じいさんが退院してきたから、
「おお……これはすごいな。リフォームしたんだな」
じいさんは車椅子に乗ったまま家の中に入り、中を見た。
彩音がじいさんの横に立って、
「優太朗さんが一週間でしてくれたんだよ」
「ありがたいな。なるほど車椅子で台所……そうか、トイレまで行けるのか。それに畳も新しくしてくれたのか」
そして車椅子から自分で降りて、器用に畳の上に座った。
俺は驚いてしまう。
「もう自分で降りられるのか」
「この練習を病院でイヤってほどしたからな。なによりとにかく家に帰ってきてひとりになりたかったんだ。最高だ。雨戸を全部開けてくれ。庭が見たい」
じいさんに言われて俺は雨戸を全部開いた。
すると全く手入れしてない庭が見えた。
俺と彩音で雑草くらい抜こうかと思ったけど、ケアマネさんに「汚いほうがリハビリとして動く可能性があるから、放置で」と言われた。
じいさんは庭を見て、
「せなあかんことがたくさんあるな」
と目を細めた。
じいさんは準備しておいた介護ベッドに座り庭を見ていた。
この後のことを色々話さなきゃいけないんだけど、じいさんは「やっとゆっくり眠れる、寝たい」と横になりすぐに眠ってしまった。
俺と彩音は畳の部屋の襖を閉めて、台所の椅子に座った。
彩音は、
「お兄ちゃん、居てくれてありがとう。もう会社行って良いよ」
「済まないが頼む。今日はなるべく早く帰る」
「今日は20時から打ち合わせがあるから、そこまでに帰ってきてほしい」
「じいさんは……見守りカメラで向こうで見てるだけで良いのか? こっちに顔をどれくらい出せばいいんだ?」
「おじいちゃん、そこまで構ってほしい人じゃないから、帰ってきたら顔出して、あとは見守りカメラもあるし大丈夫だと思うけど。まあとにかくやっていこう」
そう言って彩音は苦笑した。
確かにはじまったばかりで何も分からない。
やってみるしかないのだ、この生活を。
今日はじいさんの退院日だったので荷物の引き上げや、病院への挨拶、色々あったので午前休を取った。
俺は襖を少しだけ開いて眠っているじいさんを見る。……とりあえず退院出来て良かった。
毎日「帰りたい」と言っているのを聞くのがキツかったから。
「おはようー。新宿店のテスト合流いける?」
「行ける。そのまま行こうと思ったけど、最上と行こうと思って」
「そっちにいるよ。じゃあ私大阪いくね」
そう言って石津は出て行った。
昨日から新宿店でAIカメラのテスト運用が始まっている。
ここから一週間は毎日新宿店に通う。そして一ヶ月テストを繰り返し、どこにAIカメラを設置するのが良いか決める。
インテックさん曰く、どこに設置するかでデータがかなり変わるようで、これからが本番だ。
出る準備をしていると最上がきた。
「おはようございます。昨日の分のまとめをSlackに上げました」
「電車の中で見た。一日ですごいな、よくやった」
「! ありがとうございます」
褒めると最上は嬉しそうにノートパソコンを抱えた。
正直最上が上げてきたデータは、ただ「まとめだ」だけのものだった。しかし、これから続くテストの初日に文句を言われたらやる気がなくなる。テストが終わる一ヶ月後に必要なデータが並べられるように導くのが俺の仕事だ。
俺は最上に向かって、
「顧客データを頭にまとめているが、あれは年齢別にデータを分けてほしいんだができるか」
「はい。顧客データだけをまとめないほうが良いってことですか?」
「そうだ。どれくらいの年齢が来ているか、そこまで必要がない。欲しいのはメインターゲット層がどこに向かっているかだ。誰がどの情報がほしくてそのファイルを開くのか。それを意識すると報告書のレベルは一段上がる。それを考えて書いてみてほしい」
「……なるほど。考えたことなかったです。わかりました、やってみます」
「少しやってみて俺に見せてほしい。最初から完璧にやれる人間などいない」
「! ありがとうございます」
最上は笑顔を見せた。
最初から完璧を求めて出てこない報告書より、短くて修正が入れられる報告書のほうがありがたい。
そしてこれを続けると「自分がどういう営業になっていきたいか」も見えてくる。
俺は最上と話しながら新宿店に向かった。
「じいさんが、一週間、寝たまま、ほとんど動かない?」
「そうなの。食事もほとんど食べなくて。病院は行ってるけど、それだけ。入院してた時のが元気だったよ。……大丈夫かな」
俺が帰ってきた彩音にご飯を出すと、彩音は不安そうに俯いた。
ここ一週間は17時に直帰してリュウをお迎え、そのままじいさんの所に顔出して少し話し、リュウを寝かしつけたら家で仕事していた。
俺は味噌汁を出しながら、
「俺が夕飯を持って行くと食べるし、普通に起きて話すし、元気に見えるが」
「お兄ちゃんの前でだけだよ。朝起きない、昼も寝てて何も食べないし、病院いく車の中でも元気なくて。帰ってきてすぐに寝ちゃうの。介護士さんがそろそろリハビリの打ち合わせって言ってくれてるんだけど、全然無理」
「リュウを連れて夕方以降、夜までいるようにしようか」
「リュウがあそこにずっと居たらうるさいよ。狭いのに走り回るし。30分くらい居させてくれてるんでしょ? それで十分だよ。やっぱり無理にでも本家に連れてきたほうがいいのかな。人の声がしなくてイヤとか? あんなに元気ないの、不安になるよ……」
彩音はため息をついてご飯を食べ始めた。
俺が顔出すと普通に笑顔で「仕事はどうだ」って言うから、元気だと思っていた。
俺はお茶を飲みながら、
「じゃあ週に何度か俺が病院に連れて行くか」
「わかんないんだけど、おじいちゃん昔から『男は仕事をさせたれ。透に面倒かけるな』って言ってて。お兄ちゃんに対してはプライド高いみたいなんだよね。お兄ちゃんの前ではカッコイイ男で居たいみたい」
「……そうなのか」
「まあ私に甘えてるってことで良いんだけど。うーーん……離れから本家まで庭に板……無理だよねー……。なんか不安だよ」
確かにじいさんはいつも居間に座って、リュウや彩音がワイワイしているのを静かに見ていた印象がある。
家に帰ってきたとはいえ離れだと淋しいのだろうか。
「おはようございます、行きましょうか」
「おはよう」
次の朝、俺と海野は自転車に跨がった状態で道路で挨拶した。
あれからずっと俺と海野は朝一緒に通勤している。
いつの間にか朝のこの時間が、何より大切な時間になっている。
海野は自転車を漕ぎながら、
「AIカメラ楽しそうですね」
「いいな。あれはメカだ。正直テンションがあがる」
「会社に来ても死人みたいだった最上くんが、最近私たちより早いですよ。良かったです、そちらの班に移動になって」
「毎日色々考えながらデータを出してくれて助かってる」
「良かったです」
海野は笑顔で自転車を止めた。
俺も海野の隣に自転車を停めた。
最近海野の居酒屋の裏に自転車を停めさせて貰っている。
そのすぐ横はじいさんをお願いしている事務所で、俺は少しため息をついてしまう。
それを見た海野は歩きながら、
「おじいさんどうですか? 退院されて」
「……実は昼間は全然元気がないって聞いてる。俺がいくと元気なんだけど……。彩音が不安がってるし、やっぱり離れじゃなくて本家に連れていった方が良いのかも知れない。でも本家に連れていったら、家から出る時に彩音ひとりでは厳しくなる。正直どうしたら良いのか……」
俺が呟くと、海野は歩きながら、
「最上くんのデータって、最初はただまとめただけだったじゃないですか」
「あ……ああ、そうだな」
「でも毎日少しずつ良くなってる。それは広瀬さんが細かいチェックしてアドバイスしてるからだと思うんです。毎日会社に戻ってきた最上くんが私にそう聞かせてくれました」
「そうだな、一週間といわず、テストの一ヶ月の間にそれなりに形になってくれればそれでいい。今は出社してるだけでいいだろう」
「ほら! もう広瀬さんは仕事なら回答を出せてる」
そう言って海野は立ち止まって俺をみて笑顔を見せた。
そして定期をタッチしてホームに入り、
「おじいさんは退院してきてまだ一週間です。どうですか、営業にきて一週間の最上くんは」
「……電話から逃げてたな」
「そうです。一週間といわず、一ヶ月、三ヶ月で見て行きましょう。やっと退院して戻ってきたんですから。もう少し長い目でおじいさんを見守りましょう。私も顔出してますけど、疲れてます。ただ寝たいんだと思いますよ」
俺は海野の言葉を聞きながら、退院してきたから普通に戻ると焦りすぎてきたと気がつく。
来た電車に乗り込み、俺は海野に頭を下げる。
「……ありがとう」
「いえいえ。なにより広瀬さんと彩音さんは元気だった頃のおじいさんを知っているから比べちゃいますよね」
そうだ。俺は「新人を育てよう」と思うが、もともと出来ていた人に、そういう風には思えてなかった。
もう元通りだ、元に戻りたい、そればかり考えていた。
俺は大きな息を吐いた。
「……ありがとう」
「いえ、そんな何度も言われることじゃないです」
「そうじゃなくて、海野と話すと俺は落ち着く。それに『ありがとう』だ」
「えっ……なるほど。あれ? でも同じでは? でもまあいっか」
そう言って海野は苦笑した。
俺は海野ともっとふたりで話したいと思うが……海野は俺のことをどう思っているのだろう。
上司と部下という立場で、あからさまに好意を見せるのは、仕事がしにくくなるだけで迷惑だ。
私生活ではこうして世話になってばかりで、正直気がつけないことのほうが多く、情けない。
でも俺の目の前でスマホをいじりながら、
「もうすぐ仁菜とリュウくんのダンス、発表会ですね」
と笑顔を見せている海野をすごく可愛いと思う。
正直勉強と仕事ばかりで「告白されたら付き合う」「嫌いと言われて別れる」。
そんな受け身の恋愛しかしてこなかった俺にはこの恋の進め方が分からない。
でもこの人のそばにいたいと強く思う。




