第一話 機械人形の苦悩
薄暗い瞳をした人間の体を前に、ヨハンは恍惚とした笑みを浮かべている。生気のない痩せた体と目の下にある隈が、彼の不気味さをより濃くさせる。カーテンを閉め切った部屋の中にこもって、彼は一心不乱に作業に耽っていた。
しかしそんな彼の表情も、扉がノックされたことで焦りに変わる。返事をする前に開かれたドアの前に立つのは、一人の女性だった。まるで人形のように美しい華奢な体躯だ。顎下で切りそろえられた白金の髪の毛が、彼女の陶器のような透明感を際立たせた。
「マスター」
彼女の琥珀色の瞳がヨハンの背をしっかりととらえる。しかしヨハンは振り返らない。咎めるような鋭い女性の目は、彼のそばにある、骨格が剥き出しの腕を捉えた。ヨハンの顔は明らかに動揺している。
「私が何を言いたいのか、わかりますね」
とげのある声。彼は観念したように、手に持っていた工具を置き女性の方に向き直った。
「久しぶりに私を改造したかと思えば、わざわざ起動せず放置して。まさかとは思いましたが、また徹夜で機械人形を作っていたんですか」
「違うんだよマリー、これは……」
「なにが違うというのです? そこにあるそれは、明らかに貴方が組み立てた機械人形でしょう」
マリーと呼ばれた彼女は、部屋の中心に鎮座している体に目をやった。人間の様な体つきをしているが、見た目は機械そのものだ。
彼女の声がヨハンを刺したので、彼は痛手を負って黙りこくっていた。しばらくの沈黙ののち、マリーの視線に耐えきれなくなって、ヨハンはぼそぼそと口を開いた。
「……機能を止めていただろう?」
「マスターの考えることなど想定済みです。スリープ状態が24時間を超えた場合、自動的に起動するよう設定しておきました」
マリーは呆れたようにため息をつきながら、窓に近づきカーテンを開ける。外は雲に覆われていて、湿った匂いが窓の隙間から入り込んでいた。ヨハンは迷惑そうに顰め面を作って見せた。
「大体、昨日からマスターは挙動不審でした。今までの傾向から、貴方が夜通しでの製作計画を立てていることは簡単に予想できます。そしてそれを実行するには、私を止めなければならない」
ヨハンは困ったように肩をすくめて行った。
「さすが僕の最高傑作だ」
マリーは彼の評価を喜ぶことなく、無感情に胸元のボタンを開け、服をはだけさせた。肌の一部から機械が露出しており、そこだけが唯一彼女の非生物さを感じさせた。彼女もまた、ヨハンの生み出した機械人形の一体だった。しかし、他の機械人形とは明らかに出来の違うものだが。
「シャットダウンするのは構いませんが、この状態で放置しないでください。どうせ早く作業に取り掛かりたかったのでしょうが」
「……その通りだ。ごめんよマリー、今元に戻すから」
ヨハンの手がマリーの腹部に伸びたところで、彼女はその腕を掴んだ。驚く間もなくそのまま抱き上げられ、ベッドに放り込まれる。
「私の方はあとで構いません。次同じことがなければ、特段問題ではありませんから」
同じことがなければ、と再度繰り返し強調したのち、「それに、プログラムをアップデートしておきました。今度は30秒でスリープを解除します」と冷淡に告げた。そしてその声に反するかのように、マリーはヨハンの体にふわりと布団をかけた。
「徹夜は体に毒ですよ」
「わかってるよ」
「この一ヶ月で『わかってる』と言った回数は68回ですが、本当に理解していたケースは1件です」
ヨハンは布団にもぐりこんでマリーに背を向けた。彼の柔らかな色素の薄い茶髪がシーツに張り付いている。
「……僕の教育が悪かったかな」
「マスターは完璧ですよ。私はマスターをあらゆる事象から守ります。貴方自身によって引き起こされる健康問題からも」
ヨハンは観念したように、ゆっくりと目を閉じた。
『人ならざるものは排除すべし』。雨に濡れて少しよれた新聞紙の一面には、貼り付けにされた女性が写っている。工具や機械部品がばら撒かれたテーブルの隙間にかろうじて置かれているマグカップを持ち上げながら、ヨハンはつぶやく。
「物騒な世の中だなあ」
新聞に目を滑らせながらコーヒーをすすると、小さくあちっ、と声が漏れた。
「熱いから気をつけて、と、今しがた言いましたよね」
困り眉で舌を出すヨハンの向かい側に現れたマリーは、片手で朝食を持ちながら器用に机の上を片付けた。よれよれの服を着ているヨハンと違い、彼女は切れ長の瞳に似合ったシャツをピシッと着こなしている。食卓には、まだ湯気の立つスープとパンが置かれた。ありがとう、とスープに口をつけ、同じことを繰り返すヨハンを、マリーはじっと見つめた。
「何か興味深いことでも?」
「……異端審問だってさ。結構激しいみたいで、本当に魔女かどうか怪しい女性まで処刑されている」
ヨハンはまだ眠たそうに目を擦った。
「それは大変ですね。貴方の作品のことを皆忘れてしまったのでしょうか」
「さあね、僕の作る機械人形だって完璧なわけじゃないし、完成した子達がどんな使われ方をしているのかも知らない。僕の作品、というより、政府に不信感があるんじゃない? というかそうであってほしいんだけど」
マリーはヨハンの言葉を無視し、手から離れた新聞紙を手に取った。
「抵抗した魔女が機械人形を破壊……マスター、貴方の子どもが一人機能停止したそうですよ」
「それは僕の作ったやつじゃない、祖父のだ。僕の子は今作っているところ」
マリーは、リビングと繋がっているヨハンの作業部屋へ目をやった。少し開いているドアから、今朝ヨハンが執心していた機械が覗いている。
「新しい依頼はそういうことですか。国からの新規依頼など、珍しいとは思っていました」
「魔女狩り用の機械人形は、本当は作りたくないんだけど」
ヨハンはコーヒーを静かに一口流し込んだ。
「魔女狩り用、とは妙なことを言いますね。元来、機会人形は魔女狩りのためのものではありませんか」
「君が言うかな」
ヨハンのカップにコーヒーを注ぐマリーは、まさにメイドだった。それをわかっていてからかっているのだから、マリーの対話性能は驚くべきものだ。
「なんにせよ、不用意な発言は控えてください」
ヨハンは、またマリーの小言が始まった、と思った。
コーヒーにミルクをぐるぐると混ぜながら、マリーは続ける。
「魔女の力を受けずに、魔女を殺すことのできる唯一の手段。その作り手が国に貴方しかいないのに、作りたくないだなんて言っていることが政府に知られたら」
「わかってるよ」
「70回目」
「……」
口だけが抗議をしようとしてぱくぱくと開くが、結局言葉が出ずにいたところで、幸いにもドアをノックされる音が響いた。玄関の扉からだった。
マリーはヨハンにちらりと目で合図した。訪問者の予定はない。こういう場合、大抵碌な相手ではないというのがマリーのデータには蓄積されていた。
「はい」
マリーは至って普通の声で返事をする。視線でヨハンに隠れるよう指示を出し、何事もなかったかのように玄関の扉を開ける。すると、その一瞬で、マリーの首を掴もうとする腕が伸びた。
「……っ」
マリーはそれを瞬時に躱し、身をかがめて相手の懐に入る。右の拳で重い一発を腹部にお見舞いし、相手の態勢が崩れたそのとき、今度は逆に、マリーのその細長い左腕が、相手の首を掴んだ。そしてそのままゆっくりと持ち上げる。相手は女性だった。苦しそうにうめき、もがく女性を、マリーは冷ややかに見つめた。
「な、ぜ……お前……魔女を殺さないのではなかったのか……!」
マリーの手を必死に剥がそうとするが、機械と人間では強さが全く違う。歯が立つわけもなかった。
「ええ、私は魔女に限らず、あらゆるものの命を奪ってはならないとマスターにプログラミングされています。ですが——」
ぐ、とより一層力を込め、女性の体を高く持ち上げる。女性の顔は真っ青だ。
「マスターをお守りするのが、私の仕事です」
マリーはそういうと、女性の鳩尾に右手を突き刺した。怪しげな光を纏った電流がマリーの腕を流れていったかと思うと、女性はみるみると力をなくし、ぐったりとしていった。
それを確認してようやく、マリーは女性から首を離した。そのまま女性は落下し、地面にばたりと倒れ込む。マリーは、ふう、と一息つくと、その女性を抱きかかえ、玄関から少し離れたところまで連れていき、横たわらせた。
そしてその間にヨハンに何もないかが心配で、走って家まで戻ると、ヨハンはすでに、冷めてしまった朝食の続きを楽しんでいるところだった。マリーは呑気さに呆れた。
「誰だった?」思わずため息を吐きそうなほど能天気だ。マリーは言いたいことをグッと飲み込んだ。
「……魔女です。魔力を吸い取ったので、近くに放っておきました」
「そうか。ありがとう、殺さないでいてくれて」
「いいえ。これが私の仕事ですから」
『魔女は殺すべし』。これが、この国の現在の方針だ。しかしマリーは、ヨハンのボディガードでありながら、魔女を殺してはならないというプログラムがなされていた。それはヨハンとマリーの間での秘密だが、魔女を撃退する中で、おそらく魔女のコミュニティでは「ヨハンは色白の機械人形と住んでおり、そいつは魔女を殺さない」と共有されているのだろう。それほど、ヨハンは魔女から命を狙われていた。ただ、家まで訪ねてくるのはかなり珍しいことだった。それなのに本人がこの態度なのだから、マリーは気苦労が絶えない。
さて、そんな魔女を殺さない代わりに、マリーは特別な性能を持っていた。それが、魔女から魔力を吸い取る力だった。魔力を吸い取られた魔女は、しばらくの間魔法が使えなくなる。魔法といっても、魔女が使える魔法はたった一つ。それは、『動物の心に干渉すること』だ。だからこそマリーは、魔女からの精神干渉を受けることなく、魔女を無力化することができる。
「コーヒー、冷めてしまいましたね。温め直しましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。ところで、君を元に戻すのがまだだったね。おいで」
マグカップをことんと置いて、ヨハンは自分の部屋へと向かった。パンは食べ切っているけれど、スープはまだ飲み干していない。それを指摘しようか悩みつつ、いつものことかと思い直し、マリーは彼の後をついていった。
部屋に入ると、マリーは躊躇なくシャツのボタンを開けていく。ヨハンは「色気がないなあ」などと揶揄いながら、機械や線が剥き出しになっている、人間でいう心臓部にあたる箇所に目を向けた。ヨハンは引き出しから細い棒のようなものを取り出し、内部の小さなボタンを丁寧に押した。するとマリーの目からは光がなくなり、がくんとヨハンに寄りかかる形になる。スリープモードに入ったのだ。マリーを丁寧に椅子に座らせて、ヨハンは作業机に体を向けた。
「よし、作業の続きを……」
「——あの」
「えっ!?」
「昨日の話を聞いていなかったんですか? 次は30秒でスリープを解除する、と言いましたよね」
マリーは首を軽く回すと、半目でヨハンを睨んだ。
「人の話も覚えられないくらい疲労が溜まっているんです。まだ休息を取らなければならないようですね」
「で、でも、納期は明日までで——」
ヨハンは怒られる前の子供みたいな目でマリーを見つめたが、全く無意味だった。むしろそれはマリーを怒らせるトリガーにしかならなかった。
「なぜそれを先に言わないんですか!」
そうなるよなあ、と諦めたように怒られる準備をするヨハン。ベッドの上で正座をしている。
「……仕方ありません、手伝える箇所はありますか? もう腹を括ってやるしかないですよ」
「ああ、えっと、じゃあ僕の手伝いはいいから、明日王都に行く手配を……」
「王都!? ああ、いや、確かにそうですよね……全く……」
マリーは頭を抱えた。人間のように見えるが、マリーはやはり機械だ。機械人形にしか興味のないヨハンは、マリーがいなければ何もできない。しかしマリーもまた、彼の指示がなければ動けない。今度からは受注も私がやるべきか、と、机の上のよれよれになった受注書を見て、マリーは苦悩するのであった。