第四話 青年の問い
「お久しぶりです、ヨハンさん」
「こちらこそお久しぶりです。どうですか、あれから機械人形の調子は」
「予想以上ですよ。本当に助かっています」
客間に通されると、すでにヴァルター氏が待機しており、ヨハンたちが入ると同時に立ち上がって握手を求めてきた。ヨハンはそれに快く応じ、珍しくまともな世間話に花を咲かせる。仕事モードに入るとこれなのに、日常生活があんなだらしないとは誰も思うまい、と、マリーは心の中でつぶやいた。
「新しい物はこちらです。マリー」
マリーはヨハンに呼ばれ、新しい機械人形を連れてくる。通常の機械人形と違い、人間型は大きく、木箱だと嵩張るため、厚い布で梱包している。先ほどからマリーの隣に立たせていたので、ヴァルター氏はヨハンと話しながら、ちらちらとそちらを見ていた。気になって仕方がないらしいとマリーは気づいていた。
マリーが身長に布を剥がしていくと、「おお……!」と感嘆の息が漏れるのが聞こえた。美しく、そして母のような柔らかさを備えた機械人形。まるで本物の人間のようだが、あまりの美しさが逆に偽物めいている。
「これもまた……予想以上です。まさに理想を超えたものを作っていただきました」
「そう言っていただけて恐縮です。こちらは、以前のものと同様に動作するのですが——」
そこからヨハンの機械人形トークが始まり、マリーとしては飽き飽きしてしまうのだが、ヴァルター氏は嫌な顔ひとつせず聞くのだからすごい。これが富豪たる所以なのか、とマリーは思う。
ひとしきり喋り終えたところで、「いやあ、本当にありがとうございます。金額はこのくらいを考えているのですが……」と提示された。こういうときはマリーの出番だ。しっかりとチェックして、それ相応の値段であるかを考えたのち、承諾した。
「ありがとうございます。それでは納品完了ということで、我々は失礼いたします」
「ああ、少し待ってください。もう夜も遅いですし、長旅でお疲れでしょう。泊まっていかれてはいかがですか?」
いかがですか、とヴァルター氏に言われて、断れる者などいない。といっても、ヨハンは能天気に「本当ですか」と喜んでいるようだが、マリーは慎重に「お気持ちはありがたいのですが、よろしいのですか?」と尋ねた。
「もちろんです。妻が亡くなってからというもの、息子の相手をしてやれる暇があまりなくて。もし泊まっていただけるのなら、代わりと言ってはなんですが、少し遊んでやってください」
相手が気を遣わないようにするその姿勢は流石としか言いようがない。マリーはこれ以上否定的な態度を取ることはやめて、「それではお言葉に甘えて。ありがとうございます」と告げた。
ヴァルター氏の好意で泊めてもらえることになった二人は、ヴァルター氏、その息子・ルッツとともに、夕食をいただいた。といっても、マリーは食べられないのでその場にいただけだが。普段給仕する側のマリーは、席に座っていたもののどことなく居心地が悪かった。
居心地の悪さはそれだけが理由ではない。マリーだけルッツに懐かれていないのだ。元々子供が苦手なヨハンだが、その優しげな風貌からか、昨年納品に来た時から「おにいちゃん」と呼ばれるまで懐かれていた。
しかし、マリーは、その鋭さが怖いのか、全くもって近づかれない。以前納品した黒髪の機械人形も怖がられているらしいし、同じような存在に分類されているのだろう。
マリーの方も、子どもは苦手——というか、ヨハンが苦手だから、上手いコミュニケーションの取り方をプログラムされていない。そんなわけで、マリーがルッツに怯えられるのは必然ではあった。
夕食後、ヨハンがルッツに「……おにいちゃん、あそぼ」と言われているのを傍目に見ながら、マリーはこの非日常にむず痒くなって、「片付け、手伝います」と名乗り出た。最初は断られたが、それが本来自分の仕事だから、と強引に押し通し、厨房の方へとついていった。
夕食の片付けがひと段落し、厨房から出ると、なにやら扉の影に隠れてこそこそしている青年を見かけた。後ろ姿だけでは断定できないが、どうやら、屋敷に踏み入れた時にお辞儀のタイミングを間違えていた青年のようだった。
「あの」
「うわああぁあ!?」
マリーが小さく声をかけると、青年はこれでもかというくらい驚いた。
「……そんなに怯えないでください」
「あ、す、すみませ……申し訳ございません! って……メルツァー様の機械人形……?」
「マリーです。ここでなにをしているんですか?」
マリーは至って冷静に告げたつもりだが、相手の心臓はまだ落ち着かないのか、挙動不審のままだった。それには、いきなり声をかけたこと以外に理由がありそうだった。
「え、いや、あ、僕はフィン。フィン・バウアーです。それで、ですね、あの……」
フィンと名乗った青年は、扉の裏側に視線をやりつつも、どう誤魔化そうかと考えているようだった。ヨハンほど読みやすい人はいないと思っていたが、それ以上だな、とマリーは思う。
「そちらになにかあるのですか」
「あ! いや、何か、というか、別に!」
マリーがこっそり扉の裏を覗くと、少し離れたところに、女性が立っていた。艶のある黒髪で、首の辺りでぱつんと切れているボブヘアー。無表情に部屋の前に立つ彼女は、おそらく、一年前に納品した機械人形だろう。
「彼女を見ていたんですか?」
「え、いや、……うん。そうだよ」
フィンは観念したかのように、頭を抱えてそう認めた。ただ、マリーは何故そんなにも隠したがっているのかわからなかった。
「なぜ彼女を見ていたんですか? 何か用事があるなら……」
「いやいや、ないよ! ……ああ、でもそっか、君も機械人形だもんね……」
そう言って、フィンは何かに気づいたようにぶつぶつと独り言を言い始めた。マリーはそれを不思議そうに見つめていた。しばらくしてフィンは、意を決したように、マリーの目をまっすぐ見つめてこう言った。
「実は……馬鹿げてるって思うかもしれないけれど、僕は、その……彼女が好きなんです」
そう言った彼の瞳は真剣だった。暗い廊下で、窓から差し込む月の光だけが、唯一彼の表情を照らす手がかりであったが、薄ぼんやりとしか彼の顔はわからない。しかし、マリーの目にははっきりと、その焦茶の瞳が緊張に揺れているのが見えた。
「好き、ですか」
フィンにそう告げられてマリーが最初に放った言葉はそれだった。「好き」。意味ならわかる。しかし、感情のない自分には、人間の営みである「好き」にはたどり着くことができない。
「そうですね。馬鹿げています。私を含め、機械人形はあくまで機械ですから」
マリーのあけすけな物言いに、「だよなぁ……」と気落ちするフィン。やってしまったか、と一瞬よぎるが、一年に一回会うか会わないかの関係性なのだし、別に害もなさそうだし大丈夫か、とマリーは冷静に判断していた。
「何故彼女を好きだと思うんですか?」
「えっ、そんな、だって……いつも、気がついたら目で追ってしまうし、彼女、あ、リーネって言うんですけど、リーネの名前を呼ぶときはいつも緊張するし、逆に、呼ばれるとぶわぁって舞い上がるように嬉しいんです。——こんなにも誰かを好きになったのは、初めてだ」
フィンのその、敬語とフランクな口調が入り混じるところに、まだ世間というものを知らない青さが滲み出ている。「初めて」を経験するにはちょうど良さそうな年齢に見えるけれど、と、ここでもマリーは心の中で突っ込んでいた。
「私は別に否定はしませんよ。世の中には様々な趣味嗜好の方がいますから」
「趣味嗜好って……そんなつもりで彼女を好きになったんじゃないよ。それに、彼女も……それこそ馬鹿げてるって言われるだろうけど、僕を特別に思ってると思う」
「馬鹿げていますね」
瞬時に斬るマリー。まさかそんなに容赦無く言われると思っていなかったのか、明らかに気を落として、扉に背を預けるようにしてずるずるとへたりこんだ。マリーはそれに合わせてしゃがみ、話を続ける。
「論理的に考えてみてください。機械が心を持つはずがない。そうでしょう? 全てはプログラムされているに過ぎないのです。マスターの作る機械人形は素晴らしいですから、そりゃあ勘違いなさることもあるでしょうけど……貴方にもし特別な反応をしていたとしたら、それは学習したからに過ぎません」
「がくしゅう……」
「ええ。私たちは感情を持ちませんが、相手の反応を見て学習し、成長することはできます。まあ……人間のように振る舞うことはできるということですね。恋をしている青年を見て、同じように振る舞うことができる。そういう機械ですよ、私たちは」
フィンは、膝を抱えて、そこに顔を埋めた。言い過ぎたか、と思ったが、しばらくして顔を上げたフィンは笑っていた。
「でもさ、僕は思うんだ。僕にだって、心なんてものはわからない。ヴァルター様も、ルッツ様も、もしかしたら僕がわからないだけで、機械人形かもしれない。……あ、えっと、不敬な発言みたいになってしまったけど、そうじゃなくて! ええと、僕が言いたいのは……そう、『人間らしく振る舞うこと』が、心があるってことに近いんじゃないかってことなんだ」
「人間らしく振る舞う……ですか」
マリーは、フィンの言ったことをゆっくりと咀嚼するかのように呟いた。
「だって、学習したことを表に出すかは彼女が決められることだろう? 僕を喜ばせようとして、特別な反応を見せているってこと、なんじゃないんですか」
「まあ……そうとも言えますね」
自分に都合のいい論理を振りかざされているような、だけど、あり得なくはないような、そんな言葉に、マリーは一瞬意識が自分へと向く。それなら、私は? 私はマスターをどう思っているのか?
マリーが考えているうちに、フィンは立ち上がっていた。ひとつ遅れて、マリーも慌てて立ち上がり、姿勢を正す。立ち上がったことで、フィンの顔にはちょうど窓からの月明かりが差して、さっきよりも顔立ちがわかるようになっていた。あれ、こんな顔だったっけ、と、マリーはいつもなら思わないはずのことを思った。
「それに、人間も同じだよ。学習して、人との関わりを学んでいく。人間と機械人形の違いはよくわからない。だけど、僕には、彼女と僕はそう大差ないって思えるんです。だから、好きでい続けられるよ。彼女は機械人形だけど、成長する姿を側で見て、それで好きになったんだ。心の有る無しで簡単に折れたりしない」
フィンの真っ直ぐな視線に気圧されていると、そのままフィンは続けた。
「たとえばだけど、君はメルツァー様のことをどう思っているんですか」
「マスターを、ですか」
「そう。たとえば……たとえばだよ。失礼にあたるかもしれないけれど」
「いいからどうぞ」
「メルツァー様が、もし……死んでしまったら? 君はどう思う?」
そこまで話していると、フィンの後ろから足音が聞こえた。床には絨毯が敷かれているので、マリーでなければ聞き取れない小さな音だったが、誰かが近づいているのはわかった。
「……フィン?」
フィンは驚いて息を呑み、「リ、リーネ!」と叫んだ。相変わらず感情の忙しい男だ。
「なにをしているのですか」
「ああいや、あの……」
「こんばんは、リーネさん。マリーと申します。私も貴方と同じ機械人形で、貴方の生みの親・ヨハンに仕えている者です。今夜の夕食が美味しかったとマスターが仰っていたので、レシピを聞けないかとフィンさんに交渉していたのですよ」
マリーは適当に嘘っぱちを並べて、「ね?」とフィンを見る。フィンは安心したように、「ああ、そうなんだ。えっと……で、でも、僕は厨房とは関わりが少ないし、別の人を探した方がいいんじゃないかなって……そう話していたんだよ」
「そうだったのですね」
なんとか誤魔化せた、と言わんばかりに、額の汗を拭うフィン。それではバレてしまうだろう、とマリーは思った。彼の行動は単純明快だから、仕方がないのかもしれない、と無理やり自分を納得させた。
「フィンさん、無理を言って申し訳ございませんでした。恐らくそろそろマスターが就寝の準備をなさると思いますので、私はこれで」
手短に挨拶をして、美しいお辞儀をフィンに見せつけた後、マリーは暫く歩いてからちらりと後ろを見やった。
そこには、先ほどまでの無表情ではなく、柔和な笑みをこぼすリーネの姿があった。
翌朝、皆に見送られながら、ヨハンとマリーは再びヴァルター氏の馬車に乗り込んだ。その中にはもちろん、フィンとリーネもいる。さらに言うと、昨日納品したばかりの機械人形も、まるで今までも居たかのように周囲に馴染んで手を振っていた。
ヴァルター氏は、仕事があり見送りができないことを昨晩何度も謝罪していたが、代わりにルッツが、眠たげな目をこすりながら、パジャマのままで外に出てきていた。ルッツが馬車に近寄って、ヨハンに話しかける。
「つぎはいつくる?」
「うーん、お父さんが来てっていったら行くよ」
「ぼくが頼んでもだめ?」
「ううん……」
そんなヨハンとルッツのやり取りは、見ていて新鮮だった。子ども相手に現実的なことを言うべきか、夢を持たせるべきか——そんな一面もあるのだと、マリーはヨハンの困った顔を見つめた。
ルッツが泣き出す前に、御者が「もう出発ですよ、坊ちゃん」と声をかけた。ルッツを別の執事が遠ざけると、御者は鞭で馬を叩いて、馬車を出発させた。
馬車で揺られている間、この前の王都からの帰り道と違って、今度はマリーが、「マスター」と話しかけた。
「なんだい? マリー」
「マスターは、私のことが好きですか?」
その直球すぎる質問に、一瞬面食らったように目を見開くヨハン。
「どうして……そう思ったの?」
「実は、屋敷で機械人形を好きだと言う執事がいたんです。彼は、機械でも良いと、心の有無など関係ないと言っていました」
ヨハンが黙って、優しい光を宿した目で、マリーを見つめている間に、「ああ」と、マリーは付け加える。
「そういえば、『マスターがもし死んだらどう思うか』と問われました」
「……それに、君はなんて答えたんだい?」
「答えられませんでした。タイミングが悪くて。でももし答えるとしたら……そうですね。そんな瞬間は来ないでしょう。マスターが死ぬということは、私が戦闘不能になっているということです。あるいはマスターの老衰。その場合も、メンテナンスやエネルギー補充が不可能となりますから、マスターの死より先に機能が停止しているはずです」
「それもそうか」
ヨハンはふっと笑って、珍しく、マリーの頭を撫でた。マリーは一瞬驚いたが、嫌ではなかったので、されるがままにしておいた。
初夏のあたたかな風を切って、馬車は二人の家へと向かっていった。