番外 ノーラの希望
あたしは魔女だ。この国でたくさんの人に恨まれている魔女。母が魔女だから、生まれたときから、その運命は決まっていた。
母は、いつだったか——たしかあたしが10歳くらいのころに、魔女狩りにあって亡くなった。あたしは子どもだったから、家に隠れてやり過ごして、なんとか生き延びた。父はいなかった。朧げな記憶だけど、母はかなり気分屋な人だったから、きっと飽きてしまって捨てたんだと思う。
そんな中で、あたしは魔法を使いながらでも生きていくしかなかった。魔女仲間、というのも出来た。魔女同士は、お互いなぜか不思議な波長を感知して、魔女だと分かりあうことができる。そのおかげもあって、身寄りのないあたしを好意的に受け入れてくれた魔女もいた。
あたしは田舎で自給自足生活をしながら、自分で鞄を作ってみたり、刺繍をしたりと、そういう手仕事をして、時々街に売りに行った。最初はそもそも売りに出す許可がもらえなかったので、ちょこっとだけ魔法を使ったけれど、お客さんには使ったことはない。
こんな見た目だしこんな話し方だから、「姉ちゃんが作ったんか」とおじさんどもに驚かれることもあったけれど、ちゃんと『良い』と思って買ってくれる人が沢山いて、その心を壊したくないと思った。
そうやって近くの街ではすっかり馴染みの雑貨売りになってきたころ、彼と出会った。彼——レオンは、開口一番、「好きだ!」と叫ぶような、変なやつだった。
「は? あんた何言ってんのさ。今初めて会ったばっかりだろ」
「いや、その……俺の方はずっと見てたんだよ。いや、気持ち悪いとか思わないで欲しいんだけど!」
「気持ちわりぃ」
「思わないでくれって今言っただろ!」
最初はなんだこいつ、と思ったけれど、話していくうちに、楽しくて、軽快なやりとりが待ち遠しくなっていた。
だけどあたしは、恋なんてしないと心に決めていた。恋で破滅していった仲間はよく知ってる。そして何より、あたしは、思いつきで恋をして捨てるような母に育てられた、という劣等感があった。絶対に母みたいにならない。一生独りでもいいとさえ思っていた。
だけど、レオンは毎日のように店にやってくる。ある日、「どうすんのさ、あたしが魔女で、あんたはからかわれてるだけだったら」と、カマをかけるように聞いてみた。すると、「それでも構わない」と、レオンは力強い声で言った。正直、涙が出るかと思った。
しばらくして、あたしは折れた。こんなにも真っ直ぐに自分を想ってくれる人が居て、心が揺れない方がおかしいだろう。レオンとの日々は本当に楽しくて、喧嘩も多かったけど、それでも、愛おしかった。レオンは家族仲が良かった。あたしは天涯孤独だから、と言うと、「じゃあこれからは俺がいるな」なんて笑ってくれた。「俺の家族も、ノーラがうちに来るのを待ってる」と言ってくれた。
あたしはそれまで自分が魔女であることは黙っていた。だけど、彼に隠し続けることはしたくなかった。そして何より、「魔女でも良い」と言った彼を信じたかった。もしも結婚できるなら、魔女というあたしを丸ごと受け入れて欲しかった。
大事な話がある、と告げたその日の夜、レオンは帰ってこなかった。それだけじゃなく、数日間、彼からは一切の連絡がなかった。
もしかして、あたしが言う前に気づかれた? いつ? あたしを嫌いになった?
不安で押しつぶされそうになった日、ようやくレオンは帰ってきた。ひどく憔悴した顔で。
「妹が……亡くなった」
座ってずっと抱きしめていると、レオンは涙ながらにそう呟いた。家族を大事にしているレオンにとって、どれだけそれが辛いことか。あたしの想像する痛みなんて比べものにならないくらい、苦しいのだろうと思った。
その日から、レオンは塞ぎ込んでいった。ご飯もあまり食べられない、夜は明け方まで眠れず、ようやく眠れたと思っても、数時間で起きて、黙って涙を流す。
そんなレオンを支えたいという思いでいっぱいだった。あたしが何とかしてあげないと。
あたしにできることは精一杯やった。もしかしたら食べられるかも、と言ったスープを用意した。それを食べられなくて謝る彼を抱きしめた。天気がいい日には、外に連れ出して散歩した。家から出て数歩で歩けなくなる彼を、支えて、また家に帰った。「ごめんね、無理に連れ出して」とあたしが謝ると、「何も出来なくてごめん」と彼は泣いた。
結局、彼に自分が魔女であるということは打ち明けられずにいた。今はとにかく休息が必要だと思ったから。自分の背負っている業を彼にも引き渡すのは今ではないと思った。
毎日が苦しかった。いつ彼の悲しみは終わるのだろう。いつ、あたしたちは幸せに戻れるのだろう。結婚なんて高望みはしないから、喧嘩ばかりでいいから、前みたいに、ただ笑ってほしかった。今思えば、あたしの方も、責任感で押し潰されてしまいそうだったのだろう。
あたしは、思いついてはいけないことを思いついてしまった。
ある日、あたしは、ベッドでぼんやりとしている彼に向き直って、目を合わせた。手をぎゅっと握ってあげた。彼は、何も答えず、何も反応しなかった。
「レオン。——『妹のことは忘れて』」
あたしがそういうと、彼は、さっきまでの状態が嘘みたいに、目をぱちくりさせて、「どうした? ノーラ」と言った。嬉しかった。嬉しくて涙が出た。それを、「ええ、俺何かした!?」と、あたしの背中をさすって慰めるものだから、余計に涙が出た。
よかった。やっと昔のレオンに戻った。これからは、前の生活に戻れる。そして二人で幸せになれるのだ。——そのときは、そう信じていた。
普通に外に出歩けるようになった彼を、人々は喜ばしく受け入れた。レオンは「なんであんな状態だったんだっけ」と言ったが、いつもの調子でとぼけているのだろうと思われていた。あたしだけが胸を痛めていた。
結婚の話が出て、ご家族に挨拶をしにいったとき、レオンのご両親は彼の明るさに驚いていた。むしろ「どうして今なの!?」と咎めるように声を荒らげた。だけど、彼はわからない。なぜ反対されたのか。だって、あたしが記憶を消したから。
帰り道に、「いつもはあんな風じゃないんだけど……ごめん」とレオンに謝られた。「いや、いいよ。大丈夫」と返したが、上手く言えていなかったのか、また謝られた。あたしの声が震えていたとしたら、それは、レオンの想像するような理由じゃない。それをレオンに告白することは、もはや出来なかった。勿論、自分が魔女であることも。
あたしがレオンを変えてしまった。家族を大切にしているレオンが大好きだった。どれだけ悲しみの中にあっても、あたしのことを気遣おうとしてくれるレオンが大好きだった。あたしもレオンも、お互いのことが好きすぎた。好きすぎて、一緒にいるのが苦しくなっていることに気づいていなかった。それに、あたしが離れたらレオンは死んでしまうような気がしていた。
だけど、それこそ、昔のレオンは死んでしまったも同然だった。今のレオンは、過去の彼とは違う。あたしが作ったレオンだ。あたしはそれが急に怖くなった。もう何も考えたくなかった。
あたしは弱かった。もう、今のレオンと一緒にいることはできなかった。あたしも前のレオンみたいに、何も出来なくなってしまいそうで、それを支えさせることを想像するだけで、死んでしまいたくなった。
あたしは、レオンの前から消えた。何も言わず、何も残さず。
そして向かったのは、機械人形を作っている技師・ヨハンの家だった。
ドアを開けてもらったときのことはあまり覚えていないけど、ヨハンの機械人形であるマリー曰く、とても酷い顔をしていたらしい。
あたしがヨハンの家にいったのは、殺してもらえると思ったからだった。だけど今思い返すと、誰かに救いを求めていたような気もする。だって、単純に殺されるだけなら、どこかの警備兵に捕まった方が早いから。
あたしは、ヨハンに今までのことを洗いざらい話した。自分が魔女であること。そうでありながら、恋をしてしまったこと。愛した人が心を病んでしまったこと。そして、その人のために魔法を使ったこと。それが間違いだと気づいたこと。
ヨハンは、ただ静かに聞いていた。マリーが温かいコーヒーを用意してくれていたが、あたしは飲む気力がなかった。ちなみに、それ以来マリーは、紅茶を用意してくれるようになった。どうやらあたしがコーヒー嫌いだと思っているらしかった。ただ、そのときは限界で、誰かの優しさに甘えることができなかっただけなんだけど。
全て語り終えた後、あたしはヨハンに、「殺してくれ」と頼んだ。
どの機械人形でもいい。この家にはきっとあんたを守るための機械人形がいっぱいあるんだろう? なんでもいいから、早くあたしを裁いてくれ。もっとぐちゃぐちゃだったような気がするけど、そんなようなことを言ったのを覚えている。
ヨハンは静かに、「うちにいるのはこの子だけだよ」と言った。この子、の視線の先にいたのは、マリーだった。
マリーが機械人形であることは、それを言われるまで気づかなかった。そして、すでにこんなに近くに魔女がいるというのに、なぜ何もしないのか不思議だった。どうして、と問うたが、ヨハンは悲しげに笑うだけだった。
「ノーラ、と言ったっけ。少しだけ時間をくれないか。君に、いいものをあげよう」
ヨハンはそういうと、部屋に戻っていった。マリーが彼のコップを片付けながら、あたしに言った。
「——マスターは、魔女を殺すことに反対しているんですよ。魔女だけではなく、どんな人でも。マスターが殺されそうになっても、殺してはいけない。そうやって私はプログラムされています」
あたしは、それを全く理解できなかった。自分の命を狙う魔女を殺さないだなんて、ただの馬鹿だ。馬鹿だ、と思った時、レオンの顔が思い浮かんだ。「魔女でも良い」と言ったあいつは馬鹿だ。だからこうなったんだ。そう思うのに、涙が止まらなかった。
あたしは2階の居室を自由に使って良いと言われ、数日間彼らと生活を共にした。と言っても、大概はマリーと一緒にいることが多くて、ただぼんやりとしては時々意味もなく涙を流すあたしに、無言で寄り添ってくれた。
少しだけ、といった割に、彼が『いいもの』をくれたのは大分あとのことだった。
でも、確かにそれは『いいもの』だった。
真っ黒な髪の毛をして、マリーのように無表情で、一見人間にしか見えない。でも、ぴくりとも動かなくて、多分マリーと同じ機械人形なんだろうと思った。
ヨハンは、マリーを自分の部屋から出るように話した。魔女と二人きりになるなんて、と思ったが、自分を信頼してくれていることがわかって、少しだけ嬉しかった。
「これを、君にあげるよ。名前は君がつけて、君が彼女の感情を育てるんだ」
「感情……?」
一瞬理解ができなかった。
「そう。君は、動物の心には干渉できるだろう? だけど、彼女にはできない。彼女と対話して、一緒に生きて、彼女を一人の人間にしてやってほしい」
「そんなの、できるわけないだろ。だって、機械じゃないか」
それに、まだ自分一人で生きることもままならないのに、機械の世話をしてやれるような心の余裕はない。
「君ならできるよ」
「できない!」
「できる。それに、僕の作った機械人形なら、できるんだよ」
そういうと、ヨハンはどこか怪しげに、ふっと笑った。
それから、あたしはリリーと暮らし始めた。名前は、マリーからイメージしたものだ。
育てろなんてヨハンは言ったけど、世話をされているのはあたしの方だった。何もできないあたしにご飯をつくり、涙を流せば隣に座り、強く当たってしまっても、「大丈夫ですよ」と優しく声をかけた。まるで、あたしがレオンにしていたみたいに。
始めはそれさえ辛かったけれど、リリーに寄り添われているうちに、あたしがレオンを本当に愛せていなかったことに気がついた。元気になってもらう、という見返りばかりを求めて、本当のレオンを見つめられていなかった。もう遅いけれど、それを認めて、届かない「ごめんね」を心の中でレオンに向けた時、ほんの少しだけ楽になれた気がした。
リリーに感情があるのか、わからない。一緒に暮らすようになってもう7年経つが、相変わらず無表情が多い。だけど、ときたま笑ったり、あたしに意見するようになったり、受けっとった時よりは色々変わっていると思う。そしてあたしも、リリーのおかげで、昔よりよっぽど元気になった。
リリーをもらった時、なぜあんなにヨハンが自信に満ちていたのかよくわからないけれど、魔女のネットワークで、なんとなく予想はついている。きっとマリーは知らないことだから、ヨハンがマリーにその業を半分こする覚悟ができるまで、あたしは見守っておこうと思う。
そして、ヨハンがそれを罪だと思っているのならば、あたしにもそれを軽減する手伝いをさせてほしい。そう考えた時思いついたのが、人の心をケアするための機械人形だった。誰も傷つけない存在。それをヨハンが作ったら、彼の心は軽くなるだろうか。
「リリー!」
「なんでしょう、マスター」
「ちょっとヨハンのところにいこうか。一緒に来てくれる?」
「もちろん。あなたとならばどこまででも」