私は、私だけじゃないから
「海野さんって結婚されてるんですか?」
「おっと最上くん。今どき会社でそれはセクハラですよ」
そう言って石津さんは笑った。
最上くんは慌てて、
「いえ、いつも急いで定時に帰られてるので、ご結婚されてるのかなー……と」
私はシールを貼りながら、
「結婚してないけど、家でお姉ちゃんの子どもを見てて、お迎えに行ってるの」
「なるほど。俺も姉貴の子どもの遊び係させられます」
それを聞いた石津さんは軽く頷きながら、
「あー……最上くん弟っぽいわー……」
と言った。最上くんはシールを貼りながら、
「……俺がガキっぽいってことスか」
「そういう風に反応するのが、もうガキっぽいってこと!」
石津さんは笑いながら「まあそう怒らないで」とまだまだあるシールとポストカードを机の上に置いた。
今日はこの前新宿店の棚卸しを展示部に手伝って貰ったお返しに、展示部が印刷をミスしたポストカードに延々とシールを貼っている。
美香子はシールを貼りながら、
「菜穂はさー。彼氏できたとき、毎回仁菜ちゃんの事言ってるの?」
「飲み会のネタみたいな話を会議室で……」
「うちらってさー、取引先とは飲むけど、菜穂と最近飲んでないよねー」
「美香子も体調悪いんじゃないの?」
「薬飲んでれば平気なんだって。お母さんたちが見てくれるんでしょ? たまには気楽に飲みにいこうよ。グチグチしたい~~」
そう言って美香子は唇を尖らせた。
確かに仁菜を見るようになってからは、仕事ではない飲みは数えるくらいしかない。
私はシールを貼り、
「でもそんな、愚痴ることもないしなあ」
「嘘でしょー? 嘘嘘嘘~~。ねえ最上くん、どう思う?」
「さすが海野さんって感じします。なんかこう淡々とされててカッコイイです」
「はあ~~? 最上くん菜穂信者なの?」
「そんなことないですよ。ただ藤井さんや石津さんとは違うな、とは思ってますが」
「はあ~~~~? ノンデリすぎる~~~!!」
美香子と石津さんが最上くんを挟んで騒ぎ始めた。
あと500枚くらいありそうだけど、これは定時に終わるかな……とスマホを見ると広瀬さんと目があった。
私は自分の束を持って広瀬さんのほうに移動して、
「おつかれさまです」
「おつかれさま。ごめんね、退社直前に」
「いえ。みんなで手分けすればすぐに終わるという判断は間違ってないのですが……あの三人はバラバラのほうが良いかな……とは思います」
「そうだな。それは俺の判断ミスだった」
広瀬さんは苦笑しながら手早くシールを貼っていく。
これは次の展示会の時に配るポストカードらしいんだけど、移動した店舗の住所が前のままになっていたので、急遽シールを貼っている。
私は作業しながら、広瀬さんも今日は定時で帰ってお迎えのはずなので、だったら一緒に帰りませんか……と言いたいな……と思うけど、会社の人たちの前でそれを言うのは違う気がして、黙って作業する。
会社を出たらLINEすれば良いかな。
最近は朝もいつも一緒だし、夜ご飯はほとんど一緒に食べている。そのままおじいさんの所に行ったりすることも多い。
広瀬さんは仕事と同じように先を読んで自分の判断で動いてくれるから、一緒にいて楽だ。
たとえば私がスーパーに寄るというと、だったらふたりを連れて先に帰ろうかと提案してくれる。
だったら私が一緒に晩ご飯準備しましょうかと聞くと、ドリルを済ませてくれたりする。
気楽なママ友……彩音さんと一緒にいるような感覚があり、それに仕事の話も軽くできる。
それをお互いに負担だと思ってなくて、痒いところに手が届くので、一緒にいて楽なのだ。
だからって会社で「一緒にお迎えにいきますか?」と話をする気はない。
説明が面倒くさいし、定時に退社してお迎えに行くだけで最上くんから「結婚してるのか」と問われるレベル。
これで家が隣で……なんて言ったら噂が広がって、動きにくくなる。
それに広瀬さんを気にしている女性はとても多いのだ。
そのうちのひとり……広報の近藤さんが会議室のドアをノックして入ってきた。
「広瀬さん、おつかれさまです。すいません、お手伝いをお願いしてしまって」
「近藤。いや、もう8割終わった。17時までに全部終わらせられると思う」
「助かります! 今度ご飯奢らせてください。ランチで構わないので」
「分かった。手伝ってくれたみんなで一緒に行こう。新宿店のお礼に俺が奢るよ」
「え~~~。橋本に奢らせますよー」
そう言って近藤さんは長い髪の毛を耳にかけた。
近藤さんは広報の方で、ものすごく華がある。元モデルさんらしく、頭も小さくて身長も高くて、とっても綺麗。
私は綺麗な女の人は大好き。綺麗にするのはとにかく時間がかかる。
美容院だってオシャレな人は月に一度、服だって良いものを着続けるためには手入れが必須。
それをちゃんとしている人は自分を大切にしている人で、私も仁菜には綺麗な女の人になってほしい……! と思っている。
私はもう洗うのが面倒で肩より下には髪の毛を伸ばさない(いつも美容院で縛れる限界まで切ってくださいという)し、メイクは営業の最低ラインだ。
それでも綺麗なのは絶対良いなあと思っている。
私の死んでしまったお姉ちゃんも、もうすごく綺麗だった。
同じ遺伝子が入っていると思えない綺麗さと、その状態を保つために運動も欠かさなかった。
お姉ちゃんがいた時は私ももう少し化粧してた気がする……うーん、言い訳。
私の横にススススとシールの束を持った美香子が来て小声で、
「近藤さん、今年中に結婚しないと親がお見合いさせるって言ってるみたい」
「近藤さんならすぐに結婚できそうなのに」
「入社してからずーーーっと広瀬さん狙いだよね。見てよあのピンヒール。たっか! Googleにピンでも刺すのか?」
「そんな機能あったっけ?」
「人型をびょーーーーんと」
「あれピンじゃないじゃん」
小声で話していたら、反対側に最上くんも来て、
「近藤さん僕同期ですけど、綺麗すぎて怖くて近づけないですね」
「最上くんなんて金持ち枠なんだから、むしろターゲットでしょう」
「金持ち枠……心が傷つきますね」
「そこで気を遣って話されるより気楽でしょ? 本社からこっち来た人は全員そう言われてるんだから」
「……心が傷つきますね」
ふたりがギスギスしはじめたので、私は真ん中で両方に向かって、
「わかーった、わかった。はいはい作業しよ。あと10分、終わらせて早く帰ろう?」
「僕も海野さんと飲みたいです」
「今は新宿店のテストに集中して。じゃあ終わったらランチでどう?」
「! 頑張ります」
そう言って最上くんは笑顔で作業を開始した。
横で美香子が「あんなドレスみたいなフレアスカートで会社くる必要ある?!」とブツブツ言いながら作業を進めている。
そんなこと言っている美香子のスカートはいつも短い。でもまあ服装なんて仕事が出来ればそれでよし。
私は持ち分の作業を終えて会社を出た。
「海野」
「広瀬さん、おかえりなさい」
私は作業終わり次第会社を出たので中央特快に乗れたけど、広瀬さんはお迎えに間に合わなかった。
なので今日も私が仁菜とリュウくんをお迎えして、ドリルをさせつつ晩ご飯を作ることにした。
ご飯を作ってると、机の上に大阪土産の肉まんが置かれた。
それを見てリュウくんが走ってくる。
「これなにー?」
「会社の人がお土産で買ってきてくれた肉まんなんだ」
私はそれを事前に聞いていたので、もうこれがあるならタンパク質は完璧。
だったらスープとサラダだけで良いな……と思ったので、簡単に作っていた。
リュウくんは入れ物を開けて、
「でっかい! すごい! もう食べていいの?!」
「いいよ。あったかくする?」
「あついのやだから、そのままでいい。仁菜ちゃんーー!」
ドリルに飽きてレゴで遊んでいたふたりは、さっそく肉まんを食べ始めた。
私は広瀬さんに「温めますか?」と聞いたら「海野が温めるなら」と言ってくれた。
……こういう風に言ってくれるの、すごく良いと思う。
私はほかほかの肉まんのほうが好きなので、フライパンに蒸籠をセットして温める。
そしてスープとサラダを出した。
広瀬さんは上着をかけながら、
「今日もお迎えをお願いしてすまなかった。突然押井が来て驚いた」
「珍しいですよね、東京にくるの。お店があるのに」
「出張ついでだったようだ。明日の昼までいるみたいだから、明日飯を食いながら話すことにした。それでも遅くなって申し訳ない」
どうやら帰ろうと会社を出たタイミングで大阪店の店長で元営業の押井さんが来られて、そのまま話し込んだようだ。
私はスープを温めながら、
「いえいえ、肉まん私も大好きで、大阪いくと買います。食べられて嬉しいです」
「最近吉祥寺に似た店ができたよな」
「えっ、知らないです」
「今度リュウと仁菜ちゃんも一緒にいこうか。井の頭公園のボートはふたりとも喜びそうだ」
「学生時代に行ったきりですね。広瀬さん吉祥寺店担当されてましたっけ」
「昔な、うん、旨い。ありがとう」
そう言って広瀬さんは温めた肉まんとスープを食べて笑顔を見せた。
正直、彼氏が出来ても「仁菜がいるから」と思うし、それを伝えるのが面倒だと思ってしまう。
だって他の人から見たら「どうしてお姉さんの子どもを見ていることを伝えるのだろう。自分の子でもないのに」と思うだろう。
でも私は仁菜を自分の子どものように思っているし、彼氏が出来てもどこか仁菜優先で、心が入らなかった。
それでも広瀬さんのように、当然のように「仁菜も一緒に」と言われると、どうしても嬉しい。
それを当たり前にしてくれるから、広瀬さんのことをどうしようもなく信頼している。
私はご飯を食べながら、
「仁菜とリュウくんがフルーチェ作りたいといって、無駄に二袋も買いました。食後におじいちゃんの所に行って作りましょうか。おじいちゃん、どんな食欲が無くてもフルーチェのいちご味なら食べてくれますよ」
「そうなのか。じゃああとで行こう」
そう言って広瀬さんは笑顔を見せた。
私の全てを当然のように受け入れてくれている広瀬さんといる、この時間と距離感を大切だと思い始めている。




