
「小学生の時に買ったハサミだよ。物持ちが良い~! 偉いでしょ、私」
「お前が……小学生のころから研いでない……だ、と……?」
そう言っておじいさんは「信じられない」という表情をした。
そしておじいさんは、ゆっくりと正座をした。背筋を伸ばして前を見てハサミの中心を器用に外して、仕事道具で洋裁ハサミを研ぎ始めた。
ハサミを研ぐ高くて澄んだ音が、畳の部屋に広がる。
その正確なテンポ、美しい背中のライン、ハサミを持つ指先を、私は「カッコイイ」と思ってしまう。
しっかり研いだハサミで布を切ったら、信じられないくらいスッキリ切れて彩音さんと叫んだ。
未来のことなんて誰にもわからない。
ただ、久しぶりに職人の顔になったおじいさんを見られて、私たちはすごく嬉しかった。




