第7話 新しい息吹
6月も終わりに近づき、暑さも段々と本格的なものになった。
モモカからオーディションに合格したことを聞いてそこそこな日が経った。
そろそろテストに向けて大学の勉強をしなくてはという時期だ。
俺はやっぱり平凡な日々を過ごしていた。
やはり凡人であるのは変わらず、とても普通な日々を過ごす。
その日の午後は俺は自室にいて、男性が女性の声を出すのにはどうすればいいかについて、深く調べていた。
動画サイトやいろいろなWebページを巡り、いろいろなトレーニング方法を勉強していた。
その場で実際に試したりして声を出したりしながら特訓を繰り返す。
「あっあー」とか「おっおー」などと声を出してみる。
うーん、前より自然と女性の声が出るようになってきている。
毎日特訓すれば上達するもんだな。
うんうん、などと誰もいないのに頷いてみせる。
ときどきガッツポーズなどする。
ポンと両肩に手を置かれる。
俺はビックリして椅子から跳ねた。
後ろを振り向くとニヤニヤしているモモカが立っている。
「お兄ちゃん、ビックリした?」
当たり前だ。
気配がゼロだった。
忍者か?
モモカは「くノ一」を目指してこれから生きるのか?
「集中しすぎだよ。部屋の外から声をかけても反応しないんだもん。ドアをあけても気が付かないし、挙げ句の果てに足音を立てて近づいても気が付かないし」
「それは確かに油断しすぎだな」
「くノ一」にクナイで刺されて殺されかねない。
「上手になったね。女性の声を出すの」
「聞いていたのか?」
「うん。少しだけ気配を消して聞いていたけど、本当に女性が発しているみたいだよ。前に聞いたときよりも自然な感じがする」
他人の客観的な感想がありがたい。
事実上手くなっていると考えて良さそうだ。
「ありがとう」
と言う。
「それでお兄ちゃんに用があって来たの。わたしの部屋に来てくれる?」
「いいけど、なんの用?」
俺はモモカに聞いた。
「事務所から使うように言われたソフトの使い方が分からないの。ちょっと手伝ってくれる?」
「いいよ。モモカの役に立つことがあればなんだっていくよ」
「あとさ、お兄ちゃんの女性の声についてすごく面白いことに気づいたんだけど」
「なに? すごく面白いこと?」
「あとで教えるよ。今教えても今一つ分からないと思う」
俺はモモカに聞いた。
「もし声がブスなんだったら今言ってほしい」
「そんなことはない。可愛い声だよ」
俺とモモカはモモカの自室に行った。
モモカの部屋は女の子らしい可愛いぬいぐるみや化粧品などが置いてある。
部屋にも清潔感がある。
こまめに掃除していることが目に見えて分かるくらい塵がない。
モモカはパソコンの置いてある机の椅子に座る。
マウスを操作していると、可愛い二次元の女の子のイラストが現れた。
アニメによく出てくるような特徴のない普通の女子高生と言った女の子だ。
その子がウインドウに映し出されている。
「あれ?」
俺は机の上に前にはなかったものを発見する。
「それってウェブカメラ?」
「うん。今からこれを使ってこの子を動かすの」
「ふーん」
「それで、そのソフトの使い方が分からなくて」
「オッケー」
検索してもよく分からなくて困っているらしい。
「エンジニアの方が使い方をまとめた資料があるんだけど」
モモカはそれを表示する。
俺はその指示をまとめたサイトの文章をよく読む。
「どこが分からないんだ?」
「えっとね」と説明をモモカが俺に対して始めてゆく。
……。
問題は解決した。
「すごい。見て、お兄ちゃん」
モモカの表情に合わせてモニターに映っている女の子の顔がピタリと同じように動く。
「すごいね」
改めて見るとすごい技術だ。
モモカの分身がモモカの表情に合わせて動いているようだ。
イラストに命を吹き込む作業をしているみたいだった、まるでそれは。
「このソフトを使ってわたしはVtuberになるんだよ」
モモカは俺に教えてくれる。
「いつかわたしのアバターができたとき、わたしはその子にインターネットで生きる息吹を与えるんだね。ポエミーな感想だけど、そう思わない? イラストに息吹を与える仕事だと思わない?」
「そうだね」と俺は答える。
「ほら、マイクもつけてみた。ヘッドホンで聞いてみて」
俺はマイクを通してモモカの声を聞きながら、モニターに映るアバターを見る。
モモカを通して命が与えられているのを本当に思う。
それにこの状況って本当に恵まれた状況だと思う。
生でモモカの顔を見ながらアバターの動きを見て、生でモモカの声を聞きながらマイクを通して声を聞いている。
二重にものが重なり合って、同じものであるはずのものが、別々の命になって返ってきている。
「お兄ちゃんもやってみなよ」
そう言ってモモカはウェブカメラを俺に向け、もっとマイクに近づくように指示する。
俺はマイクに声をあてる。
自分の顔と連動してその子がしゃべる。
もう一人の自分がそこに立っているような。
「だめだめ。せっかく女性の高くて可愛い声が出せるんだから、その声を出してよ」
モモカは指示する。
「分かった」
俺は女性の声を出す。
本当にそこに別な存在の女の子を俺がアニメみたいに顔を動かしている。
「お兄ちゃんもVtuberになりたくなった?」
モモカは問うてくる。
「うん。なりたくなったかも」
「やっぱりVtuberになってみない? トークも上手だし、合ってると思うんだけどなあ」
「うーん、考えてみる」
心が動いているのは新しい命があったからだろうか?