彩音さん登場……って何言ってるの?!
「おかえりーー! 本当に本当に本当にありがとう」
「彩音さん、おかえりなさい」
家に帰ると彩音さんがリュウくんと仁菜と部屋で遊んでいた。
今朝大阪から戻ってきた彩音さんは、こども園が終わる15時にはふたりを迎えに行って、遊ばせてくれたようだ。
ふたりはもうご飯も食べてドリルも終わらせたようだ。
仁菜が私をみて、
「菜穂ちゃんおかえりーー! 彩音ちゃんがはやく迎えにきてくれたから、今日はすべりだい公園いったの!」
「良かったねー。楽しかったね-!」
すべりだい公園とは、こども園と家の反対側にある少し大きな公園だ。
長いすべりだいがあって、仁菜とリュウくんはそこが大好きだ。
仁菜は、
「もう勉強終わったし、ゲームしていい?!」
「いいよ」
「やったーーー!」
そう言ってふたりはSwitchを起動させて遊びはじめた。
私は着替えないまま椅子に座り、
「おかえり。どうだった? コンサート」
「もう超楽しかったよ。本当にありがとう~。ずっと目標だったから嬉しくて」
「来月もあるんでしょ?」
「そうなの! ……でもなあ……どうだろう……これから大変かも」
そう言って彩音さんはお茶を飲んだ。
私は冷蔵庫に山ほど入っているご飯を適当に出して夕飯を準備しながら、
「おじいちゃんの所は午前中に行ったの?」
「行った。もうすっごいよ、検査があってあんまり長く話せなかったけど、帰りたいって50回くらい言われた」
私は広瀬さんにも提案した離れの話をした。
彩音さんは「名案だ!」と手を叩き、
「二ヶ月前まで使ってたから、まだ電気も水道も全部止めてないと思う。あ、家電はないかも」
「家電は広瀬さんのマンションから……あっ、ねえ、忘れてた。広瀬さんがお兄さんなの?!」
「そうだ、その話忘れてた。ねえ超偶然なんだけど!」
私と彩音さんは手を叩いて笑った。
彩音さんはお菓子を食べながら、
「え、ちょっとまって。驚いちゃって意味分からない。お兄ちゃんが上司なの?」
「そうだよ。ほら名刺」
そう言って私は会社の名刺を出した。
広瀬さんも役職は違うけど、同じ名刺を使っているはずだ。
彩音さんはそれをまじまじと見て、
「えー。ごめん、お兄ちゃんがなんて会社で働いてるのか覚えてないの。でもそんなんだったかも。だって大学のために家出て、そのまま就職してずっと働いてるんだよ、そんなの覚えてないって」
「そうだよね、兄妹とかそんな距離感かも」
「別に仲良くもないけど、悪くもないよ。正月にはいつもカニ持ってきてくれる。その程度の距離感。だから超びっくりしたよ。そっか。お兄ちゃんと同じ会社なんだ。え、お兄ちゃん、超社畜なイメージ。だっていつ連絡しても仕事中だった。ダンスの発表会あるじゃん? その時も会社帰りに来てたよ。日曜日なのに」
「……うーん、確かに土日は接待が多いの。広瀬さん誘われたら全部行ってた気がする」
「なにそれ休みなしじゃん。お兄ちゃん昔からそんなんで私のお父さんでお母さんでおばあちゃんだったから、メチャクチャ仕事できそう」
お父さんでお母さんでおばあちゃん……。
それを聞いて今会社で人付き合いが良くて誰とでも話せる広瀬さんはそうやって出来たのか……と少し思う。
彩音さんはお茶を飲み、
「えーー、なんかすごく嬉しいな。菜穂ちゃんとお兄ちゃんにも繋がりがあって!」
そう言って彩音さんは笑った。
彩音さんとお姉ちゃんは、ご近所さんで同じ産院に通っていると気がつき、仲良くなった。
彩音さんは妊娠した時には旦那さんがいたけど、忙しくてあまり家にいなかった。
そしてお姉ちゃんは未婚で出産する……その状況の近さもふたりを近づけたんだと思う。
励まし合ったふたりは一日違いで出産。このまま一緒に子育て頑張ろう……その矢先にお姉ちゃんが倒れた。
その時、すぐに心臓マッサージをして救急車を呼び、冷静に対応してくれたのは彩音さんだ。
その時から私は彩音さんが大変なら真っ先に助ける……そう決めている。
話していたら、彩音さんのスマホが鳴った。
「お兄ちゃんだ。もう帰ってきてるって。家に呼んでもいい?」
「あ、ちょっとまって。私お茶碗流しにいれて着替えたい」
「おけおけ」
彩音さんとはもう付き合いが長いので、会社から帰ってきた服装のまま冷蔵庫の残り物を摘まんでても良いけど、上司が来るとなると話は別だ。
自室に戻ってちょっときれいめの部屋着に着替えて一階に戻ると、もう広瀬さんが玄関に立っていた。
「こんばんは」
「おつかれさまです。新宿店の対応、終わったんですか」
広瀬さんは夕方に新宿店の店長に呼ばれていた。
愚痴が溜まっていたようで、遅くなるとLINEは貰っていたけれど……。
広瀬さんはため息をついて、
「バイトが急に辞めた時点で話を聞くべきだった。あれは副店長に問題があるな」
「石井さんと店長さん、仲悪いですよね。おつかれさまでした。ご飯は店長と食べましたか?」
「いや、食べてない」
「ではどうぞ、入ってください」
私が言うと広瀬さんは一瞬戸惑って、
「……いいの、か……?」
「はい、相変わらず店の残り物なので、片付けてもらえると父が喜びます。どうぞ、入ってください」
「いや……助かる」
玄関から入ってきた広瀬さんを台所の椅子に座らせてハンガーを手に持つと、真後ろで彩音さんが震えていた。
「っ……、ホホホホ、ホームドラマだ!! ちょっと待って、何この空気、マジで面白い。なにこれ、無理無理!」
彩音さんは机を叩いて爆笑した。
そして私に向かって、
「菜穂ちゃん仕事の人じゃん!!」
「だから直属の上司なんだって!」
「お兄ちゃん会社の話し方だ!」
「そりゃそうだろ!!」
「あははははは、ヤバイちょっとツボはいっちゃった。やだやだドラマ見てるみたいだった!」
そう言って彩音さんはずっと笑っている。
私はなんだかどうしたら良いのか分からなくて、でもなんだか恥ずかしくて、彩音さんの肩を突き飛ばす。
彩音さんは勢いで机に伏せて、
「ごめんごめん。ふたりともよく知ってるから違和感がすごいだけ。慣れる慣れる。いやでもなんだかドラマに出演してる気持ちになる~」
「お前なあ……」
「お兄ちゃん、上司みたいだよ」
「上司なんだよ!」
「あれ……ちょっとまって……ドラマの場合、私邪魔者の小姑……? 菜穂さん、はやく透さんにご飯を出してください。残り物?! 許しませんよガシャーン! ちょっとはやく局地的豪雨ちょうだい! あ、これ韓国ドラマだわ、間違えた」
「もう彩音さん!!」
「ごめんごめん、わかった、一回落ち着く。トイレトイレ」
そう言って彩音さんはトイレに消えて行った。
彩音さんがいなくなって、私と広瀬さんが残されて、鳴り響いているゲーム音。なんだか……居たたまれない……。
私はハンガーを持って、
「上着、これにかけてください。皺になってしまうんで」
「……ありがとう。なんだ彩音は酒でも飲んでるのか」
「飲まれる方ですけど、今日はただ……知っている人たちが、自分の知らない雰囲気で話しているのが面白いんだと思います」
「いや……本当に彩音と仲が良いんだな」
「よくしてもらってるんです。今こうしてゆっくり話せてるのは彩音さんがふたりにドリルをさせてくれていたからです」
「なるほど、ふたりはゲームタイムか」
そう言って広瀬さんは上着を脱いでかけた。
私は味噌汁を簡単に作りながら、
「お魚のがお好きですよね」
「……そうだが」
「煮魚をすごくきれいに食べられていたので。赤魚ありますよ」
「それはいいな」
「今出しますね。お父さんがすごく喜んでました、煮魚を食べてくれる人が来たって」
「どんな店で食べるより旨いだろう、あれ」
「良くないです。あまり褒めるとまた持って来ますよ、私は飽きてるんです」
「俺は好きだが」
……俺は好きだが……とかサラッ……と言えちゃう人だと、ただの上司の時は思ってなかった。
ううん、言ってたのかも知れないけど、私が気にしてなかったのかな。
私がストックしてあった魚を出すためにタッパーを持っていると、広瀬さんが椅子から立ち上がって、
「海野、袖が入ってる」
気がつくと私の上着の袖が煮魚のタッパーに入っていた。
広瀬さんは私の袖を引っ張った状態で、
「すぐ脱ぐか?」
「! すぐには脱ぎません」
「いや、洗わないと落ちなくなるって、昨日海野が俺に言ってたじゃないか」
「それは泥です、これは煮汁ですから!」
「違うのか」
「違わないけど違います! 違うんです!!」
「よく分からないが、洗うなら脱いだほうがいい」と広瀬さんは私が出した煮魚を自分で電子レンジに入れた。
すぐ脱ぐかって、そんな……と思ったら、少しだけ開いた襖の向こう、口元を押さえた彩音さんと目が合った。
「小姑の存在を忘れておるか……?」
「彩音さん!!」
「ごめん、あまりに癒やしでずっと見てたかったけど、今後の話し合いをしよう、お兄ちゃん」
そう言って彩音さんはテンションをやっと戻して椅子に座った。
私は味噌汁を作って白米、煮魚にお浸し、煮豆などを出してお箸を広瀬さんに渡した。
広瀬さんは優しく微笑みそれを食べ始めた。
もう仕事モードで話すだけで笑われるなんてやってられない!




