51話 東海大会③ 前奏曲〜Prelude〜
ホール外、楽器置き場に向かう矢作北メンバー。
そこに、彼らにエールを送る、たくさんの姿が。
「頑張れよ!」
「悠! しっかりね!」
「頑張れー!」
「楽しんでね!」
出演順を知っている矢作北メンバーの家族たちが、そろそろだろうとホワイエに駆けつけていた。
普通、控え室に向かう出場者は淡々と向い、家族と触れ合うことなどはしない。
しかし、父母の会の保護者の一人が、今日集まった全員に声をかけていた。
メンバーは照れもあるだろうが、胸を張って歩きながら手を振り、エールに応える。
自分たちをこんなにも応援してくれていることを、彼らは誇らしく思った。
「水都のお父さんお母さんも、来てるの?」
「うん。たぶん、二階席にいると思う。」
「そうか。楽しみだね。」
「うん!」
陽が水都と話していると、家族の集団から———
大翔の妹の紗希が、タタタ、と未来の元に駆け寄る。
「……みくちゃ!」
「紗希ちゃん! 今日も来てくれたの?」
「うん。こえ!」
紗希は、未来に金色の折り紙で作られた、お人形のような物を渡す。
中には、『おなかをまもるまん』と書かれているのだろう。
「……紗希ちゃん、ありがとう。これのおかげで、バッチリ演奏できるからね!」
未来は紗希の頭を嬉しそうに撫でる。
紗希も安心したのか、目尻を落としてふんわり笑っている。
———それを見る陽が、大翔に言う。
「……自分のお兄ちゃんよりも、未来、だな?」
「ははっ、ああ。」
陽の問いに、大翔も嬉しそうに笑う。
———さらに、そこにもう一人。
「陽先輩!」
「…………ああ、岩月さん。こんにちは。みんなで来てくれたんだね。」
「はいっ!」
大翔の妹の、紗良。
美島中の現・3年で、陽がドイツから戻ってきた半年間、指導を受けた。
フルートで、昨日の中学の東海大会に出場している。
「……昨日の大会で、金だったってね。代表、惜しかったけど、よく頑張ったね。」
「……はいっ! 陽先輩のおかげです! 本当にありがとうございました!」
「いやいや、僕は何も。みんなの頑張りだよ。素晴らしいね。」
「いいえ、とんでもないです! ダメ金だったけど、ここまで来れて最高でした!」
陽も嬉しそうに頷く。
「陽先輩、応援しています! ぜひ、初の学生指揮者で全国、達成してください!」
「はは、そうなの? 学生指揮のことは考えてないけど、精一杯頑張ってくるよ。」
「先輩なら大丈夫です! 頑張ってください!」
目を輝かせて、陽を見上げる紗良。
その目には憧れだけでなく、恋慕が浮かんでいる。
「…………むむ。」
未来は、その目に“未来ちゃんアンテナ”を発動していた。
* * *
リハ室へ向かう廊下。
皆、列になって向かっていく中、陽はパーカッションの悠と孝弘と話していた。
長い列のその先、人影の中からアルトサックスの結愛の背中を見つけると……陽は先ほどの安城ヶ丘女子の、嵯峨ららを思い出した。
———陽は、長年の経験の中で一つの特質を得ている。
それは、『一人一人の演奏者の特長を見出すこと』。
その特質で、嵯峨ららを見て理解したこと。
———彼女の、"異常な好奇心"。
さらに、おそらく極端な吸収力を持っている。
(しかも昼休みのやりとりを見る限り、柵木先輩がターゲットになっている———。)
安城ヶ丘女子の演奏を聴いて、結愛が影響を受けていないか気になり、声をかける。
「すいません、柵木先輩。」
「うん?」
「ちょっと、お伝えしたいことがあって。」
「ええ。安城ヶ丘女子の、あの子のことでしょ?」
「———え?」
まさか結愛から先に言われ、驚く陽。
「……はい。」
「あの子、他の人の技術を吸収してるってことなんじゃない?」
「……おそらく、そうだと思います。」
そのことまですでに予想を立てている結愛の様子に、陽はさらに驚く。
少し強張った表情をしている陽を見ると———
結愛がフッと笑う。
「問題無いんじゃない?」
「え?」
「……私、ひとりで音楽してるわけじゃないし。」
「っ……!」
「音楽の音って、誰かと響き合って初めて“私の音”になるんだと思うの。……だから、誰かに“奪われる”ってことは、そもそも起こらないのよ。」
「先輩……。」
「ま、大丈夫よ。」
心配するなと言わんばかりに、陽の胸をトンと叩き、ヒラヒラと手を振って前方に向かう、結愛。
その背中を見て、自分が言わんとしていることを完全に理解している彼女を……
陽は心から頼もしく思えた。
結愛も少し目を閉じ、微笑みながら思う。
(……石上くん。
もし春の時のままの私だったら、戸惑っていたかもしれない。
でも、誰かに奪われることもなく、誰かを傷つけることもなく。
ただ、誰かと響き合うために音楽があるって、あなたが教えてくれたことの一つでしょ?———)
* * *
舞台袖に入る、扉の前———
係が扉の前で止まり、リハ室での音出しを終えた矢作北の面々の列が、溜まるように止まる。
メンバーに緊張はあるが、皆が笑い、この機会を楽しもうとしている。
陽は扉の前、列の先頭で、係の高校生の前に立っている。
後ろのメンバーからは見えない角度で……陽は目を閉じていた。
(いよいよ……だ。)
陽は、深い深呼吸をする。
(転生して、7年。前世も加えれば……。)
前世で、高校卒業後に飛び込んだ、ドイツ。
水都の手紙の言葉を何度も読み返して得られた、シャルズール優勝。
ヴェルダー、ザルツブルク、トロント、サヴァンナ、バーミンガム……ベルリン。
……そして、転生。
自分に、指揮者という道標を与えてくれた、水都。
水都を今度こそ守れるチャンス。
水都の夢を今度こそ叶えるチャンス。
それを得られたことに、叫んで喜んだ。
小学生で資金を作り。
中学生で再びドイツで経験を積み。
高校で……また、水都に会えた。
ここで勝てば、全国。
12月、僕の命が尽きる前に。
『信愛の光筆』———。
あれば、寿命を延ばせるかもしれないけど———。
そんな、あるかどうかの物になんて、縋ることはできない。
———扉が、開く。
舞台袖特有の、木と床の冷たい匂いが鼻を通る。
目の前では14番目、登呂橘高校が舞台搬入を開始していた。
「……陽クン。」
「……はい?」
「ほっぺた、ツネろうか?」
「え……。」
有純の言葉に、陽は驚く。
「あ……怖い顔、してました?」
「う〜ん、ちょっとね?」
「はは、すいません。ちょっと考え事してて。」
「ふふ。ほら、こういう時は笑っとかないと。観客の皆さんに“怖い指揮者”って思われちゃうわよ?」
「……先輩みたいにですか?」
「……あっ。……もう、意地悪ね!」
有純が不貞腐れたような顔をする。
県大会の控え室での、やり返しだ。
「はは、いえ、すみません。ありがとうございます。」
フッと笑う有純に、陽が声をかける。
「———『あなたはもっと、強くなれる。』」
「え…………。」
有純が1年の時に敗退した時に、その時の部長の川北先輩から受けた言葉。
突然それを言われ、驚く有純。
「……先輩たちは、もう、『十分強い』ですよ。……心から、頼りにしています。」
「…………。」
信頼の言葉を受け、心の中で震える有純。
「だ〜いじょうぶよ。お姉さんたちに任せときなさい?」
握った手で自分の胸を叩く、有純。
県大会で緊張していた彼女とは違う、強さと自信を見せる有純を、陽はとても心強く感じた。
陽はグーを出し、有純も嬉しそうにグータッチをした。
* * *
水都は、舞台袖の冷たい空気の中で、目を閉じる。
胸の奥で、気持ちを落ち着かせようと、自分に問いかける。
(……ここまで来られたんだ。全国の入口に。
私たちが奏でる音は、私たちだけのものじゃ、ない。
聴いてくれる人の想いも、大切にするんだ。
それを矢北のみんなが同じ思いで、演奏してくれる———。)
ふと、肩を軽く叩かれる。
未来が笑っている。
「水都、何か思い出してんの? それか寝てんの?」
「……寝てるのは、古文の時間の未来ちゃんでしょ〜。」
「だってアシタカの授業って5限が多いのに声のトーンが変わんなくて……って、何で私の話になってんのよ!」
思わず他の3人の口元が緩む。
「ねえ未来ちゃん。私ね、今日ここに一緒に立ててるのがすっごく嬉しいんだ〜。」
「……私もよ。」と返すと、美音も嬉しそうに頷く。
「……でも、前の東海よりも、何か楽しいんだよな。」
大翔が声をかける。
「あ、それ分かるかも。中学ん時含めて、こんなに舞台袖、楽しいの初めてかも。」
頷く4人の中で……
水都は心から思う。
(……きっと、今日は最高の日になる。
矢北に入って、本当に良かった。)
『パチパチパチパチパチ…………』
14番目、登呂橘の演奏が終わった。
舞台が暗転し、係が矢作北メンバーに入場を促す。
舞台から差し込む光を正面にしている、陽。
大翔はその隣で、陽の背中をバン! と叩いた。
笑い合う二人。
「さあ、行こうか——————。」
陽は、入場していく先頭の大翔を筆頭に、入場していく一人一人にグータッチをしていく。
先輩たち。
未来。
美音。
そして……水都。
心底信頼するメンバーとともに、
いざ、ひらけた舞台に———立つ。
* * *
暗転した舞台の上に、矢作北メンバーが一人、また一人と出てくる。
舞台転換の間、ホール内にいる多くの他校生がざわついている。
しかし———
とある一角の集団……いや、もう一つ別の一角の集団は、誰も口を開かずに、真っ直ぐに舞台を見つめている。
安城ヶ丘女子の集団———顧問の火野、部長の佐伯、市川、粟生、ららもいる。
ららは、矢作北の舞台入場が始まると、こっそり口の中に入れていたアメ玉を転がすのを、止める。
名京大名電———いつもは騒がしい集団が、シンとしている。
顧問の伊東、部長の成瀬、影斗、梓希。
梓希は目を見開きながら、アヒル口になっている。
それぞれ、それまでの演奏の鑑賞とは様子が違う。
———影斗の斜め前の他校の生徒の声が聞こえてくる。
「どこ? 次。」
「やづくり……北? 愛知。……知ってる?」
「ううん。」
「見て。これ。『アルメニアン・ダンス』だってさ?」
「……。」
二人はため息と共に笑う。
「中学じゃないんだし。」
「しかもさ、学生指揮者なんだって。ここ。」
「ふ〜ん、よく来れたよね?」
「まあ、記念に出れて良かったんじゃない?」
再び、二人が笑っている。
「…………。」
その様子を見ていた影斗は、冷蔑の眼差しを一瞬向けた後———
価値が無い会話を無視して、再び舞台に視線を移す。
———明転。
《出演順…15番。》
ライターの小澤は、興奮している時のクセ———シャカシャカ擦っていた手を、止める。
(さァ、始まるぞ。LINE挨拶で教えてくれた『三象限の音楽』。……意味は分からないけど、どんなモノか。見せてもらおうか。)
審査員席の樫本は、肘をついた指で頭を支えながら、見定めるような目で舞台の上の演者たちを見る。
二階席、家族応援団。
『矢作北』のオリジナル鉢巻を付けようとする水都父と、それを叱りつける水都母。
『美音』のオリジナル鉢巻を付けようとする美音父と、それを叱りつける美音母。
そして、舞台袖には———
新しく陣取り、隙間から注視する、浜松光聖高校の出演者たち。
蓮城、シュン、そして———大吾。
《愛知県立 矢作北高校
課題曲 III
自由曲 A・リード作曲 『アルメニアン・ダンス パート1』
指揮 石上陽》
大きく鳴る、拍手。
陽はそれに深く礼をした後、指揮台に立つ。
そして———
人差し指を、顔の前に一瞬、立てた。
いつもの、陽の声がメンバーに聞こえる。
(さあ、吹おうか。聴いてくれる人を大切にして、いつもの『楽しい』を届けよう———。)
リラックスしたように、わずかに微笑む、矢作北。
陽がタクトを構える。
…………後に、『ホクトホールの伝説』と呼ばれる演奏が、今、始まった———。




