第3話 両声類とは?
俺の名前は黒井進だ。
地元の大学に通う大学生だ。
普通の暮らしをしている普通の男だ。
説明するのも面倒なくらい普通な人間だ。
平凡な人間だ。
あまりにも平凡だ。
俺は恋した相手が本当は女性ではなく男性だった事実が頭から離れなかった。
物語ではよくそういうものは聞いたことがある。
いざ自分の身に起こると笑えなかった。
頭を抱えた。
頭を壁に殴りつけたくなる。
気がおかしくなりそう。
相手が本当は男だったとしても女として見ていればその相手を恋するんだな。
俺はずっと星井ユキは女だと思っていたけれど、中身は男でその人のことが好きになった。
性別なんて関係なくその人の言動で好きになるんだなと気が付いた。
女だと思ってさえいれば事実はどうでもいいんだな。
俺は夜の寝る前にベッドに入り込みながらモヤモヤしていた。
まだ気持ちの整理が付かない。
本当に、本当に彼女のことが好きだったから今でも本当は男だという事実を信じたくなかった。
知りたくなかった。
知らない方が今の生活に潤いがある。
喜びが、気持ちが晴れやかだっただろうと思いを馳せている。
うう、女々しい。
スッキリとした気持ちも芽生え始めていた。
今までずっと女と疑わなかった星井ユキの言動が逆にすごいと思うようになった。
完璧に女を演じる彼女の姿が尊敬に値する。
騙されて気持ちのいい感じすらある。
そういう尊敬に近いなにかが心の中に生まれてきている。
俺の初めての恋心は完全に冷めてしまった。
こんな形で冷めるとは思わなかった。
けれど、恋した相手に今度は尊敬のような気持ちをいだくようになった。
これはこれで成長したように感じる。
相手のことを思いやる崇高な形になった。
俺はどうやって男性が女性の声を出すのか、その技術に興味を持った。
どうやって星井ユキは男性であるのに女性の声を出せたのか?
どういう技術なのだろう?
俺にもできるだろうか?
俺も彼女みたいに人を騙せるだろうか?
騙せるならやってみたい。
俺も人を驚かせてみたい。
俺は居ても立ってもいられなくなってベッドから起きあがり、パソコンのスイッチを入れた。
まずは星井ユキについて調べよう。
彼女のことについて今まで調べたことがなかった。
今日はしっかり調べる。
彼女が何者なのか知る。
今まで知らなかったことを調べる。
真実に向く。
向き合う。
俺はさっそく星井ユキの非公式Wikiのサイトを見つけた。
ここを閲覧すれば彼女のファンがまとめた彼女のプロフィールや過去の活動内容を知ることができる。
知らないことを調べるために訪れた。
分からないことを知る努力をする。
「星井ユキの中の人は男である。彼女(彼)によると身長は185cm、体重は75kgとのこと」
思ったよりも身長が高い。
そして、深く読むともっと体重があった時期があったらしい。
大きな男だ。
デカすぎる。
大きすぎないか?
「両声類系Vtuberである。星井ユキは普段女性の声を作って出しているが、時々素の声、男の声が出るが、どちらも本人の声である」
しっかりと男であることも書かれてある。
そして俺はそれを知らずに女の人が声を出して配信していると思っていたのは、アホの限りだ。
調べればすぐに分かったことだったのに。
俺は「両声類」という言葉を初めて聞いた。
調べると、男性でありながら女性の声が出せる、もしくは女性でありながら男性の声を出せる人のことを指す言葉のようだ。
そのような声色を出せる人を俗的に言った言葉らしい。
へえ、知らなかった。
ネットで検索していると、「初めての両声類講座」というものを見付けた。
クリックすると、
「こんユキ! こんユキ! こんユキ! やっほー! やっほー! 星井ユキです!」
と星井ユキが挨拶する。
なんと彼女が投稿した動画を見付けた。
彼女自身、初心者向けに講座している。
そういうのもあったんだ。
動画ではまず「両声類とはなにか?」から解説する。
そして実際に素の声を披露する。
男性の低い声が出る。
そして、元に戻って女性の高い声が出る。
星井ユキは瞬時にそのふたつの声を入れ替えて話してみせる。
離れ業のように見えることを簡単にする。
それだけでも心から驚く。
「すごいなあ」と心から声が出そうになる。
星井ユキはどうやって違う性別の声を出しているのか説明する。
発声の仕方、喉の使い方を説明する。
俺はそれを聞きながら、「うん、うん」と唸りながら聞いていた。
「なるほど、なるほど。そうするのか。なるほど」と言いながら。
ふむ、ふむ。
そうやるのか。
「それじゃあ、実際にやってみよう!」
と彼女は言う。
俺は星井ユキの説明した通りに声を出した。
「あ、あ……」
女性の声が聞こえる!
いつもの俺の低い男の声じゃない!
女の声だ!
女の声を俺は出している。
俺はビックリしてもう一度自分の名前を言った。
「あ、あ……黒井進です……」
すると洗練されてはないけれど、確かに女性の声の響きが耳に聞こえてくる。
確かに女性の声を出している!
練習すればもっと上手に出せそうだ。
「よし!」と感覚をつかんだ。
星井ユキほど洗練された女性の声ではなかったけれど、確かに始めの一歩を踏み出した感じがあった。
俺は「面白い」と思った。
もっと別の性別の声色を出せるようになりたいと思った。
練習して上手くなりたい。
そう心から思う。
やるんだ。
俺は両声類講座をもう一度始めから丁寧に見始めた。
そうして自室で小さな声で練習する。
確かに俺には才能がある。
間違いなく両声類の感覚をつかみ始めている。
動画が才能を引き出す手伝いをしている。
あともう少しのところだ。
手の届くところにある。
今日はもう夜が遅いので部屋で声を出すのはやめる。
妹の部屋に俺の声が響き渡って起こしては迷惑だからだ。
迷惑はかけないから練習は止す。
迷惑かけて練習は悪いよな。
程度はわきまえる。
俺はパソコンの電源を落とし、今いる自室のベッドの上に潜り込んだ。
今日はもうグッスリ寝る。
寝て体力を回復させる。
頭もスッキリさせる。
今日あった色々なことを頭で整理する。
思い残すことないようにしたい。
俺はしばらくすると夢を見ていた。
自分が女性Vtuberになって配信をしていた。
その夢が正夢になることを俺は知らなかった。
起きるころにはその夢は忘れている。
しかし、その夢が現実になることを俺はまだ知らない。
知るわけがなかった。
そうして、運命の日が近づく。
ゆっくり、ゆっくりと。