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第64話 【栄光の架橋】9月13日 引退式


》岡崎市民会館 あおいホール



 会場の拍手が、静かになっていく。

 熱気が冷めるのではない。祭りの終わりのような、神聖な静寂がホールを満たす。

 魔法の時間は終わりを告げ、誰もが固唾を飲んで、ステージを見守っている。


「引退する二年生の名前を、順番に読み上げさせていただきます。」


 指揮台には、代わって部長の有純が立っている。

 陽は席について静かにクラリネットを構え、一人の奏者に戻っていた。


 ……有純がタクトを上げる。

 その息づかいが、震えているように見えたのは、気のせいだろうか。


『ルララ ララ♪———』


 ”栄光の架橋“———。


 静かに、その前奏が始まる。

 それまでの祭りが終わり……旅立ちを祝う音と空気に変わる。


 そして始まる、アルトサックスのソロ。


 結愛ではなく、一年の寺島のえるが吹う。

 柔らかく、少し淡くとも芯のある音が、会場を包む。


「……ホルン、大木まどか!」


 ホルンの席からまどかが立ち、ステージ中央に向かう。

 関係の深かった一年が一緒に立ち、一輪の花を渡す。

 一言、大木が一年生に伝えると、一年生は感謝の言葉を言いながら、声を詰まらせる。

 そして大木は歩き始め、手を振りながら舞台袖に……消えていく。


「……ホルン、中林義尚!」


 ・・・

 ・・・


 ステージの上は、眩しいほどのスポットライト。

 でも、その光の先にある舞台袖は、暗くて何も見えない。


 一人、また一人。

 眩しい場所から、「思い出」という名の光の中へ溶けていく。


 残された譜面台だけが、そこにあった「音」を記憶しているようだった。



「……トロンボーン、畔柳妃那!」


 妃那が中央に出てきて、今度は大翔が中央に向かう。


「岩月。あなたはもう少し愛想良くするよーに。みんな、頼りにしてるんだから。理解してる?」


「……肝に銘じます。」


「よろしい。」


 妃那は花を受け取ると、悪戯っぽく、でも凛とした表情で、ビシッと大翔に敬礼をした。

 それは、参謀として共に部を支えてきた、戦友への合図だった。


 大翔が一瞬驚き、ふっと苦笑して頭を下げるのを確認すると……

 妃那は会場とステージに手を振り、颯爽と去っていった。



「……トランペット、富田朱里!」


 朱里と美音が前に出てくる。


「……美音。あんたが来てくれて、本当に良かった。さいっっっこうの半年間だった! この半年間は、アタシの宝物。ずっと忘れないから!」


「うわ〜〜〜〜ん……先輩〜〜〜〜……。」


 涙を流す、美音。

 朱里は、くしゃくしゃになった美音の顔を、親指で優しく拭く。


「泣かないの。あんたは私たちトランペットパートの自慢のソリストなんだから。顔を上げて、堂々として!」


 ポンと頭を撫でて、花を受け取る朱里。

 さっきまでのダンサーとしての矜持もあるのか、大きく両手を振って、去っていく。

 その背中は、最後まで「カッコいい先輩」を貫いていた。



 ・・・曲がループする。


 ・・・音を、失っていきながら。



「……パーカッション、矢部まりあ!」


 まりあと、恵麻が出てくる。

 恵麻はメガネがズレるほど、顔をくしゃくしゃにして泣いている。


「ひっ、ぐっ……や、矢部ぜんぱい……いやぁあ……。」


「あらあら、恵麻ちゃん、お顔がすごいことになってるよ?」


 まりあは聖母のような微笑みを浮かべ、ハンカチで恵麻の涙を優しく拭う。


「だってぇ……さびじいれすぅ……ううう……。」


「ふふ。あなたは私の可愛い妹。ずっと見守ってる。愛してるよ。」


「わぁああ〜〜ん!! ぜんぱぁあ〜〜い!!」


 号泣して抱きつく恵麻を、まりあは慈愛に満ちた表情で優しく抱きしめ返した。

 そのまま、泣き崩れる恵麻を支えてから、まりあは光の中へ消えていった。



「……フルート、佐藤香奈!」


 香奈と、水都が前に出てくる。

 水都は深々と礼をする。


「河合ちゃん。」


 顔を上げる、水都。


「ずーっと、ずーっと、大好きだよ。今までも、そしてこれからも。」


「先輩……。私も、大好きです!」


「自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに、頑張ってね! ガハハ!」


 香奈は、湿っぽさを吹き飛ばすように豪快に笑うと、涙を流す水都を力強く抱きしめた。


「任せたよ、エース!」


 耳元でそう囁き、水都の肩をバシバシと二度叩く。

 その痛みが、水都に「先輩の引退」を実感させた。


 花を受け取ると、香奈は一度も振り返らず、手を振りながら舞台袖へ消えて行った。



 ・・・

 ・・・



「……テナーサックス、武田真司!」


 真司と、バリサクの瑠璃が出てくる。

 真司がニコニコして「さあ来い、涙の別れ!」と両手を広げると、瑠璃は、


「ハイ。」


 と事務的に花を押し付け、真司の顔も見ずにクルッと回れ右してスタスタ歩いて行ってしまった。


「What!?」


 真司はのけぞり、去っていく瑠璃の背中と会場に「なんで!?」と視線を向ける。

 瑠璃は一度も振り返らない。その徹底したドライさに、会場から「ワハハ!」「真司〜!めげるな〜!」と爆笑と拍手が起こる。


 その拍手にはにかむと、真司は「やれやれ」と肩をすくめ、笑いながら手を振って去っていった。



「……チューバ、樋口拓海!」


 拓海と、同じチューバの有希が前に立つ。


 二人が向き合うと、有希が下を向き、手に力を入れている。


「樋口……先輩。ずっと、ずっと好きでした!」


 その言葉は震えていて、音楽にも消されていたが、真っ直ぐだった。


「……。」


 顔を上げる、有希。

 その瞳は涙で滲みながらも、逃げていなかった。


「今まで、本当にありがとうございました! これからも、ずっと応援しています。頑張ってください!」


 少し切なそうな顔をする、拓海。

 拓海と奏は付き合っている。

 それを十分にわかっていても伝えたかった、自分の気持ちと、感謝だった。

 拓海は、有希が持っている花を、両手で包み込むように受け取った。


「……ありがとう。小野田さんと一緒にチューバできて、本当に楽しかったよ。」


「……ありがとうございます!」


 拓海は花を受け取ると手を差し出し、力強い握手を有希とする。

 隆々とした大きな手と、震える小さな手が、しっかりと握り合う。

 それは恋人にはなれないけれど、同じ楽器を支え合った「同志」だけの熱だった。

 「がんばれ!」と一声かけると、同じように光の中に消えていった。



 ———多くの二年生が、架け橋を渡っていった。

 

 もう、残す二年生は、三人。



「……副部長、柵木結愛!」


 ワアアッ、と会場から拍手が起こる。

 絶対無二のソリスト。

 そこに立つ、小柄な一年生、のえる。


「先輩、私、いつまでたっても先輩に頼りっぱなしで……。」


「ううん、それは間違い。のえるのお陰。」


「え?」


「のえるがいたから、のえるの音があったから、私は響き合って、私でいれた。私が動じないで、自信もって吹けたのは、のえるがいたから。私はのえるだから、託せるの。自信持って。」


「先輩……。」


「これ、良かったら使って?」


 結愛は、ポケットからリガチャー(マウスピースとリードを固定する、大切な道具)を渡す。

 それは新品じゃない。使い込まれて、少しメッキが剥げかかった、結愛の音が染み付いた相棒。


「先輩……!」


 受け取ったのえるの手のひらに、金属の温もりが伝わる。

 憧れの先輩の音が、自分に託された重み。


 結愛はニコッとのえるに笑い、花を受け取ると、大きな拍手とともに光の中に消えて行った。


 続く、大翔のアナウンス。


「……副部長、宇佐美 奏!」


 奏と、ユーフォの未来が前に立つ。

 もう涙でまともに話せない、未来。

 それを察し、自分から話す奏。


「未来。未来と一緒に中音をやれて、本当に良かった。これほど心強いユーフォは、他にいないよ。」


「せん……ぱい……!」


「未来はね、みんなを包む愛があるの。よくみんなを見てる。助けられる。部長なんていいかもね? 私、推薦するよ?」


「え……?」


 未来は涙と、後ろの音楽で状況がよく分かっていない。


「ふふ。あなたと、一年みんなと一緒にいれて、本当に良かったってこと! ありがとね!」


「……はい!」


 未来は俯きながら花を渡すと、奏は未来を優しく引き寄せた。


 ふわり、と。


 いつも隣で支えてくれていた、優しい香りが未来を包む。


「頑張ってね、次期部長さん。」


 そう囁かれ、ポン、と背中を押される。

 それが「最後」の合図だった。


 大きく手を振りながら、笑顔で舞台袖へ歩いていく、奏。

 会場からも、大きな拍手が送られた。


 ———一方、舞台袖。

 退場していった多くの二年生が、幕の間から、目に涙を溜めながらステージの様子を見ていた。


 会場に笑顔を見せながらこちらに向かってくる奏を見つめる、拓海。


 奏は歩きながら一瞬視線を落とし、袖に入ったことを確認する。

 そして拓海を見つけると……崩れるように、その胸に倒れ込んだ。


 会場の上では決して見せなかった、涙。

 拓海は彼女を支えながら、背中を優しく叩き続けた。



 ———そして、最後。



「……部長、桐谷有純!」


 会場から、一層大きな拍手が起こる。


 陽がクラリネットを置き、花を持って前に出てくる。

 指揮者から渡される『タクト』。

 次代に渡すバトンを、今ここで、先輩から後輩に引き継がれる。


 陽は、花を持って指揮台の横に立つ。


 ……しかし、有純は指揮を振り続けている。


 曲がループを抜け、中間の間奏部に入る。

 一年生だけになった合奏で、サックスのメロディーをロングトーンのフルートが支える。


「……部長、桐谷有純!」


 ———聞こえていなかったのか?


 観衆はそうも思ったが、すぐに違うことがわかった。


 ステージ上の一年全員が、その様子を不思議そうにせず、真剣な表情で、涙ぐみながら演奏している。


 ———指揮棒を離したくないんだ。

 ———終わりたくなくて泣いているんだ。


 陽は誠実に、花を持って待っている。


 そしてドラムスが止まり、曲がフルートのソロのある静かなシーンに入る。


 観念したように、有純は指揮棒を下ろし、下を俯く。


 ソロの水都は涙でフルートを吹けない。

 伴奏だけが続いていく。


 肩を揺らして咽ぶ有純。



『パパパーン……』


 中間部が終わって再びサビに入る時———


 有純が、俯きながら、マイクを持った。


「二年で引退って……誰が決めたのよ。」


 マイクを持つ手が、震えている。


「……私、残りたい。進学校だからって、運動部だけ三年までって、おかしいじゃない!」


 有純が、顔を上げる!


「私だって、私だって全国行きたかった! 絶対行くんだから! 全国行くまで、絶対辞めないから! わ〜〜〜ん!!!」


 横にいる陽に、抱きつく有純!


 涙まみれの顔を、陽のブラウスに拭いつけ、ギュゥウウウッと力強く抱きしめる!


 それを見た愛菜と未来の音が、「ブビュウゥウ!?」と乱れる!


 会場からは、「いいぞー!」「石上、抱きしめろー!」「ピーピー!」とヤジが飛ぶ!


 陽は花を持って両手を上げたまま硬直している!


『ジャーーー・・・ン』


 と、こんな絵面の中で曲が終わる!


「アハハハ!」

「なんかシュールだな!」


 そんな笑い声の中、有純は顔を上げると、指を差して舞台袖に叫ぶ!


「まりあ! アゴゴ! “宝島”やるわよ!!」


「「「え!?」」」


 慌てて飛び込んでくる、まりあ!

 そして有純が指示を出す!


『カンカンコンコ カンカンカコンコン……』


 それを見て、「ハイ! 振って!」と陽にすんなりタクトを渡す有純!


(え!?)


 あまりの切替の速さに、陽は目を白黒させる。

 でも———


(……了解です! 先輩!)


 ドラムが入る!

 結愛も! 奏も!

 全員が走って、戻ってくる!


 悠も笑いながら、全員が席につくまでドラムを延ばす!


『タタッタン!』

『パーーッパーパパッ パーパッパッ パーパーー!』


 宝島の合奏がスタート!


 会場から拍手と、ヤジが飛ぶ!


「アハハハハハ!!」

「一体何だったんだー!」

「俺の涙を返せー!」


 どよめきと笑いの中、ハデ北の再度のアンコール(アンコールなのか?)が、会場の全ての人の心に鳴り響いていった。




——————


クライマックスまで、毎週金曜日更新します。

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