恋の仕方がわからなくても
「自転車、買ったんですか」
「そうだ。ないと厳しすぎる」
「高いけど、今の状態だと二台ないとキツいですもんね」
そう言って海野は自転車を止めた。
俺も海野の隣に先日購入した子乗せ自転車を停めた。
彩音が乗っている自転車もあるが、彩音は朝、リュウをこども園に送ってから行くことも多い。
そしてそのまま病院やスタジオに行くので、自転車を使う。
でもリュウのお迎えは俺が行くので、もう面倒になってもう一台電動自転車を購入した。
俺は鞄からスマホを出しながら、
「リュウをこども園から歩かせると、何時間かかっても家に帰れない」
「わかります。めちゃくちゃ寄り道しますよね。今年は雪がないといいですね……」
「雪?」
「私がこども園から家まで、一番時間がかかったのは雪の日です。去年大雪降ったじゃ無いですか。あの時家まで3時間かかったんです」
「え……」
俺は思わず目を丸くして海野を見てしまう。
海野は俺の顔を見て笑顔をになり、
「驚きますよね。仁菜はもうスキーウェアを着てこども園から歩かせたんです。自転車は無理なので」
「たしかに無理だな。車は?」
「うちの車チェーン付いてないんですよ。バスは道が渋滞して止まってて」
「なるほど。三時間……それはすごいな」
「私も諦めて完全防備で行ったんですけど、さすがに凍えました。でもリュウくんと仁菜は三時間雪で遊びながら帰って、その後も家で雪だるま作ってました。もう本当にトラウマです……その後も一週間くらい自転車乗れないんですよ、道が凍ってるから」
そう言って唇を尖らせる海野が可愛くて笑ってしまう。
電車に乗り込むといつもより混んでいて、俺は海野の鞄を持って棚に上げる。
そして海野を混雑から守るように立つ。海野は「ありがとうございます」と小さく頭を下げてスマホを開いて、
「見てください、これがふたりが秘密基地に作った雪だるまです」
「……予想よりちゃんと雪だるまだな」
海野は何枚もスマホの中の写真を見せてくれた。
「雪が降ったら覚悟して一緒に歩きましょう。スキーウェアを準備しておいたほうがいいですよ、本当に」
「……そうだな。楽しそうだ」
「楽しくなんてないです。これはもう修行です。二度としたくないです」
そう言って首をふる海野をさらなる混雑から守りながら笑う。
まだ本格的な夏も来ていない7月で、リュウと仁菜ちゃんは水遊びに夢中だ。
でも雪がふるような半年後のことを海野が俺に言ってくれるのが嬉しい。
海野は俺の胸もとでモゾモゾとスマホをいじり、
「京王線が止まってるみたいですね。それでこの混雑みたいです」
「なるほど。そういうこともあるのか」
もうちょっと面白いほどに電車が混雑して、もう乗れないに乗り込もうとする人たちが入ってくる。
海野は俺の胸元で小さくなりつつ、
「……前はこうなるたびに朝から憂鬱で仕方なかったんですけど、広瀬さんと一緒に会社いくようになってから、前に立ってくださるので助かってます」
どうしようもなく嬉しいけど、どういえば良いのか分からない。
ニヤつく口元を見られたくなくて少し視線を外して、
「……身長だけは大きいから、木だと思えばいい」
「なるほど? 木陰に隠れてるみたいな感じですかね。安心できます」
そう言って海野は笑った。
……俺はアホなのか……? いやたぶん、間違いなくアホだ。
ぜったいにこの返答じゃなかったのは分かるが、この前、自分から人を好きになったのがはじめてだと気がついた。
俺の父は、ずっと母に冷たかった。俺は仲良くしてほしくて、何度も父に「どうしてそんなに冷たいの?」「優しくしてよ」と言った。
俺が何度訴えようとその声は届かず、母は「もう無理」だと言い残して家を出て行った。
当たり前じゃないかと俺は父を責めた。半年後に父が病気で倒れた。その時に母ではない人が見舞いにきたのだ。
その時に、実は父はずっと不倫をしていて、それを母は知っていて、再構築をずっと試みていたことを知った。
やがてその母ではない女が父を引き取るように家を出て、三ヶ月後に亡くなった。
結局再構築中も父は不倫していたし、それを母も知っていて、家を出たのだ。
誰も俺たちこどもの事など、見ていなかった。
じいさんはずっと「バカな息子だ」と言っていた。
大人になって思う、本当にバカな親だと。いや、親でもなんでもない、ただの男と女だと。
俺は身長が高く顔も悪くないのか、中学高校とモテたし、告白も多くされたし、付き合ったことも何度もある。
それでもどこか「恋愛など、結局あれ」だという感覚が抜けない。みんな嘘をついて誰も本当の顔を見せない。
あげく周りの人間を傷つける。大人になると「結婚」が視界に入ってきて、さらに恋から離れた。
俺の中の恋、そして結婚は、人を周りを傷つけるものだ。
だけどこうして海野と話すようになり、人と暮らす明日が、少しだけ楽しみにになってきた。
踏み込んだら真摯に答えてくれる、向き合ってくれる、助けてくれる、そんな相手もいるじゃないか。
もう大人だし「海野が好きだ」と伝えるのが正解ルートだろう。
しかし上司と部下で海野には仁菜ちゃんもいる。そんな簡単な話ではない。
胸元に収まっている海野が俺を見て、
「広瀬さん? 大丈夫ですか? 考え事ですか」
「……いや。今日押井に見せる資料のことを考えていた」
「あ、今日押井さんとランチなんですね。楽しみですね、久しぶりですもんね」
「そうだな」
そうじゃない。
仕事の話なんてどうでも良いから、週末にみんなで吉祥寺にいく話をしたかったのに、電車から押し出されて、駅で海野と離れた。
海野はなんとなく会社の最寄りまでいく地下鉄には一緒に乗らないほうがよいと思っているようだ。
いつも中央線の新宿でなんとなく離れて、会社で何食わぬ顔して再会する。
海野はしっかりと「上司と部下」をしている。
それが当然だとは分かっている。
「そう言えば押井は、社内恋愛して結婚してたな」
「久しぶりに会った俺とのランチで、初手何なんだよ」
今日は同期で大阪に行き店長をしている押井が東京に来ているのでランチに来た。
朝海野と話しながら思い出したが、押井は社内恋愛の末結婚している。
俺はお茶を飲み、
「押井、金子さんと付き合ってたとき誰にも気がつかれてなかったよな」
「はあ? 突然なんだよ。とりあえず一杯飲むか? 一杯なら大丈夫だろ」
「いや、ここで飲んだら今日が終わるのを俺は分かってる」
「俺これから大阪戻るから一杯だけ飲ませてもらうぞ」
「どうぞ」
俺は手で促した。
AIカメラを大阪店にも導入する予定だったが、大森部長が倒れて、大阪店はテスト店から外すことにした。
その説明のために大阪支社と店舗に石津が行き、説明をしてくれた。
押井は出張のついでにこっちに寄ったようだ。俺はお茶を飲みながら、
「テストは申し訳なかったな。色々考えてくれたのに」
「大森さんの奥さんガンだって? それは無理だろう。まあ新宿で取ったデータ見せてもらうよ。それを元に落ち着いたらこっちでやらせてくれ。すげー興味ある」
「もちろん。俺のほうも半年も経てば、もう少し動けると思う」
「じいさん倒れたんだって? 石津に聞いたよ」
「ああ、だから今は実家から会社に来てる」
「お前八王子より向こうだよな。遠いな」
「2時間かかる。でもまあ……悪く無い」
俺は海野と一緒に通勤してるから……と思ったけど、言わない。
だって押井は俺と同期で、海野のことをよく知っている。
そんなこと言ったら社内にカミングアウトしてるのと変わらない。
押井は口が軽くないし、基本的に大阪にいるから知られても問題ないが、それでも言わない。
押井は酒を飲み、
「社内に好きな女でもできたか」
「?! ……なんの話だ」
「社内恋愛の話をふっておいて、何なんだよ」
「いや、思い出したんだよ。お前付き合ってた時期、かなり長いよな」
「三年かな? マジで誰にも気がつかれてなかったと思う。だって大変だぞ、付き合ったのが知られても、別れたと知られても」
「潮な」
「DVしたとか言われてな~。いやあれマジで何だったんだろうな」
俺たちの同期、潮達彦は、社内の女性と付き合っていたんだが、いつの間にか「DVされた」という話が広がり、潮が北海道店に飛ばされた。
今は北海道でなんなら楽しそうにしてるので、良いのかもしれないが、俺たち男性社員の間で「社内恋愛には気を付けろ」という感覚はある。
しかし押井は、誰にも知られず三年付き合い、結婚して大阪に連れて行った。
押井は食事をしながら静かに、
「相手が美優だったからだ。だから誰にも知られず付き合えて、そのまま結婚した。それだけ」
「……なんだか、鳥は鳥だから飛べる……レベルの話をされているか?」
「だってそれ以外言いようがない。美優は人にいうタイプじゃない。そこに惚れたし、だから俺も真摯に付き合った。それだけの話だ」
「一ミリも参考にならないな」
「広瀬はもう分かってるだろ、その相手がどんな人なのか。じいさん倒れて大阪にも来られないっていうから心配で来たら、恋愛トークして元気じゃねーか。心配して損したわ」
「なんだよ、早くそう言えよ。俺は元気だ」
「なんなんだよ!」
押井は「もう一杯ください」とビールを追加で頼んだ。
心配してきてくれたのか。俺はあえて仕事の話をせず、近況と「好きなひとができた」ことを話した。
押井は「また聞きたいからくる」と笑顔で大阪に戻っていった。
俺はスマホを取りだして、海野に「小さな遊園地があって喜びそうだ」とLINEしようと思った。
でも俺は、その指を止めた。
顔を見て話したい。
俺は海野をもう「わかっている」。
サイトを見たら笑顔で「全部乗れそうでいいですね」と目尻をさげて微笑んでくれる。
俺はその笑顔がみたいから、俺は俺のペースで恋をしたい。




