49話 東海大会① 蹂躙後の交差 #勇気の旗を掲げて #アッピア街道の松
》東海大会当日 11時40分———
長野市ホクト文化ホール
若草公園に隣接する、茶色の巨城。
今日という一日、全国大会という聖地への入口へと化す。
それを表すかのように、天からの試練とも言える真夏の太陽の光が、その巨城を輝かせている。
愛知・岐阜・三重・静岡・長野から集まった計20校の代表。
その入口から入れる高校は———たった3校。
「いよいよね…………。」
大ホール観客席———安城ヶ丘女子高校部長・佐伯玲奈。
観客席でザワつく後輩たちに一声入れた後、自身もこれから始まるステージの息吹に身を預ける。
昨晩は長野に宿泊できたので、ホテルで朝のウォーミングアップと合奏を終えた後でも、午前ラスト3校を聴くのに間に合った。
次は10番目の、名京大名電。
ステージ上は楽器や座席の入れ替えで、係りが慌ただしく動いている。
「……去年よりも、全体的に遥かにレベルが高い……。」
長野、大諸高。
三重、英學館。
とにかく完成度が高かった。
安城ヶ丘女子は三強の一校と言われているが、そんな余裕はさらさら無い。
(……でも、最後は自分たちの力を信じるだけ。)
名電に負けない、と、頑張ってきてくれた金管軍団。
自由曲の『宇宙の音楽』の個性をいかにして出すか。
追究し続けてくれた千夏、バスクラのサーヤ、ホルンの千尋。
そして……らら。
十分準備した。
絶対に……行ける。
そう、玲奈は自分に言い聞かせ……ステージを見つめる。
* * *
一方その頃———
矢作北のメンバーも、ホールに到着していた。
「……ふぅ! 間に合った? みたいよ!」
未来がホールに一番乗りし、後方に合図をする。
間も無くアナウンスが始まるであろう雰囲気。
状況を察し、メンバーが急いでホール後方に陣取り始める。
慌ただしくなる入口扉。
陽と大翔は全員が入ったことを確認すると、未来がとっておいてくれた座席に着く。
その陽に……ステージの上から強い視線が向けられる。
陽を因縁に思う人物。
(陽———。)
名京大名電1stトランペット、葛城影斗。
ステージからでも、陽の姿その一点を、睨んでくる。
(後悔しろよ。俺達の音を、そこで聴いてろ———。)
「…………。」
陽もその視線に気付く。
が、エールにも似た笑顔を影斗に返した時———
アナウンスが、始まる。
《演奏順…10番
愛知県代表 名京大学附属名電高校
課題曲 I
自由曲 レスピーギ作曲 交響詩『ローマの松』よりIV『アッピア街道の松』
指揮 伊東宏一》
会場から、大きな拍手が起こる。
(う……何?)
玲奈が舞台を見て、呟く。
演奏する前から……オーラのようなものが?
椅子に座る生徒の背筋は凛と伸び、目に見えぬ気配がゆるやかに揺れている。
前のめりになっているようにも見える。
全員が。
伊東先生の指揮棒が上がるのを、今か今かと待っている……この眼!
(……怖い……!)
伊東先生が、タクトを振る。
課題曲I、“勇気の旗を掲げて”。
丁寧に聴こえるけど、何かが今までの高校と……違う。
(……『余裕』。)
そう、余裕。
一人一人が明らかに、余裕を持って吹いている。
その余剰した力を、アーティキュレーションを揃えることに回しているよう。
恐ろしいほどに、揃っている。
小柄にまとめ上げているにも関わらず、倍音が整って前方に飛んでくる。
寺子屋で鍛え上げられたこの基礎力、まるで重戦車のよう……!
* * *
自由曲になる。
明らかに抑えている力が、いつ破裂するのか……
観客の誰もが。初めて聞く人でさえも、緊張を走らせている。
そんなホールの空気。
“アッピア街道の松”。
自由曲は、春の“ローマの祭り”から、変えてきた。
遠くに見えるローマ軍の行進が、どんどん近くなってくるのを表現した曲……のはずなのに。
冒頭の木管セッションが恐ろしいほどの倍音を吹き鳴らし。
完璧に重ねられた低音から高音のパートが、そのクレッシェンドの重厚さを表現している。
来る……
来る……!!
遠くから聞こえるはずのファンファーレの木管のシーンで、すでに倍音が轟いている!
これで金管が入ってきたら……っ!
『『『パパパ パ〜ンパ パッパー!!』』』
案の定、一回目のサビのはずなのに!!
音圧で、髪が吹き飛ぶ!
身体が、浮く!
裏拍で、バスドラとティンパニ、チューバが叩かれるたびに、ドン! ドン!と身体が浮くような錯覚に陥る!
『『『パンパンパパパ パッパ〜! パッパ〜!』』』
クライマックス!
裏拍にドラが加わる!
トランペット部隊の恐ろしいほどの倍音が、ホール全体を劈く!!
観客席全体が、のけぞっているように見える!
暴王!!
暴王の到着!!
ドン!!
『『パパ〜〜〜〜〜〜ッ!!!』』
…………
…………
フッと伊東先生が力を抜くと、全員を立たせるのと同時に……
歓声混じりの大拍手が鳴らされた。
玲奈も、大きな拍手を送る。
(なんてこと……。)
合同練習でも凄かったのに、遥かに厚みを増してきた。
暴王の異名に相応しいのか。
大諸高も。英學館も。
印象を、全て吹き飛ばしてしまった。
会場の人々は、一緒に来た人と顔を見合わせながら、目の前で起きた光景に驚き、叫びにも似た声で語り合っている。
(…………。よし。)
玲奈はその喧騒に負けじと立ち上がり、メンバーを見る。
「行くよ! 急いで昼食! 30分後にリハ室前集合!」
「「「「……! はい!」」」」
* * *
《……午後の開始時刻は、13時を予定しております……》
会場内のアナウンスが、ホール入口から聞こえてくる。
名電の演奏が終わり、興奮の余韻が残る中——
矢作北のメンバーは、ホールの外で昼食へ向かう準備をしていた。
ただ……暴王の進撃に飲み込まれたかのように、震えるような興奮を語り合う、観衆たち。
演奏が終わっても、観衆は互いに目を合わせ、言葉より先に震えを共有していた。
ドラとバスドラの音が、まだ内蔵の中で鳴らされているようだった。
「……ねぇ、名電、どうだった?」
未来が陽に聞く。
「……さすがだよね。あそこまで倍音を限界まで共振させられる学校は、ここくらいだよ。」
陽の返事に、大翔が反応する。
「『鳴らさなければ吹奏楽じゃない』ってタイプの審査員なら、百点どころか一万点じゃないか?」
「同感だな。彼らなら、国立競技場で吹いても、反対側の客席まで音を飛ばせるんじゃないかな。」
「実際にやってるだろ。」
「え?」
「ほら。甲子園で。」
「あ〜……。高校野球の応援団、か。」
大翔の答えに、陽も頷く。
「たしかに、凄かったね〜。まだ、お腹の中で低音が鳴ってるよぅ〜。」
美音が言うと、未来も笑いながら応じる。
「わかる。なんか、食欲に響いてる感じよね。お昼、食べれるかな……。」
「未来ちゃんならいつも通り〜、ドンブリ5杯くらいいけるんじゃない?」
「腹くだすわ!」
いつもの光景に、みんなが笑う。
「……もう。…………水都は? どうだった?」
———水都は、名電の演奏を聴いて、ある違和感を抱いていた。
未来の問いに対し、水都は少しだけ間を置いてから、静かに口を開いた。
「…………確かに凄かった。けど、私たちは私たちの演奏で、良いと思う。」
水都の言葉に、未来はしばらく黙る。
空気が、少しだけ静かになった。
「なんか、圧倒的、だったけど。でも———『これを聴いて良かった』って、あまり思わなかった。」
「……どういうこと?」
「……上手く言えなくて、ごめん。なんかね、“誰かと共鳴する音”じゃなくて、“誰にも触れさせない音”に感じた、の。」
「“誰にも触れさせない”……。」
「何て言うか、うん。……感動って、感情が動くって、書くよね。喜怒哀楽の感情の中に、圧倒っていう言葉が無いって、聞いたことがあって。」
「「……!!」」
未来、そして陽が、目を見開く。
「圧倒する音楽……確かに、そういうものがあっても、良いと思う。でも私は、矢北の音楽のほうが、好き。」
「……そうだな。良いこと言うな。さすが、木セクリーダーだな。」
「なっ……大翔くん、そういう言い方、嫌だよー。」
あはは、と4人が笑う。
陽は笑いながらも、水都の言葉にジンとくるものを感じていた。
* * *
そこへ、控え室に向かって通りがかる、安城ヶ丘女子の面々。
「おなか、すいた……。」
「らら、食べたばっかじゃん。物足りなかった?」
「おなか、すいた……。」
千夏が、空腹を訴えるららを嗜めながら、先頭に続いている。
水都はその安城ヶ丘女子の列に気付き……ある人物を探していた。
「……市川先輩!」
市川淑の姿を見つける、水都。
すぐに、近くに駆け出す。
「市川先輩、頑張ってください!」
「……ん、カワイちゃんも。しっかりね。」
「はい!」
……横でニヤニヤしている、千夏。
「……なんですか。」
前より素直になっている淑の姿が、微笑ましい様子。
淑がそんな視線を鬱陶しく感じている、脇から———
トトト、と列を外れて、矢北メンバーの近くに走っていく、一人の影。
「あ、らら。」
そして———
「……おなかすいた。」
「…………え??」
嵯峨ららが、柵木結愛のブラウスのすそを引っ張り、見上げていた。
「え…………。おなか?」
「うん。」
「……わたし?」
「うん。」
その様子にびっくりして、千夏が飛び出してきた。
「ごごごごめんなさい! らら! こら! もうお昼食べたでしょ! 何やってんの! ちょっ、ごめんなさい!」
千夏は、ららを後ろから抱え上げ、列に走り出す。
「おなかすいた……。」
指を結愛に差しながら、引きずられていく、らら。
取り残された、結愛と奏。
「…………な、何だったのかしら……。お昼ご飯、足りなかった?」
「いや……それ以前に、なんで結愛?」
隣にいる奏もあっけに取られている。
「な、何、今の………?」
未来たちも、その様子に唖然とする中———
陽だけは、去っていくららを見て、何かの予感を感じていた。
* * *
その様子に気付いたライターの小澤が、陽に遠くから声をかけた。
「…………おーい! 石上くん!」
「……あ……小澤さん。」
手を振る小澤に気付き、向かい始める陽。
……そこで、小澤の横にいる、懐かしい影に気づく。
「っ! ……樫本さん!」
シエラ・ウインドオーケストラ、首席フルート・樫本明。
彼は連盟理事として、東海大会審査員として来場していた。
陽は嬉しい気持ちを抑えながら、駆け寄る。
「……樫本さん、お久しぶ……」
樫本は、駆け寄ろうとする陽に……
腕を真っ直ぐに伸ばし、手のひらを立て、諌めるように陽に向けた。
「……?」
それを見て、手前で立ち止まる、陽。
小澤もその様子に、少し驚く。
陽が立ち止まったことを確認すると、樫本が口を開く。
「…………ようこそ、聖地の入口へ。」
「……っ!」
空気を凍らせるほどの静けさで、そこに立つ、樫本。
「……。」
それを察し、陽は樫本に向かって、最敬礼する。
「……よろしくお願いします。」
樫本はそれに見向きもせずに、控え室に向かって歩き出す。
慌てて、小澤はその後について行きながら、陽に「じゃ、また」と一声かけた。
その様子を、遠くから心配そうに見つめる、未来たち。
ざわざわとする、昼休憩のロビー。
様々な思いが交錯した後、
一人、陽はそこに残されていた。
———名電の音は、確かに“王者の蹂躙”だった。
しかし、その後に交差していく演奏が、その蹂躙された世界すらも塗り替えていくことになる———。
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(おまけ・審査員控え室前廊下)
「ねえ! ねえ! 小澤さん! 嫌われてないよね? ね!?」
「ちょ、樫本さん……ええ……?」
「だって、仕方ないじゃん! 審査員だし! 他の審査員のみなさんも、出場校の指導の禁止だってされてるし! 忖度してるって疑われそうだったら、突き放すしかないじゃん! ねえ!」
「そ、そうですけど……。」
「ああ〜〜〜っ! 何で会っちゃうかなぁー! しかも慌ててキザっぽいこと言っちゃうし! ああ〜〜〜っ!!」




