50話 東海大会② 狂宴の舞台 #風のきらめくとき #宇宙の音楽
12時55分———。
ザワザワとする、大ホールの中。
午後の部の開演5分前のブザーが、鳴る。
ブ——————・・・
《まもなく、午後の部を開始いたします。お席に着かれます方は・・・》
「……ここ、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。」
陽たち5人組が、部長の有純たちの隣の空いている席に着く。
「……始まるね。」
「ああ。」
未来に、大翔が答える。
会場はざわついてはいるが、空気が緊張に包まれている。
午後の部最初だから———という理由だけではない。
全国大会出場候補、安城ヶ丘女子。
二つ名、『音の錬金術師』。
歌劇団のようにソリストが舞い、それを他の演奏者が七色の音色でライトアップする、表現力と連動力を持ち合わせた超実力校。
ソロが光る曲をキラキラと演奏できる、この学校の演奏目当てに来る人もいる。
宝塚のように、固定ファンも多い。
「陽クン。」
「はい?」
「今年は……余程の自信があるそうよ。」
「そうなんですか?」
「うん。部長の佐伯先輩とLINEで繋がっているのだけど、今日のご挨拶を昨日お送りしたら、少しお話しできて。」
「やりとり、できたんですね。」
「うん。こっちにもエールを送ってくださったけど、向こうもよく仕上がったって感じだって。なんでも、ソリストがここ数年で一番の出来なんだって。」
「ここ数年で一番……。」
「火野先生がここ最近、つきっきりでソリストを仕上げているそうよ。」
「そう……なんですね。」
名将、火野 健太郎先生。
指揮者としても、人を育てる指導者としても、超一流の先生。
先生を慕って入学する生徒が、全国から集まる。
「…………。」
開演前の、人がいない座席だけが綺麗に並べられたステージを見ながら、何かを思う陽。
———そこで通路から、同じ列の美音に声をかけてきた人物が。
懐かしい顔が、そこに。
「———美音。」
「……っ! 莉緒ちゃん!」
「莉緒!」
「おお、莉緒!」
「陽。大翔も。久しぶり。」
少し前屈みになりながら声をかけてきたのは、元・美島中の浅井莉緒。
トランペッターとして美音の良きパートナーであり、金管五重奏として陽、大翔、美音、浜松に行った大吾と共に、東海大会まで勝ち上がった戦友だ。
中学卒業後は強豪・竜海高校へ進学している。
「あ……。」
莉緒が私服だったために一瞬分からなかったが、水都、未来、有純も、春のプレコンで助けてくれた人だと思い出し、笑顔で会釈する。
「莉緒ちゃん〜。久しぶり〜。わあ〜、莉緒ちゃん〜。」
美音は本当に嬉しそうに、グータッチを伸ばす。
「今日は? ……というか、あれ、竜海で出てた? 出てなかった?」
「あ、……う〜んと、時間もあれだし、簡単に話しちゃうとね、私、竜海転校しちゃって。」
「「「「……え!?」」」」
「なんか話しにくくて伝えられなかったんだけど……今、埼玉にいるんだ。」
「埼玉!? 埼玉からわざわざ今日長野に!?」
「うん。みんなの演奏、聴きたくて。」
「そうなんだ〜。ありがとうね〜。埼玉でも吹奏楽、やってるの〜?」
「えーと、うん、一応。埼玉栄和ってトコで。」
「埼玉栄和って!? 先週、全国決めたトコじゃん!」
「えっと……うん。」
「そーなんだー! おめでとーー!」
わあっ、と、話を聞いていた前後一列が一体となって拍手を送る。
「莉緒ちゃんも出たの〜?」
「う、うん。」
わああっ、と一段と拍手が大きくなり、美音もさらに嬉しそうに笑った。
莉緒は少し恥ずかしかったが、それ以上に、自分のことを知らない人まで一緒に喜んでくれる、矢北のその温かさに驚いていた。
「今日は? 一人?」
「えっと、うん。」
「じゃあさ、ここ座んなよ!」
未来が話しかけ、自分の席を内側の美音と替わり、隣の空いている席に座るように促す。
「あ、あの……ありがとう、ね。」
美音も未来も嬉しそうにする中、莉緒が席に着いた。
「そうか。竜海にいなかったから、どうなっていたか、心配してたんだよ。」
「ご、ごめんね。なんか、伝えにくくってさ……。」
大翔に莉緒が答える。
「でも、さすがだね〜。全国か〜。莉緒ちゃん、がんばったんだね〜。」
「う、うん。お父さん、埼玉に単身赴任で住んでて。そこから通ったんだけど。」
大翔、そして陽も、説明する莉緒を嬉しそうに見る。
それに気づいた莉緒は、少し視線を下に向けながら、続ける。
「ホ、ホントはね———」
ブ——————・・・
………………。
開演ブザーが、鳴る。
…………本当は、陽たちと一緒に演奏したくて。
矢作北への転校を考えたけど、県内の公立高校へは転校が認められなくて。
だから県外に一回出てでも、みんなと一緒に演奏したくて。
そう話そうとする莉緒を、止めるかのように鳴る、開演ブザー。
莉緒は言いかけた言葉を……飲み込む。
そして———安城ヶ丘女子の演奏者が、ステージに入ってくる。
* * *
———ちょうど、その時。
客席最前列に座っている、大諸高の吹奏楽部メンバーたち。
ブザーも鳴り、それまでの大きなおしゃべりが、小声になる。
「(絢香ぁ、ウチら、大丈夫だよね?)」
「(だぁぃじょうぶよ! アタシだって頑張ったんだし。サックスのソロは安城ヶ丘よりアタシの方が上手だし。代表に名電、光聖、そしてウチの可能性は十分あるっしょ。)」
自信たっぷりに返事をする、綾香と呼ばれた生徒。
それを聞いて、安心したような表情をする部員たち。
ステージの上では、横から安城ヶ丘女子の演奏者が、等間隔に入ってきている。
背筋をピンと伸ばし、オーラを纏いながら。
入場、そしておそらく退場の練習も重ねているのだろう。
その様子だけで、強豪であることが分かる。
そんな中、猫背で入ってくる背の低めの生徒が一人。
ソプラノサックスと、アルトの2本持ち。
———嵯峨らら。
ぼーっとした表情で、前に歩く人の早いペースに不自然に着いていく彼女が…………
客席最前列に座る、大諸高の絢香を見つけると———
ずっと視線を絢香に向けて、前に歩く。
(え? …………何、あの子。アタシを見てる?)
絢香も、その視線に気づく。
ららは、前方に注意しながら歩くが、席に着くまで、綾香を見つめる。
いや、着いてからも、暗転した舞台の中、顔ごとずっと綾香を見ている。
(何、なの?)
そして、あることに気付く。
(あれ……一番手前の席ってことは……あの子、1st?
ソロ、変わってる?)
ららは火野が指揮台の横に立つと、ようやく視線を中央に向けた。
———舞台が明転し、アナウンスが始まる。
《演奏順…11番
愛知県代表 聖サレジオ学園 安城ヶ丘女子高校
課題曲 II
自由曲 スパーク作曲 『宇宙の音楽』
指揮 火野健太郎》
火野が礼をすると、慎ましくも気高い期待を伴う拍手が、ステージに向けられる。
…………
課題曲II、『風がきらめくとき』。
よくあるマーチではなく、叙情的なハーモニーの曲。
拍子が頻繁に変わり、さまざまな楽器が短いメロディーを担当していく様は、まるで風の向きが変わる様子を描く。
そのハーモニーの、和音の中であえて少しぶつかるような音で緊張感を出してから、すぐに解決させる様は、曲全体がキラキラした光のような色合いを生み出している。
ダイナミクスを、大きく・小さくではなく、シーン毎にどんなことが求められるかを繊細に表現していく。
それらは全て、安城ヶ丘女子が得意とするところ。
その舞台芸術に触れ、「わぁ……」と心の中で声を出す多くの観衆。
ステージ前の、大諸高の生徒たちもその一人だった。
そこで、綾香の隣の生徒がふと、ごく小声で綾香に話しかける。
「(ねぇ綾香。なんか、あのサックス。綾香に似てない?)」
「(え?)」
綾香はアルトサックスを吹いている、ららに視線を向ける。
…………。
アタシに似てるって、顔も身長も違うけど……。
確かに、アタシと吹き方が似てる。
……っていうか、あれ?
吹き方……身体の揺れや、呼吸の癖……だけじゃない。
(う……なんか、自分の録画を見てるよう……。)
艶やかにつながる舞台の上のハーモニー。
目を輝かせながら聴いている観衆の中……絢香は異様な気持ち悪さを感じる。
(アタシ、そっくり? …………いや、アタシより……上手い?)
ゾクリ、と寒気が走る。
———課題曲が終わり、『宇宙の音楽』に入る。
冒頭、“ビッグバン”シーン前の、風の音。
ホルンの怪異的なソロに合わせ、ウインドマシーンの音が、さも吹き荒れる砂嵐のように、舞台の上から漂う。
(寒い……。)
ただの音楽なのに、絢香はこれから起こる何かに怯えるように、風の音に凍える。
ソロを中心に、かけ合うユニゾンが超・高校生級の技術の中で響き合う。
不協和音を『協和音』に変えてしまうほどの、精緻な連動力。
同じ楽器なのに、シーンに合わせて音色が変わる、その表現力。
目の前で起こっていることに、観客は魅了されていた。
そんな中、ファゴットとE♭クラを皮切りに、中間部のソロの宴が、始まる。
嵯峨ららが、続いて構える。
その音に、絢香が驚愕する。
(っ!! アタシの、音? いや、アタシよりはるかに上手く……!!?)
ららのソロ。
ソリストの中でも突き抜ける、まるで熟年の演奏者のような音を奏でる。
一瞬の合奏の後、再びららのソロに入った時———
ららが吹きながら……舞台の上から、
横視線で絢香を見下ろす。
絢香は、凶暴な眼球に睨まれるようなビジョンに襲われた。
“イ・タ・ダ・キ・マ・ス”
「うぅっ……!!?」
絢香の視界に、鋭い爪のある巨大な手が浮かぶ!
捕食者と、食べられる者の関係だから見える、ビジョン。
「う、ぐぅうっ!」
背骨を氷の爪でなぞられるような感覚と同時に、絢香は何かを奪われたような気持ちに襲われた。
単なる模倣ではなく、絢香の技術と努力の魂まで、奪うように。
自己の証明でもあった、絢香が中学の頃からずっと培ってきた技術。
自分の”唯一性”にもしてきた、大切な技術。
自信を破壊され、人生の半分を奪われたような錯覚に陥り、絢香は嘔気をもよおした。
「あ、絢香!」
演奏中にも関わらず出口へ駆け出す、絢香。
ホールには、他にも気を失って椅子に崩れ落ちる、他校のサックスの生徒が、数人いた。
……いずれも、ららに「動画で」喰われた生徒だった。
当の本人たち以外の観衆はそんなことを知る由もなく……演奏は続く。
出口の扉から出る、絢香。
音楽がまだ続いていることが、絢香には遠い世界のように感じられた。
そして、舞台の上はクライマックスを迎え、複雑なユニゾンによる掛け合いの見事な饗宴が行われ———
曲はフィニッシュを迎えた。
わああっ、と歓声混じりの大拍手が送られる。
火野の合図とともに、ステージ上の生徒たちが誇らしげに立つ。
この大会の後、”安城ヶ丘女子過去最高の演奏“と言われる演奏であった。
「……よっし、行くわよ!!」
部長の有純はその拍手をむしろ迎え撃つように、立ち上がる。
それに合わせて席を立ち始める、矢作北のメンバーたち。
名電の圧倒的な演奏は、空間を圧するほどの迫力だった。
安城ヶ丘女子の演奏は、舞台を彩る麗美の極みだった。
しかしその二強の音に触れた後でさえ、かつて交流練習で見せた迷いは、もうそこには無かった。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
近く、次話も更新します。
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