第71話 day X+10(1)
》河合水都
なぜ……………。
なんで……………。
どのくらい、この言葉を繰り返しただろう。
岡崎市民病院、集中治療室の扉の前。
扉の窓から中が見える、長椅子。
ここから立ち上がると、一番近くのベッドに、管を付けられた陽くんが見える。
私が、意識を取り戻した時—————————・・・
* * *
「…………ん………」
目を覚ますと、白い天井。
ここは……。
うっ……、
起きあがろうとすると、胸が、少し痛い?
あれ、何でだっけ……。
ここは……病院のベッド?
何とか、起きあがろう。
少し、クラっとする。
熱い。
そうだ、熱があったんだ。
暗いなあ。
誰も、いない。
なんで、ここに……?
……あれ、廊下を走る足音がする。
《バタバタバタ……ッ、ガラガラーッ!!》
「水都!!」
「水都ぉっ!!」
「水都!!」
え、お母さん、みんな?
「わああああああっ!!」
「よく……よく無事で!!」
「水都ーーーーっ!!」
みんなが、私を抱きしめながら泣いている。
「え、ど、どうしたの?」
「…っぐ、…っぐ、…っぐ……」
「ごめんね! 水都、ごめん! 一人にさせて!」
「どこか、怪我は無いか!? 痛いところは?」
「えっと、うん、特に何も。インフルの熱、くらい?」
「…………っ!!」
「はぁ〜〜〜〜っ……!!」
「水都、ホントあんた、よく無事で……!!」
家族が泣きじゃくっているけど、訳がわからない。
「ね、ねえ。よく無事って、何が……?」
「何言ってるの!? 水都、覚えてないの!?」
「どうやって、無事だったんだ?」
「あのガス爆発から!」
「……え?」
……ガス…………爆発?
そうだ……。
ガスの匂い、した。
それで———。
だめだ。よく覚えていない。
「……ガス爆発?」
「うっ……うっ……。」
「そうよ、ガス爆発で、家が無くなっちゃったのよ!」
「水都だけ家に残ってて……帰ったら、病院に運ばれたって聞いて……。」
…………え?
「家、無くなっちゃったの?」
「うっ……うっ……そうよ……。」
「え、何でガス爆発なんか起こったの?」
「ま、まだ分かってない……。」
そんな……。家が……。
明日から、どうやって……。
ううん、それよりも。
「ね、お向かいとか、大丈夫? 陽くんの家は?」
「…………。」
「…………。」
え……。
「ね、ねえ。教えて。陽くんの家は?」
「……陽くんの家は、大丈夫。」
……家は?
「……ねえ、陽くんは?」
「…………。」
「…………。」
サァーッと、背筋が冷たくなる。
「ねえ、陽くんは? 陽くんは!? ねえ!?」
「ぼ、僕らもよく、分からない……。」
「え、どういうこと!? ケホ! ゲホッ!! ねえ!? どういうこと!?」
「陽くんも、一緒に運ばれて———」
「い、意識不明の、重体だと…………。」
—————————!!!!!!
「…………なっ…………え?」
「っぐ……っぐ……私たちも、まだ、聞いただけで……。」
え……なんで?
なんで?
…………なんで?
「……よ、陽くんに会ってくる。場所、教えて?」
「バッ……水都! あなたも絶対安静よ!」
「嫌! 陽くんに合わせて! どういうこと!? どこにいるの!?」
「ここは感染症フロアだからいないわよ! 集中治療室(ICU)って聞いたけど!」
「……っ!! 行ってくる!」
「バカ! 何言ってんの!」
身体を起こすと、胸がズキッと痛む。
「うっ……?」
『・・・——— 水都! わかるか! 水都!!———・・・』
『・・・——— よし! よしよし! ヨォッッし!———・・・』
……陽、くん?
…………そうだ、確かに、目の前にいた。
陽くんが、私を抱きしめて泣いていた。
まだ、温もりを覚えてる。
……でも、なぜ?
私は、部屋の中にいたのに?
なん……で?
・・・———その事実を知ったのは、その夜から二日後の、昼———・・・
* * *
消防署から、現場検証を行なった火災調査員の方が来られた。
家族で話を聞きたいというこちらの要望に応えてくださり、わざわざ許可を取って感染症フロアまで足を運んでくださった。マスクを付け、帽子とメガネを身に付けられている。
「…………えー、まず爆発の原因ですが、河合宅の家屋が原因ではありません。」
「……え?」
「はい。南側の道路で十一月下旬から始まった都市ガスの配管の交換工事の不備によるもので、河合宅につながるバルブを、工事の際に傷つけたことによるガス漏れが原因だということがわかっております。
ですので、過失責任は工事事業者にあり、過失に基づく不法行為責任ということで、民法709条に則って賠償請求をすることができます。建て替え費用、治療費、家財も含まれますねー。」
「ガス、管……。」
「そんな……。」
「……。」
あまりに意外な回答に、気持ちの整理がつかない。
お父さんは、怒りにも似た表情をしている。
「で、もう一つ大切な検証結果なのですが。」
「あ、はい。」
「そちらのお嬢さん、水都、さんでよろしかったでしょうか。水都さんが助かった要因についてです。」
「……はい。」
「結論から申し上げますと、一緒に搬送された男性、石上陽さん。彼が単身で突入したことによるものです。」
———え?
…………。
「…………え、ど、ど、ど、どういうことですか!??」
「……石上くん!?」
……ショックで、動けない。
お母さんは、ワナワナと手を振るわせている。
火災調査員の方が、頭をポリポリと掻きながら、説明を続けてくださる。
「えーと、一応釘を刺しておきますが、これは絶対にやっちゃいけないことなんです。消防を待たず、ガスの充満する住宅に侵入するなんてことは。
配管の破損により、床下にガスが充満していました。おそらく室内は、火花一つで吹き飛ぶ『爆発限界濃度』に達していたはずです。そんな中を、彼はライト一つで突っ込んでいったんです。
こうやって硬いもの一つ落とすだけで火花によって引火しますし、自身の命はおろか、他の家屋への被害が出かねません。消防のプロでも難儀な現場となりますので、潔く消防が来るのを待つべきです。」
掻いていた手が、手元のファイルを指差す。
「ただ……。これも絶対と言えることですが、彼がいなかったら、水都さん、あなたは亡くなっていたか、極めて重大な重傷を負っていました。」
っ!!!!
「なっ………!!」
「ひっ……!?」
「ガス爆発で怖いのは、延焼による熱や煙よりも、爆風による衝撃波です。水都さんが室内にいても、壁をすり抜けて入ってきます。
『爆風肺』と言うんですが、爆風によって室内の気圧が一瞬で急激に変化するため、人間の体で最も空気を多く含んでいる『肺』は、この急激な圧力変化に弱く、肺の中の毛細血管がズタズタに破れます。
結果、外傷がなくても肺の中で出血し、血液や体液が肺胞に溜まります。いわゆる肺水腫ってやつですね。こうなってしまうと、煙なんて吸ったら一発アウトです。」
お母さんとお姉ちゃんが、床にペシャンと座ってしまう。
「……大丈夫ですか? 続けても?」
「はい、お願いします。」
お父さんが、二人を支える。
「……それで話は戻りますが、彼ですね、石上さんがどうやって水都さんを救出したか、物証や目撃情報などから分かりました。……これがですね、極めて用意周到であって、一本の細い道筋を作ったような感じなんです。」
「……え?」
「順を追って説明しますね。彼がおそらく身につけていたのはヘッドライト、静電気防止パッド、携帯酸素。これらは搬送時、近くに落ちていました。また、近くにAEDも落ちてましたね。
また、河合宅の庭の窓から侵入する際、バールを用いる算段だったようですが、使わずに置いてありました。鍵が開いていたんでしょうかね? あと、搬送時、彼は裸足でした。おそらく、靴下による静電気の発生すら嫌ったんでしょう。……信じられませんよ。あのパニックの中で、そこまで冷静な判断ができるなんて、プロでもなかなかいませんよ。」
「そ、そんな危ないことを……。消防を待つ、ということをしなかったのか?」
「ちなみに、第一通報者は彼です。」
「「「「っ!!!」」」」
「彼の知人、瀬馬さんという方から消防は通報を受けています。石上さんの指示とのことです。彼がガス漏れの発見から通報を迅速に行なったため、消防と救急の第一陣が到着したのは、爆発からわずか数十秒後です。その早期到着により、水都さんと石上さんは一命を取り留めています。消防隊は爆発の閃光を目撃しています。結論、消防を待っていたら、水都さんは助かっていなかったということです。」
「そ、そんな……。」
「彼は窓から家を飛び出し、肉弾で垣根を破ったんでしょうね。顔の切り傷がそれだと思います。窓を開け、暗闇の中、ヘッドライトと携帯酸素で水都さんを探し当てたんでしょう。静電気防止パッドも使いながら。
そして脱出後、爆風の影響力から守られる程度の距離まで避難し、水都さんに心臓マッサージと人工呼吸を行い、蘇生を成功させたようです。」
「「「「え……!?」」」」
蘇生……!?
「心肺蘇生については近隣の方の目撃情報です。彼の『誰か来てください』という声を聞き、途中で気付いた方からの証言です。その手際が良かったことも見られていました。しかもですね……。」
また、ポリポリと頭を掻かれる。
「消防署のウチの同僚が先日、この地区の市民ホームで、防災訓練の担当をさせていただいたんですが、その時に石上さん、いらしていたそうなんですよ。」
「え?」
「で、誰よりも熱心に参加し、鬼気迫る様子で完璧に心肺蘇生術を学ばれていかれたそうです。実際、水都さんが蘇生した際に、目撃者の話によれば石上さん、あまりの喜びだったのか、抱きしめられていたそうです。ただ……。」
顔を、曇らせる。
「そこで爆発が起こり、閃光で二人がよく見えなくなった、と。
見えるようになったら、二人は家屋の屋根の大きな残骸の下敷きになっていたそうです。石上さんが水都さんを庇う姿勢で。」
「「「「下っ……!??」」」」
「で、救急を呼ぶ間も無く到着した消防と救急が、二人を救出したということです。あ、そうそう。石上さんの背中には無数の傷があり、おそらく爆風で飛んできたガラスや破片によるものだということです。水都さんは大丈夫でしたか?」
…………。
…………。
全員、動けない。
「彼がしたことは我々としては職務上、正しいとは言えません。
……しかし、現場に携わった職員一同、彼がしたことに心からの敬意を表します。全員で、彼の回復を心から願っています。」—————————・・・
* * *
あまりに、衝撃的な事実だった。
私たちは調査員の方がお帰りになっても、何も話ができなかった。
誰も、動けなかった。
なぜ、そんなに恐ろしいことをしたの……?
なぜ、陽くんはそんなことができたの……?
どうして、そんなに準備ができたの……?
どうして、それをしようと、思ったの……?
私を、庇って……。
それに、家族と、陽くんの家のことだって……。
・・・—————————あの時、私が早まって病室を飛び出そうとした時———・・・
* * *
ガラッと開く、扉。
瀬馬さんが、来られた。
瀬馬さんはベッドを降りてICUに行こうとしている私と、それを止めようとしている家族を見ると、立ち尽くしている。
「……瀬馬さん?」
「水……都…さん、皆さん、よく、よくご無事で……!」
「は、はい。大丈夫、です。」
「お怪我は……?」
「あ、いえ、特に、無いです。」
「そうですか……。良かった、良かったぁ……!」
「あ、あの、陽くんは……。」
お父さんが背馬さんに聞く。
「……よ、陽さんは、意識不明、とのことですが、それ以外はまだよく分からず……。」
首を振られる、背馬さん。
「そ、そうですか……。」
…………。
「ぼ、僕たちが出かけている間に、家があんなになってしまって、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません……。」
「いえ……。あっ…………!」
少し、何かを言われて、止まられた。
そしてワナワナと、震え出された。
…………。
まさか……
まさか、陽くんに何か!?
「み、みなさん、その……家のことなのですが……。」
…………え?
「今日、か、帰られる場所は、ございますか?」
「え? いや……。これから、ホテルを取って考えようかと……。」
「そ、そうですか……。」
瀬馬さんは、何故か動揺されたような顔をされている。
「で、では……河合さん……!」
「はい……?」
「こ、これを、受け取ってはくださいませんか?」
「え?」
瀬馬さんは、家の鍵らしきものを顔の前に上げる。
「……これは?」
「陽さんから、もしこの先、陽さんの周りで、本当に困っている人がいたら、これを渡す、ように、と、言われていた物、です。」
「……えっと、これは?」
「……こ、これは、陽さんの、家の、鍵で……す。」
「……ええ!?」
「なんで?」
「どういうことですか?」
「…………」
背馬さんが、肩を振るわせる。
「本当に、それだけしか……!」
「……えっ?」
「……私にも分からないんです! なぜそんなことを言われたのか! なぜそんな物を準備するのか! 私も聞いたんです!! なんでそんなことを言うのか!! でも、このことだけは、理由を聞かないでくれと!! ただ準備して、渡してくれと!! 何も分からないんです!! どうして!! どうしてこんなことができたんですか!! どうして!! ひとり!! どうして……。」
ううう、と、瀬馬さんが「陽さん……」と言いながら、泣き崩れる。
「「…………。」」
「と、とにかく、受け取って、一緒に来てください……。ご案内、します……。」—————————・・・
翌日、戻ってきたお母さんたちの話。
ダイニングの南側の部屋に、ベッドが4つ。
衣類、寝具、洗面用具まである、と。
私もインフルの待機期間が終わって退院し、実際に見てみて、言葉を失った。
まるで、私たちのために、準備された部屋だった。
私が知ってるのは、ダイニングの向こうは陽当たりの良い、ただの空室だった。
でもそこには、ベッドと、男性ものと女性ものが1:3で準備されている衣類、下着。化粧品や、メガペンくんまで準備してあった。
ふっと、陽くんの寝室の扉を開ける。
懐かしい、部屋。
……そこは東側で、隣の建物で直射日光が入らない、暗い部屋。
いつも陽くんがいるダイニングも、北側。
それなのに、4つのベッドがある部屋は、陽当たりの良い、庭に面した特等席に見える。
まるで———私たち家族のための、部屋として。
でも、そこには陽くんだけが、いない。
陽くんのデスクには、飲みかけのココア。
寝室のベッドは、無造作のまま—————————・・・
なぜ。
なんで。
なんで、私が助かって、陽くんが重体なの。
なぜ、あの家に私がいて、陽くんがいないの。
私なんて、ただインフルで寝ていただけなのに。
陽くんはあんなに才能があって、みんなに必要とされているのに。
なんで、南側の部屋なんて用意してたんだろう。
なんで、ガスの知識なんて完璧だったんだろう。
私が何も知らずに笑っていた隣で、陽くんはずっと、たった一人でこれに備えていたの?
私、陽くんの何を分かっていたんだろう。
何も知らなかった。あんなに近くにいたのに。
どうして……。
……思考が、またループする。
いくら思い出しても、いくら事実を並べても、目の前の現実は変わらない。
ガラスの向こう、たくさんの管に繋がれた陽くんは、ピクリとも動かないまま。
……その陽くんを見た、陽くんのお母さんも。
なぜ、あんなことを?—————————・・・
* * *
退院して三日目、一昨日の夜。
ここICUの前に、今日と同じようにいた時、女性に声をかけられた。
「……ひょっとして、水都さん?」
「え……は、はい……。」
「やっぱり! 看護師さんに、水都さんていう方が毎日ずっと来られてるって聞いてたから、そうかなって!」
「あ、はい……。えっと、あの……すみません。どちら様でしょうか……。」
「あ! ごめんなさい! こちらからお話しすべきところ、失礼してごめんなさい。えっとあの私、陽の母です。」
「よっ…………!?!」
急いで平身低頭する!
「河合水都です! この度は本当に、私のせいで申し訳ございません!! 本当に申し訳ございません!!」
「ちょちょちょっと! やめて! 立って立って! そんなの必要ないから! ね?」
驚いて、顔を上げる。
お母様は近くまで来て、膝をついてくれている。
「……大丈夫だから。むしろ、水都さんは怪我の具合はどうなの?」
「え……あ……あの、私は何も、……大丈夫、です。」
「そう! はぁ〜……、良かった。」
え……?
なんで、安堵されてるの?
「ど、どうして、そんなことをおっしゃるんですか?」
「ん? そんなこと?」
「私のせいで、陽……石上くんが、犠牲になってしまっていて……。」
「何言ってんの。むしろ、良くやった!って思ってますよ?」
「……え?」
あまりに予想外のご返答に、言葉足らずに聞き返してしまう。
「まあ立って立って。ね? 好きな子を守ったんでしょ? 逆に、守らずに逃げてきたら、大説教ものよ?」
「え?」
「あれ?」
「…………。」
「絶対そうでしょ?」
「え、えっと?」
「あ、あ〜〜〜〜。そうか〜〜。そういうことね。ごめんごめん。お母さん、フライングしちゃったかな?」
カンラカンラと笑われている。
「あー、でもオッケーでしょう? あれだけ家で話してるんだし。」
「えっと……」
「あー、ごめんごめん。実を言うとね、毎週家に帰ってくる時、楽しそうに部活のことを教えてくれるの。でもね、水都さんのことを話す時、本当に嬉しそうに話すの。」
「え……。」
なんか、瀬馬さんにも同じようなことを言われたような。
ふふ、とお母様が微笑む。
視線は、ガラス越しの陽くん。
「あの頑固坊主、小学校の頃からなんかおかしくなってね。こうするんだ!って決めたら、頑として言うことを聞かない。なんかよく分からない携帯アプリの勉強とか? ドイツ行っちゃうとか? 家建てて一人暮らしするとか? おかしいでしょ? 母親置いて。ずーーーっと、眉間こんなんしてさ。」
私に向かって、鬼瓦のような顔をされる。
「……笑っていーとこよ(笑)。でね、高校に入って、家に帰るたびに・・・笑ってんのよ!? あのカタブツが! 万年彼女無しが! 唐変木が!! ある女子の名前言うたびに!」
え……。
「水都さん。あなたのおかげ。あの子を、人に変えてくれてありがとう。」
ぶふっ。
「そ、そんな、そんな言われ方しなくても……。」
「あー、やっと笑った。」
「え?」
「ふふ、笑うとほんと、可愛いね。」
……っ!?
「はは、ごめんね。だって、可愛い? って聞いたら、少し黙って『可愛い』って教えてくれたから。」
…………。
「ああー、謝ったことになんないか(笑)、まあいいや。とにかく、あの子が幸せそうになってるのは、あなたのおかげ。部活のみんなのおかげ。自分が守りたいものを守れてるのだとしたら、きっとあの子は満足してる。」
「うっ………。」
「でもね。まだ途中でしょ?」
「……え?」
「こんな可愛い子を置いてさ。泣かせてさ。ダサダサじゃん。ダサイダサオ1番地じゃん。だからさ、水都さん。」
「……は? はい。」
「あの子がさ、こんな道半ばで、みんなを置いてさ、死にそうになったら、ぶん殴ってくれない?」
「……はい?」
「あとさ、意識回復したりしたらさ、ぶん殴ってくれない?」
「ええ〜っと……。」
お母様が、私を見て、ニコッと微笑む。
「あの子は、一番水都さんを信頼してる。今日会って分かった。一番信頼してる水都さんだから、あの子に届くことがある。ぜひ、お願いね。なんなら、ICU入っちゃおうね! いえーい!」
と言いながら、本当に扉を開けようとする!
「え、はい、い、いえーい……? じゃ、ちょちょ、ちょっと、ダメですよ!」
「アハハハ! ごめんごめん。あの子、昔から一人で全部背負い込んじゃうから。……たぶん、今も一人で何かと戦ってる夢でも見てるんじゃないかな。だから割って入ってでも、あの子の手を引いてあげて。一人じゃないよって、教えてあげてね。じゃ、よろしくね、水都ちゃん!」
向こうに行かれようとする、お母様。
すると、クルッと振り向かれた。
「あ、私のこともりっちゃんでいいから! じゃ、また明日!」
颯爽と行ってしまわれたけど、ICUの窓の中を見つめる一瞬、悲しい顔をされているのを、私は見ていた。
でも、次の日、今日、とお会いして、律子さん(りっちゃんと呼ぶことを条件にようやく教えてくださった)に、どれだけ救われただろう。
……でも、夜、一人になるたびに、思考がまた、ループする。
今日も、外がもう暗くなった。
夜は……苦しい。
もうすぐ、面会時間も終わり、消灯時間が近づく。
看護師さんたちは、私の事情を理解してくれていることと、陽くんの容態が悪化していっていることを踏まえて、消灯時間が過ぎても、私がいることを黙認してくださっている。
でも、一人になると……渦の中に、落ちてしまう。
いくら思い出しても、いくら事実を並べても、目の前の現実は変わらない。
ガラスの向こう、たくさんの管に繋がれた陽くんは、ピクリとも動かないままだ。
陽くんは、今のこの時も、戦っている……。
…………。
……私の横にある、リュック。
瀬馬さんが、持って来てくださった。
「陽さんが、いつも大事に持っていたものが入っています。私は読んでいませんが、良かったら、陽さんが目覚めた時にいつでも渡せるように、お持ちくださいますか。」
…………。
中には、いつか陽くんの家で見た、黄色い透明なルーズリーフファイルと、ボロボロのノート、そして指揮棒。
…………。
中身、見てもいいかな……。
何か、分かるかも、しれない。
黄色い、ルーズリーフファイルを手に取る。
「失礼、します……。」
『樋口先輩 チューバ』
『小野田有希 チューバ』
『牧野秀士 コントラバス』
…………
すごい。
改めて思う。
メンバー一人一人ごとのメモが、びっしり。
それぞれのやりとりだけでなく、強みの面や伸ばせる点についてコメントが書かれていたり、グルグルとペンが入れられていたりしている。
『達成! ヒデシーさすが! やった!』
自分のことのように、喜んでるメモが、それぞれ、たくさん。
そして……
『フルート 河合水都』
私の、場所。
……私のだけ、分厚い?
手に取ると……
他の人と同じように、毎日の練習のメモや感想がある中———
私への思いが所々、残されていた。
明後日も更新します。




