第二話 王都の魔女狩り
がたごとと揺れる馬車の上に、ヨハンとマリー、そして大きな木箱が乗っていた。ヨハンはここ数日ほとんど寝ていないためか、その居心地の悪い揺れでさえも気にならないようで、すやすやと眠りこけている。一方、マリーはいつも通り澄ました顔でヨハンを見つめていた。小言を言いたげだが、わざわざ起こしてまで疲れている彼に言うことではないか、と遠慮しているような、そんな目だった。
ヨハンたちの家から王都までは、駅馬車を使って約15時間。マリーは近くの駅に無理を言って深夜に馬車を出してもらい、なんとか今日中には王都に辿り着くことができそうだった。王の命じる納期に間に合わせられないとなれば、どうなるかわかったものではない。もっとそういうことを考えて欲しいものだ、と、マリーは静かにため息を吐く。
眠れない体を持つマリーにとって、15時間は長い。スリープ機能はあるが、安全のためにはそんなものを使っていられない。そもそも「長い」という感覚は、彼女にはないのだが、それでもマリーは、「人間には退屈なのだろう」と考え、呑気に寝ているヨハンが恨めしくなるのであった。それでも、退屈とはなんだろう、と考える。人間のことを考える時間はマリーにとってはヨハンを理解する行為の一つで、興味深いものだったし、こうして起きている間、森の中に静かに息づく虫や動物の声、しんとした空気を感じるのは悪くないとも思った。
しばらくすると夜明けが訪れ、森の中に光が差し込む。真っ暗だった馬車の中も薄明かりに包まれた。木々が起き出している。
「もうすぐ次の駅だ、兄ちゃんを起こしてくれ」と、御者がマリーに向かって叫ぶ。ヨハンが駅についてもなかなか起きないので、マリーはヨハンを木箱の上に乗せ、それごと持つことにした。乗り継ぎの馬車の御者が見た時はかなり驚いて、「あんた見た目の割に……」と呟いていたが、マリーは意に介さなかった。
そんなこんなで、二人と一つの木箱は王都の最寄り駅に到着した。マリーの苦労もしらず、ヨハンは「なんだか体が痛いよ……」などと腰をさすっていた。
「もう王都に着いたんだね。早かったなあ」
「あなたはずっと寝ていましたからね」
「えっ、そうだっけ。途中で起きたよ。マリーにごめんって言った記憶がある」
「確かに一瞬目が覚めた様でしたが、それは声になっていませんでしたよ」
そう軽快なやり取りをしながら、王都へと歩く。王都の方は北にあるので、ヨハンの家の近辺より少し肌寒い。しかも空が曇っているものだから、より一層空気が冷たかった。マリーは用意周到に上着をヨハンに差し出した。
それからしばらく歩くと、石造りの立派な門が見えてきた。最近、王都では入場規制がかけられており、門番に認められなければ入ることができなくなっている。それは、明らかに魔女の影響であった。
あと50mほどとなったところで、二人を見つけた門番は、待機場所にある機械人形を起動した。そして、大きな声で「止まれ!」と叫ぶと、マリーに向かって機械人形を向けた。その機械人形はマリーとは全く違い、つるりとしたボディにアームが付いている、まさにロボットというような見た目をしていた。
「ああ、これはどうも」
ヨハンが呑気に挨拶をする。
「お前たち、一体何用で王都に来た」
「ええと、僕はヨハン・メルツァーといって、えっと、こっちはマリーって言うんですが」
ヨハンの要領を得ない説明に苛立ちが隠せない様子の門番を見て、マリーがフォローする。
「彼は機械人形技師です。こちらが証明書になります。そして私は、彼を警護する機械人形です。ですので、その機械人形でスキャンしていただいても、生体反応を得ることができないかと」
ヨハンが部屋の隅に適当に置いていたせいで、折れてしまっていた国家公認技師証明書を、マリーは丁寧に開いてみせた。すると門番の態度が一気に変わり、「これは大変失礼いたしました!」と敬礼する。
「どうぞお入りください。そちらの荷物は新しい機械人形でしょうか? お運びいたします」
「いえ、私が運びますので結構です。お気遣いいただきありがとうございます」
門番は、マリーのその美しい顔と丁寧な所作に思わず見惚れるが、機械人形であることを思い出し、邪魔な思考を追い出す様に頭を掻いた。
「王都では最近、異端審問が活発化しております。巻き込まれぬようご注意ください」
「ご忠告痛み入ります。それでは」
マリーは木箱を抱え直し、何も口を挟めずにどうしたら良いか迷っている様子のヨハンを引っ張るようにして、王都の門を通り抜けた。
王都であるフラウデンは、この国・ブルグの王が住まう城があり、城下の街並みが美しい都市だ。ブルグ自体そんな大きな国ではなく、多くはただ人が暮らしているだけだから、王都には多くの観光客が訪れる。といっても、ブルグは魔女問題からほぼ鎖国状態で、ほとんどが国内の観光者だ。
二人が王城へと進んでいると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。それも物騒な声色で、どう聞いても野次としか聞こえないような単語が飛び交っている。
「もしかして」
「ああ。異端審問——かな」
不幸にもその声の持ち主たちは、ヨハンたちの行く先を塞いでいた。二人は足を止めざるを得ない。
マリーが群衆の中心を見ると、そこには、磔にされた女性が鞭打たれているところだった。思わず目を覆いたくなる悲痛な光景。それを人々は、「いいぞ」「魔女を許すな」と叫ぶ。どちらが異端なのか、と言いたくなる。マリーはヨハンの顔を見たが、彼はそれを、何か感情のわからない目で見つめていた。彼はわかりやすいので、大抵の場合何を考えているかわかるのだが、時々こういう目をする。そしてそのとき、マリーはぐるぐると答えのでない問いに直面するかのような感覚がするのだった。
マリーが中央に視線を戻すと、大きな荷物を持っていて目立ったのか、鞭打たれている女性と目があった。恨めしそうな目。世界を憎んでいる、全てが敵だというような目。あなたたち全てを殺してやる、というような目。
マリーには、それがわからない。憎しみや悲しみ、苦しさは一応学習しているが、行動を最適化していく過程で結局のところ取りこぼしていく。マリーがいちいち悲観にくれていたら、ヨハンの世話など到底できないからだ。
マリーのその感情のない目に、ふと諦めがついたように、中央の女性は笑った。そして、鞭を打つ男性に向かって目を見開き、「私を殺せ」と叫んだ。
そして、男性はまるで夢でも見ているかの様にふわふわとした足取りで、彼女の首を鞭で締め上げた。誰も止めなかった。「やっぱり魔女だったんだ」「あいつは操られている」と、群衆は次々に口を出す。
そんな中で、ぐっと強く拳を握る青年を、マリーは見た。
「いこうか、マリー」
「え、あ……はい」
マリーは精一杯人をかき分け、ヨハンとはぐれないように、必死に着いていった。
二人が王城に着き、再び国家公認技師の証明書を見せると、今度は簡単に通された。門番と違い、事前に話がいっているのだろう。城の中には何人もの騎士がおり、ヨハンとマリーの姿を見て、こそこそと話をしているようだった。特にマリーについて、「美人だな」「いや、機械だろ?」という声が聞こえてくる。
客間のようなところに案内されると、丁寧に撫でつけられた白髪を持つ老紳士——この国の防衛大臣のような役割を持っているらしい——と護衛の騎士が現れ、「納品物を」と短く言った。
マリーは今まで持っていた木箱を丁寧に降ろし、木箱を解体する。そこには、門で見たような形をした、しかしより殺傷能力に長けていそうな腕を持った機械人形が鎮座していた。護衛の騎士は、新品を見るのが初めてなのか、少し興奮している様に見える。一方老紳士は、「おお……」と小さくこぼしたものの、冷静さを保っていた。
「まさに我々の発注通りです。起動しても?」
「はい。こちらのスイッチを押すと起動します」
ヨハンが機械人形の裏にあるスイッチを押すと、小さな振動音とともに、目——にあたるような部分——が緑に光った。
「この色が赤くなると魔女だということで、自動的に戦闘モードへと切り替わります。捕獲用はまだあるとのことでしたので、殺傷専用のものになりますが」
「ええ、ええ。もちろん構いません。むしろその方が、国民にとっても安心でしょう」
老紳士は嬉しそうにそう告げる。ヨハンは、相変わらず感情の見えない目をしていた。マリーはその目を見て思わず、先ほどの事態について質問した。
「あの、先ほど城下の通りで異端審問を見かけました。不躾なことを聞きますが、あのようなことは日常的に行われているのですか?」
「……そうですね。この前の機械人形が壊された事件で、より過激化していますよ。でも、仕方がないことでしょう? 我々にとって魔女は脅威、排除すべき存在なのですから」
彼は罰が悪そうに目線を伏せながら、眼鏡を上げた。そして、嫌な話題を振り払うかのように、「さて、報酬の話ですが——」とヨハンに向き直った。
それからはマリーは蚊帳の外で、ヨハンが珍しくまともにしているその横顔を見つめるだけであった。
納品が終わったあとは異端審問の集まりは散り散りになっていて、街は何事もなかったかのように営みを続けていた。適当なお店で遅めの昼食をとったあとは、もうすっかり夕方になっていた。
二人は、とりあえず行けるところまで駅馬車を乗り継ぎ、途中で一泊して帰ることに決めていた。というか、マリーがそう決めた。さらにいうと、泊まる駅はマリーの中ではほとんど確定している。
再び王都から少し歩いて、最寄りの駅馬車へと向かう。観光地とはいえ、異端審問の過激化からなのか、駅馬車の利用者は他にいなかった。
乗り込んだ頃には、もうすっかりと辺りは暗くなっていた。まだ王都の近くなので街灯が少しあるが、顔はあまり見えない。
二人はしばし無言だった。特別なことではない。しかし、今日は何故か雰囲気が違うようにマリーは考えた。馬が走る音にかき消されて、ヨハンの息遣いはマリーには届かない。
「こういう話があるんだけど」
そんなとき、ヨハンはぽつりと独り言の様に語り始めた。
——昔、機械人形もまだない時代、王都に一人の魔女がいた。彼女は、周囲に魔女だと知られることなく、ただ自分の生きたいように生きていた。これといった事件はある1件を除いて残っていないから、普段から魔法を使っていなかったか、あるいは、自分のためではなく他人のために使っていたんじゃないかな。
さて、そのある1件だけど。
彼女は、いつものように街で買い物をしているときに、たまたま街に来ていた王子様に見初められたんだ。よく知りもしない庶民と婚姻するなんてなんて王子だと、民衆は激怒した。しかし、その王子が王になり、魔女が王妃になると、彼女はその懸命さと優しさで人気になった。事件の後は、それも魔法だったんじゃないかと言われているけど、彼女の優秀さはそれに収まらないものだったと僕は思うよ。
そして、彼女が王妃になった数年後。魔女を狩る機械人形が誕生した。初号機は真っ先に城に運び込まれたよ。そして、王妃が魔女だと発覚した。
勿論魔女はすぐさま殺された。当時は魔女に対する恐怖や嫌悪が今よりもっと大きかったから。幸い彼らの間にまだ子どもはおらず、王には国で選定された王妃が新たにあてがわれたよ。
魔女が死んで、王様は抜け殻のようになってしまった。愛した人が魔女だった、そして殺された。彼女が死ぬ事は正義だった。そんな状況に心を病んでしまったのだろう。
王様は魔女に魔法をかけられていたのだろうと民衆は彼を哀れんだ。よく知りもしない女と結婚するなんて馬鹿な判断をしたのはそのせいだったのだと。酷い手のひら返しだよね。
「そこで、君に聞きたいんだけど」
——彼女は本当に魔法を使ったと思うかい?
そう問いかけたヨハンの顔は、相変わらず薄暗くて見えなかった。
「……メーラ・ウィーセンの話ですか? 1660年代の王妃であり、史上最も有名な魔女である」
「ああ、君のデータベースにはそう入っているだろうね」
ヨハンの声は、夜の冷たい空気に溶けた。
「稀代の悪女だと語り継がれています」
「それは歴史の話だろう。僕は、君の意見が聞きたいんだ」
「私の……」
マリーは言葉に詰まった。私はあくまで機械で、意見などないはずなのに、何故ヨハンはそんなことを聞いてくるのだろうか。真っ直ぐと見つめてくる彼の目は、見えないけれど、昼間のあの目と同じ目をしている気がした。
「わかりません」
「そうか。……じゃあ昼間、どうしてあんな質問をしたんだい?」
「……わかりません。だけど、納品に行く前のあの魔女狩りで、目があったんです。魔女と。……彼女は世界を憎んでいる様な目をしていました。私にはそうしたネガティブな感情はありません。でも、その光景が少し頭から離れなくて」
ヨハンはもう一度静かに「……そうか」と呟いて、それ以降は話さなかった。
街灯の下を通るたびに、ヨハンの茶髪が金色に透けて見えた。