第74話 day X+10(4)
部屋に、私の全身が入る。
全く何も聞こえない、無音の空間。
後ろを振り返る。
女性が、壁に手を当てて、私のことをじっと見ている。
「壁……。」
私は、入れた。
陽くんを一度見て、女性にもう一度頷いてから、私は陽くんに向かって歩いていく。
陽くんは、私に気づいていないようだ。
陽くんの鍵盤を弾く指は激しく動いているのに、空気は震えない。
まるで、世界そのものが死んでいるかのような、完全な静寂。
陽くんは、こんな孤独の中に、ずっと独りで……。
「……っ!」
近づくと、陽くんは半透明だった。
……。
「……陽くん。」
声を、かける。
全く、私に気付かない。
ピアノを、弾き続けている。
「……陽くん?」
陽くんの肩に手を置こうとする。
「……えっ!?」
……手が、すり抜けてしまった?
「え……陽くん!?」
肩じゃなく、腕や手を触ろうとしたけど、すり抜けてしまう。
「陽くん……陽くん!!」
……ダメだ。
どんなに声を上げても、聞こえていない。
ずっと、楽譜を弾いて……。
そんなに……何を……。
陽くんが見ている楽譜を覗く。
「さくらの……うた……。」
フルートの、ソロコンの……。
やっぱり、あの時の……。
私も、目に溜まる涙で、よく楽譜が見えない。
「陽く……」
もう一度声をかけようとした時———
陽くんが、弾くのを止めた。
そして、スマホを取り出し、何かを入力している。
しばらくそのまま画面を見つめ……苦しそうにうずくまった。
「…………。」
陽くんは上を向いて、口を開き、泣いている。
声は聞こえないけど、見ていられない……。
「何を……。」
私は涙を拭い、スマホに何を打っていたか、覗いてみた。
{水都、無事かな。返事をください}
{ガス爆発から、何も助けられなくて、ごめん}
{病気から、何も助けられなくて、ごめん}
{あの約束を、守れなくて、ごめん}
「うぅっ…………!!!」
こんな……。
陽、くんは、こんな、ことを……。
バカ……陽、くんの、せいじゃ、ないじゃん……。
なのに…… なのに……。
一人で……ずっと……。
陽くんは、鍵盤に握った手を乗せたまま、下を向いて泣いている。
そして、また前を向き、
最初から“さくらのうた”の伴奏を始めた。
聴こえない、伴奏。
陽くんの手元、鍵盤が動くのに、震えない空気だけが、浮かんでいる。
「うっ…………うっ…………。」
私が泣いていると———
左手で持っている、フルートが光り始めた。
「…………えっ?」
驚いて、フルートを見つめる。
…………。
バッ、と後ろを振り返る。
女性が、真剣な目で私を見ている。
「…………。」
再び陽くんを見る。
「えっ!?」
———薄く、なってきている?
半透明の陽くんが、もっと薄くなってきている……!
さらに光だす、フルート。
私を……呼んでいるかのように。
聴こえない、泣き声。
聴こえない、ピアノの音。
返事の無い、LINE。
全てが止まっている、この部屋。
……そうじゃない。
そうじゃないよ。
私は、フルートを構える。
ねえ———。
私の歌を、聴いて——————。
陽くんの手が、
”さくらのうた“の、最後の間奏に入る時———
私は、フルートを……鳴らした。
https://youtu.be/3-kikFcGJZ0?t=182
《レ———シ♭ド レーファシ♭ーソ ラソファ———》
———それは、花びらのように優しい、私たちの「さくら」の旋律。
『!!!』
半透明の陽くんが、驚いて私を見て、手を止める。
《レミ♭ファ ソーシ♭シ♭——— ソラシ♭ー ドーファレ———》
吹き続ける私を見て、
陽くんは口を開き、振るわせながら、ずっと見ている。
陽くんの、信じてくれた音だよ。
私も、陽くんを信じてるよ。
だから、一緒に、ずっと、演奏しよう?
一緒にいよう?
一人じゃ、ないよ?
私が、いるから———。
私は、合図を送る。
陽くんが、一緒に構える。
https://youtu.be/3-kikFcGJZ0?t=217
《ソドレ ミ♭———レミ♭ レードシ♭ーファ ソ———》
最後のサビ、陽くんのピアノが入る。
陽くんの身体に、色が戻ってくる。
ずっと、鳴らせなかった音が、無音を打ち破って———。
陽くんは涙を流しながら、これまで無いくらい、鍵盤に力を込める。
私はその大地から飛び立つように、フルートを羽ばたかせる。
いつしか、無機質な黄色の壁と床が、大きな破片に割れ落ち———
部屋は、桜の木が窓から覗かせる、部室になった。
部室の、木の匂い。
楽器ケースの棚の、埃っぽい空気。
桜色の陽光と一緒に、吹い上げる、大好きな曲。
二人で———。
これからはずっと、二人で———。
曲が、終わった。
『水都…………。』
私は、陽くんに手を伸ばす。
その手に陽くんが手を合わせようとした時———
部屋が、真っ白に光出した——————・・・
* * *
《ピッ………ピッ………ピッ………》
…………。
ここは………?
さっきの、ICUの扉……?
私は、扉の窓に、手を当てていた。
《ピッ………ピッ………ピッ………》
さっきのは……一体……。
陽く…………
「っ!!!!」
手が…………
手が上がってる!!!
心拍も!!
「陽くん!!!」
ICUの扉のボタンを叩き、部屋に駆け込む!!
「陽くん!! 陽くんっ!!!」
伸ばされた手を、両手で握る!
「陽くん!!」
「み…………」
っ!!!
「水都…………?」
「陽………くんっ…………!!」
「水都……ここは……?」
「病院の……ICUだよ……!」
「I……CU……?」
…………。
「水都……怪我……でもしたのか?」
っ!!
「バカ……バカバカバカ!! 陽くんのバカ!! なんで、こんな時まで!!」
「え……?」
冷たい手を握り、泣いてしまう。
「水都……大丈夫か?」
返事、できない。
大きく、首を横に振る。
「怪我は……無いのか?」
大きく、頷く。
「今日は……何日?」
「うっ……うっ……12月……24日……。」
「えっ……?」
陽くんが、目を見開く。
「ごめん……もう一度……何日?」
「にじゅう……よっか……。」
「え…………。」
陽くんの手が、震え出す。
「越え、た? ガス、爆発は?」
「うっ……うっ……起こった……。」
「えっ……水都……無事なの、か……?」
「うっ……うん……。」
「え……?」
…………。
「本当に……無事なのか……?」
私は、大きく頷いた。
「あぁ……。」
陽くんの目に、みるみる涙が溜まっていく。
「あぁ………あぁぁ〜〜〜〜〜………。」
大粒の涙が、こぼれ始める。
わかる。
わかるよ。
この涙の意味、わかってるよ。
「あぁぁ〜〜〜〜〜っ、あああぁ〜〜〜〜………。」
陽くんが、泣き続ける。
二人で、手を握って泣いた。
お医者さんと看護師さんが駆けつけた後でも、
私たちは、ずっとずっと手を、握っていた。
明日も更新します。




