第66話 day X-60 第二の師の推察
》10月15日(火) 1stフルート 河合水都
17:55。
いつもの『エルザ』とコラール練習が終わりかけの頃、さっき安藤先生から呼ばれた柵木先輩が、廊下から戻ってきた。
特に、変わった様子は無い。
有純先輩が、後ろを振り返りながら小さく声をかける。
「結愛、大丈夫? 何だった?」
「あ、うん。シエラから。」
「……え?」
「「「え?」」」
ザワっ、とみんなが声を上げる。
「……シエラ?」
「うん。準団員にならないかって。」
「「「……ええええーーーーーーっっっ!!??」」」
「「シエラ!!?」」
「「準団員!!?」」
「「プロってこと!??」」
「そ、それで結愛、受けるの?」
クールな表情のまま、柵木先輩が口を開く。
「うん。そうしようかな……って。」
「「「「うおおおおーーーーーっっっ!!!!」」」」
「さすが柵木先輩!」
「凄すぎる!!」
「高校で、矢北で、プロって凄すぎない!?」
わあああっ、と一気に盛り上がるみんな。
表情を変えない柵木先輩を見ていると……
先輩の手が、震え始めた。
「ねえ、有純、私、大丈夫かな? 大丈夫かな? やれるかな?」
「だいっっじょーぶよ! 結愛なら! 何今さら震えてんのよ! 結愛の『音』は、いつだって堂々としてるじゃん! アッハッハ!」
柵木先輩の背中をバンッと叩く桐谷先輩。
そして柵木先輩を中心に、人だかりができ始める。
でも、ホントすごい。
音大出たとしても、プロに入るのは一握りって聞くし。
それなのに、準団員といっても、高校生で。
実際、「俺たちの音楽が、プロにも通じるってことだよな!?」という歓声も上がってる。
ホント、その通りかもしれない。
陽くんは、お祭り騒ぎになっている練習室を見て、「今日はここまでにしましょう」と両手を振りながら終了の合図をする。(ほとんど誰も聞いてないけど。)
何だろう、陽くん自身はあまり驚いていないみたい。
こうなるくらいって、予想してたのかな?
みんな、大盛り上がり。
そんな中、安藤先生が未来に近づいて来る。
「……ああ、それと、これ。届いてましたので。狩野さん。」
「あ、はい。」
安藤先生からチラシらしきものを受け取る。
私は立ち上がり、未来のもとに行く。
大翔くんも来た。
「……竜海の、チャリティーコンサート?」
「11月3日? 文化の日? こんな時期に?」
「うん……。しかも指揮者、あの小太り親父じゃないね。」
「先生、変わった?」
「そう、かも。」
「『演奏動画』って、QRコードあるな。見てみようぜ。」
竜海高校。
高圧的な指導を受けて、県大会で敗退した、かつての名門。
……あれから、どうなったんだろう?
何となく嫌な予感がする中、大翔くんの携帯を覗き込んだ。
…………。
「うお……。」
「軍隊みたいじゃないっていうか、キラキラしてる。プロみたい?」
「なんか、音、全然違う、ね。」
「……これ、本当に高校生の音かよ?」
驚いた。
すごい、色鮮やかで、洗練された演奏。
なんとなく、矢北にも通じるものがある。
あれからこんな……短期間で……?
陽くんが、先輩たちとの話を終えてこちらにやってきた。
「どうしたの?」
「陽、これ。竜海がチャリティーコンサートやるんだって。」
「ふ〜ん。」
チラシに目をやり、曲目を指で追っていく陽くん。
「それでさ、添付の動画を見てたんだけど、夏とは全然違う演奏になってて。」
「そうなんだ…………っっ!!?」
陽くんの指が、指揮者の名前のところでピタリと止まった。
「……陽?」
「……このコンサート、僕は行くよ。」
「そっか。実際に良さそうなコンサートだしね。」
「それもあるけど……。」
陽くんは指揮者の名前をみんなに見せる。
「『ゴルドー・D・カンブルラン』。……僕の二番目の師匠なんだ。」
》11月3日(日・祝) 岡崎市民会館あおいホール 楽屋口
チャリティーコンサート終了後、夕闇の楽屋口付近。
「師匠に会ってくる」とみんなに告げ、陽は緊張した面持ちで、かつての師匠が出てくるのを待っている。
「ただ、どう接すればいいだろう……」
ため息混じりの、独り言。
すると背後から突然、陽の首に巻き付く屈強な腕が!!
「ヨーーウ! 私の可愛いウソツキボーイ!」
「ぐえっ!? せ、先生!?」
ガッチリとヘッドロックされ、身動きが取れない陽。
「久しぶりデス! 元気そうデスね! アハハッハ!」
カンブルランはその姿勢のまま、それからドイツ語でまくし立てる。
『お前、私に教えたな? 「食事を終える時は“オカワリ”と言う」と! おかげで日本に来た時、旅館の仲居さんが泣きながらご飯を持ってきたぞ! 私の腹は爆発寸前だったぞ!』
『ぐえ……まだ信じてたんですか? ゴチソウサマデシタ』
それを聞いてさらにキュッと締めた後、陽を解放し、こちらを向かせる。
両手を陽の肩に置き、ニカッと笑う、カンブルラン。
(なんだ、先生は先生のままだな……。)
そう思いきや、カンブルランはふと真顔になり、人差し指をスッと顔の前に立てる。
『……ヨーウ。このサインの意味を覚えているか?』
『はい。“迷うな、私だけを見ろ”。……絶対的な信頼の証です。』
『よろしい。では———』
指を立てたまま、カンブルランは予告なく、クルッと後ろを振り返り、陽がいる方向へ棒のように倒れてくる。
「っ!?」
陽は息を呑むが、体は瞬時に反応し、倒れてくる師匠の背中をガシッと支える。
『Excellent. 良い反射神経だ。背中を預けられる男になったな。』
『……忘れてませんよ。僕に“信じること”を教えてくれたのは、先生ですから。ただ……心臓に悪いです。』
カンブルランは陽の腕の中でニカッと笑い、立ち上がる。
『これが“信頼”だ。指一本で契約し、命ごと背中を預ける。それが指揮者と奏者の関係だ。』
カンブルランが指を下ろすと———
その瞳から「陽気なフランス人」の色が消え、冷徹な「芸術の悪魔」のような光が宿る。
『お前は、生徒たちにその指を立てているみたいだな。彼らは迷いなくお前を信じている。』
『……そのつもりです。』
『私の背中は信じて支えた。……だが陽。お前自身の背中は、誰に預けている?』
『……っ!』
『動画で見たぞ、お前の指揮。美しく、激しく、そして"孤独"だ。奏者を信じているようで、その実、お前はたった一人で何かと戦っている。』
息を呑む、陽。
見抜かれている。
カンブルランの拳が、陽の心臓のあたりにトン、と置かれる。
『なぜそんなに急ぐ? まるで、自分の葬送曲を振るためにタクトを握っているようだ。』
カンブルランが再び指を立てる。
『お前がその指を立てる時、お前自身は誰にも「助けてくれ」と言えなくなっている。……孤独な王様だ。』
言葉を失う、陽。
「支える側」の、自分。
しかし、「支えられること」に迷いがある現状を、完全に言い当てられた。
『……死ぬつもりか? 私の弟子が。』
目を見開く、陽。
それを見るカンブルランは、少し寂しげな顔をする。
『……そんなモノは、ウソにしろ。得意だろう、ウソツキボーイ? 誰かに背中を預けることを、必ず覚えるんだ。リューカイとの差が、開くばかりだぞ?』
カンブルランは黒い燕尾服を翻す。
『あ、それと! 次に変なことを教えたら、指揮棒で鼻の穴を突っつくからな!』
再び楽屋口を向くと、カンブルランは手を振りながら歩いていく。
「オカワリ〜は、もうコリゴリ! アハハッハ! アデュー!」
陽気に去っていくカンブルラン。
その背中が見えなくなると、再び冷たい静寂が楽屋口を包む。
「……誰かに背中を預ける、か」
陽は自分の右手をじっと見つめる。
いつも指揮台で、指を一本立てて、生徒たちを導いている手。
その指先は、微かに震えていた。
「無理ですよ、先生」
陽は誰にも聞こえない声で呟く。
———水都を守る。
そのために時間を超えてきた。
この重荷を分け合うことは、彼女を再び危険に晒すことと同義だ。
夕闇に包まれた廊下。
冬の匂いが混じった風が、陽の足元を吹き抜けていく。
残された期限への焦燥を抱えたまま、陽は一人、その場に立ち尽くした。
(———運命の日まで、あと44日———)




